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書けない4

 仕事を終え、ATMでまとまったお金を下ろし、カフェジョーカーに着く。いざ、ステンドグラスのついた店の前に立つと足がすくんだ。自分よりも一回り以上年下の、それも女性に八つ当たりしたことを思いだし、消えてしまいたくなる。

「でも、せめて金を渡すぐらいは」

 そう意を決してドアを開く。鼻腔をくすぐる店の香りを懐かしく感じた。同時に耳に飛び込んできたザワザワという話し声に店内を見渡す。

「……大繁盛じゃないか」

 店内には客が溢れている。俺が今まで見たことがないくらいに。


「いらっしゃいませ」

 大森 朱音は客にコーヒーを差し出した後、入口に立つ俺を見て言った。

「こちらへどうぞ」

 大森 朱音に言われるまま、俺はいつものカウンター席につく。その席には予約の札が置いてあった。

「あぁ、よかった。心配してたんですよ」

 明るく笑ってそう言った大森 朱音の額には汗がにじんでいた。ずっと動きっぱなしなのだろう。

「忙しそうだね」

 俺は、大森 朱音の差し出した水を受け取り言った。これだけ客がいるのなら俺が来る必要はなかったんじゃないかと怒りたい気持ちを抑える。

「えぇ、どうやら佐藤さんの動画を見て来てくださったらしくて、鳴海さんが来られなくなった頃から、毎日大にぎわいです」

 店内を見渡し、大森 朱音は微笑んだ。

「そうか」

 喜ぶべきシーンだから口角を上げて見せた。が、まるで唇の両端に重りでも付いているかのようにその動きは重かった。

「ごゆっくりお過ごしください」

 そう言葉を残し、客に呼ばれて立ち去る大森 朱音。その背中を見て俺は、八つ当たりしたことを謝罪するタイミングを逃したことに気づく。


「お久しぶりね」

 カウンター席の端から声がしてそちらを見ると佐藤 梅子が微笑んでいた。

「先日は失礼しました」

 その微笑みを見て池に落ちた田中 栄太の姿がダブる。謝る俺に佐藤 梅子は首を振り、手を頬に当てた。

「気にしないで良いわ。どう?イジメられている子に向けた物語、書けそう?」

 佐藤 梅子の問い掛けに大きく息をのんだ。じわりと申し訳なさが胸を締め付けてくる。

「いえ……その」

 思わず、佐藤 梅子から自分の膝へと視線を落とした。カフェで和やかに食事している声が大きく聞こえ、佐藤 梅子はなにもいわず俺の言葉をじっと待つように見つめている。その事が俺の覚悟を決めさせた。


「書けなくなったんです。だから……」

 ようやく言葉が搾り出せた。

「そう?おめでとう」

 佐藤 梅子から帰ってきた言葉に耳を疑った。思わず顔を上げると優しく微笑む佐藤 梅子を目が合った。

「作家活動なんて、得るものより失うものの方が多いでしょう」

 天気の話をするような穏やかさで佐藤 梅子が言葉を続けた。

「それは……」

 佐藤 梅子の言葉を否定しようと口を挟んだものの、言葉を続けることができなかった。

「だからね、これからはもっと有意義なことに時間を使いなさい。……恋人とかいらっしゃらないの?」

 どこまでも優しく、導くような調子で佐藤 梅子は言う。俺はその言葉に少し反論したくて、でもその言葉が思いつかない。

「恋人はいません」

 結局、尋ねられたことにだけ答えることになった。

「そう、書いていた時間を別のことにあてられるから、欲しいと思えばきっとすぐにできるわね。なんなら紹介しましょうか?」

 佐藤 梅子が嬉しそうに言う。その様子に、疑問が沸き起こる。”ストーリーテラー”を運営しているのに、なぜ、書けないことを祝われるのだろうか。


「あの、佐藤さん、どうしてそんなに嬉しそうなんです?」

 俺の問い掛けに「あぁ」と短くそう答えた佐藤 梅子の冷たい声は周りの空気を一気に冷やした。


「私の父は作家だったの」

 そう前置いた佐藤 梅子が口にしたのは、本を読む人間なら一度は聞いたことある大作家の名前だった。心温まる家族愛を書いた作品が多く、インタビューにも柔らかな物腰で答える作者。家族の素晴らしさを説いた物語を次々と世に送り出し、そのどれもが大ヒットする。縮小していく出版業界において異色の輝きを持っていた。

 亡くなった日には、連日ニュースで報道されたほど。


「父親が大作家先生だなんて凄いじゃないですか」

 俺がそう感想を漏らすと佐藤 梅子は首を横に振った。まるで自分の中にある過去を必死に諦めるかのようなその動きが悲しかった。

「そう、知ってたの。まぁ、有名ですものね。……ということは作品を読んだこともあるのかしら?」

「えぇ、家族愛をあれほど見事に表現する作家は他にいないでしょう」

 心の底からの賛辞を述べると、佐藤 梅子の目がスッと細められた。


「鳴海さんは自分が1作品書き上げるまでにどのくらいの時間を使っているか、考えたことはある?」

 佐藤 梅子の問いに俺は首を振って答える。時間をはかったことなどない。

「そう……」

 佐藤 梅子は頷いて言葉を続けた。

「でも決して、一朝一夕に書けるものじゃないでしょう?」

 俺は黙って1度頷く。仕事終わりに書きはじめて気付けば、空が明るくなっていた経験を何度かしたことがあった。

「父のファンにね、”あんなに愛情深い人で幸せでしょう”ってよく声をかけられるの。だけど。私が知る父は、文机に向かい、なにかにとり憑かれたように文章を書く。遊ぼうと声をかけても、怒鳴り散らすだけの怖い男の人よ。ただの1度だって、父の書く物語のような眼差しを向けられたことはないわ」

 そう言って佐藤 梅子があまりに悲しく笑うものだから俺は鼻の奥が痛くなった。


「だからね、書けないならいっそ書くのを止めてしまっても良いんじゃないかしら?……それこそが幸せなんじゃないかしら?」

 佐藤 梅子が俺の頭を愛おしそうな目で、撫でた。その言葉に、すがって泣きたいような気持ちになる。俺は咳ばらいをして身をよじった。

「あら、ごめんなさいね」

 佐藤 梅子はそういうと手を引っ込めた。

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