可能性の話2
「なぁ、母さん宛てに書きたいんだが」
俺がヒメに頼むと、ヒメは何もない左手の空間からファイルを抜き出した。その内容を人差し指でたどるようにして読んでから答えた。
「……今は別の事で頭がいっぱいで他のこと考える余裕はなさそうです。天啓したところでそれを意識できないでしょう」
ヒメの言葉に俺はガックリと肩を落とした。
「よほど、その人をコントロールしたいんですねぇ」
ヒメが鼻で笑いながら言った。
「違う。ただ頼ってほしいだけだ」
俺は首を振りヒメの言葉を否定した。
「どうだか」
小馬鹿にするように肩をすくめたヒメに言い返そうとして、目が覚めた。
「母さんは、怖がりだから安心させるのは俺の役割なんだ」
ヒメに言いたかった言葉が独り暮らしの部屋に響いた。母親は高校卒業した夏に未婚で俺を産んだ。俺の生物学上の父親は既婚者らしいと聞いている。世間からみて母親がどのように評価されるのかは想像できる。俺が母親を守らなくて誰が守れると言うのだろう。そこまで考えて、目を閉じてゆっくりと息を吐いた。母親と食事するはずだったぽっかりと空いた時間をどうやって潰そうか。
身支度を整えてカフェジョーカーに行く。ワンパターンになりつつある自分自身に苦笑しながらも足を止めないのは、大森 朱音が「兄が楽しみに待っているんですよ」といっていたのを思い出したからだった。
すっかりお馴染みになったステンドグラスのドアを押した。耳慣れたベルの音がするが、迎える声がしない。不思議に思って店内を見渡。入口から少し離れたところに大森 誠が席に座っている背中が見えた。
「どうした?サボりか?」
俺は自分自身の気分の落ち込みを吹き飛ばすように軽い調子で声をかけた。その声に驚いたように顔を上げた大森 誠が俺を見て気が抜けたような表情になった。
「いらっしゃいませ」
大森 誠はだいぶ遅い挨拶を口先で唱えながら机に広げていた書類を隠すように集める。督促の文字がチラリと見えた。
「それ……」
俺が思わず口走ると、大森 誠は目を閉じて大きく息を吸い込んだ。息を吐くと同時に目を開き、
「まだ、がんばれます」
俺の言葉を遮るようにして言いきった。
「モーニング食べに来たんですか?珍しいですね」
続けた言葉に、書類の件に触れてくれるな、との強い意思を感じる。無理に聞き出すことでも無いかと俺はモーニングを注文し、すっかり特等席のようになったカウンターに座った。
「おはようございます。モーニングは初めてですね」
大森 朱音が厨房から顔を出して挨拶してきた。
「おはよう」
女子高校生を相手にどう言葉を続けていいか分からなくて挨拶だけを返した。
「鳴海さんって、いくつなんですか?」
俺に水を差し出しながら大森 朱音が聞く。
「今年で30歳、気分はすっかりおじさんだよ」
俺の答えを聞いた大森 朱音は目を丸くして驚いたような表情をした。
「……30歳だったんですか」
「朱音、僕の勝ちだね」
お盆にモーニングセットをのせた大森 誠が得意そうに言った。
「勝ちって?」
目の前に並べられていくクロワッサンとスクランブルエッグ、サラダ、スープ。美味しそうな料理を見ながら俺は聞いた。
「その、……頼りがいがありそうだったから」ゴニョゴニョと大森 朱音が言う。
「創さんがいくつに見えるかって話してて。朱音が40オーバー、僕が30ぐらいって答えたんですよ」
俺の隣に座りながら大森 誠が説明する。
「40……」答えながら職場の上司の顔が浮かぶ……まだあそこまでの風格は自分にはないと思っていた。だけど高校生から見れば30も40も変わらないのかもしれなかった。ショックを受けた自分をそう慰める。
「も、もちろん良い意味ですよ?」フォローするように大森 朱音が早口で言った。
「ははは。大丈夫だよ」
俺は笑って答え、クロワッサンを一口大にちぎって口に入れた。
「バターの香が良いなぁ」
ついでに食通を気取って見せる。
「それ作ったの私です」
嬉しそうに大森 朱音が言いその場でぴょんと跳ねた。




