殿湯 ヒメ
「何だよこれ」
俺は思わず封筒から取り出した紙を落とした。ひらりと足元に落ちた一枚の紙。そこにはこう書かれていた。
”母親の裏切りによる両親の離婚。少年に残されたのは楽しかった思い出が詰まったカフェだった。少年は両親がいつか戻って来る日を夢見て今日もコーヒーを煎れる。しかし、幼い少年が飲食店を経営していくのは簡単なことではない。じわりじわりと膨らむ負債にやがて少年の心はむしばまれて行くのであった。……経過とオチを考えてください。殿湯 ヒメ”
偶然なのか?封筒の不可解な現れ方と大森 誠をほうふつとさせる文面が脳内で混ざり合いゾクリと背中をはい上がる。ヒメは本当に単なる夢なのか?確認するにはあの夢を見るしかない。が、急に得体の知れないもののように思えて怖くなった。
まずは風呂かな。洗濯物も溜まっているし、読みたい本も積んである。俺は眠るのを先送りするように予定を組んだ。
「論咲、顔色が悪いようですが大丈夫ですか?」
いつの間にか寝ていたのだろう。気付けばヒメの顔が視界一杯に広がっていた。自分好みに整えた容姿、その瞳の奥に俺の知らない人格があるような気がして恐い。
「なぁ、これは夢なんだろう?」
何とも情けないことだが、俺は恐怖の対象であるヒメにその恐怖を取り除いてもらおうと尋ねた。
「私、この世界を夢だと言った記憶はありませんが?」
俺のすがるような気持ちをあっさりと切り捨てるヒメ。
「……封筒が、起きたらあったんだ」
2度同じ質問をしても意味がない。この事実を一旦受け止めることにしてヒメに言うとも無しに呟いた。
「えぇ、世界を超えて物質を送るのはちょっとしんどいんですけどね。良かった。無事に着いてたんですね」
と、ヒメからまるで手紙が届いたことを確認するみたいなテンションで返ってきた。
「あそこに書かれている内容が知り合いの今と被るんだが偶然だよな?」
違っていてくれと祈るような気持ちで俺は尋ねた。
「あら?さすが何年も書いてるだけあって想像力豊かですね」
コロコロと鈴が転がるような声でヒメが笑う。
その言葉に自分の仮定が正しいという確信を持った。
「物語って人の人生のことなのか?」
「そうですよ」
コテンと首を傾げるヒメ。その艶やかな唇に人差し指を当てている姿はこんな話をしていなければ俺のハートを射止めるに十分な威力を持っていた。
「そんなこと俺には出来ない」
俺はいつの間にか持っていた封筒をヒメにつき返した。
「論咲? 出来ないも何も既にやってるじゃないですか」
ヒメは自らに押し付けられている封筒を一瞥だけして言った。
「あなただけの物語屋。神様が特別な力を与えてもないのに似たようなことを始めたって大変お喜びでしたよ」
何も言えないでいる俺を見てヒメはさらに続けた。
「ムシの知らせ、ビビッと来た、アイディアがフッと閃いた……それらのいくつかが神様の提案によるものです。だからそんなに気負うことないんです。自分で思いついたと感じるか、他者からの影響だと自覚できるか程度の違いですからね」
「何故、最初にそう言ってくれなかったんだ」
「最初にこんな説明をされたところで理解できなかったでしょ?」
事もなげにヒメは言い、急に現れたふかふかのソファーに腰掛けた。支えを失った封筒が音もなく俺の足元に落ちた。




