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佐藤 梅子4

 仕事を終えネクタイを緩めながらステンドグラスのドアを押した。すっかり馴染んだ来店を知らせるベルが鳴る。

「創さん、いつもの?」

 厨房から顔だけをひょこりと出して大森 誠が言った。

「いつもの」

 俺は答えながらカウンターに腰掛けた。このやり取り、なんだか通みたいでカッコイイじゃないか。頬が緩むのを感じてそっと手で口元を隠した。

「何ニヤニヤしてるんですか」

 運悪くそれを見た大森 誠がつっこむ。

 「ニヤニヤなんかしてないからな」

 俺は咳ばらいするとメモ用紙を取り出す。丑弌 論咲が書きたいと騒ぐのに任せてボールペンを走らせた。


 ”[存在の証明]

 ねぇ、私出来た嫁だと思うの。

 節目の挨拶を欠かさず、いつだって敬ってきたでしょ。

 ねぇ、私十分頑張ったと思うの。妻として。

 朝の支度でハンカチにアイロンがかかってないのを責められて謝り、食事の席で「おい、醤油」って呼ばれて笑顔で返事してきたでしょ。

 ねぇ、私十分いい母親してきたと思うの。

 母親は無償の愛を注ぐものって世間の評価する行動をなぞってきたでしょ。


 嫁で、妻で、母親。……でも私じゃない。

 これからも役割だけは、ちゃんとこなすから私が私である瞬間を奪わないで。


 不倫小説のありきたりな書きだし文を破り捨てる。うっかり自分の気持ちが載っていると感じてしまったことが悔しかった。


 破り捨てた紙をごみ箱に捨てているとあなたが後ろから私を抱きしめてきた。

「ねぇ、私の名前を呼んで?」

 あなたの腕の中で私は少女のように声を上げる。その瞳に映る自分に、心が満たされてゆく。”


「へぇ? さすがに説教するような文章を書くのかと思ったら、受け入れるの? どこまでお人よしなんだか」

 料理を配膳し終わった大森 誠が後ろからメモを覗き込んだ。

「真っ向から諭してもその恋が燃え上がるだけだろう」

 俺はメモを見やすいように手渡してオススメディナーに手を合わせた。

「これを読んで、不倫をやめるとも思いませんけど」

 吐き捨てるように言ったその顔は、はっきりと嫌悪を現していた。

「ずいぶんと嫌そうだな」

 俺はご飯を飲み込んでから言葉を促す。

「夫婦だけなら構わないでしょうけど。子供いるんでしょう? 子供はなんにも悪くないじゃないですか」

「あぁ」俺はエビフライをさくさくとかじる。

「子供がどんな思いで母親のそんな姿を受け止めるかわかってたらこんなことは言えない。創さんの書く文章には人を責めるような描写が出てこないけど……いくら人を批判する文章が書けないからってこれはひどい。不倫を美化するつもりですか?」

「美化? とんでもない」

 俺は顔の前で手を振りそれを否定した。

「この女性自身、きっと許されるなら家族の元に帰りたいと思ってるだろうと思ってね。だからその背中を押してやるんだよ」

「書いていることと真逆でしょう。そう簡単に許してもらえるなんてありえない」

 眉間にしわを寄せて読み返した大森 誠が言い、俺は説明しようとディナーのお盆を遠ざけた。

「大森くん……」

「誠でいいです」


「誠くん、もしかして君も……」

「はい。母が出て行きました。今時珍しくもないですよね。母と父で切り盛りしていたのがこのカフェです。尻拭いを子供に押し付けて自由にしてます。父はこの店に来ると気分が悪くなるといって転職しました」

 感情を無理に押し殺したような声のトーンで大森 誠は続けた。

「これ、この登場人物の子供はどうすればよかったんでしょうね」

 俺を通してどこか遠くを見るように大森 誠が言った。俺はそれに答える言葉を持っていない。だけど一つだけ言えるとするならば。

「俺はただ許し続けてるな。フラれては涙ながらに子供に謝って来るような母親だったから」

「創さんも?」

 目を丸くして大森 誠は俺を見た。

「珍しくないって言ったのは誠くんだろう」

 大森 誠の表情がおかしくてつい笑いが出た。

「……創さんって強いんですね」

 俺は再びお盆を引き寄せ食事を再開する。

「強いのは誠くんだろう。俺には場所を保ちつづけるなんて出来ない……何歳なんだ?」

「20歳です」

 大森 誠は肩を竦めて言葉を続けた。俺は若いなといって口笛を吹く。

「ただでさえ童顔だし、店長が若すぎるといろいろ支障があるので秘密にしてくださいね」

 人差し指を口元に当てシィーと音を漏らす。

「アルバイトだと思ったからな」

 俺はそう言って頷く。

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