8話 刺すのか、刺されるのか
王都の初日はヴィオラとの不愉快な出会いから始まった。
ミラは悪い流れを払拭させようと、気持ちを新たに新生活をスタートさせる。
2日目は上位の使用人達との顔合わせ。
執事のマッシュ、その妻でメイド長のリサ、料理長のブンダ、御者頭のトム、庭師のサム。などなど。
自己紹介が終わるとヌッコに屋敷を案内してもらう。
部屋の一つ一つ、屋根裏から地下室まで。代々の公爵がお愉しみに使った秘密の部屋を除いて全部。最後は小さな森や池、家庭菜園まである広い庭を見学する。庭には馬や牛、山羊や羊、犬も猫も鶏もいた。これらは家畜と言うより景観を整えるペットであるらしい。一種の動物園だ。そうして一日が終わる。
3日目は公爵家の御用商人であるミュレリ商会との面談。
公爵夫人となったミラは、王都公爵屋敷の年間予算の何割かを自由に使える立場となった。しかしそれはミラの私的なお金ではない。
例えば屋敷でパーティーを開催したとする。ミラはホストとして段取りを組まねばならない。パーティーの雰囲気を決め、それにあった内装を整える為に業者を呼ぶ。
料理は何を出すか。フルコースメニューの選定から食材の仕入、選別までミラがプロデュースする。パーティーの最後にはお客にお土産も渡さないと礼儀に反する。
その全てにお金がかかる。お金は無限にはないから、予算の中で遣り繰りする。ミュレリ商会とのコミュニケーションが不足していると、考えた以上の散財をしてしまう。なのでマッシュに補佐されながら、ミュレリ商会の担当者と念入りに顔合わせをする。これで一日が潰れる。
4日目。ヌッコに捕まって言葉遣いを注意される。
カリムはプライベートの場所なら素の話し方で良いと許可を出したが、社交界では絶対に許されない。これから冬になる。社交界が本格的に動き出す。公爵夫人として社交界デビューする前に、標準語を徹底的に教え込むと宣言される。辛い。
5日目。最初にすべき重要な事柄はだいたい終わった。後は実践しながら公爵夫人の何たるかを学んで行くのだ。
「ヌッコ、旦那様は今日も遅いだべか? 間違えた、遅いかしら?」
午後3時。ミラは与えられた豪華な自室でお茶を楽しんでいた。ヌッコの標準語講座が終わった後のお菓子とお茶は美味いのだ。
「外国には“師走”と言う言葉も御座います。年末にかけて、大蔵省は忙しいようです」
王都屋敷に来てから今日まで、カリムは朝早く出勤して、夜遅く帰る。顔を合わせるのは朝食と夕食の僅かな時間だけ。もちろん寝室は別々なので、ほとんど会っていない事になる。
「旦那様は毒を警戒してお昼も取らないと聞いています。お体を壊さないか心配だべ、でっす」
朝食は軽め、昼は無し、夕食は夜遅い。若いとはいえ、これでは健康を害してしまう。ミラはどうにか改善出来ないかと思案する。
ナッツ入りのクッキーを手に取り、サクサクしながら窓の外を眺めている。するとドアがノックされた。ヌッコが誰何する。相手は執事のマッシュだ。ドアを開けるとマッシュは一礼してミラの側に寄る。
「マッシュ、どうしましたか?」
「お寛ぎの所、失礼致します。お客様が参られました」
「お客様? どなただべっすか?」
王都にミラの知り合いは皆無。客と言えばミュレリ商会か、悪役令嬢ヴィオラしか思い当たらない。頬に手を当て考える。
「公爵様の部下でご友人のコーラル様でございます」
「コーラル様?」
「はい。男爵家の子息で、公爵様の数少ないご友人です。何でも、公爵様から指示されたお使いだとか」
カリムの友人で正規の使者なら、女主人のミラが相手をするのが常識。自室を出るとマッシュに先導され、背中をヌッコに守られながら、バカ広い屋敷を歩く。移動時間がもどかしい。
「ねぇヌッコ。走ったら早いですわよ」
走りには自信がある。ペーターランドでは標高2000メートル地点にて、スプリングディアーと言う魔物に走り勝っている。その時は身体強化魔法を使っていない。
「奥様。屋敷を走り回る公爵夫人なんて聞いたことがありません。絶対にやめて下さい」
「……はい」
てくてくと歩き、応接間に到着する。マッシュが扉を開けると、金髪の若い男がソファーでお茶を啜っていた。
「お待たせ致しましたコーラル様。こちらがミラ奥様でございます」
マッシュに紹介され、ミラは淑女の礼をとる。
「お初にお目にかかります。カリムの妻、ミラでございます」
すると、コーラルは立ち上がったまま黙ってしまった。ミラは不思議に思い、彼を観察する。
(背が高くてスリムで凄い美形だべ。こりゃ、女の子にモテモテだべな。いんや、男にもモテるかも。……まさか!)
ミラは閃いた。気が付いてしまった。たぶんそうだと勝手に納得する。
「うぁ、うぉ、うほぉっ!」
コーラルはミラを凝視して、瞳孔全開で奇妙な声を出した。
「どうされましたコーラル様。お体の具合が悪いのですか?」
「あ、あいつ。カリムの奴」
「はい? 旦那様が、なにか?」
コーラルは突然、拳を天に振り上げて叫んだ。
「こんなに可愛い嫁をもらって隠してやがったのか! カリムの裏切り者めぇ〜!」
「がっぺ?」
コーラルは少し変人らしい。発作は日常的な事で、その証拠にマッシュもヌッコも呆れてスルーしている。
「いや、すまない。ミラちゃんが僕のどストライクだったから我を忘れてしまった。いやはや、君は本当に可愛いな」
「そ、そんな。人妻ですよ」
褒められてまんざらでもないミラ。マッシュとヌッコの視線が刺さる。
「おほん。奥様、コーラル様のご用事をお聞き下さい」
「そうでした。コーラル様、旦那様のお使いとは?」
「そうだった。まずは書斎にある資料を取りに来た。場所を教えるからマッシュ、取ってきてくれ」
「かしこまりました」
「それとミラちゃんに伝言。今夜は忙しくて帰れないってさ。カリムの奴、こんなに可愛い新妻を一人寝させるなんて酷いよね。はは」
「まあっ!」
帰らず徹夜で仕事をする。そう聞いたミラは不安になった。カリムは外では極力食事を取らない。ならば夕食はどうするのかと。
「今夜は食べないんじゃない。よくある事だよ」
あっけらかんと答えるコーラル。
「駄目だっペ! 激務をこなす旦那様には、栄養と愛情に満ちた食事が必要だっペよ!」
「だっぺ? え? なに?」
ミラは激怒した。己の体をかえりみない、愚かなカリム・マンディブラリス公爵に対してだ。
「コーラル様、少しだけお時間を頂けませんか?」
「時間? 別に良いけど、なに?」
「今すぐ、旦那様のお弁当を作ります。届けて下さいませ!」
「お弁当? ミラちゃんが作るの?」
「がっぺ!」
ミラは厨房に急いだ。料理長のブンダに事情を説明すると、腕を捲くって包丁を握る。
「お、奥様、料理なら我々が致します。包丁を離して下さい」
ブンダは小太りのおっさんだ。王都公爵屋敷に勤めて25年。包丁を握る貴族夫人は初めてだった。
「おだまり! これは私と旦那様の戦いです! 邪魔をすんな!」
やはりミラはキレやすい。包丁を持っているので近付くのは危険だ。
まずは毒検査。厨房全体に毒検知魔法をかける。
「当然だけど毒物無し! 次!」
豚肉を取る。豚肉にはビタミンB1が豊富に含まれている。これは疲労回復ビタミンと呼ばれている。今のカリムに欠かせない食材である。
「仕事の合間に楽に食べられる料理。そうだ、カツサンドにしよう!」
筋を切り、小麦粉、溶き卵、パン粉をまぶし、たっぷりのラードでじゅわわ〜。狐色になったら出来上がり。
「ブンダさん、キャベツ!」
「はっ! はい!」
千切り。高速千切り。ミラの操る包丁が速すぎて見えない。
「ブンダさん、パン!」
「はい! 奥様!」
フワフワの白パン。耳を切り落とし、食べやすい大きさにカット。表面にマスタードを混ぜたバターを塗る。
「ブンダさん、ソース!」
「はい! 秘伝のウスターソースです!」
パン、千切りキャベツ、カツ、ウスターソース。一つになれば、カツサンドとなる。
「出来上がり! ブンダさん、ヌッコ、味見!」
「美味し〜い! 外はふんわり、中はサクッとジューシーだわ!」
「美味い! こんなカツサンド、初めてだ!」
「良し!」
同僚や部下にお裾分けするかもしれない。気を利かせたミラはカツサンドを沢山作り、バスケットに詰めた。
「後は不埒者に細工をされないようにしてっと」
チョチョイと魔法をかけて完成。それを馬車の前で待機中のコーラルへ渡す。
「旦那様に渡して下さいませ」
「渡すけど、他人が運んだ物は食べないと思うよ」
コーラルは親友だが、それでも隙の生まれた食べ物は口にしないと言う。そこまで徹底しないと命を守れないのがカリムの現実だ。
「大丈夫です。カツサンドには状態保存の魔法。バスケットには不可侵の魔法を掛けてあります。旦那様が解除を念じない限り、何人も細工をする事は不可能です」
「へぇ〜そうなんだ。すごいね」
コーラルは困った顔でマッシュを見る。一般的に、状態保存の魔法と不可侵の魔法は高等魔法に分類される。特に不可侵の使い手は国内に数人しかいない。つまり、ミラの言葉を信じる根拠がないのだ。
「お疑いならコーラル様、どうぞバスケットを開けてみて下さい」
「開けるの? 良いけど、開けたら僕が食べるよ?」
「お好きに」
種も仕掛けもないバスケットだ。コーラルは普通に開けようとして、そして開かない。
「おかしな、あれ? ふん! 開け! 胡麻!」
大人の男が全力を出しても開かないバスケット。コーラルの額にうっすらと汗が滲む。
「まさか、本当に不可侵の魔法なのか」
半分は信じた。半分は常識が邪魔をしている。後一押し。
「ヌッコ、剣は持っているかしら」
「はい、奥様」
「なら、バスケットを本気で斬りなさい。全力でね」
「……かしこまりました」
命令なら従うより他はない。ヌッコはメイドスカートからロングソードを取り出した。メイドのスカートの中は、色々入った不思議空間なのだ。
「では、斬ります」
「待って」
上段に構えたヌッコをとめる。やれと言ったり、待てと言ったり。どうしたいのか。
「身体強化魔法を掛けましょう。50倍でいいかしら」
「50倍! そんなの大賢者様しか出来ません! てっ言うか、身体強化魔法は他人への付与は不可能。自分自身にしか掛けられません!」
ミラのとんでも発言に、さすがのヌッコもちょびっとキレる。だけどミラは気にしない、四の五の言わずに「えいっ!」
「ふぁっ! う、嘘でしょ!」
ミラの右手から放たれた魔力が金色の粒子となってヌッコを包む。それは本人しか分からない。本人だから感じる。身体能力が50倍になっていると。
「力が溢れる。今ならドラゴンだって殺れる」
「準備完了。さあ、全力全開でバスケットを斬りなさい」
「はい! 奥様!」
2メートルの身長がしなやかに踊る。全身の鍛え抜かれた筋肉が、ミラの魔力で50倍の力を発揮する。振り下ろしたロングソードの先端は音速を超えて亜光速へと至り、衝撃波を生みながらバスケットに直撃した。
ガキィィィーーーン!!!
「うわぁぁっ!」
「ぬうっ!」
「ふむ。まあまあずら」
「……奥様、剣が」
衝撃が収まった時、コーラル、マッシュ、ヌッコの見た光景は信じ難いものだった。
地面に置かれたバスケットは無傷だ。誰がどう見ても変化はない。対してロングソードは中程から折れていた。しかも、折れ飛んだ先端は溶けている。剣とバスケットが衝突したエネルギーが熱に変換され、鋼の融解温度を超えた証拠である。
「ではコーラル様。間違いなく旦那様へお渡し下さいね」
「……うん、任せて」
ミラは微笑んでバスケットを手渡す。その際、どうしても聞かなければならない事柄があった。
コーラルの耳元に顔を近付け、他に聞かれぬようにして、ささやく様に話しかける。
「コーラル様、貴方は刺す方ですか? それとも刺される方ですか?」
「刺す? 何が?」
「ですから、旦那様に刺すのか? それとも旦那様に刺されるのか? です」
「いや、刺さないし、刺されないよ?」
「本当に? お二人は刺したり刺されたりの関係ではないのですか?」
「物騒だな。僕達は親友さ、殺し合いなんて絶対にしないよ」
「そげですか」
どうやらコーラルはカリムの愛人ではないらしい。ミラはそれを確かめられて胸を撫で下ろす。
「沢山作りましたから、皆さんもどうぞ」
手を振るミラ達に見送られ、コーラルは職場に戻って行った。
◇◇◇◇◇
「ミラの手作りカツサンド、ひと休みして食べるか」
夜。カリムは職場で空腹に襲われていた。働けばお腹が空く、食べなければ力が出ない。分かっていても、今までは頻繁に食事を抜いていた。
「僕にもくれよカリム」
コーラルが封印の解かれたバスケットに手を伸ばす。
「待て、最初に食べるのは私だ。余ったら分けても良い」
「そんな、ズルいぞ」
バスケットの中のカツサンドは輝いていた。状態保存の魔法で出来たてホヤホヤの鮮度を保っている。食欲を煽る獰猛な匂いが、職場を蹂躙しているのだ。
「仕方ない。ならばお茶を入れてくれ。茶葉はミラが用意した物を使い、毒味も君達がしてくれ」
「分かった。絶対にカリムを死なせはしない。ミラちゃんのカツサンドが食べたいからね」
その日、カリムは初めて職場でお弁当を食べた。ミラと結婚する前なら絶対に無かった事だ。ゲスナー伯爵に勝利した瞬間と言ってもいい。母親やドナルド叔父が知ったらどんな顔をするだろう。
絶品のカツサンドを頬張りながら、コーラルの淹れたお茶で喉を潤すと、自然と顔がほころぶ。
「美味しい。本当に美味しい」
「めちゃくちゃ美味い! ミラちゃん最高!」
他の同僚も部下達も、ミラのカツサンドに元気を貰って残りの仕事に取り掛かる。つらい残業も不思議と苦にならず、いつもより早く片付いたのである。




