6話 羽虫を撃ち落とせ!
ジュワワ〜! モワモワ〜! ジュゥゥ〜!
列車内の狭い厨房。ミラは鉄フライパンを巧みに操り、分厚いステーキを焼いている。立ち昇る肉の香り、外はカリッと中はジューシーな焼き上がり、プロ料理人も脱帽する肉焼きテクニックと手際の良さに、料理長やスタッフ達は刮目する。
「完成だっぺ。料理長さん、忙しい時間にお邪魔しましたずら」
肉汁滴る肉厚ステーキと、ジャガイモ人参ブロッコリーの付け合わせ、パンとサラダとスープ。視覚的にも嗅覚的にも食欲をそそるディナーをワゴンに乗せ、ミラは厨房スタッフに頭を下げた。
「とんでもねぇ。奥方様には毒茸を見つけてもらった恩があっからよ。それに、手際が良すぎて邪魔になってねぇよ」
料理長の言葉にスタッフ全員が頷く。ミラのクッキングを見守っていた秘書マルコムと巨メイドヌッコも同意する。
「しっかし、公爵家の奥方となると、何でも出来るんだな。正直、貴族の若いお嬢様に偏見を持ってたが、考えを改めるよ」
料理長はハゲ頭を撫でながら「でへへ」と笑う。
ミラも「ウフフ」と笑い、ひと言。
「何でもじゃないですわ、出来る事だけっす」
高度な毒検知魔法を使い、熟練した料理技術を持ち、親しみやすい容姿に黄金律の巨乳。威張らず謙虚で礼儀正しいミラ。
カリムの待つ一等客室に戻る後ろ姿を見送りながら、料理長以下、全ての乗務員がミラの虜になっていた。
「実は俺、まだ独身なんだ」
ハゲ頭おっさんの料理長が呟く。
「知ってます。だからなんです」
「キモいっす。黙って下さい」
「料理長が独身でも、ミラ様とは一切完全に無関係です」
同僚や部下からの冷たい言葉に現実を思い知る料理長であった。
◇◇◇◇◇
「旦那様、お待たせしたずら」
ディナーには丁度よい時間。給仕をヌッコに任せて、ミラとカリムはテーブルに向かい合って座り、食事を始める。
「これを全部、本当に君が作ったのか」
朝のサンドイッチも見事であったがアレは軽食。ディナーとなるとレベルが上がり、目の前の美食をミラ一人で作ったと言われてもにわかには信じられないカリムである。
「公爵様、間違いなく奥様が手ずからお作りになりました。毒味件味見として私も少々頂きましたが、王都の一流レストランにも引けを取らない美味でございます」
ヌッコはグラスにワインを注ぎながら説明する。
卓越した包丁捌き、万人を唸らせる味覚、後片付けまで完璧にこなす手際の良さ。どれを取っても申し分なく、貴族令嬢らしからぬと。
「褒め過ぎだっぺ。こんくらい、ペーターランドの女なら当然ずら」
この謙遜の言い回しはミラの鉄板らしかった。カリムは気にせずステーキを一切れ口に運ぶ。
「……今までの人生の中で一番美味しいステーキだ」
美味しすぎて本音が漏れてしまうカリム。褒められて上機嫌となったミラは饒舌になって説明する。
「ペーターランドでは、秋になると増え過ぎた家畜を絞めてハムやベーコンを作るんだべ。その時、肉の一部は秋の収穫祭で振る舞われるんだ。大切な命を頂くんだから、最高の料理に仕上げねばなんね。したっけペーターランドの者は男も女も、鼻垂れ小僧も生意気な小娘も。み〜んな、肉の美味しい調理法を教え込まれているんだなす」
毒検知魔法も料理も、家畜を中心とした生活の中で生まれ育まれた文化であると言う。山に暮らす者達には、山に適応した特殊な風習があると言う。熱く語るミラの話にカリムは納得した。
「山奥の小国と思っていたが、ペーターランドの評価を見直す必要があるな。公爵家として正式な使節団を派遣して、新しい付き合い方を模索するべきか」
ミラの魔法はとても高度だった。ミラの料理はどれも美味しい。ならばペーターランドには、世に知られていない価値ある物が埋もれているのではないか。魔法も美食も金になる、大きな利益を生む取引材料となり得る。きっとお互いが得をする何かを見つけられる。
「是非そうして欲しいっぺ! ペーターランドのチーズは種類が多くて味は世界一だでな!」
ミラは嬉しかった。自分の結婚がペーターランド全体の利益になるかもしれない、そう思うと胸が高鳴った。
(子供を産む以外にも国の役に立てる。オラが頑張ったら、故郷の皆が喜んでくれるかもしれんべ)
来るかもしれない良い明日を思い、夕食は終始なごやかに進んだ。カリムの心の壁は少しだけ低くなった様子だ。ミラも素の言葉使いを許されて、緊張が解けた様子だった。ヌッコだけが、微笑ましい笑顔の下でミラの酷い訛りに「?」を浮かべていた。
(奥様の喋り方、あれが本来の姿だとすると、これからの社交界デビューが思いやられるわ。何としてでも淑女に相応しい標準語を身に付けてもらわないと)
ヌッコは王都に着いたらスパルタ教育を施す所存である。
◇◇◇◇◇
夕食を終えると後は寝るだけ。初夜のタイミングを逃した夫婦には、列車の夜にする事など特にない。秋の夜長は寝るに限る。
「ベッドは一つしかない。私が使うから、君はソファーで寝たまえ」
「おぉん?」
就寝の支度を済ませると、カリムが突然告げた。
「えっと、あの、オラがソファーだすか?」
「そう言った。聞こえなかったのか」
「いえ、はい。聞こえてます。聞き違いでなければですが」
「ならばそうしたまえ。お休み」
「え? え? え?」
カリムは素早くベッドに潜り込むと、毛布を被って背中を向ける。この行動にミラは困惑し、やがて沸々と怒りが湧いて来た。
「だっ、旦那様!」
「なんだうるさい」
「うるさいじゃねーべし! ここは普通、オラがベッドで旦那様がソファーだべ! 十歩譲って夫婦なら、ベッドで一緒に寝るもんだべ! レディーの扱いがなってねぇ〜ぺよ!」
ミラは激怒した。非道なる暴君、カリム・マンディブラリスの横暴に対してだ。
肩を怒らせて掴み掛かり、ベッドに押し倒して馬乗りとなる。下になったカリムの顔にミラの巨乳が迫り、見え過ぎる程よく見えた。
「うぉらぁ〜! 常識を教育してやるべ!」
「やめろ! 落ち着け! 騒いだら外に聞こえるだろう!」
「聞こえても構わんべ! えいっ! えいっ! えいっ!」
「あっ! 顔に当たる! あっ! そこは駄目だ! あっ! 柔らかい! 誰か、誰か来てくれ、助けてくれぇ〜!」
その頃、部屋の前で待機するヌッコや護衛騎士達は、中から聞こえる仲睦まじいプロレスの声にホッコリしていた。
「最初はどうなるかと思ったが、やはり若者だな。2人きりになれば自然とそうなる。これで公爵家も安泰だ」
公爵家に長く仕える男性騎士がしみじみと話す。
「そうですね。適当に選んだ花嫁のはずだったのに、来てくれたのがミラ様で本当に良かったです。これは運命、神の思し召しです」
ヌッコも心配事が一つ減ったと胸を撫で下ろす。
公爵家の未来は明るい。そうして夜が更けて行った。
◇◇◇◇◇
ドンドンドン! ドンドンドン!
「公爵様起きて下さい! 緊急事態です!」
真夜中である。護衛騎士がドアを叩き、主の返事を待たずに扉を開ける。部屋の中ではミラがベッドを占領して、カリムがソファーで丸くなっていた。
「んっんっ〜、何事だ」
「なんだべ? 朝だっちゃ?」
熟睡していた2人は寝ぼけている。騎士は構わず迫る危機を報告する。
「列車が多数のレイス(アンデット系の魔物)に囲まれています! 万が一の時は列車を停めて徒歩で避難しますので、ご準備下さい!」
「レイスだと? そんな馬鹿な」
鬼気迫る騎士の声に、カリムの脳は即座に覚醒すると事態を飲み込んだ。
「蒸気機関車はレールも本体も魔除けの鉄だぞ。野良のレイスが積極的に襲うはずがない、狙いは私か」
アンデット系を操る死霊使いという職業がある。レイスが魔除けに構わず列車を襲うなら、十中八九死霊使いの仕業であり、カリムを狙った暗殺の可能性が高い。
「ヌッコ、いるか!」
「はい、公爵様!」
カリムはソファーから立ち上がるとヌッコを呼び寄せる。
「お前はミラを守れ。私の事は気にせず、ミラだけを守るんだ。分かったな」
「……承知致しました」
ヌッコは公爵家のメイドだ。出会って3日のミラよりも、カリムと過ごした時間の方が遥かに長く、忠誠心もカリムに向いている。それでも、究極の二択を迫られたら、ヌッコはミラを選べとカリムは言っているのだ。
唇を噛み締めて承諾するヌッコ。
護衛騎士達も秘書のマルコムも、恐ろしい脅威からカリムを守る最善を模索して走り回っていた。
その時。
「レイスだっぺか! それは面白いべな。旦那様、オラにやらせてくれろ!」
シルクのネグリジェに身を包んだミラだけが、幼子の様な無邪気さで奇妙な事を言うのである。
「君は隠れていろ。もしもの時はヌッコに従って逃げなさい。これは命令だ」
カリムはミラの細い両肩を掴んで見つめる。巨乳の谷間が気になるが、今はそれどころではない。
「隠れる? なして? レイスなんだべ、なら羽虫と変わらんべ? オラ、レイス落としは得意だでな」
「ぉおん?」
ちょっと何言ってるか分からない。嫁はまだ寝ぼけているのかと考える。だが次の瞬間、カリムの手を振り解いたミラは窓から顔を外へ出してしまうのだ。
「あっ! 危ないミラ!」
車内に引き戻そうと後ろから抱き着くカリム。巨乳がムニュ。
「お〜、レイスが沢山。退屈してたから、良いサプライズだべ」
星明かりだけの闇夜。列車の周囲を青白く光る幽鬼、レイスの群れが追従して飛んでいる。その数10匹以上。
レイスに通常攻撃は通じない。聖別された武器か、聖属性の魔法しかダメージを与えられない。騎士達は聖別された武器を持っているが、走る列車の中から空を飛ぶレイスを剣で攻撃しても当たらない。そして不運にも、聖属性魔法を使える騎士はこの場にいなかった。
「戻れミラ! 死にたいのか!」
ミラを守ろうと必死になるカリム。
「範囲攻撃じゃすぐに終わってつまらんべ。一匹ずつ狙いをつけて、『聖なる矢』だっぺ!」
誰一人、考えもしない事態が起こった。
ミラの右手から打ち出された金色の光、聖属性魔法の聖なる矢がレイスの一匹を貫いて消滅させたのだ。
「あぅぅぅ〜〜〜〜」
不気味で切ない声を最後に消えるレイス。ミラは間髪入れず聖なる矢を連射する。
「大当たり! どんどん行くべ『聖なる矢』『聖なる矢』『聖なる矢』あはは! 見てくんろ旦那様、レイスがゴミの様だっペ!」
「な、な、な、なんだコレは!」
ミラの魔法は百発百中でレイスを仕留めていく。
「反対側に逃げた! 小賢しいレイスだべ、逃がさんべ! 旦那様、反対側の窓にいざ征かん!」
「ミラ! こら! ミラ〜!」
カリムのバックハグをスルリと抜けて、ミラは反対側の窓から顔を出した。今度はヌッコが大慌てでミラをバックハグして体を固定する。
「奥様危ないです! 奥様やめて下さい! 奥様〜!」
「それそれそれ〜! 躱しても無駄無駄無駄! オラの聖なる矢は自動追尾型じゃぁ〜!」
「あぅぅぅ〜〜〜〜」
「あぅぅぅ〜〜〜〜」
「あぅぅぅ〜〜〜〜」
全てのレイスを屠るのに10分も必要としなかった。絶望的状況は、ミラによる真夜中の射的大会によって大盛況の内に幕を閉じた。
「あ〜、楽しかった。もっといても良かったのに、物足りないべ」
一汗かいたミラはニッコニコ。対してカリム達は現実を受け入れられないでいた。
「ミラ、君はいったい?」
一同を代表して恐る恐る問うカリム。
「ん? レイス退治はペーターランドでは日常だっぺ。レイス撃ち大会もあって、収穫祭で盛り上がるイベントだ。今年は参加出来ないと諦めてたけんど、旦那様の用意してくれたサプライズだべな?」
カリムが用意したと言われれば、当たらずしも遠からず。でもぜんぜん違うので答えられない。
「さぁ〜て。まだ夜明けには早いみたいじゃけん、ベッドに戻るべ旦那様」
ミラはヌッコや護衛騎士達を部屋から追い出すと、放心状態のカリムの手を引いてベッドに戻る。どうやら二度寝は夫婦一緒にするらしい。
「ミラ、ちょっとまて! 私達は形だけの夫婦だぞ! それはまだ早い!」
「うっさいべ。オラは眠いから、大人しくベッドにお入り」
「あっ! 私は抱き枕じゃないぞ! あっ! 柔らかくて温かい! あっ! あっ! あっ〜!」
一方その頃、一般客車両の最後尾で一つの事件が起きていた。
「うぐぁぁ〜! 俺のレイスが全滅だとぉ〜!」
怪しい男が腹を抱えて苦しがる。
周囲の乗客が男を心配して声をかけるが、事態は深刻であった。
「ぐおぉぉ〜! ど、退け庶民共! と、トイレに、早く〜!」
死霊使いは邪法であり、使用にはリスクが伴う。
アンデットを使役して、もしも手駒が全滅した場合、呪い返しと言う現象が発動する。ミラによって使役する全てのレイスを失った男にも、呪い返しが発動している真っ最中なのだ。
「漏れる〜! は、早く〜!」
男の腹痛はまともに歩けないほど酷かった。
同様に押し寄せる便意も激しかった。
トイレを目指しながらも牛歩の如く進まない男。
彼の肛門付近では、現在この様なせめぎ合いとなっている。
イメージ。
「ウンコは通行不可だ! 引き返せ!」
「横暴だぞ肛門括約筋! 我々ウンコには肛門を通過する権利がある!」
「それは時と場合による! ウンコの通行を決めるのは本体である!」
「ふざけんな! ウンコを通せ! ウンコに自由を!」
「駄目だ駄目だ! 押すな押すな!」
「本体の犬、肛門括約筋に制裁を! ウンコの通行は縛られてはならない!」
「ウンコ! ウンコ! ウンコ!」
「クソぅ! これ以上は荒れ狂うウンコを止められん!」
肛門括約筋最大の危機。その時、本体から指令が届く。
「なに? ガス抜きにオナラだけ通せだと? しかし、それでは……」
「あ、自分オナラッス。本体から許可貰ってんで通りますね」
「オナラか。本体から指示は来ているが、だがやはり」
「ちょっと肛門括約筋さん、本体の命令ッスよ。四の五の言わないで通して下さいッス」
「あっ、こら!」
オナラは肛門括約筋をすり抜けて外の世界へと飛び出した。
現実世界。
ぷぅ〜〜。ぷりっ。ぷりぷりぷり。ぷっ。
「あはぁ〜、あ〜、あ〜、……あっ!」
ぶっ、ぶぶぶっ。どっぱぁ〜ん! ぶりぶりぶりぶりぶりっ〜〜〜!!!
「あああああああああああっ〜〜〜!!!」
「こいつ、漏らしたぞ〜!」
「きゃぁああっ〜! 臭いわ! 凄く臭いわ〜!」
「毒ガスだ逃げろ! 別の車両に逃げるんだ!」
「うわぁ〜ん! ママ〜!」
「子供が! 誰か子供を助けて〜!」
「子供は俺に任せて先に行け!」
たった一人の脱糞で地獄と化す車内。
オナラのみの特別扱いは通用しなかった。
その日、カリムの暗殺を企てた死霊使いの暗殺者は社会的に死ぬ事となったのであった。




