3話 そうだ王都に行こう
カリムに対する怒りを露わにしたのは母であるカヌレ夫人であった。
「結婚早々王都に戻り、新妻を蔑ろにして仕事を優先するなんて、紳士の取る態度ではありません。母はそんな薄情な子に育てた覚えはありませんよ」
カヌレ夫人の厳しい目。そして正しい言葉。変人かと思ったら、案外と常識人であったとミラは感動した。
「まずは孕ませない。孕ませたら私の元に返して構いません。むしろ返しなさい。それまでは、常に離れず子作りに励むのです。良いですね(怒)」
上がった評価は一瞬で暴落した。カヌレ夫人は孫が欲しいだけの危険人物であった。
「しかし母上、王都はここより危険に満ちているのです。敵は多く、味方は少ない。か弱い女性を連れて行っても守りきれません」
カリムは警備上の理由を盾に反論する。暗殺に対する備えはカリム1人で手一杯であると言う。ミラを王都屋敷に連れて行き、隙を突いて攫われでもしたら、ミラの両親やペーターランドに申し訳が立たない。それに人質にされれば2次3次の被害が連鎖する。
「なれば私の護衛を割いてミラさんに付けなさい。いいですか、公爵家にとって後継ぎ問題は最重要事項なのです。あの悪魔共に公爵家の乗っ取りを諦めさせる第一歩が世継ぎを作る事なのですよ」
ペーターランドの諜報力ではマンディブラリス公爵家のお家騒動まで分からなかった。カリムが女嫌いの男色家だと油断していたら、特大の落とし穴にハマった気持ちである。
「母上……」
カリムはこめかみを指で押しながら溜め息をついた。
「子供はとうぶん先で良いと考えております。彼女も見知らぬ土地で不安でしょうし、まずはオランス王国と公爵家に慣れてもらうのが先決ではありませんか?」
昨夜の宣言を知らない者なら、嫁想いの優しい言葉に聞こえる。こう言えば数ヶ月、さらに引き延ばして一年は子作りの話題から逃れられる。卑怯で上手いやり方だ。しかしカヌレ夫人も一筋縄では行かない。
「馬鹿おっしゃい! 初夜で童貞を捨てたのでしょう? 女体の味を知ったなら、またヤりたくて仕方ないはずです! それが正常な若い男というものです! 今だって、ミラさんの巨乳を思い出してムラムラしているはずですよ!」
カヌレ夫人は興奮し、椅子を蹴って立ち上がると叫んだ。ミラは驚きで固まり、ドナルド子爵は俯いて小さくなっている。使用人達は壁際に避難して、飛び火を恐れて息を殺し、存在しない床のシミを数え始める。
そしてカリムは。
「お、落ち着いて下さい母上。人前でする話ではありません」
カヌレ夫人を落ち着かせようと挙動不審になり、目が泳いでいる。夫人はその姿に女の感でピーンと来た。
「カリムまさか、あなた、していないの?」
鋭い指摘に顔を背けるカリム。すると夫人は目をつり上げてミラを睨む。
「ひぃっ!」
「ミラさん、どうなの? したの、していないの?」
怖い、恐ろしい。ミラは嫁いで2日目の朝にして虎の尾を踏んだらしい。助けを求めて隣のドナルド子爵を見る。弟なら何とかしてくれ〜! と願いを込めて。
(駄目だ。俯いたまま靴の爪先だけを見つめているっちゃ)
置き物と化したドナルド子爵。使えない。
次は護衛メイドのヌッコに助けを求める。ついさっき、身を盾にして守ると力強く言った巨メイドをだ。
(こいつ! マジだっちゃっ!)
ヌッコは背中を向けて両手で耳を塞いでいた。広い背中が小刻みに震えているのが分かる。鬼の霍乱。そんな異国の言葉が頭に浮かんだミラだった。
最後に夫であるカリムを見る。いちおう夫だ。妻の危機に身を挺するのが男の務めだろうと、微かな期待を込める。
(食ってるべ。あいつ、朝食を食べて1人だけ別の世界に飛びやがった!)
あろう事か、カリムは突然朝食を再開した。黙々と、ひたむきに、ただ愚直に。朝食だけに意識を捧げる。
「答えなさいミラさん。アナタは大人の女? それともオボコ?」
ミラに逃げ場はない。冷や汗が背中を流れ、感情とは裏腹にヘラヘラとした笑い顔が貼り付いてしまう。
「あの、ですわ。その、ですわ。昨夜はそれ、ですわ」
「どれかしら?」
「だ、旦那様も私も、とても疲れていましたので、記憶にございません、的な?」
バァァァーーーン!!!
「きゃあっ!」
「ひいっ!」
「モグモグ、ゴクン」
カヌレ夫人は両手でテーブルを叩いた。
食器類がちょっとだけ重力に逆らって浮き上る。
場が凍りつき、空気は冷気を帯びた。
「命令です。カリムとミラさんは妊娠するまで片時も離れてはなりません。これよりマンディブラリス公爵家は総力を挙げてミラさんを守ります。良いですね」
こうしてミラの王都行きが決まった。
◇◇◇◇◇
その後は大急ぎで荷造り。とは言っても、取り敢えず最低限必要な物をまとめ、残りは後日、王都屋敷に送る事になる。
元々ミラが実家から持参した私物は馬車1台分もなかった。カリムにしても、生活の主体が王都屋敷なので荷物はシンプルである。
次の日の朝。カリムは母親と顔を合わせたくなかったので、朝食を取らずに馬車に飛び乗った。それはミラも同様である。それぞれ別の馬車に乗り、周りを公爵家の騎士達が騎馬で随伴して護衛する。最初の行き先は屋敷から馬車で1時間ほど離れた鉄道の駅だ。
「ほ、ほわぁぁ〜。これが蒸気機関車だっぺ。ですわ」
黒く巨大な鉄の箱が神話の大蛇、ヨルムンガンドの如く幾つも繋がり、先頭車両の煙突からは灰色の煙を吐き出している。この日、ミラは産まれて初めて蒸気機関車を見た。
「蒸気機関車が実用化されてまだ20年だ。オランス王国は蒸気機関の有用性にいち早く着目して、10年前から国中に鉄道網を敷いている。おかげで明日の朝には王都だ。馬車なら数日かかるし、魔物や盗賊に襲われる危険もあるから、鉄道の恩恵は大きい」
ミラの隣でカリムが自慢気に語り出した。
曰く、蒸気機関車の導入はカリムの父が生前強く推し進めた政策であったと言う。初期には公爵家からも多額の出資を行った。実績のない新技術に馬鹿な散財をと周囲から揶揄されたそうだが、今では出資額を大きく超えたリターンで左団扇。鉄道会社の株式なる物を大量に保有しているので、国中の鉄道の半分は公爵家の物と言って過言でないらしい。
「悪いが急な事で君の分の一等客室が取れなかった。王都に着くまでは私と同室になる」
カリムはあえてミラの姿を見ず、そっぽを向いて話した。めっちゃ意識しているのはバレバレなのだが、ロリ巨乳が気になるなんて、死んでも悟られるわけにはいかない。そんな童貞丸出しのカリムの心を、表情から推し量る事が出来ないミラである。
「夫婦なのですから問題ございませんですますく。私は旦那様の気分を害さぬよう、静かにしております」
「あぁ、そうしてくれ」
王都行きに同行するのはカリムの秘書と専属護衛達。それから巨メイドヌッコと、カヌレ夫人の護衛から引き抜かれた精鋭騎士が数人。盤石な警備態勢だと思われる布陣であったが、2人の乗る蒸気機関車の一般車両に怪しい男が乗り込んだ事には誰も気付いていなかった。




