31話 突撃! 孤児院の晩ごはん ②
その日、ムシモン神父は落ち着かず、教会の前をウロウロと歩いていた。
遡ること数日前、教会に妙な男が現れたのが発端だ。
男は清潔な身なりで礼儀正しく、笑顔で無害に見えた。
自分をマンディブラリス公爵家の家人タンカスと名乗り、公爵夫人の使いだと言う。
これまで公爵家は教会を個別に訪問したり、支援した実績がない。多額の寄付金は全て、本部に一括して支払われていた。突然、貧困地区の教会に家人が現れるのはおかしい。
加えてカリム公爵が結婚したという話も初耳であった。一部では男色家ではないかと噂される若き美貌の公爵。大貴族でもあり、別の意味で注目される公爵が結婚したのなら、少なからず市井の話題になるだろうに、それが一切ない。
ムシモン神父はタンカスを怪しんだ。孤児院に訪問したいと言う夫人の申し出を保留して、教会本部に確認を取った。万が一、何かしらの詐欺であったなら、孤児達が危険に晒されるのだから慎重になるのも致し方ない。
そして昨日の朝である。教会本部から使いが来て、カリム公爵が確かに結婚していた事を知る。相手は隣国ペーターランドのオーエンス伯爵家の三女ミラ(18)。約一ヶ月前に、王都から遠く離れたマンディブラリス公爵領で結婚式を挙げて、その後すぐに夫婦揃って王都へ来たという。使いのタンカスは確かに公爵家家人であった。
慌てたムシモン神父はすぐに謝罪の手紙を書いた。誠心誠意、心からの謝意を伝えて、北区教会はいつでもミラ夫人を大歓迎すると伝える。半分は社交辞令、半分は大貴族への非礼に対する恐怖であった。
手紙を若いシスターに託し、一息ついてから、実際にミラ夫人が訪問したらどう対応するか。頭を悩ませていた夕方である。教会に公爵家から返信が届いたのは。
「午前に手紙を出して、午後に返信だと! ミラ夫人がアクティブ過ぎる!」
中年のムシモン神父には速すぎるラリーだ。
手紙を開けて内容を見る。一語一句漏らすまいと、何度も読み返す。そして頭が痛くなった。
「明日に訪問する? そんな馬鹿な……」
確かに『いつでもお待ちしております』手紙にそう書いた自分がいる。けれどそれは社交辞令だ。一定の常識があれば、昨日の今日でお宅訪問する大貴族などいない。
何故なら平民にとって、貴族の訪問は大イベントであり、それなりに事前準備が必要だからだ。貴族の側だって、それなりにやる事があって忙しいだろう。「遊びに来て」「じゃあ明日」など、気安いにもほどがある。
それから教会は大慌て。まずはシスターと孤児達に命じて教会と孤児院の大掃除をする。貴族の気まぐれが発動する可能性を考慮して、考えられる全ての場所を整理整頓。
次に子供達を井戸へ連れて行き、冬の兆しを見せる夜空の下で、体を濡れタオルで拭かせる。「寒い寒い」と泣く子供達に情けをかける余裕はない。公爵夫人に異臭を嗅がせようものなら、貴族の強権で消されるかもしれないのだ。
そうして一晩中準備に追われ、ほとんど眠る事なく朝を迎え、ムシモン神父は約束の正午まで、ず〜と落ち着かない。
お昼が近付くと、孤児の中で一番目の良い男の子を鐘楼に登らせて監視させた。公爵家の馬車が見えたら直ちに報せる様にと何度も言い聞かせてだ。年長の孤児達には本日の仕事を休ませた。公爵夫人を総出で出迎えるためだ。
やがて太陽が頂点から少し西に傾いた頃、鐘楼に昇っていた男の子が叫んだ。
「来たよ! デカくて綺麗な馬車と馬に乗った騎士が4人! それと荷物を沢山積んだ荷馬車が来た!」
ムシモン神父はビクリと跳ねた。急いでシスターと子供達を呼び集め、教会前に整列させる。2〜13歳までの孤児32人とムシモン神父と若いシスターの計34人が公爵家の紋章が入った、高性能で装飾過多な馬車を歓迎する。
馬車が止まり、騎士達が下馬して周囲を囲む。御者頭のトムが扉を開けて、まず降りて来たのは身長2メートルのデカメイド。ヌッコだ。
「あっ!」
「うっ!」
ヌッコを見て大きな声を出したのはリュカとカナリヤ。巨人の如きデカ女は滅多にいないので間違えるはずがない。
「こら、静かにしなさい(怒り)」
シスターが小声で厳しく2人を叱る。
「でも、あの人」
「あう、あう」
困惑して混乱して、うまく言葉が出ない2人。シスターはキツーい目を向けて、とにかく黙らせる。上級貴族の機嫌を損ねれば、孤児など闇から闇へである。
御者頭のトムが本日の主役の下車をエスコートした。
良く晴れた秋の陽射しが一瞬、その場にいた教会勢の目を眩ませる。それは馬車から降りた貴婦人の纏うドレスが美し過ぎたからだ。シルクとレースと、多彩な色糸で編み込まれた刺繍。
オランス王国では珍しい長い黒髪は清楚に結い上げられ、黒い瞳は磨き上げた黒曜石を思わせる。そして極めつけは巨乳。神々が戯れに創りし至高の芸術作品。はち切れんばかりのたわわに実った宝玉2つが、豊穣の母神の如き存在感を放っている。
「ありがとうトムさん」
「勿体ないお言葉です」
馬車から降りたミラは、土の未舗装道を確かな足取りで歩いた。背筋を伸ばし、自信に満ちて、自らが公爵夫人であると主張する如く。歩くたびに春の花畑の香りをさせながら。
ほんの数メートルの行進。ムシモン神父はそれだけで圧倒された。事前情報では公爵夫人は18歳。外見的には間違いなく若い。むしろ若すぎる。ロリ巨乳だ。
(これが公爵夫人。これが本物の貴婦人。圧倒的ではないか)
ムシモン神父は立場上、貴族と関わる事も多い。その中には当然、ご令嬢も含まれる。誰も彼も、平民には手の届かない豪華な服や宝飾品を身に纏っている。
(そんなもの、ガワだけだ。本物の気品が滲み出した貴人は数える程しかいない。今、目の前にいる公爵夫人は数少ない一人だ)
恍惚と惚けるムシモン神父。
ミラは神父の前に立つと、女神を幻視させる微笑みを浮かべた。
「あ、し、失礼致しました。私は北区教会を任されております。ムシモンと申します。本日はこの様な雑多な場所に、ようこそおいで下さいました」
いつまでも見惚れていては無礼。ムシモン神父は慌てて挨拶をする。挨拶は下位の者から。それが基本なのだ。
「こちらこそ。急な訪問を歓迎して頂きまして、ありがとう存じます。カリム公爵の妻。ミラ・オーエンス・マンディブラリスと申します。どうぞよしなに」
右足を半歩後ろに下げて左足と交差させ、スカートの両端を摘んでわずかに膝を曲げる。真の淑女が魅せる優美な所作に、誰もが頬を紅くして「ほぅ」と溜息を漏らす。自分達と貴人とでは、ここまで差があるのかと、嫉妬と羨望と諦めの混ざった複雑な感情で、神話を描いた絵画を鑑賞する様にミラを眺める。
「巨乳お嬢様だ!」
「あぉっ〜!」
リュカとカナリヤの2人を除いてだ。
驚きを堪えきれず、子供達の列の中から大声を上げるリュカ。カナリヤも同様に、言葉にならない喃語で騒ぐ。
「なっ! お前達、黙りなさい!」
ムシモン神父は戦慄した。リュカはよりにもよって、公爵夫人を巨乳お嬢様と呼んだ。事実だが、ほぼ全ての者が同じ感想を抱いていたが、面と向かって言っていい事と悪い事がある。よりにもよって巨乳だよ。それは駄目だろうと、目の前が暗くなる思いだ。
「でも神父様! この人達がカナリヤとブーヤンを呻きの渓谷から助けてくれた冒険者の2人組だよ!」
「馬鹿を言うなリュカ。そんな事があるはずないだろう。こちらのお方は公爵夫人様だぞ、冒険者なんてヤクザな仕事を……」
ムシモン神父はリュカとカナリヤを叱る。
しかし、2人の真剣で切羽詰まった表情を見て不安になる。だから振り返ってミラを見た。
「約束通り来ましたわよお馬鹿さん。さぁて、報酬を頂こうかしら?」
子供達は、その時のミラの笑顔を生涯忘れられないと後に語った。




