22話 デートから始める新婚生活 ②
使用人達にとって、今日の外出は予定外だった。
カリムの突然の気まぐれにより、屋敷は上へ下への大騒ぎである。特に慌てたのは護衛達。カリムのこんな行動は、前公爵が死んでから一度もなかったのだ。
なにせ、早すぎる前公爵の死にも疑問が残る。その後の叔父ゲスナー伯爵の動きも怪しさ満載。
前公爵が死んだのは12年前、カリムが10歳の時だ。
公式には心臓発作となっている。日頃の美食と飲酒が原因だろうと。だが不摂生を考慮に入れても、前公爵は心臓を病む年齢には早かった。仕事もバリバリこなし、肥満と言える体型でもなかった。
そして前公爵の死後すぐに、ゲスナー伯爵が少年であったカリムの後見に名乗り出る。大貴族マンディブラリス公爵家を維持するにはカリムは幼すぎると言う理由だ。ゲスナー伯爵は前公爵の実の弟、申し出自体は不自然ではない。兄弟の関係が良好であったならだが。
カヌレ夫人はゲスナー伯爵の申し出を跳ね除けた。生前の夫から聞かされていた話、自分が実際に体験した事柄から、財産相続を巡って兄弟仲が険悪なのを知っていたからだ。従ってゲスナー伯爵を信用出来ず、夫の死さえゲスナー伯爵による暗殺の可能性が濃厚だと考えていた。
公爵という王家にも匹敵する力を持った家。それに強い執着を見せるゲスナー伯爵がカリムの後見として権力を振るうなど、想像するだけで恐ろしく虫唾が走った。だからカヌレ夫人は仲の良い弟のドナルド子爵を家宰として呼び寄せた。幼い頃から可愛がり、子分の様に扱って、カヌレ夫人に絶対服従する弟をだ。
その処置により、公爵家は一定の安定を得たように見えた。これで大丈夫。カヌレ夫人が安堵したしばらく後、カリムが命を狙われ始める。
馬車の部品が不自然に破損して、御者頭のトムがいち早く気付いて修理する。
カリムの愛馬の蔵に細工があった。そのまま気付かなければ大きな事故になっただろうが、これもトムが早期に見つけて事なきを得る。
食材に毒草が混入していた。料理長ブンダが発見する。それが何度も続く。
庭にいるはずのない外国の毒虫がいた。庭師のサムが一匹残らず駆逐する。
強盗を装った武装集団に襲われる。執事のマッシュがブチ切れて全滅させる。
何度も何度も重なれば確信に至る。カリムが命を狙われている。犯人はゲスナー伯爵だと。
その様な経緯の末に、カリムは不要な外出を控える様になる。12年もその状態が続けば日常となる。人は日常となったルーチンワークが崩れる事を嫌う。本来なら今日の外出も誰かが止めただろう。共に外出する相手がミラでなければ。
◇◇◇◇◇
「旦那様、変な匂いがしますべ」
ミラとカリムを乗せた馬車は、貴族街と平民街を隔てる城壁を越えて南区へ向かった。王都の南側には外洋と繋がるアウラタアルファック湾がある。港もある。市場もある。王都最大の商業区なのだ。近づくに連れて、山育ちのミラには未知の香り、海の匂いが鼻をつく。
「これが潮の匂いだ。慣れないと不快に思うかもな」
カリムは過ぎ去る街並みを観ながら説明した。表情は普通だ。
馬車の中にはミラとカリム。そしてヌッコ。馬車を操るのは御者頭のトム。馬車の周りには騎乗した4人のマタニティナイツ。それから密偵タンカスが先行して、南区にいつもと違う異変がないか調べている。急拵えとしては最高の布陣。
「不快ではね〜です。ただ生々しい香りだなと思ったんだべ」
「生々しいとは、なんだ?」
海は生命の宝庫だ。命とは、そもそも臭い。どんな美男美女でも体の中は臭い。どんなに美しい生き物でも臭い。それが生命なのだ。その集合体である海の匂いが好きか嫌いか、それは個人の感性による。
「好きって事です。旦那様は好きですか?」
この時のミラの笑顔は素敵であった。少なくともカリムにはそう映った。たぶん2人とも、初めてのデートに浮かれているのだ。
「潮の香りか。そう、だな。私も好きだ」
「そげですか」
「君の表現は独特だな」
「おかしいべか?」
「おかしいが、新鮮だ。嫌いではない」
「嫌いではないって、なんだべ?」
ミラは意地悪に笑う。
「……好きと言う事だ。もちろん、君の感性が。と言う意味だ」
カリムは顔を赤くして、それを見られまいとそっぽを向いて答えた。会話のキャッチボール的に、その答え方が正解と分かっていても恥ずかしい。
「そげですか。ふふふ」
「……誤解するな」
馬車の中は平和だ。
◇◇◇◇◇
馬車は南区にある、ミュレリ商会の系列店である宝飾品専門店に到着した。通常、上級貴族はお店に足を運んだりしない。店側を屋敷に呼び付ける。なので突然公爵が来店すると言われると、大いに慌てる。
「ようこそおいで下さいました。私、当店を任されております。テン・チョーと申します」
宝飾品専門店の支配人は、手揉みをしながらミラとカリムを出迎える。店員総出で店の前に並び、たった2人の為に急遽、午前の10〜12時までを貸し切りにしてしまった。
「妻に似合うアクセサリーが欲しい」
いつもの様に素っ気なく用件を伝えるカリム。
「かしこまりました。ミラ奥様でございますね。お話はミュレリ商会長から聞いております。どうか今後、当店をご贔屓にお願い致します」
「こちらこそよろしくお願い致します。本日は突然の無理を聞いて頂き、本当にありがとう存じます」
「勿体ないお言葉です。ささ、どうぞ中へ」
店内に入る。宝飾品専門店は金持ちの為の空間だ。ショーケースに陳列された宝飾品。高級感漂うソファーとテーブル。常連客はお茶とお菓子で寛ぎながら、ソファーに座って2〜3時間、買い物を楽しむ仕組みである。
カリムは店内をぐるりと見回した。彼も実店舗に足を運んだのは初めてなので、物珍しくある。
「では、好きな物を選びたまえ」
そう言うと、カリムは1人でソファーに座る。店員の若い女性が素早くお茶とお菓子をテーブルに用意する。カリムはそれを一瞥してから一切手を付けず、腕を組んで目を閉じた。
「それでは奥様、ご案内させて頂きます」
テン・チョーが手揉みして気を利かせる。
ショーケースに入った物は中級品と宣伝用の品であり、実用的な最高級品は金庫に仕舞ってあると言う。
「最高級品をお持ちしますので、ショーケースの品をご覧になってお待ち下さいませ」
頭を下げてその場を去ろうとするテン・チョー。それにミラは待ったをかけた。
「はい。お気に召しませんでしたか?」
恐る恐る尋ねるテン・チョー。ミラはそうではないと首を振る。
「私は最高級品を求めておりません。それよりも」
ミラはソファーに座るカリムの下へ歩く。居眠りモードに入ったカリムを巨乳と共に見下ろし睨む。
「旦那様、起きろ」
「んぉ?」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴと、ミラの背中に怒りのオーラが視えた気がした。
「ひっ!」
そこには冷たい目で自分を凝視する巨乳がいる。
「一緒に買い物に来て、速攻で妻を放置するのは如何なものですかね。ねぇ、旦那様?」
普段からキレやすいミラ。もちろん、今もキレている。しかしこのキレは正当なキレである。キレは時と場合によって許されるのだ。
「いや、私が一緒に見ても分からないぞ?」
言い訳をしてみるが、背中には嫌な汗が流れていた。この感じ、母親のカヌレ夫人が怒った時に似ている。
「分かるか、分からないか。それは関係ない。デートなんだから、重要なのは妻をエスコートして、妻を楽しませる。それだけだっぺ」
この時のミラの恐ろしい顔を、カリムは生涯忘れなかったという。
「す、すまない。私はどうすれば良い?」
カリムはゆっくりと立ち上がる。身長差は大人と子供だ。けれど纏った覇気を基準にすると、立場は逆転する。ミラが10でカリムが1だ。勝ち目はない。
「一緒に宝飾品を見るっペ。そんで、一緒に選んで欲しいっぺ」
目が笑っていない笑顔を見て、カリムは身震いした。
「分かった。一緒にだな。よく分かった。一緒に見よう」
カリムは肘を曲げてミラへ差し出す。エスコートだ。
ミラはその腕に抱きつき、巨乳を押し当てる。それからショーケースを共に物色する。
「旦那様はどれが似合うと思うっちゃ?」
甘えた声で尋ねる。
「そ、そうだな。君は可愛らしいから、少女的な宝飾品が似合うかな?」
「やだ〜、可愛らしいなんて。……それは、オラに大人の女の魅力がないと?」
「ひっ! ち、違う! 君は十分に魅力的だ。私が言いたかったのは、ゴテゴテした物より、清楚感のある宝飾品の方が君の魅力を引き立たせると、そういう事だ」
「ほぉ〜ん」
ミラは腕に抱きつく力を強める。巨乳もぐいぐいと密着する。
「少し、くっつき過ぎるぞ」
「夫婦だで、問題ないべ」
カリムは恐怖と性欲の狭間でおかしくなりそうだ。
そんな微笑ましい様子を眺めるヌッコやマタニティナイツ達。彼らは今まであり得なかったカリムの変化に心から喜ぶ。周囲を警戒して心を閉ざしていたカリムとは別人のようで、ミラだからこそ素の姿を晒せるのだと感じ入る。
「こっちと、こっち、旦那様の好みはどっちだべ?」
2つのネックレスを比べて悩むミラ。
「ショーケースにあるのは中級品だ。値段を気にする必要はない。欲しいなら両方買いたまえ」
カリムは女性と買い物をした経験がない。最適の答えが分からないので全部買えと言う。公爵家の財力なら、中級品を3〜4個購入しても問題ないと。
「いかんよ旦那様。これ一つで、裕福な平民の新築一戸建てと同じ値段になるけんね。無駄遣いは駄目」
「列車の中でも話したが、持つ者が金を市井に落とし、それが国内で巡るのは正常な事だ。この程度、無駄遣いではない」
「それでも駄目だっちゃ。十把一絡げで適当に選んでは、品物にも作った職人にも、買ってくれる旦那様にも失礼だでね。ちゃんと選んで?」
巨乳ロリに上目遣いで見つめられると、童貞のカリムは耐えられない。否。もし耐えられる男がいれば、それは男色家か悟りを開いた聖人だ。
「分かった。分かったから、少し抑えて欲しい」
「抑える? 何をだべ?」
オッパイを抑えて欲しいなど、言えない。
「ピンクパールを沢山使ったネックレス。ブラックパールを沢山使ったネックレス。どっちが良いべか旦那様」
「君は髪も瞳も黒い。ブラックパールだと被るので、ピンクパールが良いだろう。愛らしさが引き立つ」
「やっぱりそう思う? オラも同じ気持ちだべ」
まずはピンクパールのネックレスを決める。その後も店内を物色して、ダイヤのティアラとサファイアのイヤリングも購入する。三点とも中級品なので、お値段は合わせても億を少し超える程度だ。公爵家には安い買い物である。
「支配人、世話になった。また頼む」
「またのお越しをお待ちしております」
テン・チョーと従業員に見送られて宝飾品店を出る。時間は丁度お昼だ。このまま帰るのはもったいない。
「旦那様、市場も見たいでっす」
ペーターランドでは普通に街へ降りて、領民達と触れ合っていたミラ。商業区の活気に当てられて故郷を思い出し、もっと見て回りたいとおねだりする。
「市場か。平民が行く場所だが……」
警備の問題。それに上級貴族が行けば混乱が起きかねない懸念。カリムは渋る。
「お願いだべ。オラ、お腹が空いたっちゃ。旦那様もお腹空いたべ? 毒検知魔法はオラがやるし、上級解毒魔法も使えるんでね。行こう?」
「ん? 上級解毒魔法?」
上級解毒魔法は高度な魔法云々。カリムはツッコまずにスルーする事に決めた。
カリムが悩んでいると、何処からともなく密偵のタンカスが現れる。
「タンカス。どうした?」
問題が発生したなら屋敷に帰れる。カリムは少し期待した。
「公爵様、本日の市場は平穏そのものでごぜえやす。デートには良い日和かと」
「む。そう、なのか」
カリムの期待は外れた。
ミラはタンカスに笑顔を送り、タンカスはウインクして返す。
「こちらのコートをお使い下さい。下級貴族に偽装出来ますので、騒ぎにはならないかと」
タンカスは何処で仕入れたのか、貴族が着る中古のコートを差し出した。護衛達の分の平民が着る中古コートも用意してある。これなら騒ぎにならず市場を楽しめる。
「美味しそうな匂いがするで早く行こう、旦那様」
ミラはカリムの手を握って引いた。今いる場所から市場は歩いて行ける。屋台で焼かれる海鮮や肉の香りが潮風に乗って届くのだ。
「分かった。分かったから絶対に手を離さないように。私のそばから離れるな、危ないからな」
カリムも手を握り返す。恋愛感情や愛はなくても、遠い異国から貰った嫁を守る責務は重々承知しているからだ。
「旦那様もオラから離れたらアカンよ?」
その言葉は何気ないものだ。けれどそれを聞いたヌッコも騎士達もトムも。誰もが好相を崩したのであった。




