1話 爽やかな目覚めとメイドのヌッコ
新婚夫婦の為にあつらえた寝室の窓は、バルコニーに繋がっているのでとても大きい。窓と言うか、ガラス貼りの両開きドア。
本日は晴天。金糸銀糸で装飾されたヒラヒラのカーテンを、朝日が貫き室内を照らす。ミラは小鳥達のクッソうるさい大合唱と陽の光とで目を覚ました。
「ふぁ〜、よく寝た」
左手で口元を隠しながら欠伸を一つ。柔らか過ぎるベッドから上半身を起こして周囲を見渡す。
「そじゃった。ここはマンディブラリス公爵家、オラは結婚したんじゃった」
大人2人が激しく肉体をぶつけ合っても壊れない頑丈なベッド。天井から垂れた薄桃色のシルクの幕で覆われている。
本体も柱も天井も、最高級の木材であるアバレン杉。そこによく分からない彫刻が施され、漆が塗られて渋く光る。見れば薔薇とか百合とかユニコーンとかドラゴンとか騎士とか姫とか。おそらく何らかの物語を模しているだろう。
「オラには分かる。これは超一流の彫刻家の仕事だべ」
テーブルと椅子も同様。家具も同様。置き時計や、実用性ゼロの変な壺や、若い男女が裸で抱き合うエロス満載の謎の絵画も同様。どれもこれも最高級品。寝室だけで実家のオーエンス伯爵家の年間予算に匹敵しそうな勢いだ。
ミラは自分の頬をピシャリと叩いて気合を入れると、ベッドの端に腰掛けた。
シルクのネグリジェにシルクの下着。昨日の超高速結婚式の後、メイド軍団にお風呂に連行されて隅々まで磨かれたミラ。
敏腕スパイによって結婚前にスリーサイズは把握さていた。勝手に用意さた蠱惑的な下着を強制装着され、素材を活かすナチュラルな化粧を施されて寝室に放り込まれたのだ。
「初夜の準備は無駄になったけんど、まあ良し。それよりも、これからどうしたらよかんべな?」
小国ペーターランドの伯爵家など、大国の男爵家とほぼ同等。実家の屋敷はマンディブラリス公爵家の5分の1以下だし、使用人の数も少ない。ミラは三女という事もあり、使用人の手も足らないので、実家ではかなり雑に扱われて自由に過ごしていた。朝起きれば自分で支度をして食堂へ向かうのが日常なのだ。
「えっと、上級貴族の奥様は勝手に動いては駄目なんだべ。メイドさんが部屋に来てくれるまで寝たフリをして待つんだべな」
淑女教育だけなら100点満点。知識に実践が伴っていないだけ。ミラはスリッパを履いてベッドを降りると、控えめにスクワットを始めた。
「せいっ! せいやっ! せいっ!」
淑女らしからぬ掛け声と、衣擦れの音が広い寝室に満ちる。目覚めた私に気が付いてと願いを込めて、大腿筋を鍛え上げる。そうして数十秒、ミラの狙い通りドアがノックされて、メイドがドア越しに声を掛けてきた。
「お目覚めですか奥様。入室してもよろしいでしょうか」
奥様。甘美な響きである。ミラは「よろしくてよ、どうぞ」と返す。訛らない言葉は不馴れで妙な感じがしたが、公爵夫人として標準語を使い熟さなければならない。
咳払いを小さく一つ、背筋を伸ばしてメイドを迎える。
「おはようございます奥様。良い朝でございますね」
そのメイドは20歳前後と思われた。茶色の髪と整った顔立ち。それから天を突くほどの高身長に度肝を抜かれる。
「改めて自己紹介をさせて頂きます。奥様のお世話を仰せつかりました、ヌッコと申します。以後、よろしくお願い致します」
ミラの身長は148センチ。バストはGカップ。神の奇跡と恩寵が顕現したロリ巨乳。対してメイドのヌッコは2メートル近い。バストも少なく見積もってEカップはある。
ミラは直感でヌッコを只者ではないと見抜いた。
強者は強者を知ると言われるが、巨乳は巨乳を知るのだ。
「おっ、おほほ。こちらこそよろしくでございますわ。おほほほほほ〜(汗)」
見上げると首が痛い。エコノミー症候群になりそうだ。けれど負けるわけにはいかない。女には、引いてはならない時があるのだ。ミラはじっ〜と、ヌッコの瞳を見つめた。
「奥様のご実家からお供したメイドはいないと聞いておりますので、本日からは私を中心に数人の若いメイドでお世話をさせて頂きます」
ヌッコは美しい所作で腰を曲げ頭を下げた。
「お願いしますですわ。なにぶん急なお話しでしたから、遠い異国に付いて来てくれる人材を用意できなかったのですますですわ。ほほほ〜」
本当は急とかなんとかではなく、単純に随伴メイドを用意できなかったのだ。嫁ぎ先は外国である。しかも数日ではなく、残りの人生ずっとミラに仕えるとなると、首を縦に振るメイドは皆無であった。
「問題ございません。公爵様から誠心誠意、奥様にお仕えするよう仰せつかっております」
そう言って、ヌッコは口元を和らげた。
「では早速、朝の支度をお手伝い致します」
「うむ。良しなに頼むでござる。ですわ」
歯磨きと洗顔から始める。歯ブラシも歯磨き粉も洗顔料も、コップも桶もタオルも、実家のオーエンス伯爵家より数段上の高級品。朝っぱらから銭が香る。
「御髪を整えます。化粧台にお座り下さい」
「あい。言われるがままに。好きにすると良いわ」
化粧台はアバレン杉製の総漆塗り。装飾は細かく華美、優れた指物師の作である。お高いのは言うまでもない。大きな鏡はピカピカに磨かれミラを映している。この化粧台だけで、底辺男性の年収を軽く超えるだろう。
「御髪が柔らかくて櫛がスッと通ります。日頃のお手入れが良いのですね。シャンプーとコンディショナーは何をお使いですか?」
ヌッコは慣れた手つきで素早く髪を編みながら、ミラを退屈させまいと話題を振る。伯爵令嬢ならば、それなりのブランドを使って当然と考えての事だ。
(言えないべ。絶対に言えない。雌牛のハナコの乳から作った牛乳石鹸と、庭にあるツバキの種から自分で搾った椿油だなんて恥ずかしくて言えないっちゃ!)
格差とは、容赦なく貧民を打ち据える凶器である。
「できました。次はお着替えを致しましょう。ドレスは大奥様のご指示で取り敢えず50着ほど用意致しましたが、お気に召しますかどうか」
「ひぇっ! ごっ、50着!」
「やはりスパイの情報ではなく、奥様のお体を実寸して、奥様の好みを反映させたドレスでなければご納得頂けないでしょう。可及的速やかにデザイナーを手配致します」
「け、け、け、格好です! お義母様からの贈り物で十分に満足だっぺ! がっぺ!」
「がっぺ?」
領地の経済規模と、自由になるお金と、経済感覚が違い過ぎる。驚きよりもお金への恐怖が先に立って、少々言葉に素が出たがそこは御愛嬌。ヌッコチョイスのドレスに着替えると食堂に移動である。
「本日の朝食は公爵様と大奥様と家宰のドナルド子爵様もご一緒されます」
ヌッコは長い廊下を先導しながらそう告げた。
昨日の結婚式では流れ作業のように挨拶した義母と家宰である。今後、家族として付き合う者達との、今日が本当の意味で顔合わせになる。




