プロローグ
はじめに。
女性向け恋愛小説ではありません。予め、ご了承の上でお読みください。
「この結婚は形だけのものになるだろう」
上級貴族にふさわしい豪華な寝室。華美を極めたダブルベッドに座る少女に対し、青年は立ったまま、感情の籠もらない瞳でそう告げた。
その日、大陸西方に数多ある国家の一つ。大国オランス王国内のマンディブラリス公爵領で一つの結婚式が行われた。
新郎は金髪碧眼、美貌の青年。国家の財政を預かる大蔵省の副大臣。カリム・マンディブラリス公爵22歳。
新婦は隣国ペーターランドのオーエンス伯爵家の三女。肩まで伸びた黒髪と黒曜石の瞳。愛らしく親しみの持てるロリ巨乳美少女。ミラ・オーエンス伯爵令嬢18歳。
2人の結婚はカリムからの強い願いによって決まった。
ミラの意志は無視され、国と国、公爵家と伯爵家の間で極めて早急に話が進み、互いの顔合わせすら結婚式当日という異質なものだった。
国内外の賓客を集めた豪華絢爛な結婚式を卒なく終えた後、新郎新婦は夫婦最初の共同作業である初夜を迎えるはずであった。たとえ政略結婚であったとしても、たとえ初めて顔を合わせた男女だとしても、愛など無く義務であったとしても。夫婦の契約を交わした証として、貴族にはやらねばならない事もある。
なのに。
「君を振り回す形になった事を心から謝罪する」
カリムは静かに、そして深く、ミラへ頭を下げる。
「私は煩わしい結婚話から逃れる為に君を選んだ。政治的な思惑の絡まない外国人で、適度な爵位で長女以外の歳の釣り合う娘を探していた」
貴族の娘ならば政略結婚は当たり前。令嬢達はある程度の歳になると結婚に関する教育が行われる。義務としての結婚と、真実の愛を求める愛人とを分けるよう教わる。
それは男も同じ。わざわざ初夜の場で馬鹿正直に謝罪する必要などない。義務で交わり、その場だけ快楽を得て、後継ぎを授かれば終わり。なのにカリムは告白する。それは相手を否定する行為とも取れる。
「この結婚で君が不利益を被らないよう最大限に努めよう。もちろん君の実家も含めてだ。君はマンディブラリス公爵家の女主人として振る舞って構わない。ある程度の裁量権を与えるし、後継ぎの心配は今はしなくて良い。好いた男がいれば公爵家に害の及ばない範囲で自由にするといい。束縛はしない」
淡々と、一方的に語るカリム。ミラはその姿を、沈黙と笑顔で見守っていた。
故郷から遠く離れた異国。言葉こそ同じだが、家族も友もいない見知らぬ場所。18歳という、少女と大人の狭間にある巨乳の胸の内など、カリムは知る由もない。仮面の様な笑顔の下にある女の心を知ろうとも思わない。本当に自分の都合だけを語る。
「今日は疲れただろう。私は自室に戻る。君もゆっくりと休みたまえ。では」
それだけ言ってミラに背を向けたカリムは、夫婦の為にあつらえた真新しい寝室を後にする。カリムが去り、メイドがドアを閉める。部屋に残されるのは、よそ者の少女1人だけ。
「くっ、……う、くくくっ」
ミラは俯いて奇妙な声を漏らした。
悲しみか、悔しさか、はたまた自虐か。両手で顔を覆い、小さな肩を震わせる姿は捨てられた子犬の様だ。もしこの場に誰かがいれば、きっと同情して慰めるだろう。哀れな少女の隣に座り、肩を抱いて励ましたかもしれない。手を差し伸べずにはいられない、小動物的哀愁がミラにあった。
「ふはっ、あははっ、ぐぅっへっへっへっ〜〜」
というのも束の間。ミラの口から漏れる声が怪しくなる。肩の震えも増す。泣いていると思ったら、どうやら笑っているらしい。こんな姿を誰かに見られたら、気が触れたと疑われる。この場に誰もいないのはむしろ幸運。
「ぶふぅぅ〜! めっちゃ緊張したっぺ!」
ミラは両腕を上げて後ろ向きに倒れ込んだ。特注で作られた最高級のベッドが小さな体を受け止め、最適な弾力で跳ね返す。
ボヨン、ボヨン、ボヨン。
ミラは上半身を踊らせて、ベッドの柔らかさをひとしきり堪能した。
「恥ずかしかった〜! やるやると思うほど体が固まって声も出せなかったべ。いきなり結婚を否定されて頭に来たけんど、今夜だけは旦那様から拒否してくれて助かっただ」
これがミラ・オーエンスである。
この田舎臭い訛りがミラ本来の話し言葉なのだ。
ペーターランドは山ばかりで国土が狭く、目立った産業もない。ある物といえば、山羊と羊とチーズと牧歌的で田舎臭い国民性の小国。大国のオランス王国と比べると月とスッポン。侵略する旨味がないので周辺国からスルーされる悲しい発展途上国。そこの伯爵家の三女など、多少裕福な田舎娘なのだ。
「山羊のトラヤンとユキッペの交尾を見て夜の勉強をしたども、人間と山羊は違うっぽい」
実はこの結婚、カリムがペーターランドの王家に打診した当初、ペーターランド側は王家の姫の誰かを是非にと勧めていた。若く、それなりに美しく、高貴な教育もベッドの教育も十分に施した、やり盛りの王女の誰かをだ。
公爵とは王家の親類。準王族である。
次代の国王を選ぶ王太子選定に口出し出来る立場であり、王家に万が一あれば、公爵家から国王を輩出する事もあり得る立場。そんな公爵家と縁を結べるなら、小国とはいえ王家の姫を差し出すのが妥当。否、当然であると。
「旦那様がどうしてもオラが良いって言うもんだで、どんな変態プレイをされるか恐ろしかったけんど、あの話は本当だったみたいだなや」
嫁が欲しい。公爵から突然打診された時、ペーターランド側は訝しんだ。何故、オランス王国内で嫁を探さないのか? 十歩譲って外国から嫁を取るにしても、もっと政治的に意味のある大国と縁を結ぶのが常識ではないか? 怪しい。とても不可解だ。これは何かある。ペーターランド王家は限りある時間の中、総力を挙げてカリム公爵を調べた。そして良からぬ噂を知る。
「あんだけ綺麗でカッコ良いなら男色家なのも頷ける。女の子を愛せないから王家のお姫様は都合が悪かったんだなや」
家柄、容姿、財力、権力。あらゆる物を持つカリム公爵には、少年の頃から婚姻の申し出が引っ切り無しに寄せられていた。上級貴族の令嬢はもちろん、外国の姫もである。そのこと如くを断り続けたカリム。いつしか真偽不明の噂が流れる。
『カリム公爵はガチの男色家である。女性を触るのも怖がる変態なので、貴族の義務を果せない無能者である』と。
これは公爵家の乗っ取りを企む敵対勢力が流した事実無根の悪評なのだが、カリム自身が結婚を拒み続けた結果、真実であるかの様に広がった。
カリムが公爵の地位にいる事から分かるだろう。先代公爵、つまりカリムの父は既に故人である。そしてカリムは他に兄弟のいない一人っ子。家長となった者には家を存続させる義務と使命が発生する。貴族筆頭たる公爵家なら尚更だ。
なので18歳を超えた頃から実母、親類縁者、友人、果ては国王にまで、早く結婚しろ結婚しろと事あるごとに急かされる。
母など顔を合わせるたびに溜め息をついて「孫が欲しい、老いて両の腕が枯れ枝になる前に孫を抱きたい」と嫌味を言われる。
少年時代からの友人は、オークの睾丸から作った高級勃起薬を笑顔で渡し「グッと飲んでバッとやれば良いんだ。天井の染みを数えている間に終わる」などとのたまう。
国王は「えっ、お前男色家なの? 男が好きなの? 女の子に興味ないの? 信じられない、イケメンのムダ遣いじゃん」と、いくら男色を否定しても信じてくれない。
追い詰められたカリムはヤケクソになり、形だけでも結婚する事に決めた。嫁の条件は国内に蔓延る敵対勢力との繋がりがない外国人。そして面倒な政治的思惑の薄い家の娘。その基準で探した結果、ミラが選ばれた。そして男色家という誤解を孕んだまま、初夜の日を迎えたのである。
「両刀使いなら良かってんな。本物の男色家なんて難易度高すぎだっぺ」
両親からもペーターランドの国王からも、耳にタコが出来るほど言い聞かされた言葉がある。
『この結婚はチーズが幸運を背負って来たも同じ。両国の繋がりを確実にする為に、子供は最低でも10人産め』
もしも文明度の高い別の惑星なら、女性差別とマタニティ搾取で完全アウトな発言。けれど剣と魔法と魔物が跋扈する異世界ではセーフ。
これこそが偽らざるペーターランドの総意である。つまりミラは祖国の未来を背負ってマンディブラリス公爵家に嫁いで来たのだ。形だけの結婚と宣言されても簡単には引き下がれない理由がある。
「難しい事は明日から考えっペ。今は、何だか、とっても、眠い……」
ペーターランドからの長旅、間髪入れずの結婚式、新郎の母や王家の使者や上級貴族達への挨拶。それから衝撃の初夜未遂。怒涛の展開の連続により、ミラの肉体と精神は限界を超えていた。ここまでの過密スケジュールはちょっとした虐待である。
柔らかすぎる羽毛の布団に包まれて、瞼を閉じた3秒後には深い眠りについて、朝まで目覚める事はなかった。




