第45話 私は救助の道を探します
葵さんが、止める言葉を探しているのは分かった。
でも、出てこなかった。
「黒羽さん」
「はい」
「私は、民間人に危険区域へ向かえとは言えません」
「分かってます」
「ですが、助けてと言っている家族を見捨てろとも、言えません……」
その声は、少しだけ揺れていた。
「――江戸川で、私はあなたに助けられました。市川橋でも、あなたが動いたから橋を渡れた人がいました」
葵さんは、そこで一度だけ黙った。
「無茶で、危険です。それでも私には、あなたが手を伸ばそうとしていることを、間違いだとは言えません」
許されたわけじゃない。
危ないと、はっきり言われた。
それでも、否定はされなかった。
だから、次の言葉を出せた。
「葵さん。本当は俺、さくらだけ連れて逃げられれば、それでいいんです」
本音だ。
でも、他の人のことを言わないままにはできなかった。
「だけど、中には、他にも捕まってる人がいます。市川橋で手伝ってくれた人もいるかもしれない。自衛官や警察官もいるかもしれない」
「はい」
「俺が壁を壊したせいで、その人たちが外に出る。もしWWUが、それを自衛官の脱走とか、反乱とか、そういう理由にしたら」
言葉が詰まる。
小菅の門。
出てくる人。
その先で向けられる銃口。
想像しただけで、指先が冷えた。
「俺が、戦争のトリガーを引くんじゃないかって」
葵さんは、すぐには答えなかった。
「俺は、一般市民です。タロンを動かしてる時点で、普通の一般市民かは怪しいですけど」
「……はい」
「でも、自衛官が外へ出たら、俺よりずっと撃たれる理由にされやすいと思うんです」
ここから先を言うのは、嫌だった。
でも、ここで言わないと、もっと嫌なことになる。
「俺は、その人たちを置いていくべきなんでしょうか……」
通話の向こうが、静かになった。
「さくらだけ助けて、他の人は見なかったことにする。それが一番、戦争にならないんですか?」
言った瞬間、胃がキリキリ傷んだ。
他にも矯正されそうな人を見捨てる。
そんな選択肢、選べるわけがない。
でも、助けることを選んだせいで、もっと多くの人が撃たれて死ぬかもしれない。
俺には、分からない。
「黒羽さん」
葵さんの声が戻った。
「見捨てるべきだとは、私は言えません」
「……俺のせいで撃たれるかもしれない」
「はい。そこは、分かりません」
逃げ道のない答えだった。
でも、嘘ではなかった。
「ただ、確実に越えてはいけない線はあります」
「線?」
「武装した自衛官や警察官が、部隊として占領区域内で動くことです。そこは、WWUの通告に明確に触れます。敵性軍事行動として、殺傷火力で排除される可能性が高い」
「じゃあ、自衛官は……」
「武器を持たせない。指揮系統で動かさない。部隊にしない。収容され、武装解除された個人が避難する。そこまでなら、少なくとも通告への明確な違反にはなりません」
「撃たれない保証は?」
「ありません」
葵さんは、そこだけは誤魔化さなかった。
「でも、その線を守れば、救助の理由は残ります。私が関われる余地はあります」
葵さんは、大丈夫だとは言わなかった。
それでも、助けるための条件を置いてくれた。
見捨てるか、全部背負うか。
その二択じゃない。
俺は、もう一つの懸念を口にした。
「もう一つあります」
「はい」
「三千人が一気に外へ出たら、出口で詰みます。タロン一機じゃ、出てきた人全員の盾にはなれない」
市川橋では、橋の向こうに受け止める人がいた。
自衛隊と警察が、渡ってきた人を流してくれた。
あの受け皿がなかったら、橋の上で終わっていた。
「小菅でも同じです。俺が扉を開けても、外で受け入れる場所がなかったら、助けたことにならない」
葵さんの返事は、今度は早かった。
「そこは、上に掛け合います」
「自衛隊が動けるんですか」
「攻撃には参加できません。収容施設の制圧にも参加できません」
葵さんは、はっきり言った。
「ですが、避難経路の確保は、救助の範囲で通せるかもしれません」
「かもしれない、ですか」
「はい。保証はできません」
それでも、ゼロじゃない。
「黒羽さん」
「はい」
「私は、私の手が届く前に死ぬ人を、見たくありません」
その一言だけ、声の温度が変わった。
「だから、事前にできるだけ準備します」
その声は、もう揺れていなかった。
「あなたが止まれないなら、私は救助の道を探します」
◇
―――江戸川東岸・自衛隊側臨時指揮所―――
同じ夜、千葉側の臨時指揮所で、真壁葵は上官の前に立っていた。
「民間人が小菅の東京拘置所へ侵入し、収容者を連れ出そうとする動きがあります」
上官の眉が、わずかに動いた。
「またか……黒い機体のあいつだな」
「はい」
「それを自衛隊の作戦に組み込めと言うつもりなら、当然却下だ」
「違います」
葵は、背筋を伸ばした。
「こちらから攻撃に参加する話ではありません。施設制圧でもありません」
「なら何だ」
「小菅から避難者が発生した場合の、救助準備です」
上官は、しばらく黙った。
机の上には、封鎖線の地図が広げられている。
橋。
川筋。
東京拘置所。
赤い印が、動けない場所を示していた。
「民間人の無謀を、救助という名目で支える気か」
「支えるのではありません。発生が予見される避難者を、見殺しにしない準備です」
上官の目が細くなる。
「市川橋の映像は見た。あの黒い機体は、BULKを止めた」
「はい」
「だが、次は向こうも分かっている。あの機体が動けば、周辺戦力は寄る」
上官は、地図の小菅を指で叩いた。
「避難者が橋へ向かえば詰まる。道路へ出れば狩られる。それを助けようと自衛隊が前へ出れば、敵性軍事行動と判定される」
「はい」
「しかも東京拘置所には、おそらく自衛官が拘束されている」
葵は、息を止めなかった。
ここで揺れたら、話が終わる。
「彼らを部隊として動かすことはできません」
「当然だ」
「武器も持たせません。こちらから指揮もしません。出てきたなら、避難者として扱います」
「簡単に言う」
「簡単ではありません」
葵は、地図の川筋を見た。
「ですが、自衛官であっても、警察官であっても、武装解除され、避難する個人であるなら、救助対象です」
上官は答えなかった。
しばらく、雨も降っていない仮設テントの屋根が、風だけで揺れる音がした。
「私だけ、小菅へ行かせてください」
「真壁」
「収容されている自衛官は、黒い機体が味方だとは知りません。門が開き、避難しろと言われても、部隊として動き、武器を探そうとする者が出るかもしれません」
「あり得るな」
「そうなれば、敵性軍事行動になります。殺傷兵器で制圧されます」
葵は、言葉を切らなかった。
「私の顔を知っている隊員は多いはずです。私が現場にいれば、武器を取るな、部隊として動くなと伝えられます」
「お前が行けば、全員が従うと?」
「全員とは言いません。ですが、わかってくれる隊員は多いはずです。組織として動かなければ線は守れます」
「黒い機体を動かしていようと、彼らは民間人だ。WWUが非殺傷の範囲で処理する可能性はある」
上官の視線が、葵に向いた。
「だが、お前は違う。現役の自衛官だ。小菅に入れば、敵性軍事行動と判定される可能性がある。撃たれるぞ?」
「危険性は承知しています」
上官は、しばらく葵を見ていた。
その目は、葵の返事の重さを測っているようだった。
「……こちらから許可できるのは、偵察、避難経路の確認、自衛官への説明までだ」
「はい」
「銃器は持つな。交戦するな。拘束されそうになっても抵抗するな」
「了解しました」
「黒羽翔大の作戦を、自衛隊の作戦にするな」
「はい」
「受け入れ準備は、こちらで進める。だが、川は絶対に越えない。たとえ目の前で民間人が撃たれていてもだ」
葵は、奥歯を噛んだ。
「……了解しました」
上官は、そこで初めて声を少し落とした。
「だが、お前は、救助対象が出たなら救え」
葵は、踵を揃えた。
「はい!」
「真壁中尉」
「はい」
「今度は、燃料の切れた空で、ロープだけを残すな」
葵は、返事が遅れそうになるのをこらえた。
「はい。必ず救助を間に合わせます」




