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第36話 巻き込んだだけではありません

 昼過ぎ、牙《ガ》っさんがサングラスの内側に出た表示を睨んでいた。


「翔大《しょうた》」

「ん」

「今朝のおやっさん、覚えてるな」


 牙《ガ》っさんは、こっちを見ずに言った。


「動画送ってきた人?」

「ああ。さっき、あいつの工場に灰色のが来た。連れていかれたって、近所が見てる」


 次の瞬間、牙《ガ》っさんの拳が、壁に叩きつけられた。

 一度。二度。

 止めようと足を踏み出したときには、三度目の音が鳴った。


「――あいつの工場にいた外国人が、WWU(ユニオン)に通報したらしい」


 手の皮が破れて、血が、灰色の壁に滲んでいた。


「あいつ、WWU(ユニオン)が気に食わねえって、人まで集めちまった」


 肩が、上下していた。

 いつもは大声の牙《ガ》っさんが、ぼそっと呟いた。


「――俺が誘った。俺が、あいつを巻き込んじまった」


 俺は、その背中に、かける言葉を持たなかった。


◇


 夕方になっても、工場の中は、誰も声を出せない空気だった。


 助けて、と妹は言った。

 その妹へ向かう途中で、俺は別の誰かを巻き込んだ。


 中二階の隅で、膝を抱えて座った。

 下からは修理の音が、途切れ途切れに響いていた。


 ARコンタクトに通知が点いた。

 葵《あおい》さんからのDMだった。


『黒羽《くろば》さん。今、お話できますか』


 俺は、少し迷ってから、返した。


『大丈夫です』


 送った瞬間、次の文が届いた。

 俺が返すのを、待っていてくれたみたいな速さだった。


『差し出がましいことを、申し上げます。

 市川橋のあとで、協力された方々のことを、お聞きしました。お辛いと思います』


 画面の文字から、目が離せない。


『俺のせいです。俺が配信しなきゃ、あの人たちは見つからなかった』


 送ってから、すぐに後悔した。


 返信は、なかなか来ない。

 長い沈黙だった。

 俺は、目に映る文字だけを見て待った。


 通話のコールが届いた。

 少し迷ってから、出た。


 画面は出さず、音声だけが繋がった。

 ノイズの向こうで、葵さんが一度だけ短く息を吸った。


「黒羽さん」


 掛けられた声は、文字より少しだけ温かさがあった。


「あなたが配信したから、見つかった。それは、事実かもしれません」


 突き放すような言葉だった。

 葵さんは、そのまま続けた。


「ですが、あなたが配信しなければ、橋を渡れた人はいませんでした」


 俺は、黙っていた。


「橋を渡って、家族と合流した人たちがいます。子供と会えた母親がいます。それは、あなたが動いてくれたからです」

「でも、俺は――」

「なかったことにしないでください」


 葵さんは、そこで引かなかった。


「私も、救っていただいた一人です」


 静かな声だった。


「江戸川で、あなたがコントローラーを握らなければ、私は今、こうして話していません」


 俺は、何も返せなかった。


「あなたが救った人は、消えていません。避難所では、家族と合流して泣きながら喜ぶ方々がいます。橋を渡った子が、眠る前に『黒いロボが道を作ってくれた』と話していました」


 葵さんは、そこで一度だけ息を継いだ。


「あなたの行動で、渡れた人がいます。あなたの判断で、家族のところへ戻れた人がいます」


 俺は、何も言えないまま、膝に額を落とした。


「巻き込んだだけではありません。あなたは、救いました」

「……ありがとうございます」


 声が、掠れた。


「礼には及びません。私は、見たことを言っただけです」


 葵さんは、それから少しだけ黙って、こう付け足した。


「……全部を自分一人の罪にしないでください」


 通話が切れた。

 切れる寸前、回線の奥で、小さく息を吐く音が聞こえた。


◇


 数時間後、未読通知がまた積み上がっている。

 見なければいいと分かっているのに。


「コマンド。通知を要約」


〈動画コメント1,349件、SNS DM 184件を要約します〉


 夕方に、WWU(ユニオン)と自衛隊の合意が発表されていた。

 発表時点から、自宅に戻る場合に限り、本人確認後の片道移動が認められる。


 封鎖で帰れなかった帰宅困難者は、近くの小学校に開かれた受入施設や、無料開放されたホテルで夜を明かしていた。

 その人たちが少しずつ自宅へ戻り始めたと、ニュースになっていた。


:ほら、待ってれば帰れたじゃん

:一晩待てば合意出てたのに橋で暴れたの何?

:WWUも自衛隊もちゃんと調整してたんだろ

:WWUは手を出さなきゃ何もしてこない。刺激した鴉が全部悪い

:素人が戦争ごっこやった結果、市民が捕まってんだが

:摘発されたの、鴉のせいだろ

:日本全体を危うくしてる自覚あるの?

:#鴉を止めろ


 タグまで、できていた。

 容認派と呼ばれる人たちの声が、一気に膨らんでいる。


 刺激しなければ、明日も静かに暮らせる。

 そこから見れば、俺は秩序に石を投げて、他人を巻き込んだだけの配信者だった。


:英雄気取りの結果がこれ

:消えた人たち、戻ってくるの?


「もう、いい――コマンド。消して……」


 表示を消しても、頭の中ではまだコメントが流れている。


 葵さんの言葉で、一度は息ができた。

 けど、WWU(ユニオン)の発表で、また胸の奥が沈んだ。

 流れてくる全部の声に向き合うには、まだ足りなかった。


 日付が変わる少し前、俺は八咫烏《やたがらす》の部屋に入った。

 誰かと話す気力があったわけじゃない。

 ただ、一人でネットを見続けるのがきつかった。


 そこには、アヤだけが待っていた。


「ダーリン」


 アヤの音声が、静かにつながった。


「ようやく来ましたわね」

「……待ってたのかよ」

「ええ。ダーリンには、逃げ込める場所が必要ですもの」


 ここに来た理由を、俺はまだ整理できていない。

 でも、アヤはわかっていた。


「ダーリンは、困っている人を見ると、放っておけませんものね」

「……そんな立派なもんじゃない」

「立派かどうかではありませんわ。倒れた人を見て動いてしまう。それがダーリンです」


 アヤの声は、いつもの調子なのに、少しだけ近く感じる。


「俺が手を出したから、手伝ってくれた人が消えた……」

「その手で、救われた人もいますわ」


 葵さんと同じ言葉だった。

 沈んだままの俺を二人は支えようとしてくれている。


「ダーリンが手を伸ばすなら、アヤはその手を守るために、声を届けますわ」

「……声?」

「今のダーリンが何を言っても、また標的になりますわ。でしたら、今度はアヤが立ち向かう番です。助かった方の声が、ちゃんと届くように」


 アヤは、静かに笑った。


「いいものをお見せしますわ」

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