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第36話 巻き込んだだけではありません

 昼過ぎ、っさんがサングラスの内側に出た表示を睨んでいた。


翔大しょうた

「ん」

「今朝のおやっさん、覚えてるな」


 っさんは、こっちを見ずに言った。


「動画送ってきた人?」

「ああ。さっき、あいつの工場に灰色のが来た。連れていかれたって、近所が見てる」


 次の瞬間、っさんの拳が、壁に叩きつけられた。

 一度。二度。

 止めようと足を踏み出したときには、三度目の音が鳴った。


「――あいつの工場にいた外国人が、WWU(ユニオン)に通報したらしい」


 手の皮が破れて、血が、灰色の壁に滲んでいた。


「あいつ、WWU(ユニオン)が気に食わねえって、人まで集めちまった」


 肩が、上下していた。

 いつもは大声のっさんが、ぼそっと呟いた。


「――俺が誘った。俺が、あいつを巻き込んじまった」


 俺は、その背中に、かける言葉を持たなかった。



 夕方になっても、工場の中は、誰も声を出せない空気だった。


 助けて、と妹は言った。

 その妹へ向かう途中で、俺は別の誰かを巻き込んだ。


 中二階の隅で、膝を抱えて座った。

 下からは修理の音が、途切れ途切れに響いていた。


 ARコンタクトに通知が点いた。

 あおいさんからのDMだった。


黒羽くろばさん。今、お話できますか』


 俺は、少し迷ってから、返した。


『大丈夫です』


 送った瞬間、次の文が届いた。

 俺が返すのを、待っていてくれたみたいな速さだった。


『差し出がましいことを、申し上げます。

 市川橋のあとで、協力された方々のことを、お聞きしました。お辛いと思います』


 画面の文字から、目が離せない。


『俺のせいです。俺が配信しなきゃ、あの人たちは見つからなかった』


 送ってから、すぐに後悔した。


 返信は、なかなか来ない。

 長い沈黙だった。

 俺は、目に映る文字だけを見て待った。


 通話のコールが届いた。

 少し迷ってから、出た。


 画面は出さず、音声だけが繋がった。

 ノイズの向こうで、葵さんが一度だけ短く息を吸った。


「黒羽さん」


 掛けられた声は、文字より少しだけ温かさがあった。


「あなたが配信したから、見つかった。それは、事実かもしれません」


 突き放すような言葉だった。

 葵さんは、そのまま続けた。


「ですが、あなたが配信しなければ、橋を渡れた人はいませんでした」


 俺は、黙っていた。


「橋を渡って、家族と合流した人たちがいます。子供と会えた母親がいます。それは、あなたが動いてくれたからです」

「でも、俺は――」

「なかったことにしないでください」


 葵さんは、そこで引かなかった。


「私も、救っていただいた一人です」


 静かな声だった。


「江戸川で、あなたがコントローラーを握らなければ、私は今、こうして話していません」


 俺は、何も返せなかった。


「あなたが救った人は、消えていません。避難所では、家族と合流して泣きながら喜ぶ方々がいます。橋を渡った子が、眠る前に『黒いロボが道を作ってくれた』と話していました」


 葵さんは、そこで一度だけ息を継いだ。


「あなたの行動で、渡れた人がいます。あなたの判断で、家族のところへ戻れた人がいます」


 俺は、何も言えないまま、膝に額を落とした。


「巻き込んだだけではありません。あなたは、救いました」

「……ありがとうございます」


 声が、掠れた。


「礼には及びません。私は、見たことを言っただけです」


 葵さんは、それから少しだけ黙って、こう付け足した。


「……全部を自分一人の罪にしないでください」


 通話が切れた。

 切れる寸前、回線の奥で、小さく息を吐く音が聞こえた。



 数時間後、未読通知がまた積み上がっている。

 見なければいいと分かっているのに。


「コマンド。通知を要約」


〈動画コメント1,349件、SNS DM 184件を要約します〉


 夕方に、WWU(ユニオン)と自衛隊の合意が発表されていた。

 発表時点から、自宅に戻る場合に限り、本人確認後の片道移動が認められる。


 封鎖で帰れなかった帰宅困難者は、近くの小学校に開かれた受入施設や、無料開放されたホテルで夜を明かしていた。

 その人たちが少しずつ自宅へ戻り始めたと、ニュースになっていた。


:ほら、待ってれば帰れたじゃん

:一晩待てば合意出てたのに橋で暴れたの何?

:WWUも自衛隊もちゃんと調整してたんだろ

:WWUは手を出さなきゃ何もしてこない。刺激した鴉が全部悪い

:素人が戦争ごっこやった結果、市民が捕まってんだが

:摘発されたの、鴉のせいだろ

:日本全体を危うくしてる自覚あるの?

:#鴉を止めろ


 タグまで、できていた。

 容認派と呼ばれる人たちの声が、一気に膨らんでいる。


 刺激しなければ、明日も静かに暮らせる。

 そこから見れば、俺は秩序に石を投げて、他人を巻き込んだだけの配信者だった。


:英雄気取りの結果がこれ

:消えた人たち、戻ってくるの?


「もう、いい――コマンド。消して……」


 表示を消しても、頭の中ではまだコメントが流れている。


 葵さんの言葉で、一度は息ができた。

 けど、WWU(ユニオン)の発表で、また胸の奥が沈んだ。

 流れてくる全部の声に向き合うには、まだ足りなかった。


 日付が変わる少し前、俺は八咫烏やたがらすの部屋に入った。

 誰かと話す気力があったわけじゃない。

 ただ、一人でネットを見続けるのがきつかった。


 そこには、アヤだけが待っていた。


「ダーリン」


 アヤの音声が、静かにつながった。


「ようやく来ましたわね」

「……待ってたのかよ」

「ええ。ダーリンには、逃げ込める場所が必要ですもの」


 ここに来た理由を、俺はまだ整理できていない。

 でも、アヤはわかっていた。


「ダーリンは、困っている人を見ると、放っておけませんものね」

「……そんな立派なもんじゃない」

「立派かどうかではありませんわ。倒れた人を見て動いてしまう。それがダーリンです」


 アヤの声は、いつもの調子なのに、少しだけ近く感じる。


「俺が手を出したから、手伝ってくれた人が消えた……」

「その手で、救われた人もいますわ」


 葵さんと同じ言葉だった。

 沈んだままの俺を二人は支えようとしてくれている。


「ダーリンが手を伸ばすなら、アヤはその手を守るために、声を届けますわ」

「……声?」

「今のダーリンが何を言っても、また標的になりますわ。でしたら、今度はアヤが立ち向かう番です。助かった方の声が、ちゃんと届くように」


 アヤは、静かに笑った。


「いいものをお見せしますわ」

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