第35話 これ脅しだろ
翌朝、寝袋の中で、俺はARコンタクトの端に流れるコメントをぼんやり追っていた。
寝袋の脇には、潰れたエナドリ缶が転がっている。
市川橋の配信アーカイブには、まだコメントが流れ込んでいる。
ライブが終わってもコメントが止まらない配信なんて、半年前の俺には想像もできなかった。
:タロンが出てきたところ何回見ても鳥肌
:WWUのロボットは全部ぶっ壊せ!
:ダンボール機を操縦してた人ありがとう
:WWU刺激すんなよ迷惑系
:親戚が無事に親と合流できたって
:英雄ごっこで東京巻き込むな
そこには驚きと、感謝と、責める声が流れている。
寝袋の中で、息を吐く。
手のひらには、まだコントローラーの感触が残っている。
ARコンタクトの端に、葵さんからのDMが一通、届いていた。
『おはようございます。こちらは避難民の誘導、保護が全て完了しました。ハチドリ隊は、行き先が無い方の受入施設を支援しています。
昨日、橋を通った方々は、皆、無事です。テーザー銃で撃たれ、救護所で手当を受けた人も、すぐに回復しました。
それだけ、お伝えしておきます』
無事です。
その短い文を、俺はしばらく見ていた。
『ありがとうございます。受け入れの準備、本当に助かりました。葵さんがそちら側にいてくれて、よかったです』
送ってから、少しだけ照れくさくなった。
けど、これは伝えておきたかった。
DMには、もう一つ添付があった。
市川橋で自衛隊が回収した敵BULKの、初期解析レポート。
胸部装甲は凹んだだけで、穴はない。
コアAI区画の支持部に、大きな歪み。
停止ログは、胸部打撃の直後で途切れている。
あのパイプレンチは、装甲を抜いていない。
同じ重さのロボットが近距離から叩き込んだ衝撃で、中のコアを揺らした。
画面越しでは分からなかった倒し方が、回収された残骸からわかった。
◇
斉藤工業も、この情勢では開店休業みたいなものだった。
牙っさんがタロンの背中を開けて、切れたケーブルを一本ずつ追っている。
黒い巨体は片膝をつき、傷ついた装甲が外されている。
玉さんは、溜まっていた有休を使って、前に話していた補助機能の開発に着手している。
将棋AI「玉響」の学習と予測を流用した、操作の先読み、行動予測モジュールだ。
ろくに休めていない工場には、重い空気が漂っていた。
「翔大。朝飯、あるぞ」
牙っさんの声が、中二階の下から飛んできた。
菓子パンが二個と、紙パックの牛乳、それに頼んでおいたエナドリを受け取る。
昨夜、牙っさん宛てに短い動画が届いていた。
送り主は、別の町工場のおやっさんだった。
牙っさんが昔から飲んでいる相手で、ダンボール機の組み立てだけを頼んだ人だ。
タロンのことは、もちろん何も知らない。
動画の中で、おやっさんはモニターの前にいる。
油の染みた手が、缶ビールを持ち上げる。
「見ろよ。俺が組み立てたダンボール機、大活躍だろ」
モニターでは、茶色い機体がふらつきながら敵ドローンへ突っ込み、一緒に落ちていた。
「ざまあ見ろだ。でかい顔して空飛びやがって」
おやっさんは、声だけで笑った。
「すぐに落ちたのもいるが、数秒でも時間稼げれば、誰かが一歩くらい進めるだろ」
酔っぱらいの自慢話みたいな動画だった。
自分の手で組んだものが、誰かの一歩になったのだと。
◇
その日、画面の隅で、人が黙り始めた。
最初に気づいたのは、SNSでつながっている配信の常連たちだった。
ラジコン機の操縦に参加してくれた別の常連が、朝から一度も反応していない。
:あの人珍しく、朝からSNSにいなくない?
:いつもなら朝からずっと仕事中も呟いてる人だよな
:DMしたが返ってこない
嫌な予感が形になるように、WWUの公式通知が届いた。
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▶︎ 市川橋騒乱事案等に関する告知
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┌──────
昨夜、多数の通行制限地点における無許可集会活動、ならびに市川橋周辺においては物理的損壊行為が確認されました。
当該行為は、保護統治エリア内市民の安全および総幸福量を著しく損なうものです。
WWU保護統治エリア内において、反社会的活動への関与が確認された者については、幸福関連法に基づき、全体幸福に資する行動規範への理解が確認されるまで、留置および教育を行います。
市民各位におかれましては、反社会的活動が疑われる現地集会、動画配信、匿名掲示板、グループチャット等への参加をお控えください。
また、当該活動を確認した場合は、所定の窓口より速やかにご報告ください。
通報内容に応じて、社会適性査定における幸福貢献評価へ反映されます。
──────┘
告知の内容と、画面の中の常連の沈黙が、結ばれていく。
すぐにアヤから、短いDMが割り込んだ。
『都内での拘束情報がSNSに流れていますわ』
:近所に灰色のNPIが来たって
:市川橋のラジコン班の人の家らしい
:ソースどこ
:近所の人が写真上げてる
アヤが拾った投稿は、二件だった。
下の作業音が止まった。
牙っさんが無言で歩いてきて、玉さんは画面を見たまま椅子を寄せた。
「通報にも、点がつくのかよ」
「脅しだ。次に同じ手を打つ人間を減らすための告知だ」
「俺は、操縦は封鎖圏外の人だけって言ったのに……」
「そこは正しかった。部品提供者と、エリア外の操縦者は今のところ触られていない」
俺はSNSを追った。
いつもなら賑やかなタイムラインが、奇妙に静かだった。
昨日の呟きも、アイコンも、まだそこにある。
足らないのは、その向こうにいた人間だった。
:ラジコン班の人が捕まった?
:圏外勢は無事っぽい
:うち、モーター出したけど何も来てない
:部品を出しただけの人は、どこも無事っぽい
:これ脅しだろ
:次やったらもっと酷いことになるってこと?
:怖い怖い怖い
:昨日まで普通にコメントしてた人だぞ
顔も名前も知らない人だけど、画面の向こうにいた人が、現実で捕まっていた。




