第25話 時間をください
最後に、もう一人だけ連絡しなきゃいけない相手がいた。
真壁葵さん。
メッセージの宛名を打つだけで、指が少し止まる。
ほとんど話したことが無い相手に、今から作戦の片側を預ける。
作戦の詳細は書けない。
書けば、葵さんのリスクが高くなる。
けど、伝えなければ、対岸側が備えられない。
俺は、時間をかけて、長いメッセージを書いた。
┌──────
真壁葵さん
自衛隊側に、お願いしたいことがあります。
詳しい内容は書けませんが、あの近辺で、明日、橋を一つ、数十分だけ通れる状態にする動きがあります。
まだ、時刻は伏せます。
ただ、早朝や深夜ではありません。
お願いしたいのは、その作戦に参加することじゃありません。
橋を渡った人を、そちら側で詰まらせないようにしてほしいんです。
こちらには、WWU側の動きを鈍らせる手はあります。
完全に止められるかは分かりません。
テーザーを受ける人や、転ぶ人も出ると思います。
避難民には、子供や高齢者もいます。
橋を渡った人が詰まると、後ろの人が渡れません。
出口側で詰まってしまうと、WWUの増援でパニックが起きる可能性があります。
徒歩の列と車を分け、負傷者を運ぶ。
橋の出口で、流れを止めない。
それだけで、後ろの人が渡れます。
俺たちだけでは、橋の向こう側まで手が回りません。
お願いします。
受け入れてもらえるなら、開始一時間前に橋と時刻を送ります。
──────┘
送った瞬間、既読がつく。
反応はいつも速い。すぐに返事が来る。
文面は、相変わらず硬い。
『黒羽さん。作戦の詳細は聞きません』
硬い敬語の奥に、葵さんなりの境界線がある。
『私たちは、WWUの通告で橋を越えることはできません。
ですが、境界を越えてこちら側へ避難してきた方々の保護、誘導、救護は行えるはずです。
災害救助と、危険回避のための市民救助の範囲として、出てきた方をこちら側で受け入れることはできます。
上に掛け合います。時間をください。』
このあと、葵さんは俺のいない場所で、誰かに頭を下げる。
疑われるかもしれない。
怒鳴られるかもしれない。
それでも、頼るしかなかった。
―――江戸川東岸・自衛隊側臨時指揮所―――
葵は、端末の画面を閉じなかった。
黒羽翔大からの文面は、公的な依頼ではない。
発信元は、占領区域内にいる一般人。
しかし、読み飛ばせる情報ではなかった。
「情報源は」
臨時指揮所の上官が、短く聞いた。
「民間情報です。氏名は、ここでは申し上げられません」
「真壁中尉。秘匿情報で、部隊を動かせと言うのか」
「部隊を前進させる具申ではありません。市川橋と新葛飾橋の千葉県側取付部に、救護班と誘導要員を待機させる具申です」
「それを部隊を動かすと言う」
上官の目が細くなった。
「敵の欺瞞だったらどうする」
「東京側には入りません」
「ネット上のデマならどうする。現場を混乱させた責任を、お前一人が取れるのか」
「……その時は、すべての処分を受けます。ですが、もし本当なら、最悪、橋の上で何十人も圧死します。見殺しにはできません」
「WWU容認の過激派も動いている。こちらを振り回すための愉快犯かもしれん」
その言葉に、葵の指先がわずかに固まった。
彼はまた、無茶をしている。
あの日、会ったこともない自分のために、翔大は空へ逃げ場をつくった。
妹を連れ去られた今も、他の人間を逃がそうとしている。
「愉快犯の線は低いと考えます」
「会ったことは」
「ありません」
上官の視線が、さらに厳しくなる。
「なら断定するな」
「はい。断定ではありません。情報評価です」
「根拠は」
「同一人物は江戸川上空で自分を救助しました。今回も、一般市民の避難支援を求めています」
「あの配信者か……私情が入っている」
「入っています」
葵は、そこで一度だけ息を吸った。
「ですが、具申の理由は私情ではありません。避難民が千葉県側で詰まれば、後続は橋上で停止します。混乱で負傷者が予想されるなら、人命救助は我々の任務です」
「民間人の武力行動に、自衛隊が呼応したと見られる」
「呼応しません。戦闘行動は行いません。東京側にも入りません。市民が避難してきた場合だけ、誘導、救護、保護を行います」
上官は、葵の目を見る。
「山の滑落者の件も、冬の転覆船の件も、君だけで背負うな」
手袋の内側で、葵は指を一度だけ握り込んだ。
「承知しています」
葵は、モニターに地図を示した。
市川橋。
新葛飾橋。
二つの橋の千葉県側だけを、指でなぞる。
「待機地点は、この二箇所に限定します。開始一時間前に、どちらかが分かります。それまでは最小限配置。確定後に片方へ寄せます。必要なのは、バリケードの一部撤去、救護所の設営、負傷者搬送、徒歩列と車両の分離、県警との交通調整です」
上官は、しばらく黙っていた。
沈黙が長い。
その長さが、完全な拒否ではないことを、葵は知っていた。
「真壁中尉」
「はい」
「東京側には入るな」
「はい」
「橋の確保と誤認される動きも見せるな」
「はい」
「避難民の流入を確認するまで、橋上に隊員を出すな」
「はい」
「行動は救護と誘導に限定する。県警には、避難民流入時の交通整理として調整する」
「はい」
「出せるのは一個小隊だけだ。中隊は動かせん」
「十分です。ありがとうございます」
上官は、そこで一度言葉を切った。
「礼を言うな。命令だ。復唱」
葵は顎を引き、指揮所の端まで届く声で返した。
「東京側への進入禁止。橋の確保と誤認される行動の禁止。避難民の流入確認まで橋上へ出動しません。一個小隊の任務は、救護、誘導、負傷者搬送、および交通導線調整に限定。以上!」
葵は踵を揃え、短く敬礼した。
「これは民間作戦への参加ではない。避難民流入に備えた待機命令だ。結果にかかわらず、報告書はおまえがまとめろ」
「了解しました」
黒羽さんが橋の内側を開けるなら、自分は外側を詰まらせない。
何をしようとしているのか、葵には分からない。
分かっているのは、あの日、彼が空に道を作ったということだけだった。
葵は小さく息を吐き出し、迷いなく指を走らせた。
送ったのは、短い返事。
自衛官として書けることだけを書き、最後に、自分の言葉を一つだけ足した。




