第9話 直ちに動作を停止してください
ゆっくりとボートが台船の脇に寄る。
大きな音は出ない。水もほとんど動かない。
牙っさんが台船へ飛び移り、発炎筒を、コンテナ入口へ投げ込む。
「無線は潰れたはずだ。可視光通信も煙で通らない」
煙の中から、細い人型ロボットが一機出てくる。
『警告。作業区域への未許可侵入、および危険物の投入を確認。安全確保業務への妨害行為です。直ちに動作を停止してください』
NPIが発炎筒を拾い、川へ投げ捨てる。
その無防備な背中へ、牙っさんの鋭い蹴り。
どぼんと鈍い水音が響き、水面が大きく跳ねた。
「一機クリア! 次!」
二機目のNPIが、テーザー銃を構えて煙の中から出てくる。
『警告。動作を停止してください。従わない場合、テーザー銃を撃ちます』
牙っさんは両手を上げる。
『警告。膝をついてください。両手は頭の後ろへ。妨害行為を確認。あなたはエラー市民と判定されました』
NPIが牙っさんへ距離を詰める。
「今だ」
ボートに待機させていた青い機体を発進。
ローター音に気づいたのか、NPIがこっちを向く。
くそ、反応が早い。
顔面へまっすぐ突っ込み、ぶつかる直前で機体だけ急上昇。
腹部の水風船が重さで伸び、ワンテンポ遅れて振り子のように動く。
その瞬間、NPIが、わずかに前へかがんだ。
浅い。
液体の詰まった玉が、狙ったセンサーを外れ、その少し上に叩きつけられる。
弾けた。
夜目にはただの液体が飛び散る。
「やばい、少し上にずれた」
上空で機体を立て直す。
カメラの向きを下にする。
画面の端に、テーザー銃を構えたNPIが入る。
粘り気のある黒い液体。
センサーまで、届いていない。
だめだ。
目は潰せていない。
機首の水風船はもうない。残っている手札は青い機体そのものだけ。
台船の上では、牙っさんが両手を上げたまま立っている。
NPIの顔は、まだそっちを向いていた。
その顔は牙っさんを向いたまま、腕だけが外へ動く。
銃口だけが、画面の右下へ滑っていく。
その先には、熊のラバーマスクの上からドローン用ゴーグルをかぶった男。
――俺だ!?
白い線が二本、映像の外へ飛んだ。
胸と脇腹に、熱い針が刺さる。
「あ、あ、あ、あ、あ!」
勝手に声が出る。
叫んでいるつもりはない。奥歯が勝手に噛み合い、顎ががちがち鳴る。
喉も、肩も、背中も、全部が誰かに握られたみたいに固まって、言葉にならない音だけがつながった。
コントローラーを握っていた指が、内側へ折れる。
膝が消えた。
俺はボートの底板へ、横倒しに落ちる。
「ダーリン!?」
「ギルマス被弾。最悪」
「翔大、意識はあるか。声を出せるか」
音が遠い。
ゴーグルには、ボートの底へ無様に倒れ込んでいく熊マスクの姿。
2秒ほどで、電気がピタリと止まる。
針は、まだ胸と脇腹に刺さったままだ。
『警告。ドローン操縦者は動作を停止してください。操作機器から手を離してください。抵抗動作を検知した場合、再度通電します』
指はまだ、コントローラーを握る形に固まっている。
離すどころか、指の開き方が分からない。
「ゼー、ゼー、ゼー……っ」
息だけが勝手に荒くなる。
身体の内側では、筋肉だけが別の命令で暴れていた。
指先を動かそうとしても、関節は内側へ固まったまま。
「ダーリン! 返事、返事してくださいましっ!」
「……っ、い、生きてる」
「生きてますわね。もう……怒るのは後です」
『警告。正面の人物は膝をついてください。両手は頭の後ろへ。命令に従わない場合、テーザー銃を撃ちます』
NPIは、テーザー銃の照準を牙っさんへ戻し、一歩踏み出す。
その振動で黒い筋が一本、重さに負けて下へ走る。
センサーの列を、黒く塗りつぶす。
『警告。動作を停止してください。……前方光学センサーに付着物を検知。超音波クリーニングを実行します』
顔面カバーが細かく震える。
普通の泥なら、それで落ちる。
だが、水風船の中身は、墨汁、液体ノリ、ネイル用のラメを混ぜたものだ。
水分だけが飛び、垂れたラメ入りの黒い膜が薄く伸びる。
『警告。動作を停止してください。……可視光、サーモ、LiDARいずれのセンサーも異常。クリーニングを再実行します』
狙い通りじゃない。
水風船は外れた。たまたま垂れた墨が、ぎりぎりでセンサーを潰しただけだ。
だが、今なら見えていない。
「牙っさん、落としてくれ!」
牙っさんの蹴りが入る。
二つ目の水音が鳴り響く。




