表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
7/17

第七話 盾 村上翔太5

 蓮と別れた翌日、翔太は昼から仕事に戻った。


 一週間、ろくに連絡も入れずに休んだ。怒鳴られる覚悟はしていた。最悪、もう来なくていいと言われても文句は言えない。


 配達所の反応は、拍子抜けするほど薄かった。


「戻れるなら、助かるわ」


 責任者はそれだけ言って、いつもの端末を寄こした。事情を聞かれもしない。休んだ分を責められもしない。若い人手が足りていないという話は、本当らしかった。


 翔太は頭を下げ、いつものように荷物を積んだ。


 車を出す。


 昼の街は、いつもと変わらない。コンビニの前で煙草を吸う作業員。横断歩道を渡る高校生。信号待ちの軽トラ。低いビルの窓に、薄い曇り空が映っている。


 変わったのは、自分の方だ。


 配達先を回りながら、翔太は何度も蓮の言葉を思い返していた。


「いいか、翔太。ラグナスとセラヴィアがいる可能性がある以上、派手に広げるな」


 蓮は、火のついていない煙草を指に挟んだまま、そう言った。


 吸うわけでもない。考え事をするとき、指先で弄ぶ。それがルドルフのころと変わらなくて、胸の奥が変なふうにざらついた。


「掲示板だのSNSだのでばら撒くな。向こうも見てるかもしれない」


「でも――この世界だけの人間じゃないことは、互いに感じ取れるんだろ」


「感じ取れるだけだ。誰、までは分からん」


 蓮の声は、冷えていた。


「だから厄介なんだよ。仲間のふりして近づいてくる奴がいたら、お前、見抜けるか」


 答えられなかった。


 見抜ける、とは言えなかった。


 遥のことがあった。あの目を見ても、翔太は何も分からなかった。彼女が何を抱えて、どこまで追い詰められていたのか。最後まで。


「脳筋ラグナスはまだいい。あいつは隠せない。問題はセラヴィアだ」


虚絵うつろえのセラヴィア……」


「そうだ。たとえ幻影が使えなくても、あいつは狡い。人の見たいものを見せるのがうまい」


 蓮はそこで一度、煙草を唇に近づけた。火がついていないことに気づいたように、すぐ指先へ戻す。


「一人ずつだ。慎重に行く」


 派手に探せばいい――どこかで、そう思っていた。


 名前を出して、記憶のある者を呼べばいい。アレンを知る者なら、きっと反応する。


 蓮は違った。


 この世界に魔法はない。だが、人は魔法がなくとも人を騙せる。蓮はそのことをよく知っていた。


「順番は」


「クローディアは……後だな」


「……なぜだ」


「言いにくいが、クローディアは見放された民だ。魔族につくとは思わん。だが、根っこは俺たち側じゃないんじゃないか」


 蓮は、言葉を選ぶように少し黙った。


「今風に言えば、ビジネスパートナーだよ。あいつは」


 胸の奥に、小さな棘が刺さった。


 クローディアは仲間だった。無口で、愛想がなくて、焚き火の輪から少し離れたところに座っていることが多かった。それでも、彼女の矢に何度救われたか分からない。


 なのに、蓮の言葉を頭から否定できない自分がいる。


 クローディアは、故郷のことをほとんど語らなかった。王国にも、魔王軍にも属さない忘却の民。彼女にとって、あの戦争は善と悪の戦いではなかったのだろう。たぶん、最後まで。


「ロードは」


「ロードは……一番後だ」


 蓮は、今度ははっきり間を置いた。


「元魔王軍だ。疑ってるわけじゃない。だが、警戒は必要だ」


「ロードは、魔王軍を離れ俺たちのところに来てくれたんだぞ」


「だからだ」


 蓮はカップを置いて、まっすぐこちらを見た。


「裏切れる人間は、もう一度裏切れる。そう見る奴はいる。本人が自分をどう見てるかも、俺らには分からん。お前が信じたいかどうかと、最初に会いに行くかどうかは、別の話だ」


 黙るしかなかった。


 ロード・ヴァルド。元魔王軍の竜騎士。


 魔王軍を裏切り、人間にも最後まで疑われた男。


 それでもロードは、アレンたちとともに戦った。老竜アズラグと空を駆け、何度も窮地から引き上げてくれた。


 仲間だ。そう思っている。


 そう思っているのに、疑うための理由を並べられると、何も言い返せない。


 それが嫌だった。


「じゃあ、誰から探す」


 蓮は煙草を灰皿に置いた。


「当然、エリオだ」


 エリオ。王都より鉄盾に選ばれた戦士。いつもアレンの隣に立ってくれた、あの男。


 昼過ぎ、信号待ちで車を止めたとき、翔太は無意識にブレーキを深く踏みすぎていた。前のセダンとの距離が、思っていたよりずっと開いている。


 赤信号が、少し滲んで見えた。


 思い出す。エリオの声を。あの、白い街を。


     ♢


 エテルナの街は、白かった。


 城壁も、石畳も、坂の上の大聖堂も、朝の光に淡く溶けている。街路には花布が渡され、風が抜けるたび、どこかで鈴が鳴った。


 聖セリシアの名を冠する聖域。


 アレンたちがその街に着いた朝、大聖堂では常若の祭りが行われていた。


 神官たちが、古い白布を外している。柱に巻かれた布。祭壇を覆っていた布。聖火台を飾る紐。それらを丁寧に畳み、新しい布へ替えていく。


 壊すのでも、捨てるのでもなく――古い祈りを、次の祈りへ渡すための儀式なのだという。


「アレン様、見てください」


 ユーナが、珍しく声を弾ませた。


「あれが常若の儀です。二十年に一度しかなくて、聖セリシア様の御前で、古い祈りを新しい祈りへお移しする、ええと――」


 言いかけて、ユーナは少しだけ頬を赤くした。


「……すみません。浮かれてしまいました」


「いいんじゃねえの」


 エリオが、すぐ横から笑った。


「神の使いが祭りで浮かれなくて、どこの誰が浮かれるんだよ」


「エリオ様。そういう言い方は」


「褒めてるんだって」


 エリオは悪びれもせず、肩をすくめた。


 アレンは、そのやり取りを黙って眺めていた。


 ユーナが笑っている。それだけで、息がしやすい気がした。


 旅に出てから、アレンは何度も人の期待を浴びてきた。勇者様、と呼ばれた。救ってくれと縋られた。魔王を倒せるのはあなただけだと、誰もが当然のように言った。


 その言葉に応えなければ、と思っていた。


 思っているうちに、自分がいったい何を守ろうとしているのか、分からなくなる夜があった。


「また難しい顔してんな」


 隣から声がした。顔を上げる。エリオだった。


「そんな顔をしていたか」


「してた。勇者ってより、明日の天気まで自分のせいにしてる農夫の顔だ」


「……それは、どういう顔だ」


「全部、自分のせいにしそうな顔」


 エリオの口調は軽かった。だが、目は笑っていなかった。


 返す言葉を探したが、見つからない。


 エリオは、こういう沈黙を待つのがうまい。急かさない。茶化すこともできるくせに、必要なときだけ黙って隣にいる。


 その距離に、アレンは何度も助けられてきた。


 初めて大きな敗走を経験した夜もそうだった。自分の判断で仲間を死なせかけたと思って、眠れずにいたアレンの横に、エリオは何も言わず腰を下ろした。朝まで付き合って、最後に一言だけ言った。


 ――次は間違えるな。


 責めるでも、慰めるでもない。だから、立てた。


「見ろよ、アレン」


 エリオが顎で大聖堂を示した。


 ユーナが、若い神官に何かを尋ねている。神官が笑って答えると、嬉しそうに頷いていた。


「あいつ、あんな顔もするんだな」


「……ユーナは、聖セリシアを深く信じているから」


「違う違う、そういう話じゃねえよ」


 エリオは苦笑した。


「戦ってる時のあいつは鎧だ。お前は剣で、俺は盾。ルドルフは賢者面した偏屈野郎。けど、今のあいつは、そのどれでもねえだろ」


 アレンは、もう一度ユーナを見た。


 白い石段。花の匂い。鈴の音。


 その中で、ユーナは笑っていた。


「あれが本当なんだよ」


 エリオの声は、いつもより低かった。


「守るってのはさ、世界を丸ごと背負うことじゃねえ」


 アレンは黙っていた。


「魔王を倒す。人を救う。国を守る。そういうのも、まあ大事だ。けどな、アレン」


 エリオが、肩に軽く手を置いた。


「ああいう顔を、できるだけ奪わせないことだよ」


 胸の奥に、ことんと落ちた。


 勇者としての答えではない。王が、神官が、民が望む答えでもない。


 けれど、アレンにはそちらの方が信じられた。


 エリオの言葉は、いつも地面に足がついている。救いだとか、使命だとか、大きな言葉でアレンを持ち上げない。ただ、隣に立つ。アレンが遠くを見すぎたとき、近くを見ろと言ってくれる。


「俺は……そんなに、背負っているように見えるか」


「見える」


 即答だった。


「勇者って呼ばれて、真に受けてる顔だ」


「真に受けているつもりはない」


「そういう奴が、一番危ねえんだよ」


 エリオは笑って、アレンの背を軽く叩いた。


「全部ひとりで持とうとすんな。お前が潰れたら、あいつらの笑い方まで変わる」


「……エリオ」


「半分くらい寄こせ」


 目を向けると、エリオはいつもの調子で歯を見せた。


「兄貴分ってのは、そういう時に使うもんだ」


 エリオは、少しだけ声を落とした。


「お前は前を斬れ。敵を、魔王を。お前が斬るべきものをな」


「……何の話だ」


「お前が斬れないものは、俺が受ける。汚れる役は、盾の仕事だ」


 アレンは、少しだけ目を伏せた。


 情けないと思う気持ちはあった。勇者と呼ばれる者が、誰かを頼ることに慣れていない。自分でも分かっていた。


 それでも、エリオになら、と思えた。


「なら――頼りにしている」


 エリオは一瞬、目を丸くした。それから、照れ隠しのように鼻を鳴らす。


「おう。もっと早く言え」


「言うほど、簡単ではない」


「知ってるよ」


 エリオは、わざとらしく肩を回した。


「だからこっちから言ってんだろ。お前は放っとくと、一人で剣も盾も荷物も鍋も持ちそうだからな」


「鍋は持たない」


「持つだろ。真面目な顔して」


 アレンは思わず、小さく笑った。自分でも驚くほど、自然に。


 大聖堂の鐘が鳴った。一度。二度。


 白い布が風にあおられて広がり、街じゅうから祈りの声が上がる。


 ユーナが振り返った。


「アレン様、エリオ様。始まります」


 声が、やっぱり少しだけ弾んでいた。


 エリオが肩をすくめる。


「ほら、行ってやれよ、勇者様」


「その呼び方はやめろ」


「じゃあ――祭りに付き合わされる哀れな仲間その一」


「それも違う」


 歩き出すと、エリオが隣に並んだ。


 その距離が、心強かった。


     ♢


 配達を終えるころには、すっかり日が暮れていた。


 家に帰ると、リビングに明かりがついていた。玄関で靴を脱ぐ音に気づいたのか、母が台所から顔を出した。


「翔太。ご飯、食べる?」


 声は、いつもと同じだった。


 仕事を一週間も休み、部屋にこもったかと思えば、急に出かけて深夜に帰る息子に、母は何も聞かない。怒ることも、責めることもしない。


 それが、かえって痛かった。


「うん」


 翔太はリビングに入り、椅子を引いた。


「母さん」


「なに」


「……ごめん。心配かけて」


 母は少しだけ目を細めた。それから、なんでもないことのように笑った。


「食べられるなら、大丈夫」


 温め直した味噌汁が、目の前に置かれる。


 大丈夫。その言葉に、うまく返せなかった。


「おや、翔ちゃん。おかえり」


 奥の椅子から声がした。祖母だった。


 地域情報誌を広げ、眼鏡を鼻先までずらしている。いつから座っていたのか、気配がなかった。


「ただいま、ばあちゃん」


 祖母は母の方へ顔を向けた。


「あんた、神宮駅近くの古民家を改築したカフェがすごい評判いいらしいよ。今度行かない?」


「いいですね。混んでなさそうな日にしましょうか」


「混んでるうちに行くのが、楽しいんじゃないの」


 そう言って、冊子をテーブルに置いた。


 地域情報誌『シキロ』。敷路市で毎月配られている薄い冊子だ。自治会の回覧と一緒に届くこともあれば、駅やスーパーのラックに差さっていることもある。


 敷路市は、人口三十万人ほどの地方都市だった。大きすぎず、小さすぎもしない。観光地と呼べるものは、敷路神宮くらいしかない。そのせいか、『シキロ』の表紙にはやたらと敷路神宮の鳥居が使われた。


 昼の鳥居。夜の鳥居。雪の鳥居。桜と鳥居。


 ときどき、地元出身の漫画家が有名アニメのキャラを巫女装束で描き、その後ろにやっぱり鳥居がある。


 どうにかして変化をつけようとしている努力だけは、毎号、表紙からにじみ出ていた。


 翔太は箸を取った。


 母の作った焼き魚を片手でほぐしながら、なんとなく『シキロ』の表紙に目を落とす。


 手が、止まった。


 今月号の表紙は、水墨画だった。墨の濃淡だけで、敷路神宮の大鳥居が描かれている。太い柱。石段。奥へ続く参道。


 いつもの観光案内とは、違っていた。白と黒だけの鳥居は、妙に重く、古い門のように見えた。


 だが、翔太の目が止まったのは、鳥居ではない。


 鳥居の上を、一頭の竜が飛んでいた。


 黒灰色の鱗。長く、途中で折れたような角。片方の眼を潰す、古い傷。


 喉の奥が、音もなく詰まった。


 アズラグ。


 そう、思った。


 ロード・ヴァルドの相棒。魔王軍の空を知る、老いた飛竜。


 あれは、アズラグにしか見えない。


「翔太?」


 母の声が、遠く聞こえた。


「どうしたの」


 返事ができなかった。


 冊子を手に取る。指先が震えていた。


 表紙の隅を探す。絵の作者名。小さな文字。墨の余白に紛れるように、それは印刷されていた。


 ――表紙イラスト 神崎凛太郎。


 息を、止めた。


「翔太」


 母の声が、もう一度した。


 味噌汁の湯気が、まだ目の前にある。焼き魚の匂いもする。祖母が開いたままの情報誌のページが、テーブルの端で少し丸まっていた。


 けれど、翔太はもう、普通の夕食には戻れなかった。


 エリオを探すはずだった。慎重に、一人ずつ――そう決めたばかりだった。


 なのに、世界の方が先に、こちらへ名前を差し出してきた。


 鳥居の上の、竜。


 その片眼は、墨で塗り潰されていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ