第十五話 狩人と魔族 後半 森山葵7
駅前のレンタルビデオ店は、いつの間にか半分だけ別の店になっていた。
映画の棚があった場所にはガラスケースが並び、一枚ずつ値札のついたカードが収まっている。奥へ進むと、海外ドラマの棚があった一角が、長机とパイプ椅子の並ぶ対戦席に変わっていた。
蛍光灯だけは、昔のまま白く明るい。
黒澤は奥の席に座っていた。
葵が向かいに腰を下ろすと、黒澤は鞄からデッキを出した。
『よし。札は持ってきたな』
黒澤はガーラシア語になると、途端に態度が大きくなる。
『持ってこなかったら帰れた?』
葵の口からも、同じ言葉が滑るように出てきた。
習った覚えはない。けれど意味を探す前に、舌が勝手に形を知っている。それが少し気持ち悪かった。
『その時は我が第弐方面軍を遣わそう』
『そんなのいらないわよ』
葵もケースを出し、デッキを机の上に置いた。これも黒澤に押しつけられたものだ。
『何でいつもここなのよ』
『貴様が、二人だけの場所は嫌だと言ったからだろうが』
『だったら、向かいの……食事する店でもいいでしょ』
ファミレス、という言葉が、うまく置き換わらなかった。
『戯け。密議にならん』
黒澤は札を切り始めた。手つきだけは妙に慣れている。
『ここなら、魔法だの転生だの言っても浮かん。遊戯の談義だと思われる』
『ガーラシア語で話してる方が怪しいと思う』
『念には念をだ』
『怪しさに念を入れてる』
『黙れ』
互いに札を切り、山札を置く。
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
そこだけは日本語だった。
黒澤が先に札を引いた。
「ドロー」
『それで、蓮には会いに行くのか』
『行かない』
黒澤の手が、少し止まった。
『意外だな。行くと言うと思っていた』
『会って分かるのは、蓮が転生者かどうかだけでしょ』
葵は手札を見た。悪くはない。
『ルドルフかどうかは分かるかもしれない。でも、術者かどうかは分からない』
『続けろ』
「召喚」
黒澤が召喚札を一枚、場に出した。
『記憶が戻ってないなら、こっちが刺激するかもしれない。術者だったら、こっちの存在を知らせるだけになる』
『まともな判断だ』
『褒められると気持ち悪い』
『では撤回する。生意気な判断だ』
『魔族はもう少し言葉を選べないの』
葵は札を引いた。
「ドロー」
『蓮さん本人を追っても、術者には届かない気がする』
黒澤が顔を上げた。
『なら、何を追う』
『まだ分からない。でも、本人じゃない』
場に出せる札はある。けれど、今出すべきか少し迷う。迷っているのが札のことなのか、自分の言葉のことなのかも分からなかった。
『クローディアがそう思ってるのか、私がそう思ってるのかは分からない』
『危ない言い方だな』
『分かってる』
葵は一枚を場に出した。
「召喚」
『でも、このまま自分が薄くなっていくのが怖い』
黒澤は答えなかった。
『術者を見つければ、止める方法が分かるかもしれない。少なくとも、何が起きてるのかは分かる』
『術者を見つけたら、記憶が消える保証はあるのか』
『ない』
『なら、それは解決策じゃない。怖さの原因を探しているだけだ』
葵は唇を結んだ。
その通りだった。
術者を見つけても、クローディアが消えるとは限らない。むしろ、濃くなるかもしれない。
『それでも、原因も分からないまま変わるよりはいい』
黒澤は札を一枚伏せた。
「一枚伏せる」
『貴方は探さないの。魔王とか、セラヴィアとか』
黒澤は、すぐには答えなかった。
『……人を追えば、見つけなくていいものまで見つかる』
それが答えなのかどうか、葵には分からなかった。問い返す前に、黒澤は続けた。
『追うなら、人ではなく跡を見ろ』
盤面から目を離さないままだった。
『大きな術ほど、好き勝手にはできない。条件がいる。制約がいる。場所も、時も、器もだ』
『器?』
『古い話では、セリシアも器を選んだ。誰でもよかったわけではない』
葵の指が止まった。
その話は、知っている。
クローディアの記憶というより、もっと古い。ガーラシアに生きる者なら、人間でも魔族でも、忘却の民でも、形を変えて知っている神話。
二十年ごとに、セリシアは甦る。
二十年ごとに、守護者の中から新しい器を選ぶ。
『つまり、術者も自由には選べないってこと?』
『可能性だ。場所を細かく選べないなら、なおさら器の条件に頼るしかない』
『器の条件……』
「攻撃」
黒澤の札が、葵の場の札を倒した。
葵は倒された札を墓所へ送る。手は動いているのに、頭は別の場所へ行っていた。
『場所、儀式、器、言葉、繰り返し、血筋、家系。見るならその辺りだ』
『それ、全部、人を縛る言葉じゃない』
『術とはそういうものだ』
葵は山札に手を伸ばした。
「ドロー」
引いた札を見ても、意味が少し遅れて入ってきた。
二十年。
器。
古いものを、新しいものへ移す。
周期。輪廻。
その言葉が、父の声と重なった。
「……常若」
黒澤が眉を寄せた。
『何だ』
『父が言ってた。古いものを壊すんじゃなくて、新しくして受け継ぐ。二十年に一度。宮の仕事で』
「常若、か」
『意味、分かるの?』
『言葉は知らん。だが、仕組みは似ている』
黒澤は手札を見たまま、低く言った。
『セリシアも、二十年ごとに器を替える。人間も魔族も忘却の民も、そこまでは同じ神話を持っている』
『同じ神話』
『解釈が違うだけだ。人間は聖剣を重く見て、魔族は聖衣を重く見る。お前たちは、弓を持つ者が光の外に立ったことを覚えている』
お前たち。
黒澤は、葵ではなくクローディアに向かって言った。
葵はその言い方に少し腹を立てた。けれど否定もできなかった。
『じゃあ、この常若って言葉が手がかりなの?』
『言葉はどうでもいい』
『どうでもよくはないでしょ』
『今はどうでもいい。問題は、二十年ごとに古いものを新しい器へ移すという仕組みだ』
葵は札を一枚出した。
「召喚」
『この世界の宮の儀式と、セリシアの器替えは、似てる。……似すぎてる』
黒澤は場に置いた札を指で軽く叩いた。
『術者がその形を借りた可能性はある』
『形を借りる?』
『術は、空っぽの場所には乗らない。大きな術ならなおさらだ。器になる考え方、場所、家系。そういうものを使う』
葵は、自分の父を思い出した。
作業場の匂い。木材を削る音。墨の線。神宮の話になると、少しだけ声が変わる父。
『私の父、宮の木組みを司る匠なの』
『だから、なんだ』
『ラグナス。今の父親の務めは?』
黒澤の眉が少し動いた。
『何で俺の父親の話になる』
『器が家系に関係するなら、親の務めを見るべきでしょ』
『……宮の記録役だ』
『記録?』
『人の出入り、供え物の帳、外への告げ事。そういうものを扱う。大した職務ではない』
『記録も告げ事も、宮の務めでしょ』
黒澤は黙った。
葵も、すぐには続けなかった。
二人。
葵の父は宮大工。黒澤の父は神宮の記録役。
偶然と言われれば、そうかもしれない。敷路市で敷路神宮と関わりのある家は少なくない。まだ決めつけるには弱い。
『たった二例で決めるな』
『分かってる』
葵はそう答えながら、スマートフォンを取り出した。
「おい、デュエル中だぞ」
黒澤が低く言った。
葵は無視した。
美咲にメッセージを送る。
【蓮くんの家って音楽関係?】
送ってから、葵は手札を一枚伏せた。
「一枚伏せる」
『貴様』
『考えながらやってる』
『その板をいじりながら考えるな』
すぐに返信が来た。
美咲【やっと剣とか魔王とかじゃなくて蓮くんの話? 戻ってきてくれて嬉しい】
葵は画面を見て、ほんの少しだけ目を細めた。
いや、蓮くんもその世界にいたかもしれないんだけど。
もちろん、送らない。
続けて、美咲からもう一つ届く。
美咲【前にファンの人が言ってた】
美咲【蓮くんちは音楽一家らしいよ。お母さん、昔、敷路神宮で演奏してたって聞いた】
葵の手が止まった。
黒澤が盤面を見たまま言う。
『どうした』
『三人目』
『何がだ』
『蓮の母親。昔、宮で演奏してたって』
黒澤がようやく顔を上げた。
『楽師か……三例で法則とは言わん』
『分かってる』
『だが』
黒澤はそこで言葉を切った。
嫌そうな顔だった。
『偶然で流すには気持ちが悪い』
葵はスマートフォンを伏せた。
葵の父は宮大工。黒澤の父は神宮の記録役。蓮の母は神宮で演奏していた。
転生者本人ではない。
親だ。
器になる条件が、本人ではなく家系の方にあるのだとしたら。
『宮に関わる家に、生まれやすい?』
『仮説だ』
『でも、術者が場所を細かく選べなかったなら』
『器の条件で寄せた可能性はある』
『宮の儀式が、セリシアの器替えと近いから』
『断定はできん。だが、器の条件として疑うには足りる』
指先が、少し冷えた。
木の匂い。削り屑。墨の線。父の背中。
好きだったものが、知らない側へ回る。
『調べるなら、まず宮の周辺か』
黒澤は山札に手を置く。
「ターン終了」
葵は場を見た。
盤面は悪い。次で押し切られるかもしれない。安全に守るなら、手はある。けれど、それでは何も変わらない。
「ドロー」
引いた札を見て、葵は息を吐いた。
『近づけば、クローディアも近づくぞ』
黒澤が言った。
葵は手札から一枚を選ぶ。
『分かってる。怖いよ』
美咲の声を思い出す。
葵、と呼ばれたこと。タオルを受け取った時、周囲を測っていた意識がほどけたこと。抹茶ラテ、と当たり前みたいに言われて、少しだけ笑えたこと。
あちらへ踏み込めば、クローディアは濃くなるかもしれない。
『それでも、何も知らないまま変わる方が怖い』
葵は札を場に置いた。
「召喚」
黒澤の目が少し細くなる。
『その札を出せば、次で詰むかもしれんぞ』
『出さなければ、今のまま負ける』
葵は伏せ札に指を置いた。
「効果発動」
黒澤が、はっきり嫌そうな顔をした。
『……狩人め』
『魔族に言われたくない』
机の向こうで、黒澤が小さく舌打ちした。




