表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/7

EP6 失意

 あの日――

ダルカネットゥ王国に一人の王女が誕生した。


 女王陛下は錯乱し、

その王女を、自らの手で葬ろうとした。


 しかし。

周囲の者たちの加護により、

王女の身に、傷一つ付くことはなかった。


 怒り狂う女王陛下に、国王陛下は告げる。


「二度と、この子には会いません。

名前を呼ぶことも、近づくこともしません。


だから――


どうか、この子を生かしてください。」


 その声は、祈りに近かった。


 女王陛下は、しばしの沈黙の後――

静かに、頷いた。


そして。


 王女は――

女王陛下の親友の手へと託される。



5年後――



「ごきげんよう、ベニ様。」


「はい、ごきげんよう。今日はどっか行くの?」


「はい!庭園でお茶をしようと思います。」


 ぱっと花が咲くように、少女は笑った。


 少女の名前は――シャルト=ダルカネットゥ。

ダルカネットゥ王国、第一王女。


 その名はローレンによって与えられたものだった。


シャルト。


 それはダルカネットゥ語で、

“境界”――そして、“心を繋ぐ者”を意味する。


 世界各国の人々の心を繋ぎ、

良き王族になるように。

そんな願いが、その名には込められていた。


 シャルトは、父親譲りの淡いクリーム色の髪と、

母親譲りのピジョンブラッドの瞳を持っていた。


 柔らかな光を含む髪とは対照的に――

その瞳だけが、異様なほど深い。

まるで、覗き込めば吸い込まれてしまいそうなほどに。

血のように濃く、鮮やかな赤を宿していた。


けれど。


 その笑顔は、どこまでも無垢で。

そして――誰よりも、優しかった。


 元々、ローレンもムスカリも心根が優しく、

国民から深く愛されていた。

その二人の子であると、疑いようもないほどに。

シャルトは、誰に対しても分け隔てなく手を差し伸べ、

そっと寄り添うことのできる少女だった。


「あまり、遅くならないようにね。」


「はーい!」


 シャルトは嬉しそうに笑い、庭園へと駆けていった。


 庭園の薔薇は咲き誇り、

風が吹くたびに、その美しい花弁を舞い上げる。


 鼻歌を口ずさみながら、

一人きりのお茶の時間を楽しむシャルト。


 その時だった。


 ざわり、と空気が変わる。


 仕えていたメイドたちが、みるみると顔を青ざめさせ、

一斉にその場に跪いた。


「……お…かぁ…さま……?」


 視線を上げた先に居た人物に、

シャルトは、はっと息を呑む。


「ごきげんよう……!」


 慌てて椅子から立ち上がり、深々と頭を下げた。

本や、王宮の絵でしか見たことのない実母。

その姿は、あまりにも美しくて。

思わず、胸が高鳴る。


(……綺麗……)


「あなた、ひとり?」


「はい」


 ほんの少しでも、言葉を交わせることが嬉しくて。

シャルトの胸は、ふわりと浮き立つ。


「……そう。」


 短く、それだけ。

それっきり、言葉は続かなかった。


 ただ――

ムスカリは、じっとシャルトを見つめていた。

まるで、何かを“確かめる”ように。


「………?」


 その視線の意味が分からず、

シャルトは小さく首を傾げる。


 やがて。

ゆっくりと、ムスカリは手を差しだした。


「来なさい。」


 その声は、穏やかで。

けれど――

逆らうことを許さない響きを持っていた。


「はい!」


 迷うことなく、シャルトはその手を取った。


 初めて母親と言葉を交わし、

初めて母親と手を握る。


 ずっと願っていたことが、

二つも同時に叶って、シャルトの心は浮かれていた。


 連れてこられたのは、真っ白な部屋。


 温もりも、生活の気配もない。

ただ、無機質に塗りつぶされた“白”。


 部屋の中央には、ぽつんと一脚の椅子。

その周囲を囲むように、いくつものモニターが並び、

淡い光を放っている。


そして。


 ガラス張りの向こう側。

まるで観察するかのように、

数人の男女がこちらを見つめていた。


「座りなさい。」


 ムスカリは、椅子を指さした。


 その瞬間。

モニターが一斉に光を帯びる。


 シャルトは、びくりと肩を揺らし、

不安げに周囲を見渡した。

何が起きているのか分からず、

助けを求めるように、ムスカリを見上げる。


「……お母様……?」


「怖がる必要はないわ。」


 静かな声。

けれど、その響きはどこまでも冷静で――

“安心させるための言葉”にしては、あまりにも温度がなかった。


「あなた、五歳になったのでしょう?」


「はい。」


「魔力が暴走しないように、“予防接種”が必要なのよ。」


 その言葉に、シャルトはほっと息をついた。


 むしろ。

母親が、自分のために用意してくれたものなのだと――

そう思うと、少しだけ嬉しかった。


「……はい!」


 素直に頷き、言われた通り、椅子へと腰を下ろす。


「王女様、ごきげんよう。私はヴィタリクス=サイメディルと申します。」


 一人の男が、恭しく頭を下げた。

白衣を纏い、穏やかな笑みを浮かべるその姿は、

どこまでも“安心”を感じさせるものだった。


 そのおかげか、シャルトの緊張は、すっとほどけていく。


「ごきげんよう。」


「王女様は、他の方よりも魔力量が多い。」


 やわらかな声音のまま、ヴィタリクスは続ける。


「ですので。少しだけ、副作用が強く出るかもしれません。頑張れますか?」


 試すような問い。

けれどシャルトは、迷わなかった。


「もちろんよ!私は偉大なるムスカリ女王陛下の娘だもの。」


 ぱっと顔を上げて、誇らしげに微笑む。


「……それは、心強い。」


 ヴィタリクスは、満足そうに目を細めた。


「では――安全のため、手足に枷を付けさせていただきます。」


「……え?」


 一瞬だけ。

その言葉が、理解できなかった。


 しかし――

気付いた時には、もう遅かった。

冷たい感覚が、手首と足首に絡みつく。

金属の音が、やけに大きく響いた。


「……っ。」


 身動きが、取れない。

先ほどまでの“予防接種”という言葉と、

あまりにもかけ離れた現実。


 それでも。

自信満々に答えた手前、

恐怖を口にすることはできなかった。


 だから――

助けを求めるように、ムスカリを見る。


「……お母様……。」


しかし。


 その視界の先にいたのは――

何の感情も宿していない、無機質な眼差しだった。


 そして、ゆっくりと口を開く。


「はじめなさい。」


 ヴィタリクスが、ためらいなくシャルトの腕に注射器を刺した。

まるで血のような、赤黒い液体が――

ゆっくりと体内へ流れ込んでいく。


「――っ!?」


 次の瞬間。

シャルトの視界が、歪んだ。


息が、できない。


 体が痙攣し、肺がうまく動かない。

空気を吸おうとしても、喉がひくつくだけで――

呼吸にならない。


熱い。

冷たい。


 全身の感覚が、ぐちゃぐちゃに混ざり合う。


 激しい頭痛と、強烈な吐き気。


「おえぇっ……!!」


 吐き出されたものに、赤が混じる。


 知らない感情が流れ込んでくる。


恐怖。絶望。苦痛。


 まるで、“誰かの心”を、

無理やり押し込まれたかのような――


耐え難い、不快感。


「……いや……っ」


 涙が止まらない。

頬を伝うそれは、赤く染まっていた。


「吐血、鼻血、血涙…ふむ。」


 ヴィタリクスは、淡々と記録をとる。


「ムスカリ様。このままでは――失敗です。」


「それなら、それでいいわ。」


 あまりにもあっさりと。

まるで、どうでもいいことを告げるかのように。


 ムスカリは、相変わらず無機質な目でその光景を見ていた。


「むしろ――」


 ほんのわずかに、口元が歪む。




「死んだ方が、楽なんじゃないかしら?」




 その言葉は、あまりにも優しく。

あまりにも、残酷だった。


「……っ。」


 シャルトの意識が、かすかに揺れる。


 聞こえてしまった。

聞こえなくてもよかったはずの、その言葉を。


「はっ、はっ、はっ…」


 全てを拒絶するかのように、

心拍数は跳ね上がり、

血の流れる音が、耳の奥でうるさく鳴り響く。


息が、できない。


視界が、暗く――沈む。


 朦朧とする意識の中で。


 ヴィタリクスの声だけが、

異様なほど、はっきりと聞こえた。




「失敗だ。安死薬を。」




 その言葉に――

抗う力は、もう残っていなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ