EP4 寛大な愛
国を挙げた盛大な結婚式から、ほどなくして――
ムスカリのお腹に、新たな命が宿った。
「ねぇ、ベニ。」
「なぁに?」
穏やかな午後。
柔らかな陽射しの中で、ムスカリはそっと腹部に手を添える。
わずかに膨らみ始めたそこを、慈しむように撫でながら。
「前にあなたが、子供は恋をして作るものだと言ったでしょう?」
「あぁ…言ったねぇ。そんなこと。」
懐かしむように、ベニロードは小さく笑う。
「あの時は、理解できなかったけど…今ならよくわかるわ。」
ムスカリは静かに目を細めた。
「子供は…愛した人との、“愛のカタチ”なのね。」
その言葉とともに、風がそっと吹き抜ける。
さらさらと、庭園の花々が揺れ、光を受けて舞い上がった。
陽光の中で佇むムスカリの横顔は、あまりにも穏やかで。
あまりにも美しく――
そして、どこまでも慈愛に満ちていた。
その姿を見つめながら。
ベニロードは何も言えずに、ただ立ち尽くす。
(……ああ…綺麗だなぁ。)
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
気を抜けば、このまま泣いてしまいそうで。
ベニロードは、そっと視線を逸らした。
「ローレンが、お腹の中の子によく歌を歌うのよ。」
「歌?」
ベニロードが首を傾げると、
ムスカリは優しく微笑み――静かに歌い始めた。
――ねんね ねんね 小さな星
――夜の帳に 包まれて
――怖い夢など もう来ない
――母の声が ここにある
――ねんね ねんね 愛しい子
――この手の中で 眠りなさい
風に乗って、その歌声は庭園へと溶けていく。
花びらが、そっと揺れた。
まるで、その旋律に応えるかのように。
「……素敵な子守歌。」
ベニロードは、いつの間にか目を細めていた。
「でしょう?あの人があんまり優しく歌うから、
私までこの歌で眠気を覚えるようになっちゃったのよ。」
「あははっ、それは分かるかも。
ベニ様も今、すっごく穏やかな気分だもん。」
静かな時間が、ゆっくりと流れていく。
本当は、このまま――
ずっとここで、微睡んでいたかった。
けれど。
あまり長く外の風にあたれば、体を冷やしてしまう。
ベニロードは、軽く息をつくと――
パチン、と指を鳴らした。
次の瞬間、ふわりとしたショールが現れ、
そっとムスカリの肩へとかけられる。
「さぁ、女王様。そろそろ中に戻るよ。」
「……もう?」
少しだけ不満げに、ムスカリはベニロードを見上げた。
その表情は、普段の“女王”のものではなく――
どこか幼さすら残る、穏やかなものだった。
「体を冷やしたら、ローレンに怒られるよ?」
「……それは困るわね。」
くすり、と小さく笑って、
名残惜しそうに、もう一度だけ庭を振り返る。
そして――
すぐに、“女王”の表情へと戻した。
「政務はどう?何か困ってない?」
「ぜーんぜん。女王陛下が待望のお世継ぎを出産するって時に、
喧嘩売ってくるバカも、揉め事起こすバカも居ないでしょ?」
それを聞いて、ムスカリはわずかに口元を緩めた。
「私の出産というより、女王代行をあなたが務めているからでしょう?
偉大なる魔女、ベニロード=クロック様。」
「うげぇ。」
露骨に顔をしかめるベニロードに、ムスカリはクスクスと笑った。
女王としての責務は、あまりにも重い。
国のため。国民のため。
そう言って、休む間もなく働き続けるムスカリを――
ベニロードも、そしてローレンも、常に気にかけていた。
だからこそ。
三人で話し合い、ひとつの決断を下した。
ムスカリが無事に出産し、落ち着くまでの間。
ベニロードが“臨時の女王”として国を預かること。
そしてローレンもまた、自身の研究を弟子へと引き継ぎ、
いつでもムスカリの傍にいられるよう、準備を整えていた。
「ところでさ、ムスカリは――」
王宮へと戻る道すがら。
何でもない世間話の延長戦のように、ベニロードは口を開く。
「女の子と男の子、どっちがいいの?」
軽い調子の問いかけのはずだった。
――そのはずだった。
しかし。
ふいに、ムスカリの足が止まる。
「……ムスカリ?」
一歩先を歩いていたベニロードが、振り返る。
そこにいたムスカリは――
ほんのわずかに、表情を変えていた。
「女の子が生まれるはず、ないでしょう?」
「……えっ?」
その声音は、静かで。
けれど、どこか確信めいていた。
「私はね、毎日お願いしているの。」
ムスカリは、そっと腹部に手を添える。
「元気で、優しい――ローレンに似た“男の子”が生まれますようにって。」
その声は、どこまでも優しくて。
お腹を撫でる指先は、あまりにも慈しみに満ちていて。
――だからこそ。
ぞくり、と。
言いようのない違和感が、背筋を撫でた。
「……まさか。」
「いいでしょう?」
ムスカリは、くすりと微笑む。
「女王陛下より、国王陛下の方が――格好いいじゃない。」
ベニロードは息を呑んだ。
その手のひらから、かすかに魔力が滲んでいるのが見えた気がした。
まるで。
祈りではなく――
“確定させている”かのように。
ベニロードは、何も言えなかった。
それが“間違っている”と分かっていても――
それを否定できるほど、その想いは軽くなかった。
「まぁ…ムスカリが良いなら、それでいいよ。」
「ふふっ、ありがとう。」
柔らかく微笑むムスカリは、
どこまでも満ち足りた表情をしていた。
――その姿が、あまりにも幸福そうで。
ベニロードは、それ以上、何も言えなくなる。
いつから、その願いは“力”を伴っていたのか。
いつから、その想いは“現実を歪めるほど”になっていたのか。
それはもう、わからない。
ただ一つ、確かなことがあるとすれば――
この命は、すでに“選ばれている”ということ。
そして。
その流れを、今さら覆す術など――
この世界のどこにも、存在しなかった。
ほんのわずかな沈黙のあと。
ベニロードは、何事もなかったかのように口を開いた。
「国王陛下を――ひいては、この国を支える存在についても、考えないとね。」
「あぁ……例の“王族制度”の話ね。」
ムスカリもまた、自然と話を切り替える。
「そうそう。ローレンが言ってた通り、
一定の魔力量を超えた者だけが王宮入りできる――って形が無難だよねぇ。」
「そうね。それに加えて――ローレンのような者をとりこぼさないためにも、
魔法学校の成績や…年に一度、王国主催の試験を設けるのが良いと思うわ。」
「いいねぇ。実力主義、ってわけね。」
「えぇ。」
一拍、間を置いてムスカリは呟いた。
「……他の国は、どうしているのかしら?」
「冥華国はね。満五歳と十歳の時点で、身体能力を測るテストを義務付けてるらしいよ。」
「身体能力……。」
「その結果で進める教育機関が決まる。要するに、早い段階で振り分けるってわけ。」
「実力至上主義のあの国らしいわね。」
ムスカリは小さくため息をつき、わずかに考え込むように目を細めた。
「私たちのような存在だと……定義づけが難しいわね。」
魔法使いと呼ばれる者たちの寿命は、あまりにも幅広い。
人間と同じように百年にも満たずに死ぬ者もいれば――
何千年と生き続けられる者もいる。
その差を生み出すもの。
それが“魔力量”だった。
魔力によって細胞を再生し続ける者。
自らの成長を止める者。あるいは、加速させる者。
生も、老いも。
そのすべてが、魔力にゆだねられている。
だからこそ――
魔力が多ければ、それだけ長く生きる。
逆に、魔力が尽きれば。
それは、そのまま“死”を意味するのだった。
「この件については、また時間をとって詰めようか。
現国王陛下のご意見も聞かないと、でしょう?」
「ふふっ、そうね。」
二人でクスクスと笑い、ムスカリの部屋の前で立ち止まる。
「少しお昼寝でもしようかしら。」
「そうしな。ちゃんと温かくするんだよ。」
「えぇ。ありがとう。」
ベニロードの背中に手を振り、
ムスカリは静かに部屋へと入った。
扉が、やわらかな音を立てて閉じる。
部屋には、彼女ひとり。
ベットに腰掛け、そっと腹部に手を当てる。
「ベニったら…急に変なこと聞くから、びっくりしたわよね?」
優しくなでながら、誰かに聞かせるでもなく呟く。
そして――
ゆっくりと、歌い始めた。
――ねんね ねんね 小さな星
――夜の静寂に 溶けてゆく
――こわいものなど 何もない
――すべて 母が消してあげる
――ねんね ねんね 愛しい子
――この手の中で 眠りなさい
――もしも誰かが 奪うなら
――世界ごと 壊してしまいましょう
その歌声は、静かな部屋に溶けていく。
けれど――
わずかに。
ほんのわずかに、空気が震えた。
まるで、その旋律に応えるように。
「いい子に生まれてきてね。」
その歌に、
その想いに――
どれほどの“力”が宿っているのか、
誰にも知られることなく。
一つの命が、確かに――
“形作られていった”。




