50. 槍試合の褒賞
「ようやく会えたなルアン卿」
エメルディア・テードリアンが大広間の壇上から声をかけた。病の父に代わり執政会と共に治世を築く、この国の王太子である。
大広間の中央に立ち、その王太子や集まった貴族達の視線を浴びるのはルアン・ロチェスター。先日の馬上槍試合で華々しい優勝を飾った流浪の騎士である。
決して豊かではないと一目でわかるくたびれた革の服を纏い、その装いのどこにも家を表す紋章はない。金色の髪を整えて来た様子もなく、腰には剣を帯びていない。
「今までどこにいた。槍試合の栄誉ある優勝者に対しまだ褒賞を与えていないのは王家の恥だ。望むものを言うがいい」
あの日槍試合を観戦した者達が待ち侘びていた瞬間だった。決勝で敗れた第二王子のクロディアはこの場に顔を出していないが、ルアンが現れたと聞きつけた者達の多くがその姿を見ようと大広間に押しかけている。
甲冑で見えなかったその素顔は皆の想像よりも遥かに若く、娘達から甲高い歓声が上がる。
優勝という名誉の価値を示すため、エメルディアは御座から立ち上がってルアンを迎えた。
その時、貴族達の中を掻き分けて壇上に上がった財務卿レイデン・ルーベルンがエメルディアに小さく耳打ちをした。
「殿下、実は……」
「どうしたレイデン公。え?もう一件?」
それにより、エメルディアは事態を知らされる。
「それは…事実か?剣で?」
レイデンは頷いた。エメルディアは改めて前を向く。
「ごほんっ。えー、ルアン卿。褒賞は必ず与えるとしてその前に一点確認したい。そなたは今朝、城下の酒場で王妃の近衛騎士に対し剣を抜いたという報告がある。それは事実か」
大広間の者達は顔を見合わせてどよめいたが、ルアンは眉一つ動かさず答えた。
「事実です」
場は騒然とする。
「なんと」
「ケイリス卿を?」
その答えに、エメルディアの眉間が僅かに動いた。
「ケイリス卿をここへ」
エメルディアのその声に、静かな足音で人影をかきわけるように、壮年の騎士が大広間に現れた。その腰にも剣はない。
ケイリスはルガティアス家に仕えてきた騎士である。若き日のセレナリスと共に王都アムランへやって来た。そして守るべき姫が王妃となると、彼はそのまま王家の騎士となった。
蓄えた顎髭が真っ白になるまで長く仕えてきた忠義深い騎士である。彼を知る誰から見ても、酒場で喧嘩を起こすなどあり得なかった。
ケイリスは穏やかな声音で言う。
「ただの喧嘩でごさいます。年甲斐なく城下の治安を乱したことをお詫び致します」
釈然とはしないままでも、エメルディアは安堵した。幼い頃から知っている騎士に罰を与えるなどしたくはないし、喧嘩であれば数日牢に入れておけば事は収まる。
しかしルアンの目的は、穏やかに褒賞を賜ることではなかった。
「いいや喧嘩なんかじゃない。俺が一方的に剣を抜いた。こいつを殺すために」
その言葉に、この場にいる誰もが困惑した。
エメルディアが半ば反射のように言葉を返す。
「殺す?」
その理由をエメルディアの隣に立つレイデンが問うと、ルアンは濁さずそれに答えた。
「殺したかったし、剣を抜けば殺せると思ったからだ。そいつに邪魔されたがな」
ルアンが一瞥した先には、同様に剣を没収されたと見られるジュラン・ルーベルンとその仲間達がいる。
エメルディアはレイデンやハウゼンと目線を交わす。意図を汲み取ったレイデンが問う。
「それは個人的な恨みからか?何故殺したいと思ったのだ」
ルアンは答えない。次はハウゼンが壇上から問いかけた。
「何であれ、貴様がしようとしたのは殺人だ。殺意を認めるのであれば、相応の罰を与えることになる」
ルアンが口を開く。声は大きくないが、大広間に透き通るようによく響く声だった。
「王妃様はおられぬのですか。褒賞を賜われるなら、王妃様からがいい」
レイデンが声を荒げる。
「褒賞の話は後だ!今は王家の騎士に切り掛かった咎を問うている!」
「どちらの話でも、王妃が来なければ始まらない」
全く臆する様子なく、ルアンはそう言い切った。これにより槍試合優勝者を讃える声はなくなり、大広間は非難の嵐となる。
「なんと不敬な!」
「身の程を知れ!」
不遜な態度に方々から罵声が飛ぶ。
エメルディアが片腕を上げると、それに気付いた者は一度口を閉じた。だが多くの者は気が付かず口々に騒ぎ立て続ける。
「静まれ!!」
レイデン・ルーベルンによってようやく静まった大広間で、エメルディアは冷静に尋ねた。
「そなたは槍試合の日も我が母である王妃のトークンを求めたな」
「ええ。王妃様が私を覚えておいでであれば幸いです」
エメルディアは胸騒ぎを覚えた。事態の真意は掴めなくとも、目の前にいる流れ者は一族に災いをもたらしているのかも知れない。
不敬な態度を断じて斬って捨てるべきなのだろうか。それとも真意を知らぬままに終わらせるべきではないのだろうか。槍試合の褒賞をどうすべきなのか。
父王であればどのように裁くか、若い王太子は思案した。
左からハウゼンが耳元で囁く。
「昔の王達は広間を容易く血に染めたと聞きます。王家は威信が第一です。それを守るためであれば、時に容赦は必要ありません」
右からレイデンが囁く。
「箱一杯の金貨を今準備させております。それを渡し、すぐに帰らせるのがよろしいかと」
壇上を見上げるルアンの青い瞳が突き刺さる。エメルディアの額からは冷や汗が滲み、唾を飲み込む音が頭の中に大きく響いた。
「母上をここへ……」
大広間の壇上側の扉の手前で、四人の令嬢が囁き合っていた。
「どうなってるの?ロチェスター卿が何を要求したか聞こえた?」
ヘレネッサが振り返って尋ねる。
「よく聞こえなかったけど、王妃様が来られるまでは話が進まないようね」
リリアンがそう答えた。隣に立っているアレインも頷く。
「王妃様のトークンを求めた理由も、何か裏があってのことなのか……」
そこまで言って、ヘレネッサは口を閉じ背筋を伸ばした。その理由に気がついたリリアンとアレインも同様に姿勢を正す。
「王妃様」
セレナリスが到着した。
王妃は三人の令嬢に微笑んでから、扉の隙間から大広間を覗くもう一人の令嬢に視線を向ける。その令嬢は静かに振り返った。
次の王妃に最も近いとされる令嬢、ロザリードである。セレナリスはロザリードを寵愛しており、事実として毎朝のドレスの着付けにロザリードを指名している。
「王妃様」
中の群衆は増え続けており、紛糾する声が扉の外にも響いている。
「恐れながら、行かれる必要はないのでは。あの騎士には企みがあります」
そう言ったロザリードにもセレナリスは微笑みを向けるが、進言に対する返答はなかった。
王妃セレナリス姿を現すと、激しかった喧騒は自然に収束していった。
王が座るべき玉座の右隣に座るエメルディアの肩に触れ、セレナリスは自身の椅子の前へ歩く。玉座の左隣が王妃の場所だった。真っ直ぐに姿勢を伸ばし、腹部の前で手を重ね、セレナリスはルアンを見る。
ようやく現れた王妃を前に、ルアンは肌が震えるのを感じた。一度下を向き深呼吸をして、再び壇上を見上げたルアンの顔には不敵な笑みが浮かんでいた。
優しく美しい王妃は多くの令嬢達にとって憧れの存在である。槍試合のルアンの武勇には確かに心を射抜かれたが、王妃を敬わないのであれば見る目も相応に険しく変わる。
「王妃様…」
「何よあいつ」
ルアンはそんな声など意に介さない。
「お久しぶりです王妃様。私を覚えておいでですか」
「ルアン卿、見事な武勇だったわね」
「そうではない。あの日のことを忘れたとは言わせない」
ルアンの声音が変わる。不遜な挑戦者のその声に、敵意と怒りが加わった。
「母は死にました」
その言葉にセレナリスの表情が一瞬揺らぐ。しかしエメルディアや他の者にとっては、それがどれほど重大な出来事なのか、またどうして王妃と関係があるのかわからない。誰もロチェスター家など聞いたことがなかった。
大広間のざわめきが再び大きくなる前に、ルアンは話を続けた。
「あなたが私達の家に現れたあの日から、母は毎夜のように魘され、夢の中のあなたに許しを乞うていた」
集まった者達は顔を見合わせ囁き合う。
「母は善良でした。あの魂は必ず天に迎えられねばならない。しかし嘘をついたままでは、神々は母を受け入れない」
大広間が静まり返る。これは最早聞くに値する話と、誰もがそう理解していた。
「あれはあなたが恐ろしくて、命を守るためについた嘘だ」
セレナリスは目を閉じながらその話を聞き、深く息を吸って吐いた。
「聞け王都の者共!俺がこの糞みたいな都に来た目的は、槍試合のためなどではない!神々に真実を証明するためだ。王妃セレナリスよ。我が母レミラに嘘の自白を強要したことを思い出し、それを認めろ」
「二人で話をしましょう。ルアン卿」
「いいやそれはダメだ。これは槍試合の褒賞のはず。諸侯の前で賜らせてもらう」
エメルディアが隣を見ると、いつも完璧な姿を見せる母が、人前で何かを恐れているようだった。
「ルアン卿、落ち着いて話そう。私には何の話かわからない」
エメルディアの良いところが、今母にとって裏目に出る。忠実な騎士の一人が目配せしていることに気付いたセレナリスは、その目を見返し小さく頷いた。
ルアンが次に口を開くその前に、セレナリスは指示を出していた。
「捕えなさい」
一斉に動き出す衛兵達。
「待て、話を聞こう!止まれお前達!」
エメルディアが命令するも衛兵達はルアンを捕らえて離さない。優先されているのは王妃の一存であった。
「母上」
「後で話すわエメルディア。これは王家のためよ」
衛兵達がルアンを押さえようとするが、ルアンの膝を床に付けることができない。並ではない力の差があった。
「フハハハハハ!やはりな!これがあんたの本性だ!気に入らないことは全て力で片付ける!」
こうなることはルアンの予想通りだった。
「神々よ。祈りが届かないことはもう知っている。一度でいい。一度だけ、お前達の力を俺に貸せ」
体の自由を奪われながらも、立ち上がったまま壇上を見上げる。ルアンが言い放つその言葉に、貴族達は目を見開いた。
「まさか…」
「なんと…」
「王家を相手に…?」
高い日差しが明るく照らす石の大広間で、ルアンは真っ直ぐに言い放った。
「俺が所望する褒賞は、テードリアン王家との決闘裁判だ」




