48. 雨は上がり
「昔同じようなことをしたから、私からは強く言えないけど。何の咎めもないとは思わないことね」
フラーエンとセリタが城に戻ったのはその日の夜更けだった。真っ暗な帰路は松明を持った騎士達の護衛によりなんとか城に辿り着けたが、二人だけなら野宿することになっていただろう。雪解けの息吹きの上、懐で眠りに落ちたセリタを支えながら、フラーエンは自身の考えの浅さを痛感した。
その後フラーエンはヘーネとスコーラにも会えず、城の空室で一人朝を待った。そして明朝、部屋に現れたのは王妃セレナリスだった。ようやく叶った王妃との面会がまさかこんな形になるとは思わなかった。
「どんな罰になるのでしょうか…」
昔同じようなことをしたと言う王妃に驚きながら、フラーエンはその前例を確かめようとした。
「私の時はもっと人数がいて、責任の重さで様々だったけど、皆等しく謹慎期間があったかしら。言い出した娘は鞭打ちよ」
鞭打ちと聞いてフラーエンは身が震えた。
「あなたはセリタの駄々を聞かされたんでしょう?あの子は言い始めると聞かないから。馬術指南が大変な役目になってしまったわね」
セリタがそう言ったのだろうか。
「でも、したことの責任は取らなければならない。わかるわね?」
王妃は怒っても笑ってもいない。フラーエンにも表情はなかった。
「はい」
セレナリスの後ろをついて歩くフラーエンの姿は、この王宮にあまりにも相応しくない。破れたドレスは泥だらけ。顔も汚れて、雨と風で乱れた髪も昨日のままの状態である。
王妃が通るため回廊には誰もいないが、中庭からは好奇の目と囁きが向けられていた。
「見て、あれがフラーエン・ノーツァースよ。なんて姿なのかしら」
「とんでもないことをしたものだわ」
「関わっていなくて本当に良かった」
嘲る言葉が聞こえてくるが、フラーエンに目くじらを立てる権利はない。
わかっていてやったこと。そう思って前を向いた瞬間、はっきりと声が聞こえた。
「なんてバカなのよ!信じられない!」
悪いのは自分だが、罵倒されるのはやはり腹は立つ。顔を覚えておいてやろうともう一度左を見て、フラーエンは目を見開いた。
「賢く立ち回れって言ったのに、私の忠告をまるで無視してくれちゃって」
そこにいたのはカリネだった。一緒にいるのも仲の良い令嬢達。皆怒ってはいるが、フラーエンに笑顔を向けていた。
「ほんとにバカなんだから!どれだけ心配したと思ってるのよ」
「賊に襲われたりしたらどうするのよ!」
「無事でよかった、フラーエン」
立ち止まりたかったが、王妃についていかなければならない。フラーエンは気丈に振る舞おうと、両手首を近づけて、縛られた囚人のように歩いて見せた。カリネ達は野次とともに笑い声をくれた。
「無事の帰りを神々に祈っていたのはあの子達よ」
セレナリスが振り返らずに言った。
フラーエンには見えていなかったが、王妃の頬は微かに弧を描いていた。
それからフラーエンを待っていたのは、大広間での厳しい叱責だった。テードリアン王家とルガティアス家の者だけだったが、頭が痛くなるほど何度も怒られた。
セリタもかなり怒られたようで、目の周りが腫れている。
セレナリスもハウゼンも、そして王太子エメルディアも何も言わずに終わるのを見ていた。こんなところを王太子に見られるなんて、何が花のティアラだと口元が緩むと、内務卿グエリオ公とその夫人からさらに厳しい叱責が飛んだ。
「峠に連れて行かなければ馬術指南役を解任する」
そう言って脅したとセリタが言っていなければ、斬首にでもされていたのではないかと思えるほどにルガティアス家は怒っていた。フラーエンは小さい子供のようにただ直立して目を泳がせるのみ。
「もうよいでしょう父上」
そう言って終わらない叱責に介入したのは、セリタの父ハウゼンだった。
「フラーエン・ノーツァース嬢。私は君に、セリタに馬の乗り方を教えてくれと言ったんだ」
その声音は穏やかだが、激昂していた年寄り達と明らかには違う。最も怒らせてはいけない相手だったと悟りフラーエンは身構えた。
「私の娘を君の馬に乗せ、衛兵の制止を聞かず門を飛び出した。跳ね橋を飛び越えられなかったら空堀の杭に串刺しだったし、そもそも君の馬の大きさではセリタが落ちたらそれだけで無事では済まない」
どれだけ危険なことだったか、事実を淡々と並べ立てられた。
雨なのに濡れながら出たこと。王都近郊に野盗はいなくとも、娘二人では何者からも身を守れないこと。山には狼がいたこと。日暮までに戻る算段すらなかったこと。
「申し訳ありません……」
フラーエンが言えることはそれだけだった。
再びセリタの祖母が口を開く。
「追放よ!王都から追放してちょうだい!この娘は明らかにセリタに悪影響を与えるわ」
フラーエンの額から一気に汗が吹き出した。そこまでの厳罰になるとは、王妃様の話と違う。
「待って!話が違うわ!」
そう叫んだのはそれまで下を向いていたセリタだった。きっとフラーエンが来る前に、この処遇について話をしていたのだろう。
セリタの無理強いが発端であると大人達は認識しており、フラーエンには情状酌量の余地があった。あとは年上としての監督責任と、家名の価値が基準となる。
「王国の法に、このような事態を裁く明確な決まりはない」
「私がセリタ様を連れ出しました。その罰は受けるつもりです」
まずはルガティアス家からノーツァース家への抗議と、フラーエンとセリタの単独接触禁止が言い渡された。ここまでは決定である。
そしてフラーエンは情状酌量により、三つの選択肢の中から、受ける罰を自ら選ぶことが許された。
一つ目はヒーツへの自発的帰還。つまり王都追放である。
二つ目は雪解けの息吹きのルガティアス家への譲渡。城門の跳ね橋を飛び越え、何時間も走り続けて王都の騎士の追走を振り切った。誰の目から見ても名馬であり、資産価値が生まれていた。
そして三つ目は王宮で一ヶ月の謹慎。最も軽いように聞こえるが、場所は牢屋と指定された。
「私は王都を離れたくありません。セリタ様に馬の乗り方をまだ教えていないし…」
そこまで言って、一度王太子と目が合う。御座に座るエメルディアはまっすぐな目で、フラーエンの言葉の続きを待っていた。
「他にも理由はたくさんあります。そして、息吹きちゃんを名馬と認めていただけたことは大変な栄誉ですが、他の人に譲る気はありません」
毅然とそう言い放ったフラーエンに、ハウゼン・ルガティアスが尋ねる。
「では君は、牢での謹慎を受け入れると言うのか」
フラーエンは小さく頷く。次はグエリオ・ルガティアスが尋ねた。
「一ヶ月だぞ」
「はい」
グエリオの夫人が念を押す。
「牢に入る令嬢なんて、前代未満と笑われるのよ」
「甘んじて……」
こうして、北部への帰還と馬の譲渡を断ったフラーエンの処遇は、王宮の牢屋で一ヶ月の謹慎と決定した。
「その前にどうか、一つだけお願いを聞いていただけませんか」
フラーエンはセリタを見た。何も言わなくてもセリタも同じ考えだった。
大広間に残った大人達は、扉から出て行く二人の影を見送った。力の抜けた祖父母が首を傾げる。
「家に帰るだけで許してあげようと言っているのに、おかしな娘ね」
「セリタはお前の娘なのだぞハウゼン。これでよいのか」
フラーエンと行く娘の足取りと、その笑い声を聞いたハウゼンは、頭をかきながら頷いた。
「ミーア…」
二人が訪れたのは学者塔だった。事件を起こした二人だから、大広間から出た瞬間からずっと野次馬が後ろに付いているが二人は気に留めない。この一連の出来事を終わらせるために、絶対に欠かせない訪問だった。
「セリタ様と、フラーエン・ノーツァース…」
学者に連れられて塔の一階へ降りてきたのは、東部が生んだ天才ミーア・カラベルン。
「あのねミーア、私見つけたの。えっとその…あれを……」
緊張していると誰の目にもわかる話し方である。
「ロ、ローデの灯よ。雨上がりの東の空で、地平線に沿うくらい低い空に……」
「ローデ、本当に?」
「本当よ。私も見たもの」
フラーエンも半歩前に出る。
「それは、とても凄いことだわ……」
ミーアがそう言うと、セリタの表情が太陽のように輝き、嬉しそうにフラーエンを見上げた。フラーエンは大きい代償をこれから払う予定だが、それでもこのセリタの笑顔を見られたのだから、後悔の念もほどほどに笑うことができた。
だが、ミーアは二人の表情の変化などにまるで関心を示していない。それどころか気付いてもいない様子で、一人ぶつぶつと呟き始めた。
「そう、やはり雨上がりが条件だったのね。その時にだけ現れるというより、いつもいるけど見えるようになる瞬間、それが雨上がりか。つまり虹ではないという記述にも意味があったということ。地平線に沿うほど低ければ王都から観測できない説明もつく。雨が降る前と降った後で、空は何が違うのかしら。南のシタリエと南南東のアルドゥラは雨は関係なかったはずで……」
いきなり始まったそれにフラーエンとセリタは面食らう。途中から何を言っているのかもわからなかった。
ミーアは指先で空中に文字を書くように思考の世界に入っていき、戻ってくる様子はないまま塔の上階に消えていった。
呆気に取られるフラーエンとセリタは少しの沈黙の後、ゆっくりと顔を見合わせる。
次の瞬間、二人は大声で笑い出していた。




