47. ローデの灯
「神々の息吹く山カムラス。その最奥の天宮に御座が並んでいるとされ、最も位の高い神がハレイスフィア。うん、こんなことは子供でも知ってるのよねぇ……」
次の日の朝となっても、雨は未だ降り続いていた。
フラーエンは昨夜談話室で遅くまで考えたことをぶつぶつと暗唱しながら、三冊の本を両手で抱えて城の廊下を足早に歩く。
「生まれくる命と豊穣、それから太陽と雨を司る最高神で、人々に喜びを与える。天宮で最も長い虹の階段が、常世と御座を繋いでいて、えっと、その途中には使徒が立つ間みたいなのがあって、その三番目に立っているのが、“白き灯の翼”ローデ……」
昨日談話室で、皆と本を囲みながら考えたこと。
ローデの灯とは、ローデの白い翼の発光のことを指している。その光を見た者は、それをローデの姿と考えた。旅人に幸運をもたらし、迷える者に道を示した。あとは神話におけるローデの役割や、人の世界に現れた伝承。そういうことが書いてあるようだった。
商人の家系を持つカリネが言った。
「私の曽祖父がベックハード地方で麦の行商をしている時にローデを見たとかって、祖父から聞いたことがあるわ。でも一緒にいた他の者は見えたのは虹だと言っていたって」
ベリシアがカムラス文字の中から、気になる一節を読み取った。
"虹ではない"
虹は七色である。他の何を見てもローデの灯は白とされている。
「間違えたんじゃない?」
「でも違うってわざわざ書くかしら」
一夜で考えたことなど取るに足らないかも知れないが、フラーエンはできるだけのことをした。
そしてセリタの言葉を思い出す。
“私はローデを見つけるの”
酷いことを言う娘だが、あの心は純真である。そこに疑う余地はない。彼女は幼いながらに誇りを持ってもがいている。誰かと比べられることの苦しさと、盤上から降りることの意味を知っている。
フラーエンは再びセリタの部屋の扉を叩いた。そして侍女が出てきて、今日は絶対に中に入れないと言った。
「セリタ様!セリタ様!」
フラーエンは部屋の外からセリタに語りかける。
「ローデの灯!見つけるんでしょう!」
侍女がお引き取りをと何度も言うが、フラーエンは退がらない。
「私も一緒に探していいですか!」
部屋の奥からの返答を待った。セリタの侍女も数秒振り返ったが、沈黙を確認すると、フラーエンの方に向き直り首を横に振った。
諦めかけたその時、弱々しい足音が聞こえて小さな頭が隙間から見えた。
「私の本…」
そう言って僅かに扉の隙間から見上げてくるセリタ。
「あっ、ごめんなさい。これは、その…」
扉が開かれセリタが本を受け取る。髪を結ってすらおらず、まるで本当に病気になったかのような姿だった。フラーエンが本を持っていったことを怒ってはいない様子だった。
「セリタ様…」
協力したいとフラーエンが言う前に、セリタがぽつりと呟いた。
「無駄だったよ」
その声もまるで病人のように細く小さい。
「たくさん調べて探したけど、王の塔からでも何も見えなかった。遮るものは何もないのに、一日中見てても、ローデはどこにも現れなかった」
「東って書いてた。東の空に見えるはずなの…」
「ほとんどってことは、例えばあの山の陰に隠れてるとか…」
セリタは目を伏せた。そんなことは考え済みだと、フラーエンは挙動から察する。
「そんなところに隠れるのなら、きっと私に見つかりたくないのよ。私は値しない」
確かにセリタの言う通りに思えた。塔からとあの東の峠からで、見える空の広さにどれくらいの違いがあるのだろう。
「もう時間もないし。春が終われば天宮に帰る…」
天宮に帰るというのは、ローデを見ることができなくなるということだろうか。
そしてもうすぐ春は終わる。中庭の薔薇の蕾が開き始めてから、人々はそう言っている。
「次の馬術にはちゃんと行くから」
フラーエンが言葉の意味を探っていると、セリタは扉を静かに閉めた。
廊下に残されたフラーエンは静かに立ち尽す。これでもう終わりなのだろうか。友から借りた知恵を活かせず、悩める小さい少女にも何もしてあげられない。
こんなものなのだろうか。
本を返して軽くなった身で、フラーエンは来た道を戻ろうとする。そうして振り返った時、薄まった雲を透く白い光を見た。
わざわざ鍵は閉めていなかった。その扉が勢いよく開かれ、セリタは驚いて振り返る。開けたのはフラーエンで、そこには満面の笑顔があった。
「もし諦めようとしてるなら、それは雨が降っているからですか?」
雨音は依然衰えず、灰色の雲が空を覆っている。それなのにフラーエンは笑う。セリタはぱちぱちと瞬きを繰り返した。
雨が止む。何故かわからないが、そうなる予感した。
差し出されていたわけではないが、気づけばセリタはフラーエンの手を握っていた。
「探しに行きたい。一緒に来てくれる?」
心臓の鼓動が急ぐのは、冒険への高鳴りだけではない。酷い言葉を投げかけた清算をセリタはまだ何もしていない。
小さく震えているその手を、フラーエンは強く握り返した。
「実はドレスのままでも馬に乗る方法もあるって知ってますか。これを教えられるのはきっと王都で私だけです」
厩についたところで再びセリタの足がすくむ。壁にかかっていた外套を纏ったフラーエンが馬上でセリタの準備を待っていた。
「やっぱりだめフラーエン。私馬に乗れない。跨がれるだけで、本当は走らせたことがないの」
雪解けの息吹きに跨ったフラーエンはセリタの手を掴み自身の懐に引き上げる。
これはいけないことだろう。それは二人ともわかっていたが、暖かい部屋に引き返すことはできなかった。
「行きますよ!」
「うん、行く!」
勢いよく厩から飛び出した雪解けの息吹きは、訓練所の仕切り柵を軽々と飛び越える。
雨が降っているせいで外に人はほとんどいないが、それでも注目は集まった。フラーエンは唖然とする兵士達の中を駆け抜け、衛兵の静止を聞かずに門を飛び出した。
「おいおい嘘だろ。今のセリタ様だぞ」
「あの馬は北部から来た。てことはノーツァースの令嬢だ!」
兵舎から飛び出して来た衛兵の隊長が叫ぶ。
「早くハウゼン卿に知らせろ!お前達はすぐに追え!急げ!」
雨が降り続ける王宮の裏門から数騎の騎士が飛び出した。
フラーエンの脇から後ろを振り向いたセリタが、騎士達に気が付いて叫ぶ。
「フラーエン!追ってきてる!」
「そうでしょうね、さあ行くよ息吹きちゃん!」
雪解けの息吹きが加速し、上がり始めた跳ね橋に躊躇なく突き進む。
「きゃあああああああ!!!」
悲鳴を上げるセリタ。フラーエンは右手で手綱を握り、左手でセリタを抱き込んだ。馬の中でも特に巨躯な息吹きは、跳躍力も並ではない。
跳ね橋から空堀を悠々と飛び越え、その着地には呆気に取られる兵士から感嘆の声すら上がった。
追跡する騎士達が慌てて馬を止める。
「止まれー!跳ね橋を上げるな!下せ!」
フラーエン達の影が城下町に消えていく。急いで下ろし直した跳ね橋を騎士が渡る頃には姿は見えなかった。
「なんだよあの馬…」
「隊長、鐘を鳴らしますか?」
「それは民を混乱させる。追え!追うのだ!」
鐘が鳴らされなかったことにより、城下町に出た二人を遮るものはなかった。雨が降っていたせいか、通りを歩く人影も僅か。
街道へ出る城門の下で雨宿りしていた黒犬騎士団が、駆け抜ける騎馬とそれに乗る二人の娘を見て顔を見合わせる。
「あれ、今の。どっかで見たか?」
「王宮の令嬢じゃね?」
「まさか。馬乗って飛び出す令嬢がいるかよ」
草原に出た雪解けの息吹きは、まるで風になったようだった。雨の中、二人はもうずぶ濡れである。
「やっちゃった。これってとんでもないわよね」
久しぶりに外から王都を見たフラーエンは、衝動に従いすぎる自分の癖を痛く感じたが、セリタは違うようだった。
「凄い!凄いよこれ!」
その頃、王宮は大騒ぎとなっていた。
「ハウゼン卿に知らせたのか!」
「それが、今日は織物ギルドへ行っておられるようで」
「早く知らせろ!」
混乱は宮廷の御所にもすぐに届いた。
「ああまずいまずいまずい。王妃様にどう伝えればいいんだ。そうだ!まずは執政会の誰かに…」
慌ただしい雰囲気に気がついたエメルディアが兵士を呼び止める。
「一体何の騒ぎだ」
「殿下!ハウゼン卿の御息女セリタ様が、ノーツァース嬢の馬に乗せられて城を出たと」
「なんだって!?」
事情を知っている者がいないか、令嬢達への聞き取りが行われていた。
「さあ、よくはわかりませんけど。ハレイスフィアだローデだって、おとぎ話について盛り上がってましたわ」
「セリタ様がフラーエンに怒鳴っていたなんて話も聞きましたわね」
「恐らく、東の峠へ向かっているものと…」
セリタの侍女の証言から、より多くの騎士が捜索を命じられた。
温厚で物静かなルガティアス家の当主、セリタの祖父グエリオが大声で叫んだ。
「鐘を鳴らせ!騎士団を総動員せよ!」
娘である王妃セレナリスが止める。
「落ち着きなせれ父上。既に追跡は出ています」
次は祖母が叫んだ。
「セリタは攫われたのです!ノーツァースの娘に!」
「そんなわけないでしょう。二人ともどうか落ち着いて」
「あなたはどうしてそう冷静でいられるの!一族の危機なのよ!」
セレナリスも気が気ではなかったが、大きな混乱は避けたかった。
「騎士団はすでに動いています。それに年頃の娘なら、都を飛び出すこともあるでしょう」
セレナリスがそう言うと、両親は一旦は黙った。昔同じことをした令嬢に心当たりがあったからだ。
「あなたの時とは違うわ。セリタはまだ十二歳なのよ」
フラーエンとセリタは東へ続く街道を何時間も突き進む。街道であれば道が整っており人の目もある。危険なことをしている自覚はあり、それ故になるべく安全な道を考えて選んだつもりだった。
麓の街を走り抜けて山道に入る。街の老人に今からでは山道を抜けられないと言われたが、目的地は峠だと言って二人は進んだ。王都とアムレイルを繋ぐ街道は整備が十分であり、道に迷うことはないことをセリタは知っていた。
不安と胸騒ぎがあったが、少しずつ弱まっていく雨が二人に期待感をもたらした。
目指している峠が見える。
もうあと少しのところだが、山道に入ってから雪解けの息吹きに疲労が見え始めた。
後は蛇行する林道を進むだけだがかなり迂回が必要であり、一度馬を休ませようかと考えていると、後方から蹄の音が微かに聞こえた。
「行って息吹きちゃん」
フラーエンが手綱を引くと、息吹きは崖に近い荒れた斜面を登り始める。
まさか崖を行くとは思わない追手達は、真っ直ぐ林道に入って行く。
「急げ!追いつくぞ!」
「麓の爺さんが言うにはここを抜かれば峠はすぐだ!」
二人はその様子を崖から見下ろす。
「やっぱり北部一の名馬ね」
そしてとうとう、二人は峠に辿り着いた。
大きなトネリコの木の下に入り、雨が止むのを待つ。太陽の位置はわからないが、日没が近付いている気がした。
空が晴れるのを待つ間、二人は身を寄せて寒さに耐えた。多くは語らずただ静かに曇天を見つめ、東の雲が消えることを祈った。
セリタはフラーエンに伝えたいことがあったが、黙っているその顔を横目に見上げるばかりで切り出すことができない。
何の根拠もなく奇跡が起こるような気がして、セリタは城を飛び出した。ローデを先に見つけることができれば旗主や学者達に認められ、ミーアに勝てると思っていた。だが空が暗くなるに連れて不安だけが大きくなる。
遠くで獣の遠吠えが聞こえた。
ミーアならこんなことはしないだろう。奇跡になど頼らず、少しずつ外堀を埋めていくように、確証を一つずつ紡ぐ。
ふいにフラーエンがセリタの肩に手を回し体を寄せてくる。胸に耳を当てなくても、心臓の鼓動から不安が伝わった。
大変なことをさせてしまった。無事に王都に帰ることができたとして、その後フラーエンはどうなるのだろうか。後ろ盾のないフラーエンは誰に守られるのだろうか。
ごめんと言おうとしたその時、セリタの肩を掴むフラーエンの手に力が入った。
「きた……」
待っていた瞬間が訪れる。
西も東も雲が消えていく。東の紫色の空には薄らと星々が現れており、濃紺と混ざり合う彼方では白い月が弧を描いていた。
そして雨が上がり、王都を挟んだそのまた向こうの山間に沈もうとする太陽が完全に姿を現す。
東雲が一層燃えるように赤くなり、目の前に薄く虹がかかった。
「なんて綺麗なの……」
フラーエンのため息が聞こえた。
見たこともない美しい光景。それは間違いなかった。だがセリタはそれだけを見てはいられない。探していたのは三日月でも虹でもない。違うはずだった。
やはり無理な話だった。そう諦め掛けたその時。
それは彗星なのだろうか。東の彼方で、地平線と並ぶように、白い光が弧を描いていた。
眩く、線上を淡い帯に包まれ、それがただの星や雲でないことはわかった。
「セリタ様、あれ!あの光は…!」
フラーエンが指を指して飛び跳ねる。
二人とも確信した。間違いなくローデである。
だが、歓声を上げるフラーエンの隣りで、セリタは喜びより失望感を覚えていた。これが神の使徒の姿。必死になって、他のことそっちのけで探しているうちに、セリタの期待は大きくなり過ぎていた。時に男の姿で、時には巨大な翼を持つ鳥の姿で光を振り撒くという使徒の姿が、遠くに見えるこのたったの一筋なのか。王の塔からは見えないことにも納得がいった。
「あれがローデ…」
フラーエンの声が聞こえ横を見上げる。フラーエンは手を祈りの形に合わせて目を閉じていた。
その行動からセリタは目が離せなかった。宵闇の紫が包むこの一瞬がかけがえのないものとなるか、光を見たと言う事実だけで終わるか。それを選べるのは自分自身なのだと知る。
「とっても美しいね。セリタ様もお祈りできました?」
そう言われてもセリタはまだ祈っていない。というより祈るという発想がなかった。
「うん、できたよ」
どうしてなのか嘘をついた。嘘にならないように、セリタはすぐに祈る仕草をする。まるで欲張った二回目かのように、無邪気な笑いを作って大袈裟に祈るふりをした。
「綺麗……」
空に瞳を輝かせるセリタの頭を、フラーエンは優しく撫でた。
それから二人は濡れた地面に座り、じっと空を見つめた。一筋の白い光は少しずつ薄れていく気がしたが、その最後までを見ていたかった。
風が冷たく、雨上がりの匂いが心地良い。峠から見える地上には明かりと煙が線状に見え始め、アムレイルへの道がよくわかった。
どこかで梟の声が聞こえる。それから木々のざわめき、風の声、雪解けの息吹きの鼻息。雨雲は消えて空には星が浮かび始めていた。
「酷いことを言ってごめんなさい」
ようやく言えた。
その言葉に気付いたフラーエンは、また自身の外套にセリタを入れる。
「寒くないですか?」
「寒い」
セリタがそう言うと、フラーエンはぎゅっと小さな身体を抱きしめた。その温もりにセリタも身体を預ける。
頬が濡れているのは濡れた髪から伝い落ちる雨のせいで、鼻を啜ってしまうのは寒さのせい。セリタの強がりは物心ついた時からの癖だった。
泣き顔を見せまいとするセリタの頬を、フラーエンが不意に指で押す。
「な、なに!?」
驚いて離れたセリタに、フラーエンは無邪気に笑った。
「これで許します」
「こらー!そこを動くなー!」
大きな声に振り向くと、林道を走ってきた騎士達が現れた。城から飛び出した二人の貴族令嬢、そのうち一人は大貴族である。連れ戻すよう命令を受けた男達の形相は泣きたくなるほど猛々しい。
こうして二人の冒険は終わった。
作品をお読みいただきありがとうございます。
AIの使用状況について開示が必要になったので軽く説明させていただきます。
この作品はChatGPTに相談しながら書いてます。
このセリタ編でいうと、ローデの設定について神話としても科学としても処理できそうな微妙なラインを調整したり、フラーエンの無茶な行動が世界観から逸脱しすぎてないかをチェックしたりとかそんな感じです。
あとは話が長くなりすぎた際に、どこなら削ってよさそうか等も相談してます。
こんな感じですが引き続き楽しんでいただけると嬉しいです。




