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いばらの庭の乙女たち  作者: f.h
ローデの灯
45/54

45. 馬術指南役

 訓練所の隅の方で兵士達の掛け声を耳に流しながら、フラーエンは小馬の手綱を引いていた。

 この小馬にセリタ・ルガティアスを乗せることができれば、王宮での役目を与えられる。彼女は馬が嫌いと言っていたが、誰でも最初はそんなものだし、ハウゼンの許可のもとフラーエンが直接選んだこの可愛い小馬なら何の問題もないだろう。

 フラーエンが勝手に北部一と触れ回っている自慢の愛馬"雪解けの息吹き"は、手綱など持たずともしっかり後をついて来ている。


 馬場では乗馬用の服に着替えたセリタが気だるさを隠そうともせず、重心を片足に乗せて髪を指に巻いている。

 この態度でなければ抱きしめたくなるほど可愛いのに。そんなことを考えながら、口角を大きく上げて明るく声を掛けた。


「さあ始めましょうセリタ様!馬は怖くないんです。とても賢い生き物ですから、心を開けば必ずお友達になってくれます」


「はいはい」

 フラーエンが心得を説くまでもなく、セリタは馬に跨って見せた。

「え?」

「なに?怖いなんて誰が言った?好きじゃないだけ。どこかに行くなら馬車に乗れば良いじゃない」


 何と可愛げがないのだろう。フラーエンはその言葉を心の内に引っ込めて満面の笑みで手を叩く。

「凄いですよセリタ様!立派な貴婦人みたいです!では次は、馬を前に歩かせてみましょう!」


 馬の乗り方を人に教えたことはないが、自身が教わった時のことを思い出しながらやってみる。これはなかなか調子が良い気がした。想定通りではないが、ひとまずお役目は確保である。


「ふぅ。お疲れ様」

 セリタが小馬から降りてしまう。


「おめでとうフラーエン。これで今日から馬術指南役よ」

「ん?え、あ、ありがとう」


 気付けば流れに乗せられて、小馬の手綱を受け取っている。

「じゃあ次はあなたが私に譲歩して。また時間になればここに来てあげるけど、私の勉強を邪魔しないでほしいの」


 馬術指南役のフラーエンに対して、意味不明な要望である。

「いやいや何を言ってるんですかセリタ様。馬術を教えるのが私の役目です」

「父上にはそう言ってればいいでしょ。私は忙しいの」

 そしてセリタは、日陰で見ていた侍女を連れて去ってしまった。


「待ちなさい!」

 砂埃舞う訓練場に残されたフラーエンは小馬と共に立ち尽くす。

「何よあの子…」



 その日の夜、自室で侍女に髪を梳かされながら、フラーエンは一日のことを振り返る。

「これで晴れて王宮の一員。おめでとうございます姫様」

「ありがとうヘーネ。ハウゼン卿も一応喜んでくれたし、よかったと思う。でも…」

「でも?」

「ううん、なんでもない!今夜は暑いわね」



 次の日。セリタは時間通りに訓練所へ来た。しかしいきなり日陰の長椅子に腰掛け、持参した本を膝の上に乗せる。

 馬に乗るよう促すが、勿論聞く様子はない。なんという高慢な娘だろう。第一印象から生意気な節はあったが、ここまでとは思わなかった。


 疲れたフラーエンは歩み寄ってみることにした。セリタの本を覗き込んでみる。

「これ、私読めない。セリタ様は読めるんですか?」

 この作戦は意外にも僅かな手応えがあった。

「神学よ。これはカムラス文字」

 目線は上げないが答えてくれる。

「神学…?」

「邪魔をしないで」

「あ、ごめんなさい…」


 なぜ謝らなければならない、今は馬術の時間だろうと、フラーエンは腰に手を当てため息を吐いた。

 一体どうすればこの生意気な娘を動かせるのか。手っ取り早く引っ叩いてしまいたいが、相手は大貴族で、王妃の姪である。セリタの侍女は口を挟まずただそこにいるだけで、協力してくれる様子はない。恐らくこれがいつもの調子なのだろう。


「お父君に報告するわよ。それでもいいの?」

 フラーエンがそう言うと、セリタはこれ見よがしに大きなため息を吐く。

「はぁー。あなた見た目よりバカねえ。お父様があなたに与えたのは、私に馬術を教える役目。それができないと報告するなら、この役目があなたである必要はないのよ」

 腹が立つが正論な気がする。幼いながらに女の価値は賢さにあると言い放っただけあって、この少女は頭が回るようだ。少なくともフラーエンよりは。



 説得を諦めてしまえば、穏やかな時間だった。

 フラーエンは雪解けの息吹きとセリタの小馬にブラシをかけながらじっくり考えることにした。

 櫓の軒にできた燕の巣から雛達の鳴き声が聞こえてくる。

 セリタは二冊同時に本を開いて本の世界に夢中なようだ。神々の文字を指でなぞり、大きい瞳が端から端へ行ったり来たりしているのがわかる。

 侍女は日陰で頬杖をついて寝落ちしており、ブラシがけが終わった小馬は息吹きと共に馬場をかけ回る。


 フラーエンは木柵にもたれかかり、顔見知りの騎士達と軽い談笑に耽る。

 そこに三人の令嬢がおどけて笑い合いながら、訓練所の方へ歩いてきた。気がついたフラーエンは、三人に大きく手を振った。


「はーいフラーエン」

 東部諸侯の娘達、シングソン家のサラとランジー家の双子メルとベルである。

「この子が自慢の愛馬?」

「大きすぎない?乗れるの?」

 他愛もない会話を交わす。その時フラーエンは気づいていなかった。セリタは三人の方を見ず、顔を本に近付けて黙っている。


 サラがセリタを見てフラーエンに尋ねる。

「おかしな組み合わせね。あなたルガティアス家と接点あった?」

 メルとベルがそれに続く。

「うちらの総領主様よ」

「粗相してないでしょうね」


「セリタ様に馬の乗り方を教えるの」


「それはそれは」

 三人は一瞬顔を見合わせた。セリタは本から目を離さない。

 メルが本を覗き込んで、何を読んでいるのかと尋ねる。セリタは視線を上げず、ぶっきらぼうに答えた。

「どうせわからないわ」

 あまり良い言い方ではないとフラーエンは気づいたが、陽気な双子は気にしていない様子。

「わっ、これカムラス文字じゃない!セリタ様すごーい」

「これ何?初めて見る文字」

「ここは読めるよ。ハレイスフィアだ」

 騒がしい双子に挟まれてセリタの肩が小さくなる。

「あっち行ってよ…」

 小さい声でそう言ったが、聞こえていないのか止まらない。

「まだ小さいのにこんなの読めて凄い」

「まるでミーアみたいね」

 その時、セリタの指先が少し震えた。


「神学ならミーアに聞けば教えてくれるんじゃないかしら」


 メルがそう言った瞬間、セリタは大きく声を荒げて、読んでいた本を叩き落とした。

「うるさい!あっちに行ってって言ってるでしょ!」


 突然の怒声に驚いたフラーエンとサラが、双子を引っ張ってセリタから一歩遠ざける。セリタは怒りが顔色に出ている。

 慌てて謝罪した双子はサラに連れられて訓練所を去った。


 フラーエンは膝をつき、地面に落ちた本を拾って汚れを手で払い落とす。

「あの、本が…」

 セリタは俯いたまま。

「大丈夫ですか?」

「あなたも!今日はもう帰る!馬糞の匂いで気分が悪い!」




 その頃、ハウゼンの部屋に一人の男が訪れていた。頬がこけて髪が後退しているが、年寄りというわけでもない。

「なあハウゼン。ルガティアス家の旗主の中で今最も価値があるのは、カラベルン家で間違いない。あの類を見ない才能を宮廷の社交の中に埋めてしまうなどもっての外だ」

「それはどうもヘリック。旗主の娘を褒められて、我が父も喜ぶことだろう。私も才能は育むべきだと考えているよ」

「であるなら、王妃様に進言してくれないか」


 その時扉が開き、一冊の本を小脇に抱えたセリタが戻ってきた。侍女は帰らせたようで一人でいる。

「おかえりセリタ」

 優しく微笑む父の隣へ、セリタはちょこんと腰を下ろした。


 父と向かい合っている男の装いを見て、セリタの胸がどきりと高鳴る。

 そのローブは学者塔のものだった。


 セリタが持つ本を見て、ヘリックという学者は目を細める。

「豊穣のハレイスフィア、セイロン・ハートラン著。その歳でカムラス文字を読めるとは。さすがルガティアス家だね」

 学者のその言葉に、セリタの頬が赤く染まった。


「では、私はそろそろ失礼するよ」

 そう言って立ち上がるヘリック。この部屋への来客は多く、客が帰る時はセリタはいつも父と並んで扉まで見送る。

 扉を開けると、さっきまで晴れていた空に雲が立ち込め始めていた。

 外に出たヘリックが振り返る。

「よく考えてくれハウゼン。これは君の家にとってもいずれ得となるはずだ」

 いつもは客の話の内容などに興味を持たないが、今日の話はそうではなかった。

 ハウゼンが首を横に振る。

「大学への推薦に王妃の名は意味を持たない。知ってるだろう」

「それでも頼むよ。彼女にとってこの国の天井は低すぎる。天へ届き得る才能だ」

 大学、推薦。そしてヘリックという学者が真剣に訴えていることをセリタは理解した。


「言うだけ言ってみる」

 ハウゼンからその言葉を引き出して、痩せた学者は満足そうに塔へ帰っていった。


「今の方は?」

「お父さんの友達だよ」


「大学って?」

「カムラスにある神殿大学さ。聞いたことあるだろう?」


 それ以上は聞けなかった。聞かなければよかった。誰の話をしているのか察しがつかないほどセリタは鈍感ではない。

「さあ部屋に入ろう」

 ハウゼンが娘の肩に手を乗せる。しかしセリタはそれを振り解き、大きく足音を立てて廊下を歩き始めた。

「セリタ?」

 父の声は聞こえた。行きたいところなどないが、止まったくないし、振り返りたくもない。

 立ち込めた雲から轟いた雷鳴を合図に、セリタは廊下を走り出した。




「ねえねえ、この袖の刺繍どう?どう?」

「もう何回聞くのよ。素敵だってば」

「あら嫌だわ、雨が降りそう」

「中庭の花が散らないといいけど」

「前を見て歩かないと転ぶわよラーサ」


 五人の令嬢達が談笑しながら回廊を歩いていた。今や誰もが道を開ける、宮廷の春を制した青いドレス達。

 別棟からつながる廊下との曲がり角で、五人の先頭を歩いていたラーサ・クラーディが何者かと衝突した。セリタである。

「まあ!急に飛び出さないでよ」

 体重差のせいか、膝をついたのはセリタだけだった。セリタは無性に気が立っており、ぶつかったのは自分だと分かっていながらもラーサを睨みつけた。

「あ、この子…」

 相手がルガティアス家のセリタだと気付いたラーサが後ろを振り返ると、最後尾を歩いていた令嬢がゆっくりと前に歩み出た。

「セリタ」

 ロザリード・ルーベルンである。背筋が伸び、肩が強張るのを感じた。


「大丈夫?怪我はない?」

 セリタは幼いながらに直感で理解していた。ロザリードは微笑みの奥にいつも何かを隠しており、気を許してはならないと。

 膝を曲げて屈んだロザリードはセリタのドレスについた汚れを払う。まるで着せ替えられる人形か、蛇に睨まれた蛙のように、セリタは静かに立ち尽くす。

「廊下はあまり走らない方がいいわ」

 ロザリードの微笑みと、後ろにいる取り巻き達のにやけ面が神経を逆撫でる。何かを言ってやりたい。でも何を言えばいいかわからない。言葉に迷っているうちにロザリードは立ち上がり、ぶつかったラーサに視線を送った。ラーサはその合図に従う。

「申し訳ありませんセリタ様。お怪我がなくて何よりですわ」

 ロザリードがセリタの頭を撫でた。

 セリタの祖父は東部総領主で執政会の内務卿、叔母は王妃である。ロザリードは南部総領主で財務卿の娘だが、格で負けているはずがない。だからこの状況が理解できない。

 曲がり角でぶつかって、そして謝られた。それだけで何故こんな敗北感と屈辱を感じるのだろう。怒れない、泣けない、謝れない。セリタはただロザリード達が早く去ってくれることを祈るだけだった。

 ロザリードが首を傾げて微笑んだ。その時だった。


「やっと見つけた」


 立ち尽くすセリタのすぐ後ろから、明るい声が聞こえた。振り返らなくても誰の声かはすぐにわかった。

 

「何かあったの?」

 振り向かず立ち尽くすセリタの頭上で言葉が交わされる。

「ラーサがぶつかってしまったの。でも怪我はないようだから安心して」

「そう。そちらも怪我は?」

「大丈夫よ」


 その会話はそこで終わった。ロザリード達はセリタを避けるように割れながら通り過ぎて行く。

「おめでとう。無事役目が見つかったようね」

「へへ、何とか。ありがとう」

「おめでとう、よかったわね」

「またね。ご機嫌よう」


 足音が聞こえなくなるまで、セリタは振り返らなかった。気がつくとあちこちから視線が集まっており、注目となっていたのがわかる。

 何でも噂になるのがこの王宮である。セリタは冷静に努め、早くこの場を去ろうとした。


「探したんですよ。セリタ様」


 ようやく振り向いたセリタの前には、少し屈んだフラーエンがいた。


「一冊お忘れですよ」


 セリタが馬場に忘れて来てしまった、もう一冊の本をフラーエンが差し出す。

 馬の乗り方が大切な教養だと、そんなことはわかっているし、フラーエンの役目はそれを教えること。それも当然わかっている。

 だが今のセリタにとって、手にしたいものは別にある。

 正しい振る舞いではないとわかっているのに、間違った方を選んでしまう。

 震える指先で奪うように本を受け取って、セリタはフラーエンを睨んでいた。


「構わないでよ」

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