44. 内務卿家の孫娘
フラーエンは目の前の扉を見つめていた。
執政会家三令嬢の茶会とメイリア・クラウセンの噂から時間だけが過ぎる中、フラーエンは未だ王宮での役目というものを見つけられていなかった。
このような令嬢は他にもおり、予想していたほどの風当たりを感じているわけではない。だが舞踏会が終わってかなり時が経った今、賓客としての価値は自分で考えねばならない。
フラーエンは扉を見つめる。ノックをするか、やはり引き返すか。
何度も逡巡していると、不意に扉が内側から開いた。
「わっ!」
飛び出して来た何者かがフラーエンの腹部に激突し、フラーエンは驚いて声が漏れる。
「いたーい!ちょっと!気をつけなさいよ!」
額を抑えながら威勢よくそう言い放ったのは、まだ背の低い十歳くらいの令嬢。生意気盛りが滲み出た目つきが妙に愛らしい。
「こらセリタ、そのような物言いをしてはいけないといつも言ってるだろう」
そう言いながら部屋の奥から歩いて来たのは、フラーエンが会いに来たその相手、ハウゼン・ルガティアスだった。
内務卿の息子で王妃の弟。王太子の叔父に当たる人物である。
「誰が相手でも礼節を持ちなさい。それにこの方は侍女や召使いなどではないよ。ヒーツ領主グレンザ・ノーツァース公の御息女、フラーエン嬢だ」
「ノーツァース…?」
セリタという少女は目を丸くして言った。
「ド辺境じゃない!」
すかさずハウゼンが叱責するが、セリタの目は反抗的だ。
こんな可愛らしい令嬢がいただろうか。そう思いながらフラーエンが見つめると、セリタは少し驚いたように目線を逸らし一歩下がって父の袖を掴んだ。
「やはり王都はまだ早かったか」
ハウゼンがそういう時と、セリタは掴んだ袖を引っ張って揺らした。
「そ、そんなことない!私もう立派な令嬢だわ」
フラーエンはハウゼンの招きで、その部屋の椅子に座った。丸めた羊皮紙や分厚い本が山積みになっており、少し埃とカビの匂いがする。噂で聞いていた通り、とても忙しい人なのだと感じ、ここに来てよかったのだろうかと考える。
セリタは部屋の隅の窓台に座り、大人しく本を読み始めた。文字を指でなぞりながら、口を少しだけ動かして静かに発音している。
フラーエンはそれを見て言う。
「可愛いですね」
温和なハウゼンの目が一層優しさを帯びる。
「それはもう。私の宝です」
フラーエンは窓辺のセリタと目の前のハウゼンを交互に見ながら、自身のドレスの袖を忙しなく握り込んでいる。その様子からハウゼンはフラーエンの緊張を察する。
面識はないはずだが、それでもこの部屋を訪ねて来た。それだけで要件に察しはついた。
ハウゼンは癖のついた前髪を指で払い言う。
「公式発表はもうしばらく先なんですけどね。セリタはセルディア殿下と婚約する予定なんです」
突然の婚約話に驚きつつも、フラーエンは手を叩く。
「まあ、それはおめでたいことですわ」
「あの子はまだ十二歳ですから家の未来のために王家との結びつきは譲れない。姉上が王妃であるうちに打てる手は打っておかなくては」
なるほど〜。と言うような表情でフラーエンは首を縦に振る。
「それからこれは完全な私情ですが、セルディア様であれば安心してあの子を嫁がせられる。エメルディア殿下の側で良い影響を受けていますからね。王国に欠かせない人物へと成長するでしょう」
「王太子殿下の影響?」
「殿下は立派な青年です。身分や身内評価抜きに、最高の王になれると私は思っています。今はまだ、やや優柔不断ですがね。これも内緒でお願いしますよ?」
「も、勿論です。はは」
王太子は優柔不断なのか。何故こんな話をしてくるのだろうとフラーエンは少し不思議に思った。
「おっと、話が逸れてしまった。それで御用とは?」
「あ、そうだった」
フラーエンは姿勢を正す。
「恥を忍んでお願いします。私に何か役目をいただけませんか?」
ハウゼンは頷く。
フラーエン・ノーツァースには後ろ盾がなく、王都に滞在し続ける理由を作れていないのだ。焦燥した表情から見て、恐らくなんとかしようと駆け回ったのだろう。
ハウゼンは優しい声音で尋ねる。
「何故私に?」
フラーエンは膝に手を置いて答えた。
「内務卿のご子息で、この宮廷の人事を知っている方だからです」
ハウゼンが二回瞬きをする。その挙動がフラーエンに冷や汗をかかせる。
「質問を変えましょう。あなたがこの王都に滞在する理由を整えて、私にどんな得がありますか?」
フラーエンはどきりと胸が疼く。東部総領主、内務卿家に得をさせることなどできようか。ノーツァース家の特筆すべき資本は戦いに長けていることと言われている。しかし余剰はなく、王都へ赴くフラーエンに付けられた護衛は侍女二人だけである。
ではフラーエン自身の資質にルガティアス家を喜ばせるものはあるだろうか。
持ち得るものの中で最も誇れるものは何か、頭の中を探し回る。目が回るような感覚を覚えながら、フラーエンは言葉を絞り出した。
「う、馬が…」
少し俯いた状態で、か細い声が絞り出された。聞き間違いでなければ目の前の令嬢は、馬と言ったのかとハウゼンは首を傾げる。
「馬?」
目線を上げたフラーエンは、口角を引き攣らせながら続けた。
「良い馬を持っています」
北部一の名馬をお譲りします。
そう言いかけたところで、混乱したフラーエンの頭は正気に戻った。
これは一体何の交渉だ。仕事をもらうために馬を譲るなんてそんなバカな話はないし、そもそも雪解けの息吹を人に譲るなんてあり得ない。
フラーエンは慌てて言葉を整えた。
「私は馬に乗るのが上手いです。その点においては、この王都の令嬢の誰にも負けません」
言った瞬間、終わったと思った。それが何だと言うのだ。
「馬か。なるほど…」
それに対してハウゼンは、予想外にも深く思案し始めた。フラーエンはその挙動を控えめな眼差しで伺う。
「セリタ。こっちへ来なさい」
ハウゼンは本を読んでいる娘を呼んだ。
「無理ですわお父様、今お勉強しているの」
娘のその返答を受け、ハウゼンはフラーエンの方に向き直り肩をすくめた。
「これなんですようちの娘は。勉強熱心なのはいいことですが、どうも言うことを聞かなくて」
フラーエンは愛想良く笑う。
「わ、私も幼い時分は似たようなものでした。私の場合は、馬に乗ってばかりいないで、文字を覚えろって言われてましたけど」
ハウゼンは笑ってから、もう一度セリタに声を掛ける。
「良い加減馬の乗り方を覚えなさい。貴族の娘の教養だ」
セリタは読んでいた本をバタンと閉じて反抗する。
「馬になんか乗れても仕方ないわ!私は賢い女になるの!叔母上やロザリード、それからあのミーアのように」
それで本を読んでいるのだろうか。
王妃様にロザリード。影響力のある女は確かに賢い。そこに並べられたミーア・カラベルンの名も、学術の噂でたまに名前を聞く。
この少女が考えていることは間違ってはいないとフラーエンは思った。
「では叔母上にお願いして、王宮の食事を全てニンジンにしてもらおうか。みんながっかりするぞ〜」
「ふん。そんな脅し、もう通用しないわ」
ハウゼンは頭を抱える。
「まったく。いつからこんな聞かん坊になってしまったのか」
「ということでこういうのはどうだろうフラーエン嬢。今日中にセリタを馬に乗せる。これができたらこの子が王都にいる間のみ、馬術指南役になってもらおう」
希望が見えた。
「本当ですか!?」
明るくなったフラーエンの表情を見てハウゼンも笑う。
「ええ、本当です」
窓辺から動かないセリタが口を挟む。
「嫌よ、馬は嫌いなんだってば!」
「この通り生意気な娘ですが、大丈夫そうですか?」
フラーエンの方から窓辺に進み、セリタに手を差し伸べる。
「大丈夫です。私小さい子に好かれるんです。さあ行きましょうセリタ様」
「なんですって!?私は小さくないわ!」
セリタはそう言ってフラーエンの手に本を置く。ずしりと思いその本をフラーエンは受け取るしかない。
「大丈夫そうですか…?」
本をフラーエンから受け取りながら、ハウゼンは苦笑いで再度尋ねた。
「だ、大丈夫です。可愛い盛りです」
ようやくセリタの手を捕まえて扉の取手を掴んだフラーエンにハウゼンが声を掛ける。
「そうだ、フラーエン嬢。お母君が亡くなられてもう随分経つと思うが」
手を繋いだフラーエンとセリタは同時に振り返った。
「ええ、母は私を産んだ時に亡くなったので」
「不躾なことを尋ねるが、交渉の対価とでも思って教えて欲しい」
「はい、何でしょう」
セリタは二人の顔を交互に見ながら聞いている。
「父君に再婚の気は?」
ハウゼンのその問いについて、フラーエンは何度か父に尋ねたことがあった。母という存在のことはよくわからないが、少なくとも父が再婚しないことには、ノーツァース家はフラーエンだけで終わってしまう。家としてのことを考えるなら、父は再婚して子供を作るべきなのだ。だがフラーエンが尋ねるたびに、父は考えているとだけ言っていつまでも進展はない。
「予定はないと思います。」
「そうか、すまないね。内務卿の補佐として、諸侯の情報をできるだけ知っておきたいもので」
フラーエンはお辞儀をして扉を開ける。セリタは反抗的な目を父に向けながら、大人しくフラーエンについて歩いた。
二人が出て行き静かになった部屋で、ハウゼンは椅子に腰を落とし前髪を指で巻く。
ノーツァース家のフラーエン。生まれた時に母を失った哀れな娘。何の後ろ盾もなく、希望だけを胸に王都へ来た北部の純心。その評価でまず間違ってはいないようだった。
その時、速足で近付いてくる足音が聞こえた。視線を上げると勢いよく扉が開く。
「どうしてこの部屋からフラーエン嬢が!?」
入って来たのは王太子エメルディアだった。
ハウゼンは声を出して笑った。




