40. 王宮に咲く花達
切り分けられたパイを指先で摘んで、ロザリードはにっこり笑った。
「よし、これで概ね盤面は綺麗になった。どうかしら?」
ヘレネッサが葡萄の種を吐きながら気怠げに相槌を打つ。
「どうなのかしら」
この卓上に並んでいる物を見繕ったのはリリアンだが、当のリリアンはそれらを口にする気分にはなれなかった。
「もうあなた以外候補はいないわ。誰の目にもそれは明らかよ。後は時間の問題ではなくて?」
「どうかしらねえ」
小さい口でもぐもぐとパイを食べてから、ロザリードはまた笑う。気分が良いことは明らかだった。
この三人は気疲れする。そろそろアレインを横に座らせてはどうかとリリアンは思ったが、ロザリードにとって今日のこの卓は特別なのだろう。
この席に座りたい者は大勢いるはずで、もし入れ替わることができるならリリアンは喜んで回廊側に回るつもりだ。
だがベティオル家に生まれた以上そんなことはできない。今日は香草茶が尽きるまで辛抱せねばならないようだった。
リリアンが話を進行する。
「整理すると、殿下への正式な縁談はルーベルン家からだけになった。今から参入する者はない。でも殿下が必ずしも正式な縁談から選ばれるとは限らない。何しろ王になるのだから、多くの歴代と同じように、好きなようになさることができるものね」
ロザリードとヘレネッサはずっと何かを食べながらリリアンの話に耳を傾けている。
「ロザリード、あなたがこれから考えたいのは、それでも潰しきれない万に一つの可能性達について。そうね?」
「その通りよリリアン」
ロザリードがそう返すと、ヘレネッサが中庭を見回しながら言う。
「今そこの回廊に並んでる者達。別の良縁を望むと言いながら、まだ王都に残っているということは、その万に一つを夢見ているのでしょう」
「あなたにもまだ、万に一つが残っているようにね」
そう言われたヘレネッサはロザリードを睨みつける。
「取り決めたことは反故にしないわ。今から神殿に行こうか?神々の前で誓えば信用できる?」
ヘレネッサは昔から気が強い。リリアンが仲裁し、ロザリードも素直に謝る。
「少しふざけただけじゃないの。怒ることないわ」
「気を悪くしたなら謝るわ」
「怒ってない」
重くなった空気を取り持とうと、リリアンが明るく話題を戻す。
「可能性でいうと、ヴァレリー・ハレルドは注意しておいた方がいいわね!」
リリアンはこの話題からあえてフラーエンを外そうとしたが、ヘレネッサがすかさず付け足した。
「あとフラーエン・ノーツァース」
「そ、そうね。フラーエンも」
ロザリードの意見も、まず警戒すべきはフラーエンだった。
「ヴァレリーも気になるけど、まずはフラーエンよ。王太子殿下が彼女をじっと見ていたという目撃情報が、少なくとも二回はある。一回は城壁の上で偶然。二回目は槍試合の後の夜。これをどう考えましょうか」
「殿下は賢明な方だから、ノーツァース家を選ぶことはないと思うわ。御心がどうであろうと、国のことを想えばノーツァースとの婚姻は王国に何も寄与しない」
「万に一つの話をしてるのにずいぶん楽観的ねリリアン。私はそうは思わないわ。だってフラーエン、魅力的じゃない。あなたも好きでしょう?」
純粋な者が傷つくことはない。その想いでリリアンはフラーエンを遠ざけたいと思ったが、そんな考えを見透さないロザリードではないことをリリアンは知っている。
だから隠す気などはなかった。
「ええ、好感は持っているわ。フラーエンだけじゃない、この王宮の花の全てにね。だからはっきり言うけれど、ティアラに手が届く薔薇はあなただけよ」
リリアンにもまだロザリードから多少の譲歩を引き出すことはできる。王都の令嬢の中で、ロザリードに対して悪態を隠さないのは恐らくヘレネッサだけだろう。ロザリードはいつも余裕の笑みを絶やさないが、ヘレネッサが破滅を覚悟して言葉を選べば、笑顔など簡単に消え去るだろう。
そしてロザリードも大掛かりな茶会や馬上槍試合を経てようやくまとまった協力関係を、くだらない意地の張り合いで壊したくはないはず。
どんな形であれ、ロザリードは調停役がこの卓から抜けるのは望まないはずで、リリアンは自分の価値をそこに見積もっていた。
ヘレネッサにはリリアンが何故他の者を気にするのかわからなかった。昔から穏やかで優しい気質だが、今回はどう考えてもロザリードに合わせるべきである。
「まだ開いていない蕾を、薔薇ではないと証明できない」
ロザリードが杯を置く。
「勘違いしてるわねリリアン。あなたの慈悲深い心は今は必要ない。邪魔な者は全て傷つけてしまえばいいだなんて、私言ってないでしょう?」
今は必要ないという言葉に、リリアンは眉が下がる。必要となれば傷つけることも辞さない。そういう含みを感じ取った。
ヘレネッサが尋ねる。
「ねえロザリード。この前の茶会で何故フラーエンをあの円卓に迎えたの?王太子殿下に馬で跳ねられたことがそんなに重かったとは思えないわ」
それはリリアンも不思議に思っていた。
征服地の辺境に領地を与えられた新興のフラーエンは、明らかに家格が低く教養も並以下である。にも関わらず今や多くの令嬢と親交を結んでおり、槍試合の夜にはフラーエンの発案で踊りの輪が生まれた。
フラーエンが存在感を示す三つの根拠をヘレネッサが語る。
「一つ目はまあ、見た目でしょう。ドレスや髪は田舎っぽいけど、綺麗だし背が高いから目を引くわ」
「二つ目は舞踏会の出来事ね。王太子殿下が立ち上がって歓迎なされた。真実は馬で跳ねたことへの謝罪だとしても、傍目には大貴族と同じ扱いに映った」
「三つ目はロザリード。あの茶会であなたが変に特別扱いしたことよ。序列と言ったら変だけど、フラーエンはあなたの招きで数十の家格ある令嬢の上を飛び越えたの。要するにフラーエンを目立たせたのはロザリードあなたよ」
ヘレネッサの言う通り、メリア・オールトンやサラ・シングソンがフラーエンと親しいのは、ロザリードの円卓に座った者として、その価値を認めているからだった。
露骨に差別的な態度を取る者は少数だが、実際に北部の貴族は何もかもが劣っている。
ただ一つの家を除いては。
「測りかねていたのよ。今座っているのは、あなた達だけでしょう」
ロザリードが茶瓶を持って立ち上がり、空になったヘレネッサの杯に新しい茶を注ごうとした。しかしヘレネッサは杯の上に手をかざす。
「あの日のあの円卓は、初めは六人の予定で後からフラーエンの椅子を用意したの?それとも初めから七つの椅子を予定していたの?」
「七つよ」
ヘレネッサはその答えを聞いて、かざしていた手を横に避ける。
立ち上る湯気を見てリリアンは億劫になる。長い茶会を意味していた。




