39. ありふれた茶会
その日の空は雲が厚く、決して茶会日和というわけではなかった。しかし中庭の中央には、黒い布がかけられた小さな円卓と、三つの椅子が並べられ、香草の瓶やレモンのケーキ、チーズや葡萄が卓を彩っている。
その準備を見てリリアン・ベティオルが頷くと、侍女達は少し離れた回廊の陰へ下がって行った。
「はあ……」
何も知らない群衆の視線が、客を待つリリアンに突き刺さる。
それからすぐに、時をほぼ同じくして、二人の令嬢が回廊の対角から歩み出て来た。
たった三人だけの茶会だが、まるで百人の茶会が始まったあの時のように、庭を囲む回廊には人の群れが集まっていた。
これはリリアンの茶会だが、開催を求めたのはロザリード・ルーベルン。そしてもう一人の招かれた客は、ヘレネッサ・ベルクレインだった。
「私気付いたの。話を複雑にしていたのは私自身だったって。茶会なんて本来こんなものでよかった。そう思わない?」
ロザリードがそう言うと、一瞬の間が生まれる。リリアンは横目にヘレネッサを見てから、柔らかい口調で口を開いた。
「あれはあれで楽しかったわ。若き日の思い出として、あんなに鮮やかなものはきっと他にないでしょう」
肯定も否定もせず、ロザリードがこの王家の庭で開いた百令嬢の茶会をただ讃える。百というのは誇張で、実際には七十人もいなかったそうだが、その数はロザリードが持つ影響力を語る上で誤差でしかない。
ヘレネッサが冷ややかに短く言った。
「無駄話の必要はないわ。これは茶会じゃないんだから」
茶会じゃない。
ロザリードにとってもリリアンにとっても、正にその通りであった。これからここで話そうとしているのは、茶会と銘打った場に似つかわしいものではない。あるいはこのような話というのは、往々にして茶会のような場で交わされてきたのかも知れない。
ちょうど今三人の父親が、王都の近郊で鷹狩りをしながら大事な話をしているように。
ロザリードはにこりと笑った。
「あらリリアン、お茶会じゃないのこれ?ミントにローズマリー。私の好きな匂いでいっぱいだけど」
大袈裟に驚いて見せるその姿に、ヘレネッサは一瞬目を伏せた。同時に眉間も寄っていたかも知れない。しかしすぐに顔を上げ、澄まし顔でロザリードを見た。
そして腰を上げる。
香草が煮出された茶瓶を左手で持ち、長い袖が邪魔にならないよう右手で抑えながら、ロザリードの杯に茶を注いだ。
硬い陶器の杯に香草茶が満ちる音と、湯気と香りが立ち上る。
ヘレネッサは杯の底を、リリアンは宙に散る湯気を見ていた。
ロザリードの視線は初め、ヘレネッサの細長い指と赤く光る中指の指輪に向かう。そしてすぐに湯気を追って上へ、注がれる茶の量を注視するヘレネッサの顔を見る。
彼女もまたそれに合わせて茶瓶を持つ手を引っ込めた。
「左利きなのね」
そう言いながらにこにこと笑うロザリードに、ヘレネッサは無表情で返す。
「どちらでもないわ」
そのままリリアンの方に向かい、同じように茶を注ぐ。
「ありがとう」
リリアンはヘレネッサが注ぎやすいよう杯を手に持ってそれを迎えた。だがヘレネッサは決してリリアンと目を合わさない。ロザリードは静かにその様子を観察している。
ヘレネッサの分の茶をリリアンが入れようとしたその時、ロザリードが立ち上がった。そして茶瓶の取っ手を掴み、細い腕でそれを持ち上げる。二人は驚いたが顔には出さない。
ロザリードがヘレネッサの杯へ茶を注ぐ。そしてそれもまた、毎日何度も繰り返しているかのような、無駄のない美しい所作だった。
小さな円卓の上で、三本の湯気がゆらゆらと空へ昇る。回廊のざわめきは遠く、風のない中庭を静寂が包んだ。
「クロディア殿下のご容態は?」
ロザリードがそう言ったのは馬上槍試合での負傷のことだった。トークンの授与の縁から、ヘレネッサがクロディアと面会していることをロザリードは知っていた。
杯の中の茶はまだ熱すぎる。指先で少し触れて、それを確かめたヘレネッサは少しだけ口を窄めた。
ロザリードが再度尋ねる。
「会ってるでしょう?勘違いしないで。これは誰でも知ってるわ」
リリアンが発言する気配はない。何も言わずにただ黙って二人を見ていた。
彼女が槍試合の日から元気がないのは多くの者が感じていたし、ロザリードはそれが自分のせいであることを当然わかっていた。
槍試合をボイコットするというベルクレイン家とベティオル家の共謀は、ベティオルの裏切りで意味を失い、ただベルクレインの騎士が一人も出場しなかっただけの結果となった。
裏切ることを決めたのはリリアンの父リガード・ベティオル公だが、リリアンにとっては、ヘレネッサとの長年の友情が終わった日であることに変わりはなかった。
ある程度の仕込みは可能でも、槍試合はやはり勝負事である。黒犬騎士団が必ず勝ち上がるという保証はなかったし、優勝したルアン卿のことを調べずにいたルーベルン家にも当然落ち度はあった。
それでもラーサ達を使い強気を演じたことで、ロザリードは少なくとも、リリアンからは主導権を奪い切ったのだった。
「格好良かったものねクロディア殿下。ベルクレイン家の祝福は古き伝統と誇りを意味する。あなたのトークンはそれを見事に表していたし、求められて当然だったわ」
話が長くなることを嫌ったヘレネッサが、第二王子の容態を語る。
「殿下はお元気よ」
間髪入れずにロザリードが返す。目を細めてくしゃりと笑った。
「愛してる?」
リリアンは思わず目を見開いた。ヘレネッサは曇天を仰ぐように口を開けて、つまらないと言うような目で二人を見る。
そして顎を引くと、真っ直ぐにロザリードを見て言った。
「ロザリード、あなたが欲しいのはこの言葉でしょう?ヘレネッサ・ベルクレインは王太子殿下の妃の座をもう求めない。花のティアラをベルクレイン家が被ることは、少なくともこの世代ではない。これで満足?」
ロザリードは笑った。
「いいえ。満足ではないわ」
短く答えたロザリードのその目は笑っているが、声音は全くそうではない。
「私はリリアンこそが第二王子クロディア殿下にお似合いだと思っていたの。違う?」
それはリリアンも初耳の考えだった。ヘレネッサはもう嫌悪感を隠せない。
「どれだけ強欲なの」
「そんなふうに思わないで。私は友達想いでいたいの。リリアンは大切な友達だし、生涯そうでありたいのよ」
「素晴らしい心掛けだこと。でもそのリリアンはどうかしら。友達を大切にせず、約束を破るかも」
リリアンの視線が定まらない。ロザリードはその様子も微笑で包む。
「その時はきっと事情があるわ」
一度香草茶に口をつける。ヘレネッサが蜂蜜を少し足していると、ロザリードが再び切り出した。
「そういえばあの槍試合の後。みんなで篝火を囲んで楽しく踊っていた時に、あなただけいなかったじゃない。クロディア殿下の後を追ったのは父君の指示?それともあなたがそうしたかったから?」
匙で杯の中を混ぜながら、ヘレネッサは同じように質問を返す。
「あなただって、その踊りに加わらずただ眺めてただけなのは、また王太子殿下に踊る素振りがなかったから?ジュラン卿が優勝していたら、無理矢理にでも手を取るつもりだったの?」
「ええその通りよ。殿下と踊る日を毎夜夢に見てるわ。それでそれで?クロディア殿下の後を追ったはいいものの、気が立っていたせいで怒鳴られて傷ついた?それとも部屋にいた二人の娼婦に驚いただけ?どうしてまっすぐ自室に戻らなかったの?」
知りすぎている。気味が悪いほどに、ロザリードはヘレネッサの行動と、そこで起きたことを知っている。
「本当に耳がいいのね」
「そうなの。生まれつき」
「何が望み?」
「私の望みはご存知の通り、次の王妃になることだけど、今はリリアンの話をしてるわ」
ヘレネッサは匙を置いた。
「無理よ。これ以上譲歩する気はない」
「それはあなたが?それとも父君?」
ヘレネッサは少し考えて、ロザリードの目を見てはっきりと言った。
「私よ」
「であれば、私が諦めざるを得ないようね」
意外に大人しく引き下がるロザリード。しかしヘレネッサもリリアンも、そんなわけがないことはわかっていた。
「一つお願いがあるわ」
この日初めて、リリアンとヘレネッサの視線が交わる。ロザリードは笑いながら言った。
「私の友達になって」
「何年も前から友人では?」
「もっと親密になって欲しいの。リリアンと同じように」
ロザリードの狙いははっきりした。求めているのは王太子妃争いからの撤退ではなく、自身を正当とする支持の表明である。
落とし所を理解したヘレネッサは、すぐさま条件を提示する。
「私からも、一つお願いをいいかしら」
「なあに?」
「足元の漣が耳障りで仕方ないの。この波が引くのであれば、あなたのお願いを聞き入れるわ」
ロザリードは杯を少し高く持つ。ヘレネッサも同じように、少し冷めた杯を軽く掲げた。
「やったわね。これでもう何も聞こえない」
ロザリードは笑顔を見せる。決して面白くはないが、ヘレネッサも口角を上げてそれに応えた。
「それで?愛してるの?」
そう言ってから、ロザリードは上目遣いに笑った。
「愚かな冗談よ。許してね」
フラーエンの部屋に、カリネが息を切らして飛び込んでくる。侍女のスコーラに髪を梳いてもらっていたフラーエンは、その慌てように驚いた。
「どうしたのカリネ。またサラがヴェイリック卿に癇癪起こした?」
「そんなくだらないことわざわざ伝えに来ないわよ!早く来て!大変よ!」
呑気に髪を結おうとしたフラーエンの袖をカリネが引っ張る。
「また中庭の茶会よ。今度は三人だけで」
回廊に出たフラーエンは、手摺りに張り付く人々の頭の間から中庭を覗く。そしてその先にある、小さな円卓を囲う三人の令嬢を見つける。
握り締めていた手のひらに、汗が滲むのを感じた。
回廊から注がれる無数の視線を全く意に介さず、三人の令嬢は少し冷めた茶を呷っていた。
「もう一年以上見ていないけど、ロベンディア殿下が帰って来れば、王子はちょうど三人になるわ」
「うつけ殿下が?」
「相変わらずの悪い口ね。王子は王子だわ」
「ロベンディア殿下は帰って来るのかしら」
「それは何とも言えないけど、いるのは事実。仲違いは終わりよ。私達が結びつけば、向かうところもう何もない」
ロザリードが杯を持って立ち上がり、リリアンもそれに倣う。
ヘレネッサはすぐに立たない。
「私達の一存?」
「今日は執政会の鷹狩りの日よ」
わかっていたが一応聞いた。
「執政会の席は?」
「勿論保証されているわ」
ヘレネッサも杯を持って立ち上がる。
「全て水に流すことができてとても喜ばしい日ね。あなた達二人も」
リリアンとヘレネッサは眉を顰めた。ロザリードとの付き合い方は決まったが、二人のことは別の問題のはずだった。だがロザリードは強引に、二人に微笑みを要求した。
「愛はきっと育まれるわ」




