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19.我が心の友へ。

私は今日、2022年の4月1日を迎えた。


法改正により1日から成人年齢が18歳へと引き下げとなり、早生まれで少し前に19歳になったばかりの『篤史くん』がそのまま成人として扱われるようになったのだ。

何とも奇妙な感覚である。


私はずっと20歳で成人すると勘違いをしてそれを目標にしていたのだが、最近になって養護ホームのタナカさんに「実は……」と教えてもらって膝から崩れ落ちそうになった。


私はタナカさんに八つ当たりをしてしまったよ! 「知ってたなら先に教えてくれればいいのに!」ってね。

そしたらタナカさんに「頼って聞いてくれれば答えるつもりだったけど、いっさい何も聞いてこなかったから」と返されてしまった。

さらには「ゴールポストが向こうから近づいてヘンに元気になられても困るから黙ってました。」とまで告白されて、思いっきり謝られた。

私は一瞬ムカッとなったが、いや待てそもそもずっと勘違いしたままの私が悪いのだと思い直した。

だいたい私は自分が未成年だった時の記憶を頼りに計画を組み立ててしまっており、最新情報へのアップデートを怠っていたのは私の怠慢だ。

だから私もタナカさんへ「なんかずっと勘違いしてました。」と謝り、それでこれは笑い話になった。


ともかくようやっと私は『未成年』という呪縛から解き放たれ晴れて自由の身となったわけだ。



『篤史くん』の感じられなくなった毎日はとてもさみしいが、それでも私は毎日を精一杯生きる努力をしているよ。

何せこの身体はもともと『篤史くん』のものなのだ。私の一存でおいそれと勝手にするわけにはいかないから、なるべく大事にするように気を配っているのだ。


勝手に自殺する事なんて絶対できないし、大きな怪我など出来ないし、身体を壊さぬよう、食事にも気を使って運動もするようにしている。



『篤史くん』には色々と報告したいことが山のようにある。


まず一番に伝えたいのが、私は君の実家を取り戻せたという話だ。

これにはたくさんのドラマがあってね、一から説明すると時間がいくらあっても足りないんだが、要点をまとめると義母の菜穂子さんが勝手に土地を売りに出してしまったことが問題だったんだ。

何せ『篤史くん』の親権停止をした後の話だったからね。


※注:親権停止状態の親は財産管理権も停止されていますので、不動産の売却などもってのほかです!


これに気付かず不動産屋が仲介をして別の人が土地を買い取ってしまってね。私があずかり知らぬところでどんどん話が進んでしまった。

そうしたら、もともと『篤史くん』のお父さんが亡くなったときに色々対応してくれた弁護士の人がたまたますぐに気付いてね。『篤史くん』の土地がいつの間にか他人の手に渡っているのはどういう事だって調べてくれて、それで菜穂子さんが親権停止状態であるにもかかわらず勝手に売却していたことが芋づる式に全部分かってね。

それで色々苦労しながらもわざわざ調べて私に会いに来てくれたんだ。


※注:このあたり本当に不勉強なのですが、知人弁護士の人は以下手順で確認したものと考えてます。1.篤史くん宅が売りに出されているのを知る。2.弁護士としての職務上請求を駆使して戸籍情報などを照会し、菜穂子さんが篤史くんの親権停止状態にある事を知る。3.親権代理人である児童相談所所長のカジタ氏と連絡を取り、篤史くんに繋いでもらう。

このうちの「2.」について、職権乱用にあたるかもしれないと思うのですが、よく分かりませんでした。一応、亡くなったお父さんが遺言の中で弁護士の人に監督を任せるみたいな一文を残している点を根拠に動いている、という設定で書いてます。

間違ってたらごめんなさい。


この弁護士の人は『篤史くん』のお父さんの学生時代の同級生で、お父さんが菜穂子さんと結婚する前くらいまではすごく仲が良かったらしい。

それで会ってすぐに一杯謝られた。弁護士の人は亡くなる前のお父さんと『篤史くん』の事を守るって約束していたはずなのに、こんな大変な事になっているって知らなかったって、すごく後悔していたそうなんだ。


本当に何度も何度も謝られて、それで『篤史くん』の家の事は自分が何とかするって全て請け負ってくれた。

それで、取引そのものに異議を申し立てて家を取り戻すか、取引そのものは追認しつつ売却益を賠償金として義母へ請求するか、あるいは気付かなかったことにして義母にお金を取られたままにするかの3択を選べることになったんだ。


※作者補足:無権代理人である義母が勝手に篤史くんの土地を売却した件について、平成30年度の法改正で、不動産業者などの仲介業者が買い取ってから第三者に販売してしまうと無効に出来ないようになったと聞きました。そこで、菜穂子さんは直接買主に売却したという設定といたしました。建物については色々ガタが来ているのですが、柱がしっかりしているのでリフォームすれば住めそうだという事で、主に土地代の費用に少し毛が生えた程度の金額で安く買いたたかれた、という設定で考えております。新しい買主は今どき流行りのDIYリフォームに興味がある若夫婦で、可能な限り自分達でリフォームするつもりで買い取ったってイメージです。

間に入った不動産屋はあくまで仲介しただけで手数料をちょっともらって契約の中身には関知せずだったので、義母である菜穂子さんが親権停止くらってて法定代理人ではなかったところまでは調べなかったというていです。

不動産関連は勉強不足もあり、果たしてこれが現実にあり得る売買なのか、あり得るトラブルなのか、よく分かっていないで書いてます。おかしなところあったらすみません。



けれども私は困ってしまったよ。私にとっては半年ほどの間やっかいになっていた程度の、さして思い入れもない家だったからね。

近々新しい住人が引っ越してくることになりそうだったから早急に判断しなければならなくてとても困った。


それで援助ホームのみんなに相談したりして最終的に取り戻すことにしたんだ。

私にとっては何の感慨もない家であっても、『篤史くん』にとっては大切な生家だからね。

私の一存で勝手に処分するわけにはいかないと思ったのさ。


結果として、違法な土地売却でやり取りされたお金は白紙に戻り、取引相手から訴えられた義母へは損害賠償請求があって、義母が購入した都内のマンションが差し押さえになりそうだというところまでは弁護士の人から聞いた。


義母は務めていた会社でトラブルを起こしたらしく自主退職をしていて、お父さんが残してくれた遺産と『篤史くん』の家を勝手に売ったお金で少しの間だけ羽振りのいい生活をしていたようだけれど、これからはそうも言っていられないだろうとは弁護士さんの弁。

義姉も学校を中途退学して引きこもりを続けているみたいだけれど、その後の事は追いかけていないから詳しくはよく分からない

正直興味がないから勝手にやってくださいという感じかな?


一応義母や義姉に対しては「ざまあ」と言えなくもないけれど、そもそも図太い神経を持った人たちだから、適当に男でも捕まえてベタベタと甘えつつもなんなとうまく生き延びそうな気がするよ。


そんなわけでともかく、私は『篤史くん』と探した2番目の家を出て、数年ぶりに実家に帰ってきたんだ。

引っ越しにはまたしても援助ホームのみんなが助けてくれた。


ところで援助ホームの女の子に「実家に戻ってきちゃって、親に場所バレされてるんだから、この先突されたら大変じゃないですか?」って心配されてしまった。みんなもうんうん頷いた。

これはアダルトチルドレン特有の心配だよね。毒親に引きずり回されたせいで、自由になったはずの今になってもふとした場面で親に侵害されないかをつちつい心配してしまう。

私は笑ってしまったよ。

「別に突されても構わないよ。もう彼らとは赤の他人なんだし、突っかかってきたらすぐに警察に突き出せばいいんだよ。不法侵入でも何でも、いくらでも理由をつけて追い返せるよ。」

「『中里さん』つえーっすねー。」と男の子の一人が感心したようにそう言った。

「みんなもそのうちおんなじ風に思えるようになるって。こいつら血が繋がってるだけの赤の他人じゃんって。そしたら全然怖くなくなるんだって。そんなもんだって。」

まあそんなわけでこれもまた笑い話になった。


ところが引っ越して来て早々、ちっとも笑えない話にぶち当たった。

なんだかわかるかい?『篤史くん』。


古くなって痛んだ建物は、修繕費がバカにならないんだ!

この家は『篤史くん』が出て行ってから義母と義姉が相当汚く使ったから、たった数年であちこちガタが来てしまっていたんだ。

それで水回りが痛んでいたり、屋根瓦が一部欠けて雨漏りが起きていたりと、しばらくは修理の費用でお金がいくらあっても足りないよ!


ローンなどのない持ち家は税金以外にお金がかからなくて安上りだなんて思っていたけれど、とんでもない間違いだったよ!


※作者補足:ローン完済済みの持ち家も維持費がそれなりに掛かるので、長く住もうと思ったらそれなりに出費があると知り合いがぼやいていました。


でもまあコツコツと、直せるところは自分でDIYしつつも何とか住めるように改築中だよ。



そして『篤史くん』。これがとても肝心な事なんだが、私は今、一人ではないんだ。

君には悪いかもしれないと思ったけど、ある女性と二人で暮らしている。


その女性とは杏奈ちゃんなんだ。


ふふふ。びっくりしたかな?


杏奈ちゃんとの再会もちょっとしたドラマがあったんだ。私達は杏奈ちゃんがどこに住んでいたか、知らなかったろう? 実はなんと実家のすぐそばだったんだ。


それで実家に戻ってすぐに、私達は近所のスーパーでばったり再開してしまったんだ。

少し前に20歳になったばかりの杏奈ちゃんはとっても美人になっていたよ。

それで、私と杏奈ちゃんはあんな唐突な別れ方をしたにも関わらず、杏奈ちゃんは以前と変わらず親しく話しかけてくれて、それですっかり意気投合してしまった。


杏奈ちゃんと働いてた当時のバイト先では、『篤史くん』がいなくなってからちょっとした騒ぎになったそうだ。

というのも、無断欠勤が続く『篤史くん』の携帯電話の番号が急に連絡もつかなくなって、慌てて保証人として情報のあった実家の番号に総務の人が電話したら、あの義母が怒鳴りこんできたそうなんだ!

「『アツシ』はどこだ!? 『アツシ』を出せ!」ってね。

それでまあ、どうやらいろいろあったようだと工場のみんなは察してしまい、それで有耶無耶のうちに『篤史くん』の事はなかったことにされてしまったようだった。

職場のおばちゃん連中は始めのうちこそ同情的で、「『ナカザトくん』はいい子だった」とか「『アツシくん』は無事にしてるだろうか?」なんて話題で持ち切りだったが、しばらくしないうちに誰もそんな話もしなくなっていったそうである。

けれども杏奈ちゃんは違ったそうだ。杏奈ちゃんはいつまでたっても『篤史くん』の事が忘れられなかった。

それで杏奈ちゃんは、休みの日にはわざわざあちこち探して回ったりしてくれていたそうなんだ。


一度はなんと、荒川の橋の下も見に行ったことがあるそうだよ!

私達が一時期あそこでシゲさんという人のお世話になりながら寝泊まりしていた話をしたら、杏奈ちゃんは「えーっ!?」と声を上げた。

事情を聴いて、私も「えーっ!!」と声を上げてしまった。

杏奈ちゃんが荒川を調べに行ったのは、私達があの場所を離れたすぐあとくらいの話だったんだ。


私達はほんのわずかなタイミングの差ですれ違っていたんだ。

私達があの時もう少しだけシゲさんと二人で暮らしていたら、杏奈ちゃんとの奇跡の再開を経て、全く違う人生を歩んでいたかもしれないんだ。

運命のいたずらって本当に残酷なものだね。

けれどもこれも人生の妙味ではあるから、いまこの時の再会を改めて私と杏奈ちゃんは喜びをもって分かちあった。


それで杏奈ちゃんから、思わぬ頼まれごとをしてしまった。

杏奈ちゃんが作る料理を味見してほしいとお願いされてしまったんだ。

最初は料理の仕方を教えてほしいというお願いだったけれども、事情があってもう教えられない事を伝えると、せめて味を見てほしいと深々と頭を下げられてしまった。


杏奈ちゃんは2年前のあの日に『篤史くん』から料理を教わってから、ずっと毎日炊事を続けてきたのだそうだ。

この日スーパーでばったり出会ったのも杏奈ちゃんが毎日の食材を買いに来ていたからだった。

2年前以前は近所に住む杏奈ちゃんとすれ違うこともなかったのは、そもそも当時の杏奈ちゃんは料理のりの字も知らない子で、お互いの生活圏が完全にずれていたからのようであった。

今は逆に私がほとんど料理をしないから、たまたま気分転換にスーパーの総菜を物色しに来た私が杏奈ちゃんと出会えたもの、ある意味奇跡のような偶然といえる。


ともかくそんなわけで私は杏奈ちゃんの手料理のご相伴に預かることになった。

場所は新しく越してきたばかりの『篤史くん』の実家。

下心がない事を示すために、昼前に集まって夕方には解散する約束を取り付けて、杏奈ちゃんに来てもらうことになった。


我が家にやってきた杏奈ちゃんは再び「えーっ!?」と声を上げた。

「まさかこの家が『篤史君』の家だとは!」

彼女が目を白黒させるのも無理はない。『篤史くん』の家と杏奈ちゃんの家のあるマンションはそれくらい近所にあったのだ。杏奈ちゃんは散歩の時などにしょっちゅうこの家の前を通り過ぎていたらしい。

全くどうして2年前以前の私達はお互いに顔を合わせる機会もなかったものだろうね!


「あちこち片付いていないところもあるんだけど、ゴメンね。」そう前置きしつつも屋内に招き入れると、少しだけ眉をひそめながらも中に入ってくる杏奈ちゃん。


ほんの少し前までこの家はゴミ屋敷だったそうだからね。義母と義姉が2年の間に相当酷い住み方をして汚くなっていたのを、近所に住んでいる杏奈ちゃんは恐らく知っているはずなのだ。

家を売りに出すために大慌てであちこち片づけはしたようだが、それでも染みついたタバコの匂いなどは早々になくなるものではない。

すっかり痛んでしまったみすぼらしい『篤史くん』の家に、杏奈ちゃんのような可愛らしい女性を招き入れる事には心が痛んだが、杏奈ちゃんは特に気にする素振りも見せずに明るく振舞ってくれ、そのままテキパキと料理に取り掛かってくれた。

本当にいい子だなあ杏奈ちゃん。


そうして出来上がった料理を前に、いざ実食タイムを迎える。向かいにはエプロン姿の杏奈ちゃんが緊張した様子で正座をしている。

なにこの料理番組の審査員みたいなノリ。ヘンな汗が一筋流れそうになるのをこらえつつ、私はおいしそうなお品の数々に箸をつけた。



そのお味は……。









これは『篤史くん』の味だ。『篤史くん』が毎日作ってくれたご飯の味だ。


だから私は思わず「『篤史くん』のごはんだぁ……」と呟いてしまった。

顔を上げると、杏奈ちゃんが嬉しそうに笑っていた。


ああ。

杏奈ちゃんは覚えてくれていたのだ。たった一度の篤史くんの手ほどきで、彼の素敵な味付けを覚えてくれたのだ。それでずっと『篤史くん』の味を守ってくれていたのだ。


※補足:篤史くんの味付けは京風なので、料理のさしすせその順番が違います。1に酒、2に醤油ちょっと(醤油は色付け・香り付けのみ)、3に砂糖、3.5で入れるならだしのもと等、最後の4で塩、の順番で味を作ります。みりんなんて使わない、醤油ドバドバの関東風とかあり得ない、そんな味付けです。特徴ある味の作り方なので一度教わっただけの杏奈ちゃんでもちゃんと継承して覚えていたという設定です。


自然と涙があふれていた。

『篤史くん』がいなくなってから1年、思わぬきっかけで再び味わうことが出来た『篤史くん』のご飯。

私は嬉しくて嬉しくて仕方がなくなり、わんわん泣きながら私はぱくぱくと全てを平らげてしまった。「おいしい」「おいしい」と何度も繰り返し言葉を口にしながら。


全てが空になってしまい、名残惜しくもお茶をすすっていると、向かいに座った杏奈ちゃんが緊張した面持ちで身を乗り出してきた。


「あの……! 『篤史君』!」杏奈ちゃんが震える声で口を開く。


なんだろう? 味の評価かな? もちろん文句なしの120点ですけど?


けれども杏奈ちゃんの次の一言はまるっきり違う話だった。


「あの……! 今の『篤史君』はもう一人の『篤史君』ですよね? もう一人の『篤史君』はどうしたんですか? なにかあったんですか!?」


え?


私は固まってしまった。杏奈ちゃんが何を言いたいのか分からない。この子が何の話をしたいのか、私にはさっぱり分からない。


そんな私に対し、たどたどしくも杏奈ちゃんは、身振り手振りで事情を話してくれる。


2年前の以前から、『篤史君』には妙なところがあると感じていたこと。

幼くも真面目な子供の『篤史君』と、しっかり者で皮肉屋で計算高い大人の『篤史君』が二人して一つの身体に同居しているように感じていたこと。


最初は下らない妄想だと自分でも思っていたが、仲良くなればなるほど『二人の篤史君』と同時に相対しているような感覚が強くなっていったこと。


『篤史君』がいなくなった後、職場に乗り込んできた義母のあまりの剣幕から、虐待されるような環境の中にあって二重人格のような心の病を抱えているのではないかと思い至ったこと。


今回久々に再会して、改めてその思いを強くしたこと。


そして今の『篤史君』には、本来二人で一人だったはずの一方、幼くも真面目な『篤史君』の気配が感じられなくなったこと。


杏奈ちゃんは最初のうちは熱心にあれこれ説明しようとしてくれて、私の反応が薄いので次第にしりすぼみになり、最後には意気消沈して暗い顔でこう結んだ。

「ごめんなさい。私の勝手な妄想なんです。勝手に変な事考えてごめんなさい……。」


違うんだ、杏奈ちゃん。

私はただただびっくりして固まってしまっただけなんだ。

だって、君の言っていることはほとんどすべて、本当の事なんだもの!


まったくどうして君は私の秘密に気づけたんだ。

どうしてそうも的確に今の私の状況まで察してくれているんだ。

ずっと長く一緒に暮らしていた義母や義姉は、『篤史くん』に私が憑依してからの突然の変化にすら全く気づきもしなかったのに、ほんの少しの間同じ職場で働いていただけの杏奈ちゃんがどうしてそこまで分かってくれているんだ。


もしかして恋の力だったりするんだろうか?

出会った初めのころから『篤史くん』の事が好きだった杏奈ちゃんは驚くべき集中力と観察眼で『篤史くん』の事を想い、奇跡のような偶然で正解に自力で辿りついたのだろうか?

いや、この事について私があれこれ考えるのはよそう。杏奈ちゃんの心は杏奈ちゃんのものだ。彼女の心に起きた奇跡については彼女だけが分かっていればいい。


そうだよ杏奈ちゃん。かつての『篤史くん』は二人いた。元からいた一人がいなくなって、今は残されたもう一人が君の前に座っている。


すっかり小さくなってしまった杏奈ちゃんに対し、私は覚悟を決めた。


私はすべてを彼女に話した。


本当に全てを洗いざらいぶちまけたから、夕方前には帰ってもらうはずの杏奈ちゃんは、夜が更けて日付が変わってもまだ目の前にいる。


杏奈ちゃんも私に自分の事を全て話してくれた。

彼女の両親の離婚がようやっと調停までこぎつけて、杏奈ちゃんはこのままでは近い将来にこの街を出て行かなければならないそうだ。

もともと杏奈ちゃんはこうなる前に家を出て一人暮らしをする予定が、母親の精神状態がかんばしくなく束縛気味になってしまい、未だに実家暮らしが続いていた。

家を出るとなると母親についていくことになるが、正直不安な気持ちしかなくどうしていいか分からず困っているとの話だった。


「杏奈ちゃんのお母さんは年齢的にきっと更年期障害が出ちゃったんだろうねぇ。精神的に不安定な時期に離婚と子供の親離れが重なって、いろいろと追い詰められちゃったんだろうねぇ。」

私がそう状況を評すると「『京子さん』すごい!」と目から鱗が落ちたような顔になった杏奈ちゃんから尊敬のまなざしを向けられてしまった。

「お母さんの事を思うなら、ここは距離を置かないとかえっておかしくなると思う。」私がそう杏奈ちゃんに個人的な意見を述べると、「私もそう思うんですけど、でもどうすればいいのか分からなくて。」とすっかり困り顔の杏奈ちゃん。

だから私は思い切って提案して、この家に二人で住むことにしたんだ。


杏奈ちゃんはしきりに恐縮していたけれど、むしろ私の方こそ何度も頭を下げてお願いしたよ。

だって杏奈ちゃんは『篤史くん』の料理の正統後継者なんだもの。

私は杏奈ちゃんの手料理が毎日食べたいから、それこそ最後はプロポーズみたいな一言で口説き落としたよ。

「君のご飯が食べたい」ってね。


まあこれは冗談だったんだけれど、冗談じゃない話もあった。

私と杏奈ちゃんはお互いの事を全て話しあったから、当然お互いの気持ちについても話し合った。


「『篤史君』の事が好きです。」


彼女にそう告白された。

私は自分の性自認は今でも女性であるつもりだから、彼女の気持ちに応えることは出来ないことははっきり伝えた。

同性の人間として好ましく感じてはいるけれど、恋愛感情ではないってね。

ただ、2年前の『篤史くん』は女性として杏奈ちゃんへの特別な感情を抱いていたことは伝えた。


そんな『篤史くん』はもういなくなってしまい、今はくたびれた中年女の『京子』が身体を乗っ取っているだけの状態だが構わないか? と聞いたところ、「今の『篤史君』も好きだ。」ときっぱり言われてしまった。

杏奈ちゃんは子供の『篤史くん』も大人の『篤史くん』も両方の事が好きで、例え片方だけになっても気持ちは変わらないとそう言うんだ。


このまま二人で暮らす場合、私達の関係はいびつなものになってしまうから、辛くなったらいつでも出て行ってもらって構わない、他に好きな人が出来たらいつでも乗り換えてもらって構わない、そんな話をしたら、杏奈ちゃんにはボロボロと大粒の涙をこぼすようにして泣き出してしまった。

だから私はこの話はもう二度としないことにした。


恋は盲目というけれど、愛は偉大だとも言う。

少年の身体に憑依した幽霊などという荒唐無稽な話を信じ、今なお私の事を好きだと言ってくれる杏奈ちゃんは、果たしてどちらなのだろう。


まあどちらでもこの際構わないのだ。

私は『杏奈ちゃんの手料理』という最強アイテムを手に入れる事で、かつての『篤史くん』の実家を自分のホームとすることが出来たのだ。

特殊な経緯とはいえ、奇跡のような偶然で巡り合えたこの素敵な女性の事を、私はずっと大切にしていきたいと考えているよ。

私だって杏奈ちゃんの事は大好きなのだ。



後はなにかあったかな?

『篤史くん』に伝えたいことはなかったかな?


そうだ、『篤史くん』。

私は今年の春から、定時制高校に通う事にしたんだ。

少し前まで杏奈ちゃんが同じ高校に通っていて「この春に卒業したばかり」という話を聞いて、私も興味が出てきたんだ。

なにより随分前に高校を中退した時に、正直私は君に悪い事をしたとずっと後悔していたんだ。

だから学校にはいつか行こうとずっと考えていた。


けれども『篤史くん』。君がいなくなってしまったから、かえって私は悩んでしまった。何故なら、本来高校に行って勉強する権利があるのは、いなくなった『篤史くん』本人のものなのだから。

関係のない私が勝手に高校に行って勝手に勉強して勝手に卒業資格を得ても、君にとっては何の為にもならないだろうって考えてしまったんだ。


でも最近になって少し考えが変わったんだ。家を取り戻したこともそうだけど、私は君から預かったこの人生を、君にとって一番良い生き方を選択し続ける義務があるんじゃないかってね。


君がやりたかったこと、君が手に入れる権利があること、君にとって為になること、そういったものはすべて君の代わりに私がするべきだろうって、近頃はそう思うようになってきたんだ。


だから私は高校に行くことにした。もしかしたらその先、大学にもいくことになるかもしれない。

まあ、あまり深くは考えていないんだ。私の中身は正直ポンコツなおばさんだから、今さら高校の学力についていけるか、今さらながらそんな心配をしているよ。



そうそう!

考えが変わったと言えばもう一つ。


私は最近、釣りを始めたんだ。

だって『篤史くん』、釣り好きだったろう?


ふふふ。


この身体の中から『篤史くん』はいなくなってしまったけれど、君の記憶は今も私の中にきちんと残っているからね。

君が小さいころどんな子供で、どんなことに興味を持っていたか、今でも私は君の記憶を覗き込むことが出来るんだよ。


だから申し訳ないけれど、色々覗かせてもらったよ。

言い訳になるけれど、私はこの人生を君にとって一番良い人生にしてやろうという壮大な目標があるのだからね。



そんな中、私にとってびっくりするような記憶が、家族4人が仲良かったころの思い出だった。

まだお父さんが存命だった頃、家族みんなでキャンプに出掛けた事があった。


まだ結婚したばかりの義母、菜穂子さんは美人でかっこよくてちょっとおっちょこちょいで優しくて、その時は優雅にカウチに寝そべって文庫本小説なんかを読み耽っていた。


お父さんが声を掛けてくれて、義姉と3人で釣竿をもって川のほうまで行く。

人見知りする質の義姉はお父さんや『篤史くん』に酷く警戒をしていて、でも所詮は子供だから長続きしなくて。

子供好きのお父さんがうまく誘導して、釣りを始めた義姉はどんどん楽しくなってきて、最後には大はしゃぎをしていた。お父さんもそんな義姉と一緒に大はしゃぎして、隣に座る篤史くんも楽しくて楽しくて仕方がなかった。


キャンプ場に戻るころには3人はすっかり打ち解けて、出迎えてくれた義母さんも心のそこから嬉しそうににこにこ笑っていた。


それはとっても幸せな記憶だった。若くて美しい義母、可愛らしくも元気のいい義姉、どこまでも優しくてあったかいお父さん。

キャンプ場でのあの夜、『篤史くん』は4人が家族になったと実感した。この4人でこれからずっと長い間暮らしていくんだと、そう強く思った。

それはお父さんが急な病気で亡くなるほんの少し前の、一瞬だけの幸せな思い出だった。



『篤史くん』はあの日、釣りが大好きになったのだ。



だから私は『篤史くん』の代わりに釣りを覚えようと思ったんだ。


とはいえどうしたものだろうね。

そもそも子供だった篤史くんの記憶の中の釣りは、お父さんが念入りに時間をかけて準備してくれた完成品だから、立派過ぎて何の参考にもならないんだ。

私に出来るか不安しかないけれど、弱音は吐くまい。

これは心の底から君がやりたかったことなんだから、私が代わりに実現させてみせよう。


だからそう、出来れば約束してほしいんだ。

もしもだよ?

もしこれがうまくいったら、どうかその時は君がこの身体に戻ってきてはくれないだろうか?

この身体はもともと君のものだよ?

君が味わうべき未来の楽しみを、私が代わりに味わってしまうのは悔しいと思わないかい?


ねえ? 篤史くん。

私はこんなふうに考えている。

あの日以来、君はこの身体からいなくなってしまったように感じるけれど、本当のところはどうだろう?

本当は君は天国に行ったのではなく、色々疲れることがあってほんの少しの間だけ眠っているだけなんだと私は思っている。


だからいつの日か目が覚める事があったなら、私は喜んでこの身体を君にお返しするよ?


だから篤史くん。

我が心の友、篤史くん。

いつか君が目覚めるその日まで、どうか安らかに眠ってくれ。



■後書き

一時期流行った「ふくぼん」系の話とか私は個人的に大好きなのですが、とはいえどうしても気になる点があります。

気の強いヤバい女の子・女性に極限まで追い詰められた主人公の男の子・男性が果たして正常な思考回路で冷静に逃げ出せるか? という点です。

正直、まず無理だろって思います。


対して私には、「関係ない第三者(それこそ読者的な立ち位置の人)がこの主人公に『憑依』すりゃええやん」ってアイディアが前からあったのですが、8月以降、次になに書けばいいか分かんなくなってしまった私はそんなアイディアもすっかり忘れ迷走していたのです。


ちょっと落ち着いてきて「そういやこんなアイディア頭の片隅ににあったわー。」って思い出して試しに書き出してみたら面白かったので最後まで書いてしまったよ。


ついでに、「未成年」が色々とすることの難しさもブレンドしてやったらなんかこんな感じになってしまいました。


未成年が勝手に携帯電話の契約するとか無理だから。

勝手に家を出ても就業、賃貸契約その他もろもろ、常に保護者の同意書類が求められるから。

扶養を外れる手続きで絶対揉めるから。


そういうの、ちゃんと真面目に考慮して物語を組み立てようとすると、主人公の取れる選択肢があまりに少ない事に改めて驚かされます。


いやまあ、知ってたけど未成年の脱出計画ってやっぱキツイっすねぇ。


それでもこうして自分で活字化してみると、思わぬ発見がたくさんあり実に書いていて楽しいものでした。


何より、現行の日本の司法制度、社会制度では児童相談所の役割がとても大きいという事。

私が親と縁切って一人で生きていくようになる過程で全くお世話になったことがない組織なので、正直どんなものかもよく分かっていないんですが、18歳未満の未成年にとってほとんど唯一といっていいほどのセーフティーネットとして設置されているんですねぇ。


いっぺんくらい相談しに行ってみればよかった!!!


全然知らんかったー……。


後はやっぱり、本作品は高畑勲版の「火垂るの墓」に対するオマージュなんだなぁって点でしょうか。

子供が社会に頼らず一人で生きていこうとして、大切ななにかを間違えて死んでいくしかない、みたいなテーマはやはり現代にこそふさわしい。

終戦前後の特異な空気が妙に作品に絡むせいで高畑版「火垂るの墓」はどうしてもピントがぼけてしまっている印象がぬぐえませんが、ちゃんと現代社会に置き換えればむしろその本質があらわになる。

本作品は初めのうち、子供みたいな菜穂子さんを『私』がさんざん非難するところからスタートして、終わってみれば大人になり切れない『私』の間違った社会観に振り回されて篤史くんが死にかける物語へとくるっと手のひら返しあたりが「『長谷川 京子』さんと菜穂子さん、果たしてどっちがガキだったのかなー? 大人になり切れずガキのまま歳くったバカはどっちだったのかなー?」みたいな感じにうまくまとまり、もう書いてて笑いが止まりませんでした!



あー楽しかった!

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― 新着の感想 ―
[一言] 篤史くんに身体返してあげてほしかったなぁ… 京子も生活安定を年単位で見届ければ退散したんだろうけど、篤史くんの踏ん切りのよさに負けた形 京子と菜穂子はどっちもバカだけど京子は篤史くんに憑依…
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