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18.

長谷川 京子さんへ


ここまで色々と助けていただき、本当にありがとうございました。


ぼくはどうすればいいかもわからずに死んでしまおうと思ったことが何度もあります。

けれどもおくびょうな僕は死ぬのが怖くて、だからずっとどうすればいいか分からずに生き続けてきました。

誰か助けてほしいって、ずっと心の中で思いながら生きてきました。


そんなある日、長谷川さんがとつ然ぼくの中に来てくれたのは本当にびっくりしました。

でも最初のうちは疑ってしまいました。


だって、こんなぼくを本当に助けてくれる人が現れるなんて思ってなかったんです。

でもぼくはすぐに自分が間違いだって気づきました。


だっていちばん最初に長谷川さんがしてくれたことは、お姉さんのことをおかしいって言ってくれたことなんです。


ぼくは本当にびっくりしました。

だってそんな事、思いもしなかったんです。でも、思いもしなかったこと自体がおかしかったんだって、そのときにわかったんです。


ぼくのお母さんやお姉さんはおかしかった!

その事にきずかなかったぼくもおかしかった!

長谷川さんがおかしいって言ってくれて、ようやっとおかしいってわかった!


ほんとうにすごくうれしかったです。

ありがとうございました。


でも長谷川さんはそれだけじゃなくて、お母さんたちから逃げる方法を考えてくれて、知らないことをいっぱい教えてくれて、しかもぼくのためにいろいろとしてくれて、本当にうれしかったです。


だから、最近の長谷川さんがいろいろとなやんでいるのはおかしいと思います。

ぼくのためを思っていろいろしてくれたのに、それがちょっと失敗したからってぜんぜん気にすることなんてないと思います。

だってぼくはすごくうれしかったんです。今でもうれしいです。長谷川さんに会えて本当によかったと思っているんです。


だからぼくはもうまんぞくしました。

もともと最初はぼくの人生をあげますって約束だったのに、なんだかうれしくてついついおそくなってしまいましたが、ぼくはもうじゅうぶんまんぞくしたので、長谷川さんにぼくの人生をあげます。


これからは長谷川さんの好きにしてください。

いままでありがとうございました。


                  中里 篤史




私の身体の中からは『篤史くん』の気配が完全に消えていた。

『篤史くん』はどこかに行ってしまっていた。

待ってくれ『篤史くん』!

こんな話は聞いていない! 私は君の幸せを思って頑張ってきたんだ! 君の人生をこんなふうに譲られても困るんだ!


だいたい誰なんだ、この『長谷川 京子』という人物は!


混乱する頭の中で、でも答えはすぐに分かった。

『長谷川 京子』というのは私の名前だ。私自身が心の奥底にしまい込んで忘れてしまっていた、自分自身の名前の事だ。


私はずっと自分がどこから来たなにものかも分からずに、ただ『篤史くん』を救うためだけに使われた天使か精霊か特別な存在かと自分の事を決めつけていたが、本当は全然そんなことはなかった。


この世界に生き、愚かな過ちを繰り返すうちに野垂れ死に、死にきれずに彷徨い『篤史くん』の心に憑依した、ただの幽霊のようなものだったのだ!


そんな私の名前を『篤史くん』が知っていたことに、私は始め驚きを覚えたが、すぐに理由が分かった。

私達は一心同体だった。私が『篤史くん』の心の奥を覗き込むことが出来たように、『篤史くん』もまた私の心を自由に覗いていたのに違いない。間抜けなわたしは一方的に自分が上の立場だと勘違いしていたが、実際には彼と私は対等だったのだ。

そしてそんな『篤史くん』が追憶した私の過去の記憶の残滓が今さらながら蘇り、私は今、急速に自分自身の人生を思い起こさせられていた。



自分の名前を思い出せなかった理由も、今となってはよく分かる。

私はずっと一人で生きてきたから、誰かに自分の名前を呼ばれる機会がびっくりするほど殆どなかったのだ。


自分の性別すら忘れていた理由もよく分かる。

私は派遣社員の仕事をずっと続けつつも、家に帰ればそこから一歩も出ずにずっと半引きこもりの生活を続けていて、ネットだけが私の社会との唯一の接点だった。

ネットの中での私は、ある時は男のようにふるまったし、ある場合は女の子のふりをした。

結婚して子供がいる設定で適当な嘘を書いてボロが出て慌てて逃げ出したこともある。

くたびれた中年男性の振りをしていたころは、意外とみんな騙されて信じてくれてたので面白かった。半分以上、自分でも信じてしまっていたような気もする。

だから私は自分の性すらほとんど意識せずずっと生きてきたのだ。

実際の私は、結婚どころか恋人もおらず、友達だって全然いなかった。一度も男性経験のない、処女だった。


そしてある日、私はガンを発症した。

派遣元の会社の担当とあまり仲良くなかった私は、毎年の健康診断もサボりまくっていた。頑丈だけが取り柄で普段から病院に滅多にかかることがない私は、自分は健康だと勝手に信じて高をくくっていた。

ある日派遣元の担当から強く言われて仕方なくいった健康診断で異常な数値が検知され、緊急入院した結果、ガンが見つかった。

悪性ですでに複数個所に転移もあり、余命を宣告された。


だが私にはどうすることも出来なかった。私は田舎の両親とはとっくに絶縁して音信不通だったし、貯金なども一切しておらず入院するお金なども全くなかったのだ。


私は1Kの安アパートから一歩も出られなくなり、とにかく出してもらった大量の薬を飲みつつも、末期の生をいたずらに引きこもって過ごした。


私は世を恨んだし、今まで何もしてこなかった自分の愚かしさに腹が立って仕方がなかったし、こんなふうにして死ななければならない自分の人生に恐怖で頭が狂いそうだった。


いや、最後の方は殆ど気をおかしくしていたようにも思う。

誰にも助けを求められないまま、どこにも逃げ場がないまま、私はあの狭い1Kアパートの中で溺れるようにして、恐らくはそのまま孤独死したのだ。

世界に強い恨みを持ちながら。


そして何の因果か、『篤史くん』に憑依した。

自分がどこから来たなにものかも思い出せないままに。


私が『篤史くん』の義母、菜穂子さんを必要以上に敵視していた理由も、今ここに至っては明白である。

私は彼女と同年代で同性の人間なのだ。

同じ時代に生き、同じ女性として同じような苦労を体験しているはずが、彼女は勝ち組で私は負け組だった。

毒親に振り回され就職も失敗し、逃げるようにして地元を飛び出しアルバイトで食いつないで何十年も東京で一人暮らしを続けてきた私。

それなりに親に苦労させられつつもきちんと大学を卒業し、一部上場企業に就職し子供も設けて結婚もして、安定した収入に亡き夫の遺産もまとまった額を持っている菜穂子さん。

どうして私とお前はそんなにも違うのだ。お前と私のどこが違うのだ。お前は私と同レベルのクズ女じゃないか!


なのにお前は夫の遺産を食いつぶして義息子の『篤史くん』を奴隷のようにこき使い、のうのうと人生を謳歌していやがる。

私は野垂れ死んだのにお前は!

どうしてお前は!


だから私はなんとしてもこの女を酷い目に遭わせてやろうと、私怨であれこれ動いた結果が今のこの状況だった。


私は神様の使いでも何でもなかった。

ただの醜く嫉妬した未練たらたらの亡霊だった。


そんな私が、私怨と偽善を心に『篤史くん』をいいようにそそのかし、いっぱい間違いをおかしながらも何とか脱出するまでに至った、それがまさに今日だった。


だったら本来、今日消えてなくなるべきなのは私だったはずだ。


どうして『篤史くん』がいなくなっているんだ!

この人生は君のものじゃないか!

どうして生きるべきはずの君が消え、消えるべきはずの私がこうして君の体の中で生き続けているんだ!



私は昨日までの自分の愚かしさに腹が立って仕方がない。

昨日までの私は、のんきに愚かな事を考えていたのだ。「このままずっと、『篤史くん』と二人で楽しい毎日を末永く続けていけたらいいな」だなんて、そんな無責任な薔薇色の未来を勝手に思い描いていたのだ。


バカか私は!


本来私は亡霊なのだ。この世にあるまじき、世界の異物なのだ。『篤史くん』を助けるためだけに神だか仏だかが一時的に遣わした存在であるならば、無事に目的を果たしたなら身辺整理をして彼の元から離れるべきだったのだ。


それを生き汚い私はことさら生にしがみついて、「この先もずっと生きていたい」などと心に望むものだから、今でもこうして『篤史くん』に憑依したままなのだ。


対する『篤史くん』はちゃんと弁えていた。私が初めて彼に憑依した時の約束を、最後までちゃんと覚えていた。


だから今日、『篤史くん』は約束通りに私に人生を明け渡し、どこかへ消えてなくなってしまった。


本来消えるべきは私の方だったはずなのに!



けれども私にはどうすることも出来ないのだ。

この期に及んでまだ死ぬのが恐ろしくてたまらない私は、こんな借り物の第二の生でも生きたくて仕方がないのだ。


自死を選んででも生を放棄しなければならない立場であったとしても、生を謳歌したくてたまらないのだ。


私はなんて愚かでクズな人間なんだ!



私はただただ立ち尽くした。

『篤史くん』の置き手紙を前に、ただただ何時間も立ち尽くした。



けれども人間とは所詮ただの動物で、何時間もじっとしていたとしてもお腹はすくのである。


それで私は無意識のうちにのそのそと動き出し、冷蔵庫の中に入っていた昨日の夕飯の残りをレンジで温めて、ぱくぱくとそれを食べ始めた。


いつもながらの『篤史くん』の腕前による、素晴らしいお味の素晴らしいごはん。



食べ終えてから私はさらに自分の愚かしさに腹が立って仕方がなくなった。

だってこのご飯は、恐らく私が食べれる最後の『篤史くん』の手料理なのだ。

『篤史くん』がいなくなってしまった私はもう、彼の手料理を食べることは二度と叶わないのだ。


なのに何の感慨もなく、ただの反射行為でいつものよう全てを食べてしまった。

じっくりと味わう余韻も無しに。

最後の晩餐の最後の残り香。『篤史くん』がこの世に存在したことを表す最後のひとかけらは、今や私の胃袋の中だ。



私はバカだ。どうしようもないバカだ。

『長谷川 京子』だった昔からどうしようもないバカ女で、『篤史くん』に憑依して少しはましな人間になったかと思いきや、未だにどうしようもないバカ女なのだ。



私はどうしようもなく泣いた。

おのれの愚かしさに泣いた。

『篤史くん』の事を想って泣いた。

失われた薔薇色の未来を想って泣いた。

それでも生き続けたいと願う自分の醜さを呪って泣いた。



けれども死にたいとだけはどうしても思えなかったから、私はこのまま生き続けることにした。

クズ女が選んだ最後の選択肢もまた、クズなものであった。

けれども愚かな私にはとてもふさわしい選択肢であるように思えた。



『私』を『長谷川 京子』と名付けた経緯について、補足します。


本作品の執筆当初は、『私』は最後までなんだかよく分からない不明の存在として扱う予定でありました。


ただ、児童相談所を頼らなかったり、私文書偽造に手を染めたりといったあまりよろしくない行動に手を出すにあたり、「読者の方が『私』に感情移入して、作中の問題ある思考や行為をヘンに正当化されてはまずいかもしれないな」という心配が出てきました。


こんな場末のなろう小説で、いったい何人のかたが『私』を自分自身と重ねてお読みになるか存じませんが(一人もいない気もしますが……)、それでも万一の事を考えると対策をする必要があると考えるに至りました。


そこで考えついたのが、『私』という曖昧な存在に対する所在の確定作業です。



『名付け』という行為が魔術においてとても強力な力を持つ重要な儀式であることは、ファンタジーに慣れ親しんだ皆様であればご周知のことではあると存じますが、実は現実世界でも使える立派なテクニックなんですよね。


どういうことかといいますと、作中の『私』に対し『長谷川 京子』という『名付け』の儀式を行うことで物語内において実存する存在へと縫いつけ、読者から『私』を引っぺがそうという作戦を取ったわけです。

『私』は読者であるあなたの分身ではないですよー。『長谷川 京子』さんという作中の登場人物の一人ですよー。 てな感じ。


これはいわば、物語を『物語』という架空世界の中のものであると読み手の側に認識してもらうためのギミックのようなものです。

『私』という人物の一人称視点で独白に近い展開が続く中で、最後の最後でただの作中世界の登場人物の一人に陥れることで『私』を神の座から引きずり下ろすとでも言いますか。

それもこれも、私文書偽造なんかを平然とさせた書き手の私(作者)が悪いっちゃぁ悪いんですがね。

おっと話がそれました。


ともあれこのギミックが面白いのは、『私』に『長谷川 京子』という名前があろうがなかろうが、物語としての面白さは別のところにあるため、作品そのものの良しあしに対して影響がないところです。


『名付け』の効力は、あくまで、作中の『私』という存在を自分と重ねて感情移入してしまった一部の読者を現実世界に呼び戻す為だけに行われる儀式ですから、特に影響なかった普通の読者さんにはただのノイズのようなものに映る事でしょう。

「え? なんで『私』に名前つけちゃったの? なんか意味あるの?」ってな感じ。


意味はあるんです。ただし一部の読者に対してだけですが。



そんなこんなで、ようは『物語』を終わらせる努力のために語り手の『名付け』を行いましたので、後は次話にて完結となります。


ここまでお読みいただけたかたいたら、もう少しだけ本作品にお付き合いいただければ幸いです。

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