16.あなたのいる場所がわたしの居場所
自立援助ホームというのは一時保護所とは全然違っていて、大きめの一軒家をちょっと改装して複数人で住めるようにした、いわばシェアハウスのようなところであった。
ホームには7人ほどの若い男女が入居しており、さらには職員も数名常駐していた。
全員がアルバイトなり就職なりしてなにがしかの仕事についており、何人かは夜間学校などにも通っているそうだった。
ここで共同生活をしながら一人で暮らせるようになるための準備をするのだそうだ。
こんな施設があるとは、今までつゆとも知らなかった!
ともかく私自身もすぐさま仕事を探さなければならない。
この自立援助ホームは毎月いくばくかのお金を納めないと住めない施設なのだ。
といってもたかだか月3万円である。
安すぎでしょう!? 私などは家賃5万光熱費1万食費3万雑費1万で、計10万を最低限のラインと考えているが、その三分の一以下でいいのだ。
びっくりした私は思わずタナカさんにその旨を伝えたところ、思いっきり笑われてしまった。
仕事探しのために特別にパソコンを一時的に借りれる事になった。
履歴書もホームで用意してもらえ、電話連絡先もホームの固定電話を借りれるそうである。
履歴書の保護者記入欄にや保証人関連の書類については親ではなく児童相談所所長のサインやハンコが必要とのことで、必要に応じて職員の人にお願いすれば、数日以内に準備してもらえることになった。
ありがたい限りである。
とはいえ仕事探しは難航した。
たまたま時期が悪かったのか、条件に合うアルバイトがなかなか見つからなかったのだ。
面接で一度落とされたりもした。どうも高校中退と児童相談所所長が保護者である点が嫌がられたように見える。
人を履歴で判断しやがって!
……いやよそう。そもそも経歴・履歴で人を判断するために履歴書というものがあるのだ。多少の不利は覚悟の上だ。
二つ、三つと面接を受けてようやっと仕事が決まった。新しい仕事はファミレスの厨房の仕事である。料理好きの『篤史くん』に意外と向いているのではないかと思い、私が選んだ。
『篤史くん』が「僕にはとても……」と謙遜している気配があるが、むしろ私は逆を心配しているからね? あまりにレベルが低すぎて『篤史くん』には物足りないのではないかと不安なくらいだからね?
まあ、合わなければ仕事を変えればいいのだ。
『篤史くん』はまだまだ若いのだから、軽い気持ちでいろんな仕事を体験したらいいと思う。自分に何が向いているのかなんて、色々試してみないと分からないものなのだ。
かくいう私も、未だに自分の得意がなんなのかよく分かっていないくらいなのだ。
緊張する『篤史くん』を笑い飛ばしつつ、こうして新しい生活が転がり始めた。
所長のタナカさんはまた、当座の生活資金として数万円のお金を用立ててくれた。
ある程度収入が安定するまでは返さなくてもよいらしい。
「借用書を書きましょうか?」と聞いたところ、信用しているのでよいと笑われてしまった。
まったくもってありがたい限り。
そこで私が真っ先にしたことと言えば食材を買い求め『篤史くん』の手料理を作って食べる事である。
自立援助ホームの朝夕の食事は職員の人が作って用意してくれるのだが(食事込みで月3万円ですか!?)、事前に頼み込めば自由にキッチンを借りて構わないと言われていた。
ならばすることは一つである。
慣れない調理器具の配置やいまいち切れない包丁に悪戦苦闘しつつも並んだ久々の『篤史くん』の手料理!
ご飯はちゃんと土鍋で炊いて、カツオと昆布とイリコで取った贅沢な一番だしで豆腐とわかめの味噌汁を作って。かつお節たっぷりの煮ナス、黒コショウとニンニクたっぷりの豚肉とキャベツの炒め物。おじゃこの上に大根おろしを乗せて醤油を差して。最後に余った出汁を使って具のないプレーンの茶碗蒸しも作ってみた。
ああおいしい!
数か月ぶりの『篤史くん』の手料理に、私は感涙にむせび泣いてしまった。
私は料理を多めに作ったから、ホームに同居するみんなにも食べてもらったところ、みんなから「おいしい、おいしい!」と連呼されてしまった。
それでこれが、みんなと『篤史くん』が打ち解ける一番のきっかけとなった。
不意に杏奈ちゃんの事が思い起こされた。
杏奈ちゃんもあの日、『篤史くん』の手料理に「おいしい!」を連呼して感激してくれていた。
もうずいぶん昔の事のように思えるが、あれからまだ4か月も経っていないのだ。
とても信じられない!
思えば随分と遠くに来てしまった。
ほんの数か月前には、『篤史くん』に初めての彼女が出来るかどうかの瀬戸際だったのに、今は見知らぬ土地の見知らぬ家で明日をも知れぬ毎日を過ごしている。
杏奈ちゃんとはもう二度と会えないのだろうか?
年若い『篤史くん』はぼんやりと期待をこめて彼女の事を思い返すが、年老いた私には冷酷な現実が見えてしまう。
おそらくもう二度と、杏奈ちゃんとは会えない。
次の瞬間、秋風にも似た荒寥感が心の中を吹きすさび、その寒さに私はしばしの間立ち竦んだ。
『篤史くん』が心の中で悲しんでいるのだ。
遅まきながらやってきた初恋の残酷な結末に、憤りを抑えきれないのだ。
けれども私は慰める言葉を思いつけなかったから、ただただその場に立ちつくすままであった。
それでも少しはいい事もある。
どこへ行っても、どんな場所でも、『篤史くん』の料理の味だけは変わらない。
私にとってのホームとは、『篤史くん』の料理が食べられる場所なのだと今さらながら自覚した。
分からないことだらけのこの自立援助ホームだったが、『篤史くん』の手料理を食べた瞬間に「ここが私のホームなのだ」と実感してしまった。
思えば橋の下でも一時保護所でも、どうにも居心地の悪い感触が最後までぬぐえなかったのは、そこに『篤史くん』の手料理がなかったからだ。
いまこんなにも心が落ち着き、身体がくつろぐことが出来るのは『篤史くん』のご飯が食べられたからだ。
私は今、地に足がついた感触を身体で理解した。
私はこの自立援助ホームで暮らしていけると、そう確信した。
ホームの基準は食にあり。
うむ。
なおこの場合のホームとは家庭・故郷の両方にかかっております。




