15.児童相談所の一時保護施設というところ
保護された施設は普通の建物であった。てっきり監獄のような場所をイメージしていた私としては、少々拍子抜けしてしまった。
ヤマネさんは施設の職員と思しき年配の女性に私を引き渡す。
「何かあったら遠慮なく連絡してね。」ヤマネさんはそう言って、手帳の1ページを破ってさらさらと携帯電話の番号をメモし、私に渡してくれた。
けれども私はこの電話番号に連絡する機会をしばらくの間失ってしまった。
財布などの貴重品を含め、身に付けているものは全て職員に取り上げられたからだ。
なんでも万一のトラブルを避けるため、所持品は全て預けなければいけないらしい。
私は一瞬抵抗しようか悩んだが、今さら暴れても面倒ごとが増えるだけだと観念し、その場は大人しく従うことにした。
職員の女性に従うまま狭い部屋に連れ込まれ、そのまま簡単な事情を聴取され、所内のルールについての説明を受けた。
どうやらここは児童相談所の一時保護施設という場所であるらしい。児童相談所関連の知識がまるでない私にとってはなんだかよく分からないところであった。
面接した職員の女性が勝手に私の財布の中身を漁り、マイナンバーカードや保険証から私の名前や実家の住所などを書き写しはじめた点については少々腹が立った。
それらは大切な私の個人情報であり、本来許可なく勝手に他人がどうこうして良いものではないのだ。
私は抗議してやろうかと思ったのだが、馬鹿馬鹿しいのでやめた。
代わりに黙秘をしてやろうかとも思ったが、なんだか大人げないのでそれもやめた。
職員の女性に対する心証は最悪だったが、ヘンに反抗してもみっともないだけだと思い直し、とにかく聞かれたことにだけ答え、あとはひたすら黙って説明を聞いた。
最後に職員にこう聞かれた。
「きみは自分の家に帰りたいか?」と。
私はその一言にむかっ腹がたって仕方がなかった。
自分の家とはどの家の事なのか!?
親から逃げ、一人暮らしをしていたあの家に帰してもらえるというのか!?
だがそれはもう叶わぬ夢だ。あの秘密基地や隠れ家のような私の家の所在は義母に知れてしまった。
あそこに戻っても再び義母が乗り込んできて酷い事になる。
では橋の下で2週間過ごしたあの段ボールハウスのことか?
あそこにももう戻れない。戻ってもシゲさんに追い返されるのに決まっている。
私は事情を説明し「ぼくには帰る家がありません。」と言葉を結ぶと、職員の女は困った顔になった。
それで、「お母さんたちの住む家に戻りたいか?」と聞きなおしてきた。
「死んでも御免だ。」と返事をして、最初の面接はお終いになった。
私は施設内の一室を宛がわれ、他の保護児童とともに奇妙な共同生活が始まった。
不思議と穏やかな日々であった。
ともかく騒がず静かにしていなければならない、というよく分からないルールがあったため、私達はお互いに特に話し合うこともなく、同じ施設に一時的に同居している赤の他人といったていで不干渉を貫き、食事などの時間を除けば殆ど接点がない。
よく分からない子供達とのよく分からない共同生活。年齢もバラバラで、小学生低学年くらいの小さい子供から同じ高校生くらいの少年少女もいる。
何人かはすぐにいなくなり、また別の何人かが入れ替わりで入ってくる。ずっと顔を合わせる何人かもいるが、ともかくお互いに交流がないのでよく分からないままだった。
ある意味気楽な毎日が続いた。
だが私は心休まることがなかった。
例えば警察に保護された家出少年は、よほどのことがない限り家族の元へと強制的に送り返されてしまうと聞いている。
だから今の私もいつどのような事情であの家に戻されるか分からなかった。
ところが一向に追い出される気配がない事に私は混乱してしまった。
とにかく施設の職員は事情を何も説明してくれないのである。
その日のうちにすることとして簡単なプリント教材を使った勉強をさせられるだけで、後はNETもテレビもない環境で三食のご飯、風呂などをひたすら繰り返すだけの毎日。
ときおり職員に呼ばれて、簡単な面談のようなものがあるくらい。
これではさっぱり状況が分からない。
一時保護施設という場所がどういうところか私にはさっぱり分からない。どういう事情で自分がどういう扱いを受けているか全く分からないのだ。
私にとってはそれだけでとても気持ちの悪い場所であるように思えて仕方がなかった。
面談では何度も同じことを聞かれた。
「どうしたいか?」と聞かれ、「とにかくすぐにでも仕事をしたい。」と伝えた。
「何故か?」と聞かれ、「ともかく早急にお金を稼ぎ、再び一人暮らしをするための資金を確保したい。」と説明した。
ただしこれはとても難しいだろうことも私には分かっている。このクソッたれな現代日本においては、未成年者が仕事をするのも一人暮らしをするのも全て保護者の同意が必要で、私の保護者といえばあのクソッたれな義母しかおらず、今や義母との仲は決定的なまでに壊れてしまったであろうことが間違いないからだ。
そういった事情を毎回説明する。職員は淡々と話を聞いて、それで毎回お終いだ。
この一時避難所の職員は総じてみんな、この先の私がどうなるのか、どうするのかといった説明を一切してくれない。
状況の説明もないまま何日も拘留され、息がつまりそうになる。
何度目かの面接では、私はこらえきれずに「自炊したい!」と声を上げてしまった。
味気ない施設のご飯はもううんざりだ!
私は『篤史くん』の作ったおいしいご飯が食べたいのだ!
だが職員は首を横に振るばかりでいっさいの許可がもらえなかった。
ああ。幸せだった『篤史くん』と二人だけの一人暮らし生活に戻りたい。
だが望みは叶わない。
八方塞がりのまま、もどかしい日々が数か月ほど続き、『篤史くん』との季節が二度目の夏を終える頃、事態は急展開を迎えた。
もう何度目になるか分からない面談の中で、職員の女性がこんな事を言い出したのだ。
「君は学校を中退しているし就学の意志がないから。児童養護施設に入ることは出来ないわ。仕事をして生活したいのなら自立援助ホームに入ってもらうことになります。」
「はあ。」なんだかよく分からない私としては頷くしかない。
「だからこのまま自立援助ホームに移ってもらって、そこから仕事を探して働いてもらう事になりました。ここまではいいわね?」
いや、良くはないだろう。未成年が仕事を探す? すぐにでも働いてもらう? それがどれほど大変な事かこの職員は分かっていないのか?
「保護者の同意はどうするんでしょうか。未成年が仕事するには法定代理人の許可が必要ですよね? どうやってあの義母から許可を得るんですか? あの義母が今さら同意書にハンコを押してくれるとはとても思えないです。それとも書類を偽造してもいいってことですか?」
「いい訳ないでしょう!」女性職員は激昂した。
「あなたはちょっと自分が頭がいいからって、話をポンポン前に進めすぎです! 人の話は最後まで聞きなさい!」
なんだこいつ? 急に怒り出して。だいたい別に私は頭よくなんてないぞ。たまたま無駄に歳を重ねた中年が『篤史くん』に憑依しているから色々詳しいってだけなのだ。
まあそんな事情を説明しても理解されるはずもないから、「はあ。」と適当に返事だけ返しておく。
目の前の女性職員は怒りを腹に飲み込むかのように「はあーっ」と大きくため息をついてから、言葉を続ける。
「あなたのお母さんとの話し合いの中で、今の彼女にこのままあなたを任せることは出来ないという判断になりました。
そこで児童相談所のほうで親権停止の手続きを進めて、先日裁判所に認められたんです。
あなたの親権者は所長であるカジタが務めます。
仕事の保証人にはカジタがなりますから、決して迷惑をかけずに働くように。いいですね?」
※補足:裁判の過程で当人である篤史くんへの裁判所職員からの事情聴取もあったのですが、当の『私』は数ある面談のうちの一つとしか認識していなかったので、裁判が行われていたことすら把握していなかった、という裏設定があります。
「はあ。」私としてはさっぱりよく分からない。とにかく頷くしか他にすることがない。
「いいですね!?」女性職員が声を荒げてもう一度聞いてきた。
「はあ。」私は頷くしかないのだ。
それで私は午後には自立援助ホームというよく分からない場所に移動することになった。
それで私は数か月ぶりに自分の財布やスマホなどを返してもらうことが出来た。
なんとなく心配になった私は、中身のカードなどが盗まれていないか、1枚づつ全部確認したが、特に問題はなかった。
けれども数か月もの間見知らぬ相手に預けていた財布の中身はなんだか手垢にまみれているように思え、私はあまりいい気分がしなかった。
この一時保護所の人達はまったくもって説明が足りていない。
結局、最初から最後までなんだかよく分からないまま、私はこの一時保護所を退所することになった。
それでも私は少しだけ、この一時保護所に感謝している。
ご飯と着るものと寝床があるだけで、人はとりあえず生きていくことが出来るのだ。
私はその事実を、たった二週間の橋の下で痛いほど思い知ることが出来た。
だから、なんだかよく分からない一時保護所であってもありがたい場所ではあったのだ。
でも多分、半年もすればこの数か月の記憶は忘れてしまって、もう二度とこの保護所の事は思い出さないと思う。
職員との面談が終わり自室でぼんやりしていると、自立援助ホームの所長であるタナカさんという初老の男性が迎えにきて、簡単な挨拶もそこそこに彼の運転する車に乗って目的の場所へと移動する。
またしても未知の場所である。
毒を食らえば皿まで!
こうなればどんな所へもついていってやろう!
いざとなれば『篤史くん』と二人、どこまででも逃げ出せばよいだけの話なのだ。
なんだか楽しくなってきた私は鼻歌交じりで次の目的地までの移動時間を過ごした。
▼一時保護所の補足について。
一時保護施設はあくまで緊急避難措置の為の施設なので通常は2か月以内に退所しなければなりません。ただし事情があれば児童相談所などの判断で延長出来ます。
篤史くんは2か月ではまとまり切らなかったのですこし延長して3か月ほどお世話になっておりました。
篤史くんの場合は親の様子を確かめに調査にいった児相職員が義母の菜穂子さんと揉めてしまい、かつ他に当てになりそうな親族もいなかったため、親権停止などの手続きをするために2か月以上の延長措置が取られた、という設定です。
この後の対応ですが、通常であれば児童養護施設に入る事になりますが、児童養護施設はあくまで学業に従事するものしか入れません。15歳、中学校までは義務教育のため全ての児童が施設に入ることが出来ますが、15歳以上で高校や高専に進学しなかった子供は別の選択肢を考えることになります。その一つが自立援助ホームです。
なおこのあたりの事情は篤史くんにキチンと説明されていないため、『私』からは不透明な状況となっております。
それにしても児相がらみの話は本当によく分かっていなくて、一時保護施設の話もネットでかじった知識のみで書いてしまっています。
プロなら取材して聞きに行くべきところでしょうが、こんな場末のなろう小説のシロート作家がそこまでする気概などあるわけもなく……。
なんか色々おかしなところあるとは思いますが、作者は「怒られたら後で修正すればいいや」と、とりあえずは頭の中に沸いたイメージ先行で思いつくがままに書きなぐっております。
ご容赦を。




