八章:共感
その日は真美が義人を寝かしつけていた。あれから数日が経つが、義人も大分よくなった。相変わらず気怠そうでまともに口も利けない様子だったが、次第に食べられるものが増えていき、身の回りの事も自分でできるようになってきた。由香たちの少し可笑しなやり取りの甲斐もあって笑顔も取り戻しつつあり、次第に絶望の淵から立ち上がり始めているようだった。
「スースー・・・・・」
「ふふ、寝顔が可愛いよ義人君。あなたも安心しているのね」
真美は柔らかく静かな声で寝息を立てる義人に言い聞かせていた。毛布が掛かり、傍らに横たわるように真美が寄り添っていた。彼女の温もりに守られながら義人は安らかな表情で眠りについた。真美はそのままそっと彼の元から離れていき、静かに扉を閉じて部屋から出ていく。
リビングまで降りると由香と千恵、そして敏明と恵が待っていた。
「義人の様子はどうだったかな?」
「安らかにしていましたよ。私がしっかり寝かしつけましたから」
「そう、わざわざこんなことまでしてくれるなんて」
「本当だ、真美ちゃんも随分包容力があるな」
恵も敏明も安心と感謝の入り混じった様子で真美に告げる。何日も世話になっているうちに、彼らも真美や千恵のことまで姓ではなく名で呼ぶようになっていた。それは他の面々とて同じこと。
「ねえ佐和山・・・・・じゃなくて真美、何だか段々義人に対して大胆になってきてない?」
由香が少し呆れたように真美に問いてみる。
「あら、私前々からこうなんだけれども。そういう由香ちゃんこそもっと大胆になってもいいんだよ」
「うーんちょっと恥ずかしい気はするんだけれども、真美だけにこんなことやらせるわけにはいかないっていうのもあるし、何よりも皆で義人を平等に愛するって決めていたからね」
「そうですね、この前なんて私が義人君の体を風呂場で洗ってあげたのですから。由香さんにも是非ともそうして頂けると嬉しい限りです」
「その通り!千恵ちゃんだってやればできるんだから、由香ちゃんにも出来るよ」
「最も、私に関しては作業の効率を考慮したうえで出来ることを増やそうとしただけですけどね。真美さんにはかないませんよ」
時に照れ臭く、時に柔らかい笑みで話し合う三人。その様子を恵と敏明は優しく見つめていた。
「これも全て義人のおかげかしら、あなたたち三人がこんなにも仲良しになるなんて」
「そうだな、あの子はもてるだけでなく、自分を好きになった子同士を繋ぎ留める楔にさえなったんだからな」
二人のその言葉に三人はハッとした。
その通りだよ。あの当時は本当に義人のことが好きで、そんな彼を自分のものにしたい気持ちで胸がいっぱいだった。だからこそ他の誰にも渡したくなかった。彼にも自分のことを選んでほしかった。最初は自分は彼のことが好きだという気持ちだけしか頭になかったのだ。けれどもそのせいで彼が大変なことになって、好きな人を失いたくない気持ちが強まって、同じ気持ちの人と力を合わせて彼を助け出した。そして今でも彼を元気にしようとそれぞれの個性を生かし合っている。彼の身に起こった出来事が良かれ悪かれ、それをきっかけに同じ思いの者同士で気持ちを分かち合うことが出来たのだ。
「お二人にそのように言われたら、認めざるを得ませんね」
しっとりと千恵は答える。
「ねえねえ。そもそもだよ、由香ちゃんも皆もどうしてこうも義人に惚れるようになったのか気になっているんだけど」
「まああの子のことだし、大体想像はつくが」
二人がそう言い出し、三人は互いに向き合う。
「そうですね・・・・・それじゃあ、話しましょうか」
由香の一言で五人はテーブルに向かっていく。敏明と恵と向き合うように座った三人。
「それじゃあまずはあたしからですね」
由香がそう言い出した。
「あれは中学に入ってから物心ついた時の事でした」
由香はそう言い出して過去のことを語りだす。
由香は当時から義人や源と同じクラスで、その時は義人のことはあまり気にはならなかった。けれども由香はある出来事から彼の魅力を感じることとなったのだ。
「なあなあいいだろ?この俺とさあ」
「断るって言ってるでしょ?しつこいわね」
廊下では由香は一人の男子生徒に言い寄られていた。背は高めで少しチャラけた態度の男だった。
「お前他にも彼氏いないんだろ?だったら俺と付き合えよ。必ず幸せにするって約束するからさ」
「嘘よ!アンタみたいなチャラ男、どうせ他の子に浮気するつもりなんでしょ?」
そう言って必死に突っぱねようとするが、彼は一向に手を引こうとしない。あまりにしつこいのでどうしていいのか分からずにいた。その時、
「おい大谷!何やってんだよ!」
突然声をかけてきたのは一人の男子生徒。身長は自分より少し高いぐらいでしかなかったが、凛とした顔つきで言い寄る男子生徒を睨みつける。
「何だよ豊田、お前には関係ないだろ」
ナンパを邪魔されて少し機嫌悪そうに睨み返す大谷。
「関係はないかもしれない。でも彼女嫌がっているじゃないか!そういうことやってる時点で嫌な思いをさせて傷つけてるのが分からないのかよ!最低だな!」
「何だとこの野郎!」
言い合いになってついに喧嘩腰になりかけている。ここで由香は考えた。
このまま自分のせいで男子生徒二人が殴り合いになって校内で問題を起こそうとしている。それで二人とも校長室に親御さん共々呼ばれるようなことがあったら大変だ。あたしが丸く収めないと。そのためにはあたしにはちゃんと彼氏がいるって嘘でも証明しなくちゃ。そうすればこいつも大人しくなってくれる。
直後由香は駆けだしその豊田という少年にしがみつく。
「豊田!」
「うえっ!?」
「・・・・・え?まさかお前ら・・・・・」
突然の出来事に驚く二人。そして由香は大谷に言い渡す。
「分かるでしょ?あたし、この人の女なの。アンタ人の女に手を出そうとしていたのよ。分かったならもう付きまとうのは止めて!」
由香としても気恥ずかしかったけれどもこういうしかなかった。全ては身を守るために。そして豊田も戸惑いつつもその場に身を任せるしかなかった。
「ど、どうだ。これでも俺から奪ってでも彼女に手を出すのか?俺に暴力を振るってみろ。益々お前のこと嫌うぞ」
大谷は突き付けられた事実に困惑する。そして自分が目の前の他の男に負けているという事実を認めざるを得なかった。
「いや、その、ごめん。俺、女の子を見る目があるから。それぞれ色々が魅力があって、皆尊い存在だ。だからこそつい分け隔てなく・・・・・」
「へえ、女の子、好きなんだ。だったらそうした子たちに幸せになってもらおうって大切にする気はあるかな?そうすれば必ず振り向いてくれるよ」
先程までの険しい表情が説かれ、静かな笑みで大谷に言い聞かせる豊田。
「そうか、そうだよな豊田。いいこと教えてもらったよ。お前のその優しさがあるから三木野もお前を選んだってことだよな」
納得したように同じく笑みを浮かべる大谷。こうして二人は拳を交える間もなく和解し、由香もまた救われたのだった。
その後由香は豊田義人と二人きりで話し合った。学校の人の少ない校庭の隅、そこのコンクリートの上に座り込んでいた。
「さっきはごめん、いきなりあんなこと言って。あの大谷ってやつに言い寄られたから・・・・・」
申し訳なさそうにもじもじと俯いて由香は話す。
「分かっているよ。俺だって困っている人がいたから思わずああいうこと言って君を助けようとしてたんだ」
どうやら義人も由香を助けたい一心で即興でああいう対応をしたようだった。それを聞いて由香はさらに話す。
「そうだったんだ。あたしもね、あのまま二人に喧嘩してほしくなかったから、自分にはちゃんと男がいるって見せかけようとしたんだ」
「成程な。・・・・・そういうことなら何だか俺と似たようなところはあるかもしれないな。どんな奴だろうと人の平和と幸せを願っている。そうだろ?」
「え・・・・・?そう、かな?」
義人の言葉を受けて由香は少し赤らむ。あの時は勢いとその場しのぎで義人に擦り寄ったのに、いざお互い事情を聴いてみると本当に気の合う似た者同士だったことに気づかされてしまったのだ。
「俺には分かるぞ。人には人の価値がある。だからこそそんな個人を、気持ちを踏みにじるようなことはしたくない。君だろうと、大谷だろうと同じことだ。あいつだってそういう奴だって前々から分かっている。だからこそ本当に大切なことをああやって言い聞かせたまでだ。君の気持ちも守るためにもな」
その熱弁には由香は只納得しかなかった。豊田義人という人物はいつだって誰かのことを思う心がある。そしてそれは自分でも同じこと。だからこそあの時だって互いに意気投合し掛け合いが出来ていたのだ。
「ふふふ、不思議だね。あたしたちがここまでマッチしているなんて、元からそうなっていたかのようみたい」
「出会うべくしてであったということなら、確かにそうかも」
そうして少年と少女は互いに心を通わせあったのである。類は友を呼ぶとでもいうのだろうか。相手の気持ちに共感し合ったことで、それまで何の関りもなかった両者は今こうして互いを知り合うきっかけを作ったのである。
その後二人は別に恋人同士というわけではないことは大谷源にも知られたが、それ以降由香に付きまとうこともなくなり、義人に幸せになれと応援するばかりだった。
「そんなことがあったんだ。いかにも義人らしいじゃない」
「全くだ。だからこそ由香ちゃんだけでなく源君とも昔からあんなに仲良しになったわけなんだな」
「そうですね。だから由香さんは幼馴染として義人君のそういうところを良く分かっていたんですね」
「確かに義人君は自分の事よりもいつだって人のことを考えてくれてたもん。そしてそれは由香ちゃんだろうと同じだったんだね」
ご両親や仲間二人もまた由香が話した過去のエピソードに納得した姿勢を見せる。
「えへへ、少し恥ずかしいけど、まあそういうこと」
頬を指でかいて照れくさそうにする由香。
「それじゃあ今度は千恵ちゃんの義人との思い出を聞かせてもらおうかしら」
「そうですね。あれは私たちが蓮堀に入学して物心ついたときでした」
そう言って千恵がその当時のことを語りだす。
桜の花が散り、緑が芽吹き始めている光景の中、千恵は小テストの答案を険しい表情で眺めながら下校の道を歩んでいた。惜しい、あともう一歩だったのに。握りしめる手には力が籠もり、用紙の淵にしわを寄せていく。そんな自分にかける声が一つ。
「どうしたのかな?そんな難しい顔して」
振り向くとそこには一人の男子生徒、豊田義人がいた。
「どうもしません。昨日の小テスト、十点満点中九点しか取れなかっただけです」
「え?それってほとんど全問正解ってことじゃないか?実は俺も昨日小テスト受けたけど同じ点数なんだよ」
気兼ねなく千恵に話しかけ、純粋に褒めてあげる彼だったが、千恵の難しい顔はまだ消えない。
「たかがほとんどです。あなたにとってはそれでよくても、私としては納得いきません。満点を取れる位に完璧じゃなければ。お父さんのような立派な医者になって経営している病院を継ぐためにも」
どこか強がりを見せる千恵。すると義人は彼の顔を覗き込むようにして言う。
「おいおいどうしたんだ?医者になるには確かに勉強することは大事だ。でもだからってどうにも根を詰め過ぎじゃないか?人生楽しいことがなくちゃやっていけるものもやっていけなくなるぞ」
優しく言い聞かせるが、それでも難しい顔は消えない。すると義人は千恵の手を取って引っ張り出す。
「それじゃあ俺と一緒に来て貰おうか」
「えっ?いきなり何なんですか?ちょっと待って下さい!」
驚いてたじろぐままにそのまま義人に連れられる千恵。
気が付けば二人は町中にあるカフェまで来ていた。
「ここは・・・・・」
「よく知り合いと一緒に来ることがあるんだ。さあメニューを見て、君は一体何がほしいかな?」
「え、えっと・・・・・」
そう思わず言われるままにメニューを開く。その間にも頭の中で思いを巡らせていた。
ちょっと待って下さい。これって明らかにデートですよね?何の交流もなかった、それも違うクラスの男子生徒とこんなことするなんて。こういうことするまでに至るにはもっとこう色々段階と言うものがあるというのに。けど折角こんなところまで連れてこられたんですし、そんな親切に応えなければそれこそ失礼でしょうし・・・・・。もういいでしょう!そしたら・・・・・。
「これにします!」
「おっチョコレートパフェか。いっぱい勉強するにも甘いものは食べたくなるからね」
「ま、まあそうですね」
千恵としては勢いだけで選んだつもりだったが、義人に言われて確かに理にもかなっていると思ってしまう。
「じゃあ俺もそうしようかな。すみません!チョコレートパフェ二つ!」
そう言って義人は注文した。そうして届く間に義人は千恵と話す。
「ねえ、どうしていつまでもそうして完璧でいようとするんだい?医者になるとは言ったけど、猿も木から落ちる位だ。君だって神様じゃなくて人間なんだ。少しはそんな人間らしい不完全さがあってもいいと思うが」
対し千恵は沈んだ表情で俯いて答える。
「これは私が決めたことなんです。だからこそ誰に見られても恥ずかしくないようにしないといけません。親にも、学校の皆さんにも、その期待に応えるために・・・・・」
それを聞いた義人には分かっていた。彼女は強迫観念に囚われていると。周りからの期待に応えるために、それに似合った成果を出さなくてはいけなという気持ちで頭が一杯になっていると。すると義人は彼女の手を取りそのまましっかりと且つ優しく包み込む。
「え?」
「そうだね、君は頑張り屋さんで義理堅い。だから皆の前でしっかりしなくちゃって思ってしまうんだね」
義人は優しく語りかける。
「でもそういうことなら、せめて俺の前だけなら甘えるようなことしたっていいんだよ。誰もならないなら、俺が君の心の拠り所になってあげる」
「あなたが・・・・・」
先程まで千恵の心は冷たく凍り付き固く閉ざされていた。けれども義人はそんな彼女のことが気がかりになってしまい、余計ともいえるお節介をして今こうして彼女の楽しみを作っているのである。そんな彼の超が付くほどの人の好さに、千恵の心は次第に溶けていく。頑なに生真面目にならなければならないという思いは消え、少し肩の力が抜けていくのが分かった。テストで一問だけでも間違えたところがあってもいい。もう一度解き直して、同じ問題が出た時に応えられるようにすればいいから。そんな思いが千恵の奥底から湧き上がってきたのである。そして何だろう、急に目頭が熱くなってきた。そう心の中で呟く間もなく下の瞼から溢れて水滴が零れる。
「・・・・・グス・・・・・こんな見ず知らずの私などのために、ありがとうございます」
「そうだよ、泣きたいなら泣いて。今は我慢しなくてもいいから」
義人の優しい言葉を受け、尚も千恵は目を固く閉じて涙を流し、グスグスと鼻をすする。そうこうしているうちに注文したパフェがやってきた。
「さあ食べてごらん」
義人に言われるままに千恵はスプーンを運び、クリームの部分を一掬いして口の中に入れる。その口内で舌を包み込むような優しい甘みが広がる。
「・・・・・おいしい、です」
「そうかよかった。いい、約束して。どうしても耐え難いことがあったら、いつでも俺のところに来て、俺に甘えてもいいからな」
そんな頼もしくも温和にも取れる言葉は、今の千恵にはこの上ない希望の光に感じていた。
「義人がねえ、あの子も随分憎いじゃない」
「千恵ちゃんにカフェでパフェを奢ったのか、まあ太っ腹な奴じゃないか」
「やれやれ、よもや見ず知らずのアンタをカフェでデートのお誘いとはねえ」
「私もそう思いましたけれども、彼はそういうつもりじゃなかったみたいなんです」
「あ、あたしもそれ分かる。そういうたまに無自覚なところが何だかずるいっていうか」
「とはいえやっぱり義人君らしいよね。誰であろうと放っておけない、幸せにしてあげる、それが彼の信条だね。本当にかっこいいもん、『俺に甘えてもいいからな』なんて。千恵ちゃんも胸キュンしちゃうよ」
思いつめていた千恵に義人が救いの手を差し伸べ、余計なお世話を焼いたエピソードに、またしても場の空気は和む。
「でもそのおかげで千恵ちゃんは義人に救われたっていうことだな。あいつもそこまで大物だったとは」
「そうですね。もし彼がああしてくれなかったら、今頃自分で自分を追いつめて、何もかも破綻。今の私はいなかったかもしれません」
敏明に言われ、この場で千恵は改めて義人の存在に感謝するのだった。
「じゃあ最後に真美ちゃんのことについて話してもらおうかしら」
「はい。それではいいですか?私が義人君と今みたいな関係になったのは一年生の一学期の半ばぐらいでしたね」
そうして真美は語り始めた。
ある日、いつものように昼休みがやってきたころ、作ってきた弁当を広げようとしたその時、同じクラスの一人の男子生徒、豊田義人が何だか様子がおかしかった。動きは鈍く、昼食を持ってきたらしいのだが、それを広げる気力も内容だった。そんな彼に真美は歩み寄る。
「ねえ、あなた豊田君だよね。どうしたの」
「え?いや何てことないよ。ちょっと気がかりなことがあってね」
あまり周りに迷惑を掛けたくない一心でか、彼は平手を振りながら遠慮するそぶりを見せる。けれどもどこか浮かないような表情だったことは真美には目に見えていた。
「そう。ねえ、良かったら一緒にお昼ご飯食べましょう」
「あ、そう。それじゃあ」
真美からの突然のお誘いに義人は受け答える。そうして二人は向き合い、それぞれの昼食を広げる。
「あれ?たったそれだけ?」
義人の前には牛乳と調理パンだけがぽつんと置いてあった。
「まあ手短にね」
「だめだよ、ちゃんと栄誉のバランスとかそういうの考えなくちゃ。これじゃあ元気も出ないじゃん。ほら私のお弁当、アスパラのベーコン巻きとか入っているよ」
そうして見せた真美のお弁当は色鮮やかだった。ベーコン巻きの他に、ミックスベジタブルや卵焼きも入っていた。
「わあ君のお弁当美味しそうだね」
「うん、お姉ちゃんと作ったの」
「へえお姉さんと。すごいじゃん」
「ありがとう。お姉ちゃんいつも私にいい料理の作り方とか教えてくれるから、私もこういうの作るの大好きなの。それにそうだね、誰かにも食べさせてあげたくもなるね」
そうして真美は姉と作った弁当を得意げに見せる。と、ハッとした様子を見せたかと思えば、真美はベーコン巻きを一つ箸で摘まんで持ち上げる。そうして運んで行った先は、義人の口元だった。
「豊田君も一つ食べてみる?そんなものだけじゃあ絶対物足りないだろうし」
突然のことに驚く義人。戸惑ったような口ぶりで言う。
「え?いやそんな。分けてあげるだなんて」
「遠慮しなくてもいいのよ。さっき言ったじゃん、誰かに食べさせたいって」
「それじゃあ」
義人は快く受け答えた。運ばれたベーコン巻きは義人の口の中に入っていく。
「どう?おいしい?」
口の中で噛みしめる度に、肉汁とアスパラの香りが口内中に広がる。
「ああ美味しいよ。何だろう、すごくしっかりしてるけど、優しい味だな」
「そう、良かったあ」
柔らかい笑顔がこぼれる真美。一方義人は嬉しそうにも悲しそうにも見える表情で静かに最後の一噛みまで味わっていた。
「こんな優しいひと時はいつぶりかな。俺、相当思い詰めていたかも」
「何かあったの?」
真美は笑顔のまま義人に聞いてみる。
「俺さ、いつだって誰のことも見捨てることが出来ない性で、つい一人で抱え込んじゃうし、そのことで誰にも迷惑を掛けたくないって思っちゃうんだ。それと同時に自分だけでどうにもならないことがあったらどうしようとも思って、つい悩みこんで」
俯いて淡々と話す彼に真美は優しく語りかける。
「そうなんだ。豊田君は一生懸命で強くて優しいね、皆のヒーローだよ。でもあまり一人で悩むことはないし、そうでなくても大丈夫だよ。だって私がいるから」
「え?佐和山さんが?」
突然の言葉にふっと顔を上げる義人。
「そうだよ。誰だってどうにもならないって弱音の一つは吐きたくなるものなの。人は思っている以上に心が弱いものだから。そんな時は私を頼りにしてね。たまには心のケアも必要なんだから、そこは私にお任せ。何ならこれから毎日のようにあなたのためにお昼のおかずを作って食べさせてあげるからね」
その言葉で義人の心は揺れ動いたのだ。真美の全てを包み込まんとする包容力、誰かを気にかける気遣い、そうしたことに彼は救われた気がしたのである。この時点で由香や千恵にもそれぞれの関係性が判明し、二人が自分を巡って喧嘩をし始めていた頃だった。それによる精神の疲弊もあったのか、義人は張り詰めた糸が切れるような感覚を覚えた。そして口を開いて声を出す。
「そうか。それは君にとってもやり甲斐になっているわけだね。それじゃあそうさせてもらっていいかな?」
その返事に真美の笑顔はより一層の輝きを纏い出した。そう、義人の言う通り真美にとっても誰かにこのようなことをするのは生き甲斐でもあったのである。自分が作った美味しいもので相手が笑顔になれただけでも彼女には最高の喜びなのだ。
「うふふ、それじゃあそうさせてもらいます。あ、それからこの卵焼きも食べてみる?」
「おお、これまたいい焼き加減。是非とも」
「いいよ。はい、あーん」
こうして精神的にも疲弊していた義人の心を真美が潤いを与えてあげたのである。いつも人のために頑張る義人が自分にだけ甘えを見せ、縋り付いてくれる。そんなこの上ない特別感を真美は味わっていたのだった。明日はお昼に何を持って行こうかな?あれかな?これかな?この時点で早くも彼女の頭ではそんな思惑が巡らされていた。
「成程ね、義人にとってはこの三人の中であなたが唯一の心の拠り所だったんだね」
「やっぱりあの子も並々ならない苦悩を抱えていたし、そういう存在がいたならこっちとしても喜ばしい限りだ」
「そうか、あいつがあたしたちの重い愛を受け止められたのも、真美の存在があってのことだったのね」
「義人君だけでなく、真美さんにも感謝しなくては」
真美が義人の心身をどれだけ癒していたかを知り、一同はそれだけ義人が頑張っている事実を改めて認識していた。
「そう、義人君は誰のことも見捨てたくない一心で全部自分で背負い込もうとしていたんだから。だからこそ彼を助けられるのは私しかいないって思ってね。義人君だってそうやって由香ちゃんや千恵ちゃんの期待に応えようとしてたんだね」
この真美の言葉で、三人は自分たちがどれだけ彼に無理をさせ、追いつめてしまったのかを再確認したのだ。あの出来事があって、義人が全員の気持ちに応えられなかったと誰よりも自分を責め、自分なんていなくなってしまえばいいという極端な思想に走ってしまった。そうなったのは他でもない自分たちの責任なのだ。下手をすれば彼の人生や命を奪う結末にだってなってしまっていたのである。そして今ここで、お互いに義人を好きになった経緯を話し、同じ男を好きになった者同士で共感しあったことで、自分たちは彼への愛ゆえにこういうことをしている事実を噛みしめていた。こうしたことからこの三人はお互い最早似た者同士であり、共に好きな人を助けていかなければならないという使命感を分かち合っていた。
「認めざるを得ませんね。私たち全員あの底なしのお人好しぶりに救われ、狂わされた同類ですね。もう奪い合いなんて出来そうもありません」
「そうね!この中の一人だけじゃあいつにまた無理させちゃう。この三人が付いているからこそそれぞれにしかできない方法であいつを支えられる」
「そうだよ!あの時義人君が私たち全員と付き合うって折角覚悟を決めて言い出したんだから、私たちがそれを叶えてあげようよ。もう彼に無理はさせないように私たちが一生かけても彼を幸せにしよう」
三人はそう言い合い、かつての恋のライバル関係から同じ人を助け、愛し合う者としての協定を結んだのである。一人で出来ないことも皆でやれば出来る。そう確信した瞬間だった。そしてこれを受けた義人の両親も、息子を心配していたために安心しきったように言った。
「ありがとう皆。そこまでしてうちの息子を思ってくれるなんて、あの子もさぞ幸せになれるでしょうね」
「これから先のことはどうなるかは分からないが、とにかくそうして息子が世話になるというのなら親としても嬉しい限りだ。期待しているよ」
「はい、ありがとうございます」
両親からの激励も信頼も受け、三人は改めて一致団結する。義人が元気になるのはもう目の前だった。そうなった後も彼を幸せにしよう。そう決意した瞬間だった。




