九章:解呪
それからさらに数日後、その日の夕方も義人は真美と風呂場にいた。けれどもその時はいつものように体を洗っているだけではなかったのである。その時は湯船につかっていた。そしてそんな義人の視線の先には真っ白な湯気に紛れて・・・・・。
「ここまでやるかい真美」
「いいじゃん、義人君とならこうしたかったっていうのもあるから。それに由香ちゃんや千恵ちゃんからもお願されたんだから」
「そうだけど、何だか恥ずかしいよ」
「あら、その顔はお湯で温まってそうなっているのかと思っちゃった」
目の前には真美の姿。その身には布の一枚すら纏っていない。胸元から下まで湯に浸かっているが、彼女のボディラインははっきりと見える。程よい肉の付き具合、大きめで触れば弾力が伝わってきそうな乳房に健康的ではち切れんばかりの太もも、湯の水面がゆらゆらと揺れる度にその肉体美は目まぐるしく歪み、得も言われぬ形で映える。その光景は年頃の義人にとっては見たいような見たくないような気がしてならないのだ。只体を洗っていただけのことがどうしてここまで大胆で刺激的なものになったのか、どうにも理解しかねてしまい困惑しているのだ。そうして義人の視線は真美を見ているのか見ていないのかはっきりしないものになってしまっている。
「義人君、男の人は女の子とこういうことするのが好きなものなんだから、私ももう義人君の女なんだし、遠慮して目を逸らす必要はないよ。それともまさか私のこと好きじゃないなんて言わないよね?」
少し眉を顰めて言う真美。義人としても相手がここまで求めてくる以上はそういうことは言えなかった。
「勿論、真美のことは好きだけど。それに由香や千恵のことも。みんなそれぞれ魅力があるし、何より皆俺のことが好きでこんなことまでやってくれたんだから」
義人は俯いたまま柔らかい笑みを浮かべて答えた。
「そうだよね、それでこそ義人君だよね」
そう答えてほしかったとでも言いたいのだろうか、目を細めて力の抜けたような笑みを浮かべる真美。そして二人はゆっくりとお互いの肩を合わせてもたれかかるようにして寄り添い、目を閉じてこのひと時を過ごしていた。
「ずいぶん長湯だったじゃん」
「あまり長く入り続けても体に悪いんですよ、のぼせてしまいますし」
「ごめんね、義人君と一緒にお風呂だなんて嬉しくて」
「もし何なら由香や千恵も今度一緒にどうだ?」
二人に聞いてみる義人。対してちょっと赤らみながらも嬉しそうな表情で答える。
「義人がそういうなら別にいいけど」
「まあ考えておきます」
風呂場から出た二人を迎える由香と千恵。話している内容に反し、由香も千恵も嫉妬や叱責の色はなく、元気になった喜びと微笑ましさだけがあった。
「それにしても義人も随分良くなったものね。あたしたちとこうして難なく話したり笑ったりすることが出来るようになったんだもの」
「そうですね。彼を看病した甲斐があったというものです」
「本当に良かった。このまま元気にならなかったらどうしようって心配もしていたんだよ」
喜びにはしゃぐ三人の姿に義人もほっとしたような、あるいは申し訳なさそうな表情をして言い出す。
「ごめん皆、また独りよがりな善意で皆に心配かけちゃって。まさかここまで俺の面倒を見てくれるなんて」
「もう気にすることはないの。あたしたち何よりアンタのことが好きだから、愛しているからここまで頑張れたんだよ」
「そうです。もう人のことを気にすることはないんですよ。そうして無理をさせたからあんなことになったんですから」
「それともあれかな?義人君はどうしても女の子を幸せにしたいっていう思いを捨てられない事情でもあるかな?」
真美が言い出したその言葉に義人の顔は笑顔からさっと曇りだす。
「ああ。実はそれなんだけど、昔それで一度大きな過ちを犯しちゃったことがあるんだ」
突然義人が言い出したことにその場の空気が張り詰める。
「それって一体何なの?」
「良ければ私たちに聞かせてください」
「そのせいで義人君が思い悩むことがあるなら、どんなことでもいいから聞かせて」
その時の三人の表情は真剣だった。それでもし自分たちが力になれることがあるならとばかりに義人を見つめる。それに受け答えるように義人は話し出す。
「分かった。あれはまだ皆にも会っていない位に昔、小学生の頃だったよ」
そうして義人は過去の出来事をぽつりぽつりと話し出す。全ての悲劇はその時の出来事から始まったのだ。
教室、そこには皆がいる。その喧騒は幼い子供ならではの明るく無邪気な声の響きがある。昨日のテレビの話、漫画やゲームの話、その話の内容は様々である。そうした中で一人の少年もまた友人と会話をしていた。
「なあなあ、この前の月刊誌の付録見たか?」
「ああ見たよ、何だか期待外れだったっていうか」
「ああいうのって大体そうだもん」
それは大人から聞いてみれば他愛もないものだったかもしれない。けれども子供の彼らにはちょっとした討論会のようなものだったのだ。そうした子供だけの世界の中でだれにも邪魔されないひと時を過ごしていた。が、そんなひと時に水を差しているものが一つ。
「なあ、またあいついるぞ」
「本当だ。何かいつも義人のこと見ているよな」
「お前もいい加減しつこいと思っているだろ」
「まあな」
そうして目をやった先には自分のことを見つめていたであろう一人の女の子の角に隠れている姿が。こちらのことをじっと眺めていたが、こちらが視線をやった途端にすっと隠れてしまう。一体何のつもりなんだ。そう思いながら義人は眺めていた。けど彼女が再び姿を現すことはない。
何だろう。ここ最近学校にやってきて、教室や廊下、校庭にいる度に視線を感じる。その上見渡してみれば必ずあの姿を見かける。自分より華奢な体、一点の穢れもない肌、大きな瞳にふんわりとした髪。隣のクラスの女子だったな。名前は確か、湯沢美緒とか言ったな。そいつはいつも俺のことを見つめている。一体何なんだ?そんなに俺のことが気になるのか?けどそうはいってもこうも見つめられてばかりいるとさすがに気が散る。いつも一緒の友人と一緒にいる時までそうされると全然集中できない。何か言いたいことでもあるのか?そう問いただそうにもすぐ逃げてしまう。どういうつもりなんだよ。
義人は次第に座っている机を人差し指でコツコツと何度も叩き出す。眉を顰め、目を細めて辺りをキョロキョロと見渡してみる。今のところは彼女はいない。そうして本を取り出して読んでみる。それからしばらくたったその時・・・・・、
(おっと来たな・・・・・)
彼女が現れた。読んでいる本からチラチラと外へ目を向けてその姿を捉える。いつも馴染みのある容姿だ。だが目を向けるのを極力避け、気づいていないふりをして様子を窺う。
その間にも彼女は一体何がしたいのか分からないといった仕草を見せる。両手の指をいじくり、眉を下げてこちらの顔色を窺っている。少し違づいて覗き込み気味になり、時には前に、横に、後ろにと回り込んでこちらの様子を眺めている。何も話しかけてこない。
義人は段々足元をパタパタを動かし始める。チラチラする頻度も増え始めた。なんで俺のそばまで来たのに何もしてこないんだ、そんな思いが募ってきた。
「なあ、一体何やってるんだ?」
とうとう耐えかねて話しかけてきた。
「ひうっ!?」
驚いたのか肩をびくっと揺らし、突然変な声を上げて彼女は義人の前で立ち止まる。
「さっきから俺の周りをウロウロして、何か用か?」
ぶっきらぼう気味に義人は聞いてみる。
「いや、その・・・・・」
美緒は戸惑いの様子を見せる。
「私はなんていうか、その、あなたが、えっと・・・・・」
何か言おうとしているけど全然言葉になっていない。義人はそうした彼女の様子のもどかしさを感じている。
いったい何なんだよ、俺の周りをウロウロして何がしたいのか。まさかこいつ俺のことをからかっているつもりなのか?色々回りで何かやって、戸惑いの反応を見て楽しもうっていうのか?俺も舐められたもんだ、そうやって俺を相手にふざけるなんて。ただでさえ付きまとってくるだけでもうざいのに、ここまでされたらこっちも目障りだ。
これまでのことと言い、義人は美緒に散々癇に障ることをされたという思いが込み上げてきたのである。そしてとうとう・・・・・。
「何だお前?俺のこと馬鹿にしているのか!?」
「え?そ、そんなまさか!」
「日頃から俺に付きまとって、俺のことをじろじろ見て、うざいんだよ!それで何がしたいのかもはっきり言いもしないし!大した用事もないなら近寄るな!」
周りの空気を叩かんばかりに怒声を上げる。その突然の大声に美緒の体は狼狽しているのか震え出した。彼女は胸が締め付けられんばかりの感覚を覚え、その目から雫が一粒。その場で後ずさりしたかと思えば、そのまま走り去ってしまう。
だがここで義人が自分が彼女に何を言って、それで彼女がどうなったのかを悟り、その顔から血の気が引いていく。ああやっちまった、やっちまったよ、イライラの感情のままにとんでもないこと言っちまった。そんな思惑が込み上げてきたのだ。その時の義人は彼女が出ていった教室の出入り口を只々眺めていたのであった。
それ以降、美緒が自分から義人の前に現れることはなかった。義人は自分が彼女に言い放った言葉がいまだに心に突き刺さっているのを感じた。なんで俺あんなこと言ったんだろう。もしかしたら俺と仲良くしたかったけど、どう話しかけたらいいのか分からなかっただけかもしれないのに。後悔の念が込み上げるのを感じた義人。それからずっと何日もの間、彼女にやってしまったことを考え続けていた。
そんなある日、いつもの友達に最近美緒の姿を見なくなったという話から、彼女の身に起こったことを義人は言って聞かせた。
「おいおいまさかそんなひどいこと言ったのか?」
「そりゃ彼女も傷つくよ」
「俺だってそれは自覚しているよ」
非難気味の友人たちの言葉に義人も反省気味に俯いて落ちたトーンで呟く。すると友人の一人が義人の肩に手を当てて言い聞かせる。
「それじゃあやることは一つ、あいつに謝ることだ」
「そうだな。気まずいかもしれないが、悪いことしたと思っているならそうした方がいい」
「分かった」
仲間たちから言われて義人は彼女に会いに行くが、隣の教室には彼女の姿がなかったのだ。そこでその教室の生徒に聞いてみる。
「いいかな?湯沢美緒はいないか?」
「湯沢さん?だったら転校しちゃったわよ」
「え?」
その言葉で義人は耳を疑った。何でも彼女は体調を崩すことが増え、親に学校での出来事を話したことで転校という話になったのだという。そのことに関して義人は身に覚えがあった。そうだ、彼女は俺のせいでこの学校を去ったんだ。俺が彼女の心を傷つけたんだ。そのようなことが脳裏を過ぎる。
「そうか、まあいなくなっちゃったなら仕方がないか」
そういってその教室を去っていったが、心の中はそんな素っ気ないもので片付くようなものではなかった。そこには後悔の念があったのだ。彼女の心に一生ものの傷をつけた。そんな事実に押しつぶされそうになり、どうしてもっと早くこうしようとしなかったんだ。いやどうしてあの時あんなこと言ったりしたんだ。そうして自分を咎め、問い詰める声が心の中で響いていたのである。
「そういうことがあったんだ。そのことを友人たちに話して残念だったなって言われて、今でもその時のことは後悔しているよ。それでもう二度とそんなことがないように、女の子の気持ちに寄り添おうって、踏みにじらないって、期待に応えられるようにしようって思うようになったんだ。だからこそあの日だって三人全員の好意に応えようと全員と付き合うって・・・・・」
「そうだったんだ」
義人の口から語られた真実に三人は無の境地の中で聞き入っていた。その時の彼女はあの時の自分たちが放った義人への言葉を思い返す。
義人は適当でどっちつかずなことを言ったわけではない。そうした過去の失敗を繰り返したくないという一種の呪いに囚われていたから、女の子である自分たちの思いにどう応えるべきかを悩んで最終的にあの決断を下したんだ。それなのにそんな彼に対して何も事情も知らずにあんなことを言って、彼のトラウマをほじくってしまった。だから自分なんていなくなればいいんだって思うようになったんだ。それだけ自分を追いつめる程に彼は一人でそれを抱え込んで、一生懸命になっていたんだ。
そんな彼を追いつめた自分たちの振る舞いを今ここで改めて猛省する由香、千恵、真美の三人。視線の先で義人を見据えながら、そのそれぞれの目から一筋の涙を流し、優しい微笑みを浮かべる。
「そうね。たしかにアンタはいけないことをして女の子を傷つけたんだろうけど、でもだからって無理に自分に鞭を打って頑張ることもないじゃん。ずっと一人でそんな重いものを抱えてあたしたちを幸せにしようとしていたなんて、気づけなくてごめん」
由香が零した涙を拭いながら放つ柔らかい声が優しく部屋に響く。そしてその表情も見ているだけで籠っていた体の力が抜けていくものだった。
「その時去っていった彼女のことは分かりませんが、あなたがどれだけ人を傷つけるのを恐れ、私たち全員に誠実に向き合おうとしていたのかは今なら良く分かります。もう一人だけで背負い込む必要はありませんから」
そう言って義人の手を取りぎゅっと握る千恵。その手は、いつもの凛としたクールさからは想像もできない程の温もりが感じられた。
「私たちはあなたの優しさに救われた。今度は私たちがあなたを救う番。私たちがそんな義人君を世界一幸せにするって約束するから、もう無理に誰のご機嫌も取る必要はないよ」
その言葉の後に真美は胸元に義人の頭を抱き寄せる。顔の肌で伝わってくる真美の柔らかい乳房の感触が顔面を包み込み、過去の辛酸を舐めるような記憶の苦しみを打ち消していく。そして更に他の二人も義人に抱き着いていき、嘗てない柔らかさと温かさが義人を包み込んでいく。
「もし義人がそうした罪悪を抱えて、罪を償わなくちゃって思っているのならば、あたしたちもその罪を背負っていくよ。もう義人一人に無理はさせない」
「そうですね。こういう時こそ義人君を好きになった者同士皆で力を合わせましょう。愛する人のためならどんなことも惜しみません」
「一人で出来ないことも皆でやればできるもん。今の私たちは同じ境遇の仲間を通り越して、お互い共感し合える友達だもん。そうでしょ?」
「え?もう私たち友達なわけ?ただ同じ人を好きになったってだけなのに」
「由香さん、類は友を呼ぶというじゃないですか。あの時義人君とあなたにも似たところがあったからこそお二人は出会いを果たしたわけですし、今回だって似たようなものじゃないですか」
「そうだな。お前たちも本当に仲良くなったものだよ。まさか俺があんなことになったのをきっかけに三人もここまで意気投合してくれるなんてな」
由香は真美や千恵、義人からさえそう言われて、顔を赤らめてもじもじと答える。
「そう、だよね。今になって思えば分かるけど、これもまた運命なんじゃないかって思うのよ。きっとこうなるべくしてこうなったんじゃないかな。だって全てが丸く収まったんだし、こんなことが起こらなかったら、あたしたち皆でこうやってワイワイやっていることだって無かっただろうから」
「そうですね。あなたが提案した通り、皆で仲良く平和にしている方がいいでしょうね。これから先のこと、例えば世間の風当たりとか法の問題とか色々課題はあるでしょうけれども、私たちは当たり前に縛られず、自分たちなりの幸せの形をようやく見つけることが出来たんですから」
「これもまた義人君のおかげと言っても過言じゃないね。確かに義人君からすれば小学生の頃のその出来事は悲しいものだったかもしれない。けれどもそうして過ちを犯してつらい思いをして、だからこそ今の誰にでも優しいヒーローの義人君がいるんじゃないかって思うの。そうして人は傷つけ傷つけられて成長していくんじゃないかって思うの。だからそんな過ちを犯した義人君でも十分受け入れられるよ」
それを聞いた義人の顔は安堵に包まれ、目から一筋の涙を流す。罪を犯してしまったと過去を悔やんでいた義人にとって、それらの台詞は正に三人の聖女からの救いの言葉だったのだ。あの時自分は全員を幸せにすることに必死で、親友の提案や両親の後押しもあってハーレムの話を持ち込んだ。それなのに彼女たちにそれを拒絶されてしまい、また誰かを不幸にしてしまったと自責、絶望のままに自ら命を絶とうともしたのだ。けれども三人は自分たちのことをこうも愛し、自分に幸せになって貰おうと頑張ってくれていた。そして今自らの懺悔の言葉を受け、それでも尚自分を受け止め愛していくことを誓ったのである。今まで人の事ばかりで自分を疎かにしていた彼にとってはこれ以上にない幸福なのである。
「なあ、お前たちがそこまで言うんだ。これからもその受け入れに甘えてもいいか?俺があの日提案したハーレムを受け入れてくれるか?」
義人の問いかけに三人は満面の笑みを浮かべる。
「当り前よ。もう二度とああいうことは御免、義人には優しくしてくれた分だけ幸せになって貰うんだから」
「これから先も義人君は誰かを助けようとするかもしれません。そんな時はいつでも私たちを頼って下さい。必ずお力になりましょう」
「私たちにはそれぞれ得意分野があるんだから、四人にかかれば越えられない壁はない。だから無茶なことはもうやっちゃ駄目だからね」
三人の返事は温かくそしてしっかりとしたものだった。それに義人は安堵する。
「ありがとう皆・・・・・」
義人は三人への感謝のままに全員を抱いて一緒にベッドに横たわる。そのまま誘われた三人も恍惚として義人を見つめる。
「ふふ、アンタも結構大胆ね」
「ここまで親密が深まればそれもまたいいものでしょう」
「義人君が望むなら私たちもどんなことでも受け入れるからね」
そう言って三人は義人に顔を寄せる。義人は由香、千恵、真美と順番に顔を向けると、彼女たちは顔を近づけて互いの唇を重ねる。その重ねた唇は自分の唇越しに温もりと柔らかい感触が伝わり、その度に冷たい氷が解けていくような感覚を覚えた。
こうして義人はこれまでの不安が消え去り、今こうして彼女たちに受け入れられたばかりか、皆で素敵なひと時を過ごせるようになったのである。彼女たちとしても恋敵であったことが嘘のように打ち解け合い、大好きな義人と一緒にいられる喜びを皆で分かち合うことが出来た。四人の絆は固く結ばれることとなったのだ。




