五章:救出
突然の義人の母からの連絡に唖然とする三人。頭の中では今までの、そして昨日までの出来事がついさっきのことのように鮮明に甦る。この過程を経た結果が今の自分たちと彼の状況なのだと思い知らされる。項垂れ、手が震え、下を向いた目から途端に涙が零れ落ちる。
「あたしの、あたしのせいだ。あいつはただあたしたち全員の気持ちに応えようとしていただけだったのに、『本気なのにどっちつかずなことを言うな』なんて言ったから心の拠り所を失ったんだ!」
悲痛のままに叫び出す由香。それだけ義人の気持ちを分かっており、あの時の自分の言動を今この場で後悔しているのだ。
「三木野さんだけじゃないよ。私も悪いことしちゃった。本当なら私が彼の心身を優しく包み込んであげるべきだったのに、ずるいだのいい加減だだの言ったらもう彼を突き放しちゃったようなものだもん。彼を助けられるなら、私は他に何も望まない!」
真美もまた自責の言葉を告げる。だがそれと同時に義人を助けようという優しくも力強い決意の念も述べたのである。
「佐和山さんの言う通りですね。私も彼を冷たい目で見て、只の臆病者だという風に言ってしまったんです。これは何としてでも彼を助けて、死と絶望の淵にまで追いやったことに対して償いをしなくては」
千恵は二人を纏め上げるように言い聞かせる。この場にいる全員が今自分たちのやったことに対して強い罪悪を感じていることは互いに分かっていた。
そうして三人は流していた涙を拭き、互いに顔を向き合わせて頷き合った。それぞれの表情はキュッと結んだかのように引き締まっており、今起こっている非常事態をどうにかしようという決意に満ちていた。こうして昨日までお互いに恋のライバル、好きな人を取ろうとする邪魔者のように見ていた三人は、その好きになった男がピンチに陥っている状況を打破しようと団結したのである。
「とはいえ義人君はどこへ行ってしまったのか、そこが問題です」
千恵の言葉を聞いて二人も考え込む。
「とりあえず義人君のお母さんが警察にも捜索願をしたとあらば、情報を聞いていくしかないでしょうか。彼の写真を見せてその人物がどこへ行ったのかを訪ねるのもいいかもしれません。きっと見かけた人がいるかもしれないでしょう」
「それもいいけれども、今の彼がどういう心情なのかを考えればどこへ行ったものかはある程度想像はつくよ」
千恵の情報網を利用しようという提案に対して真美が付け加えるように意見を述べる。
「今の義人君は自分がいなくなればそれでいいっていう状況だよね。だったら誰も人目につかないような場所へ行くんじゃないかしら?例えば街並みから離れた場所、山林の奥とか廃墟とか、そういう誰もいない場所で自殺すれば発見は遅れると思うし、死んだ姿を人目に晒すこともない」
真美の考察に二人は頷く。
「成程ね。あっ待って!そういうことなら、あたし心当たりのある場所があるわ」
真美の言葉を聞いて由香が思い当たる場所を提案した。
「あいつ、いつも悩むことがあるんだけど、そうして一人でいたいときや考え込んでいるときにいつもいた場所があるの。マップ出すね」
そう言ってスマホからマップ機能を起動する。そして移ったマップには自分たちの居場所とその周辺の地形が描かれている。
「いい、今あたしたちはここにいるでしょ?そこから山の方へ四、五キロ離れた場所に建物も畑も田んぼも周りにない川があるの。そこに架かっているこの大きな橋、義人はよくここにいるのを見かけるの」
そうしてマップに示した場所、そこの川は幅が広く、示した橋も大きく川を横断していた。
「成程、そこなら人目に付きにくいですね。自殺を考えているのであれば、そこから川に飛び込むことだって出来ますし」
納得したように千恵は頷く。
「けれどもここからそこまで行くのは時間がかかり過ぎちゃうよ。歩いていくのは厳しいし、もし間に合わなかったらどうしよう。バスとか他の交通手段は無いみたいだし」
真美は不安げに言う。すると由香は真美の肩に手を置いて言い聞かせる。
「だったら走ってでも行こう!それで間に合わなかったとしても、やれるだけのことはやろう!アンタだって義人のことが好きなんでしょ!?だったらやろうよ!」
必死で説得する由香。少し弱気になっている真美を鼓舞しようとする。由香もそれまでは真美のことは義人を奪おうとする目の敵のように見ていたが、今この場では共に同じ目的のために動こうとする同志として見ているのだ。
「そうだね、私だって義人君を助けたいもん」
「そうと決まれば向かいましょう。他に手掛かりがない以上は、三木野さんの勘を当てにするより他ありませんから」
「全会一致ね、じゃあ行きましょ!」
こうして少女たちはその場から駆け出していく。かくして同じ男を好きになった者同士である三人の、豊田義人救出作戦が決行されたのだった。
ゼエゼエ、ハアハアと息が上がりながらも三人は駆けていく。もう時間もあまりない。日が沈んで暗くなってしまえば義人を見つけるのも困難になってしまう。そうならないうちに早く見つけ出さないと、そうじゃなければ彼は・・・・・。
「すみません!今探している人がいるんです!」
そう叫んで飛び込むように歩いていた一人の老人に尋ねる。農作業用の服を着ている。畑仕事の帰りだろうか。
「どうしたんだい嬢ちゃんたち?探しているって誰をだい?」
ここにいるかもしれないという目星はついているが、如何せん確証ではない。もしそこへ向かったのなら行くところを誰かが見ているはずだ。それで道行く先の人に聞いてみることにしたのだ。
「この男の子です。私たちと同じ年の」
由香はそう言ってスマホの中にある義人の写真を見せる。柔らかく、それでいて芯が通っているような出で立ち。老人はその姿をしばらく眺め、思い出したように口を開く。
「そうだ、この子ならさっきわしが畑を耕していた時に見かけたぞ」
「本当ですか?」
「ああ、わしの畑はこの先にあるんだが、そこを通り過ぎていった。なんだか寝間着姿で、ボーっとした様子でゆっくり歩いておったよ」
淡々と語る老人。由香たちは急いでマップを確認する。この証言における彼の動向と、今いる場所から例の橋までのルートが一致する。
「間違いありません、義人君は三木野さんの予想通りの場所に向かっていったのです」
千恵は力強くしっかりとした声でそう告げる。義人は間違いなくこのルートを少なくともここまでは通っていったことが分かった。
「ありがとうございます!」
「失礼します!」
「おう、気をつけてな」
老人にお礼を言い渡し三人はすぐさま駆け出していく。
そしてしばらく進んだ先で中高年の女性を見つける。
「すみません!今探している人がいるんです!」
どうやらこの近くに住んでいる人のようだった。
「探している人って誰だい?」
「この男の子です」
同じように写真を見せる由香。女性はしばらく眺めてハッとして答える。
「この子なら見たことあるわよ。さっきうちの家の前を通り過ぎていくのを見たわよ。ほらあそこがうちの家」
指さした先に白い壁に黒い屋根の家が見える。
「あの家の前を通っていったのは三十分前だったかな。何だか顔色が悪そうだったよ」
三十分前、その言葉を聞いて三人の目の前は僅かに明るくなったように感じた。そう、義人はすぐそこまで進んでいるんだ。このまま進んでいけば追いつける、三人はそう確信した瞬間だった。
「分かりました、ありがとうございます」
「ええ、頑張ってね」
女性に見送られて三人は駆けだしていく。
日は大分沈んで暮れなずんでいる。もう昼か夜かも分からない。あれからどれくらい走っているのだろう。三人の両脚はもう張り詰めていた。心臓の動きも激しく、何粒もの汗が止めどなく流れて喉もカラカラになっていた。けれども彼女たちは足を止めない。フラフラになりながらも走り続ける。義人があの先にいる、早く行ってあげないと。彼女たちには只そんな思いだけが募るばかりだった。
「うわ!」
途端に由香が転び出した。思うように足が上がらなかっただろうか、その場でつまずいて前のめりに倒れてしまう。
「三木野さん!」
千恵と真美が心配して駆け寄る。歯を食いしばり、目を固く瞑っていて、膝を見てみると擦り剝いて血が滲んでいた。
「こんな状態で走るともっとひどくなりそうです。かといって治療用の道具があるわけでもありませんし」
案じる千恵、けれども由香はそのまま痛みをこらえながらゆっくりと立ち上がる。
「だから何なの?ここで立ち止まっている暇は無いよ。こんな傷、後で治せばいいから、あたしは大丈夫だから。ごめん皆、さあ行こう!」
そうして再び三人は走り出した。
・・・・・何も感じない。
冷たい風が吹いてくる、けれども肌がそれを感じさせない。だんだん暗くなっていく、けれどもそんなのこれから訪れる闇に比べればどうということもない。風が吹く音がする、けれどもその音がどれだけ入ってきても気にならない。今はもう覚悟を決めているのだから。これからそうした感覚もすべて失うともなれば、今こうした状態で生きているのと変わらないだろう。
彼女たちには申し訳ないけれども、これは彼女たちのためなんだ。あの束縛から解放させてあげよう。俺みたいな男は女の子も幸せにしてあげられない。それどころか自分がいることで不幸にだってなるんだから、俺さえいなくなればみんな身も心も自由になれる。無理もさせる必要はない。皆、俺がいなくなっても、どうか幸せでいるんだぞ。
義人はそんな思いでいつも自分が一人になりたい時にやって来る場所まで来た。幅の広い大きな川、そこに架かっている大きな橋。義人はここでの思い出を思い返していた。
ここには何度も訪れたな。色々悩んだとき、一人で考え事をしたいとき、気が付いたらいつもここにいる。そして時折一人で物思いに耽っていると、あいつがやって来る。
『義人、何やってるのここで?』
『おーい義人、また何か考え事か?』
ああ、由香に源。あいつらは中学の頃から一緒だった。だからたまに俺がここに立ち寄っているのを見かけて気にかけてくれたよな。
義人は昔の出来事を思い返すも、それでもその顔に微笑みは浮かばない。もう過去のことだ、二度とそんなことはないだろう、そう考えるだけでここでそんな表情したところで意味などないだろう。
義人は川に架かるコンクリート造りの橋の上を進んでいく。冬の寒さはピークを迎えており、時間帯も遅く、夕日が沈んでいって辺りはすっかり暗くなっていた。そうでありながら彼は部屋着のままで、靴も履かずに裸足のまま外へ飛び出したのだ。けれども彼にはそんなことなどどうでも良かった。
彼は橋の真ん中辺りまで来た。見下ろせば、冬の空気に冷やされた黒く冷たい水が轟轟と止めどなく流れている。あの中へ飛び込んだらどうなるんだろう、考えてしまえば誰もが怖気づいてしまう。けれども彼はそんなことなど考えていなかった。今正に彼の手足は悴んでいることだろう。けど彼はそれすら感じない、冷えによる痛みも感じない。
そして彼は思っているのだ。このままあそこに飛び込もう、そうすれば何もかも終わる。自分のつらさも、皆のつらさも、全てが消えるんだ。
「さようなら・・・・・、皆・・・・・」
ただ風が吹くだけの静寂の中、遂に彼の足は動いた。そして体重を鉄のパイプで作った柵にかけて身を乗り出そうとした。・・・・・その時だった。
「義人!」
由香の声が聞こえてくる。それに続いて千恵と真美が駆け寄ってくる。そんなことはさせない、ここで止めて見せる。そう言わんばかりに由香は猛スピードで駆け寄り、彼にしがみつく。
「義人君、やっぱりここに来ていたんですね」
千恵は上がった息で安堵の溜息をついた。そして後から真美もやって来る。その目は細まり、目じり一杯に涙を蓄えていた。
「良かった、良かったよ義人君。間に合ったみたいだね」
掠れるような声で真美は安息の言葉を放つ。
「義人・・・・・、あたしたちアンタのこと責めたけど、だからって死ぬこともないじゃない。皆アンタのこと愛しているんだから。あたしも、二人も、源や家族のみんなだって」
非難めいたような心配しているような声で告げる由香。そうして話しかける彼女たちに向けてゆっくりと顔を向ける義人。その動きは動く人形の如く正気がなくぎこちなかった。そして冬の空気に晒され冷え切った唇を開いて掠れる声が出る。
「何で俺を助ける?もうお前たちは俺に愛想を尽かしたんだろ?あんなこと言い出した俺を優柔不断だとでも思ったんだろ?お前たちのことも、あの子のことだって傷つけた俺に何の価値があるっていうんだ」
その言葉は虚ろで、人間のような恐怖、悲しみ、喜び、そうしたすべての感情を捨てたかのような重厚で湿っぽい声で放たれる。けど由香はそれに臆することはなく、そのまま義人の手を掴む。
「馬鹿言わないで!アンタに愛想を尽かしたなんてそんなことあるわけないじゃん!どんなことがあってもあたしたちはアンタでなきゃいけないって思っているから。そんなアンタがいなくなったら、あたしたちきっと・・・・・」
そこから更に千恵が近づき、涙交じりの眼差しのまま義人の肩に両手を掛ける。
「その通りですよ。義人君は誰にでも優しい皆のヒーローなんですから、あなたがいなくなったらこれから助けるであろう人々はどうなってしまうんですか?私たちもあなたに救われたからこそ今こうしていられるんです。それ故に私たちは恋に落ちた、だからそれに責任を持って臨もうとしたのですよね。今の私たちなら良く分かりますよ」
それから真美も義人の体に抱きついてくる。
「ごめんなさい義人君、もうあなたのあの申し出をどっちつかずとかずるいとか言わないから。もう無理に誰の顔色も窺わなくていい。だからお願い、一緒に戻ろう」
けれども義人は彼女たちの言葉に何の返事もない。そのまま彼女たちから目を逸らし、只下を向いてじっと立っている。
「義人・・・・・」
「とにかく彼を保護しましょう。行く途中で駐在所がありましたよね。あそこへ行って豊田義人を見つけましたと伝えましょう。お母さんが警察に連絡したはずですからきっと」
千恵の言葉のままに三人は義人の手を引き、肩に手を掛け、胴体を抱えてその場から連れ出していく。その間にも義人は只人形のように力なく、動かされるままになっていた。墨を塗り潰したように暗くなった夜の道を、四人はとぼとぼと歩いていく。
小さな明かりが見えてきた。三人は走っていっただけでもクタクタだったはずなのに、一キロ近い距離をまた義人を連れたまま歩いてきた。そして明かりはどんどん大きくなっていき、そこに立っている人の影も見えてきた。黒い警察官の服を纏った駐在員、それから・・・・・。
「あ!おーい!」
声を張って呼びかけてきたのは源だった。恵からの連絡を受け、彼もまた義人がここにいるのではと勘づいて来ていたのだ。大きく手を振り、やってきた四人を迎え入れた。
「君たち、彼は・・・・・」
「お巡りさん、こいつが豊田義人です」
不思議そうに連れられた少年を見て駐在員は問い、源がそれに答える。
「向こうの橋にいたので私たちが連れてきました」
そう事情を話す千恵。
「そうかよかった、こちらにも行方不明者として連絡を受けていたんだ。すぐに本体に連絡する。それから親御さんにも来て貰うようにも言っておくよ」
「ありがとうございます。あの、その親御さんに私たちから話したいことがあるので、来るまでここで待っていていいでしょうか?」
真美が駐在員にそう申し出た。他の二人も「お願いします」と言う。
「いいとも、広い場所じゃないが、それでも構わないというのなら」
快く受け入れ、早速カウンターの横の椅子に座らせる。座った後も義人はぐったりしていた。
「おい大丈夫かよ義人?」
心配そうに源は話しかける。けれどもうつ向いたまま義人は黙っている。
「俺がハーレムを作れなんてアドバイスをしたから、こいつは只それに従っただけなんだ。皆に悪意は無かったんだよ。な、こいつを許してやってくれ」
「アンタがねえ、でもそういうことでなくてもそうするわよ。それに源、アンタも悩める義人を助けてあげようとしただけなんでしょ?アンタだって悪くないわよ」
由香は源を宥める。彼の幼馴染でもあるから良く分かっているのだ。
「そうですね。しいて言うなら彼の覚悟を受け止めきれなかった私たちに落ち度がありましたよね」
「義人君のあの申し出を突き放しちゃったから、こんなことになったんだもん」
千恵も真美もそう分かり切って述べる。義人も源もいい奴であることは三人にも明確だった。
「相変わらずいい子だねお前たちも。義人もこんな子たちに心配されて、幸せ者だな」
「もう源ったら」
由香は呆れたような、それでいながら安心した表情で義人と源を見つめる。すると駐在員が由香に寄ってきた。手には赤い十字が書かれた白い箱。
「君、ひどい傷じゃないか」
「本当だ、大丈夫か由香?」
駐在員と源の視線の先では由香の膝の傷は血が滲むばかりか、ろくに消毒もしていなかったために膿が出ていた。
「あ、義人を追いかけていた時に転んだから・・・・・」
「大丈夫だよ、私が治療しよう」
そう言って駐在員はピンセットで摘まんで取り出した脱脂綿に消毒液を塗って傷口に優しく何度も当てていく。その度に由香は膝に少し沁みる感覚を覚えたが、その痛みは次第に和らいでいく。出ていた膿もどんどん消えて無くなっていく。
「ありがとうございます。あたしすっかり傷の痛みも忘れていたようで」
「ふふっ、それだけ三木野さん必死だったもんね」
真美がその時の床の姿と振る舞いを思い出し、優しく笑って言う。
「止めてよ佐和山さん・・・・・」
真美に言われて、由香は少し困ったような笑顔で言い返す。
だが気がかりなことはまだ終わっていなかった。義人は今も尚失意の底にいる。この状態になった彼を、元の明るい笑顔の少年に戻すにはどうしたらよいのか。三人の少女たちはそのことが心配だったのだ。そしてその全員の脳裏をあることが過ぎる。彼を壊しちゃったのは私たちなんだ。あの提案を突き放したから彼は自分を責めて自暴自棄の状態になってしまったんだ。だからこれで責任を取るなら、やることはもう決まっている。




