二章:決意
今日もまた一段と寒い日だった。この季節としては妥当だろう。毛布から顔を出せば肌を刺してくるような冷たさが伝わってくる。
昨日源からあんなアドバイスを受けてから俺はずっと考えていた。あの後に家に帰ったんだがその後もずっと頭の中にあった。ちょっと休んで、宿題やって、家のこともやって、その間にもあの事が離れない。まだバレンタインまで何日かあるけれども、その間まで自分の考えを纏められるかどうか分からない。まるで自分が前に進もうとしているのに、それを誰かが行かせまいと拘束をかけているようだ。
そうして昨日の苦悩の余韻に義人は浸っていた。けれどもそうしているわけにもいかなかった。すぐさまベッドから出て着替え始める。袖や裾に手足を通す動作の一つ一つが微妙に重くなっている。昨夜はしっかり寝たはずだったのに、どうしてこうなっているんだろう。やっぱり心が安らいでないのだろうか。義人の頭にはそんな思惑が通り過ぎる。色々難しく考えすぎているのは自分でも分かっているが、どうしても義人は何事も真剣に受け止め過ぎなのだ。あの日の出来事を境に相手の気持ちにだってしっかり向き合うことを誓ったが故、一人でどうしても考え込んでしまう。周りに聞いてもなんて言われるか分からないし、その言われた内容も人によって違うものだから尚のこと分からなくなってしまう。そうしてどんどん迷宮に迷い込んでいってしまうのだ。
「義人、あなた何だか最近元気がないような。昨日だって夕飯の時にも浮かないような顔していたし。」
朝食を摂っている間に義人にそう声を掛けたのは母の恵。彼女もまた人のために頑張ろうとする息子のことをよくわかっていたので、また誰かのことで悩んでいるのではないかと聞いてみたのだ。義人もまあ詳しいことはぼかしはしながらもそれと無く聞いてみた。
「母さん、俺っていつも誰かの気持ちに応えようって思っちゃうんだよ。そうした時にその場の全員にそうしてあげたいけど出来ないことがあったり無理だったらどうしようって思ったりもするんだ。自分がやれることに限りがある、それで目の前の人だろうと手を差し伸べられなかったらどうしようって思っていて」
その言葉を恵は淡々と聞いていた。確かに誰であろうとその人に出来ることには限りがある。それで自分が助けたいと思うことが不可能だったら、それは義人にとっては強い絶望になってしまうことは恵には分かっていたのだ。物理的、あるいは法や規律の中で不可能なことであればこれ程もどかしいことはない。詳しい事情はともかく、彼が自分の可能性の関係で思い通りにならずに誰かを見捨ててしまうことは確かにつらい。
「そうねえ・・・・・」
恵が何かを言おうとするけど少しためらっているような反応を見せた。すると、
「おいどうした?義人、お前また何か悩んでいるのか?」
そう言って仕事用の服に着替えてやってきたのは義人の父の敏明だった。
「あらあなた、義人ったらまた誰かのことで悩んでいるみたいなの。もしその人たち全員を助けられなかったらどうしようって思っているみたいなの」
少し困ったような顔で恵は敏明に言った。敏明もまた義人の人を思う性格をよく理解していたので、義人ならあって当然だというような反応を見せる。
「そうか、義人のことだしそれで悩んだりすることは納得は行く。確かに今のお前ではどうにもならないことだってあるさ。まして未成年じゃないか、無理もないさ」
敏明はまず現実的なことを話す。日本という国にいて、その法律や世間からの目の元にその国で生活している以上はその規範の中で出来ることをやるしかない。その事実を語る。
「けど、それがどうしたんだって話だ。それでもお前がその人たち全員を大切にしたい、ないがしろにしたくない、そういう気持ちは本物なんだろう?」
途端に敏明は義人に確認するようにそう言った。それに対する義人の答えは一つである。
「勿論だよ、だって俺がそうしたいから」
「だよな。だったら自分のその気持ちを大事にすればいい。そうして泥臭くも足掻いて、願いを叶えようとすれば、必ず自分で信じていたことは叶うさ。父さんだってお前たちのためにこの生活を手に入れようと、どれだけ苦労したのか」
それを聞いていて恵はふと思い出す。義人の兄、長男の勝人のことを。
「そうね、勝人だって今まさに大学の法学部で一生懸命勉強してるんだもん。義人がこれから先どんな人生を歩んでいくのかは分からないけれども、あなたが強い意志で突き進んでいけば、きっと明るい未来が待っていることでしょうね」
「そうそう、お前はその性格だし、前々から言っているけどNPO法人にでも就職してみたらどうかな?きっといい担当者になれるだろうよ」
「ふふっ。もうあなたったら」
敏明の調子づいた言葉に微笑む恵。両親の言葉を受けて、先ほどまで浮かなかった義人の顔から笑顔が蘇ってきた。
「そっか。父さん、母さん、ありがとう。そう言われて自身が付いてきたよ。きっと色々な人たちがみんなで幸せになれるよう努力すれば、きっとそれは現実になるんだね」
「そうだぞ!頑張れ義人、父さんたちはお前の味方だからな!」
敏明は楽天的な人物だった。それでいて弱気でいる人をすぐに元気づけてあげる情に厚い人物であり、誰かが何かを言ったりやったりしようとすればそれを肯定的に受け止められる。だからこそ心配性の恵のことだって支えてきたし、息子たちのことも応援してきたのだ。その勢いで粋な冗談を言って場の空気を和ませる。
恵も恵でいつだって誰かに気を使っている。少し過保護なところもあるが、そうして子供たちのために自分が出来ることはないものかと気にかけ、様子がおかしければ相談に乗ることもいとわない。
こうした親二人の相手を思う心を義人は受け継いでいるのだろうし、当然その親も子供の心情に共感できる。そうして義人は両親に救われ続けているのだ。
「おっともうこんな時間だ!朝飯も食べたし、そろそろ仕事に行かないと」
敏明は時計を見てはっとし、慌てて鞄を以って家を出ようとする。
「気を付けてねあなた」
「行ってらっしゃい父さん」
「ああ行ってくる!」
妻と息子に見送られ、敏明は今日も元気に仕事へ向かっていったのだった。
通学路、眩しい朝日が照り付け、冬場の寒さを和らげてくれる。只冷たいだけのはずの風が心地よく感じる。こうして何かすっきりした気分でいるからそう感じるのだろうか。親友、両親、それぞれの助言を受けて義人はすっかり蟠りが抜け、もはや迷いの様子はない。やはり誰かに相談してみるものだ。義人は助言してくれた人たちへの感謝、そしてこれから先の展開への期待に胸を膨らませながら学校へ向かっていった。
由香、千恵、真美、待ってろよ。皆には誰にとっても最高の返答をしてやるからな。もう二度とあんなことにはなるまい、今度こそ絶対に女の子を笑顔にするんだから。
そうして学校の校門前まで来た。横には「高井市立蓮堀高等学校」の文字が刻まれている。今日もまたやってきたけれども、今回はいつもと違うコンディションだった。これで彼女たちが来てももう何も迷うことはない。自分の思いを胸を張って言えるのだから。大いなる期待に満ちた義人だったが、ここで一つ遊び心あることまで考えたのだ。
今日すぐにでも意思を伝えるのもいいが、もっと面白くしてやろう。丁度源からはバレンタインデーまでの間に考えておけと言われたし、必ずチョコレートをプレゼントしてくるはずだ。彼女たちにはそのタイミングで言い渡すとでも伝えようか。それでどんなプレゼントをして、答えを聞かせたらどんなことを言ってくれるかが楽しみだ。
こういうところまで何気に父敏明に似てしまったのだろうか。果たしてこの計らいがどんな結末になることだろうか。義人は堂々と校門を通っていったのだった。
教室まで来るとそこには既に真美がいた。そして早速こちらに話しかけてくる。
「おはよう義人君」
「おはよう真美」
「うーん昨日は大変だったよ。せっかく二人でお昼にしていたのに、あの二人が邪魔しちゃってさ」
物腰柔らかながらも少し不満気に真美は言う。
「そうだなあ、昼飯ぐらいはゆっくりしたかったのに。けれどもこんなことになるのも時期にお終いだ。」
「え?」
真美は不思議そうに首を傾げる。
「今日もまたあの二人が俺たちの元に来るだろう。その時のためにあることを言い渡そうと思っているんだ」
「ふーん、何か考えてあるんだね。ねえそれって私とあなたに未来があるってことかな?」
「まあそうなるな。とにかく楽しみにしていてくれ」
思わせぶりなことを真美に言い渡す義人。尚も不思議そうにする真美。義人にはそんな彼女の様子がどこか可愛く見え、ワクワク感がより一層増したのだった。
一体三人は聞かされたらどういう反応をするのか考えただけでも待ち遠しい。きっとこれから奮闘していくんだろう、そんな一生懸命ぶりに対する答えを伝えれば何かしらの反応はするはずだ。こうして昼休みが来るまでの待つこととなった。
そうして昼休み。いつもの広場でまた真美と一緒に弁当を広げていた。
「今回もあの二人は来るのかなあ」
「こっちとしては来て貰った方が君のためでもあるけれども、まあとりあえず食べながら待って居よう」
「うーん何なのか分からないけど、とりあえずそうしようか。それじゃあほら」
「また食べさせてくれるのか、いいぞ」
そんなこんなでまた二人でこの時間を過ごす。小さなハンバーグを真美は器用に箸で摘まんで義人の口まで持っていく。これがまた真美の手作りである。しっかり肉汁が出てくるし、一口サイズに纏めてあるのが秀逸だ。次にブロッコリーが口に入れられる。これまた普通の冷凍では味わえない、自分で一から茹でたであろう程よい水加減だった。そうして料理上手の真美の手作り弁当を満喫していた。そして。
「あ!義人ったらまた佐和山さんとそんなことして!」
案の定、由香が現れる。早速一人やってきたか、そう思っていた義人。そして真美は穏やかに由香に言う。
「あら三木野さん。やっぱり来てくれたんだね」
「何なのよその歓迎してくれているみたいなそぶりは?」
これまた不思議そうに返す由香。
「丁度良かったよ由香。真美やお前のもそうだし、千恵にも言いたいことがあってね」
「えっ?あたしたちに?」
義人からそんな言葉を聞いた由香。この時の由香は今正に咲かんとしていた心の花の蕾が開こうとした瞬間だったのだ。思えば義人との関係は長いものだった。だからこそ自分は彼のことをその時からよく知っていたし、義人がどういう人物なのか知っている。あの時だってあたしにも手を差し伸べてくれたし、今回だってそうするはずよ。由香にはそうした思惑が巡る。
「うーんこれで俵さんも来てくれればいいんだけどね」
真美がそんなことを話していた。すると、
「私に何か?」
何だかそうなるべくしていたかのように千恵が姿を現す。
「またあたしに用があるわけ?」
嫌そうな顔で由香が聞く。
「まあ再試験の件とは別ですけど、また義人君にちょっかい出しているのではないかと思いましてね」
「やっぱり自分事じゃないの」
「只義人君に迷惑かけないようにして貰おうとしただけですよ」
「まあいいだろ。そういうことなら三人に言い渡しておきたいことがあったんだ」
「えっと、何でしょうか?」
千恵もその場で息を飲む。もしかしてこの中で誰が一番好きなのかを言い渡したりするものなのでしょうか。仮に誰を選ぼうと、このどうにもならない関係は終わりを迎える。佐和山さんを選べば三木野さんが義人君にちょっかいを出すのを辞めてくれるし、三木野さんを選べば彼の方からやることをしっかりやるよう言い聞かせて彼女を大人しくさせてくれる。けど待って下さい、もし彼が私のことを選んでくれたらどうしましょう。確かに私だって自分の弱さを受け止めてくれる彼のことは気に入ってくれていますし、それはそれでうれしいのだけれども。千恵はそうした思惑を巡らせた。
他の三人も固唾を飲んで義人の言葉を聞こうとする。
「率直に聞くけど、皆は俺のことは好きかな?」
「「「え?」」」
率直にとは言ったが、その問いは三人にとってもあまりにもストレートなものだった。自分たちの彼に対する気持ちを聞いて来ていったいどうしたのか、もしかして自分たちの思いがどれだけ本気なのか確かめようとしているのか、三人全員の心境は完全に一致した。
「まあアンタとは中学の頃からの付き合いだし、だからこそ今までもこれからもその関係は大切にしていきたいなって思ってはいるから・・・・・」
由香は照れ隠し気味に、それとなく義人に対する思いを匂わせるようなことを言って答えた。
「そうだよな。幼馴染だからこそ長い付き合いは大切にしては行きたいな」
義人は分かったような口調で由香の言葉に応じる。
「真美はどうかな?」
「それは勿論。だって義人君は頑張り屋さんだし、私も色々お世話のし甲斐があるから。それで私の親切にも素直に喜んでくれるし、その度に私嬉しいの」
真美は頬を少し染めて、ふんわりした笑顔で答えた。
「ああ、真美にとっても相手の幸せが自分の幸せだよな。その気持ちわかるぞ」
義人は共感するように真美の言葉に答える。
「そしたら千恵の気持ちも聞こう」
「そうですね。義人君はこんな堅そうな私に対しても優しく接してくれましたし。そのとき私は凄く嬉しかったんです」
千恵はいつもの堅そうな表情から一転、少し微笑んで赤らんだ表情で答えた。
「あの時から千恵はいつだって品行方正で真面目だからな。だからこそ俺も応援したくなったよ」
義人は尊い目で見ながら千恵の言葉に寄り添う。
「皆には俺に対する気持ちをしっかり貸せてもらった。それじゃあ・・・・・」
そうして義人は言い渡した。
「そんなに俺を思ってくれるなら、それを形にしてくれないかな?」
その言葉にまたしても三人は首を傾げる。
「それって、アンタに何か気持ちの籠ったものを渡して、愛情を示してみろってこと?」
由香が問いてみる。
「そういうこと。そうして三人の気持ちの程を見極めたい。これからバレンタインデーだろ?『誰よりもあなたのことが好きだ』という思いの籠った贈り物を俺のために作って渡してごらん。そうすればその気持ちを受け止めよう」
この義人なりの計らいの言葉に三人は唖然としたが、それぞれの頭の中のものは一緒だった。これでもし自分が他の二人に比べて強い思いがあることを証明できれば、彼は晴れて自分と一緒になる。そんな期待で胸が膨らみ始めていた。この機会は何としてでもものにしなくては、そうした考えは一緒だったのだ。
「分かったわ、義人。二人に負けないようなものを作ってきてあげるから待ってなさい」
由香は意気揚々と宣言した。
「ふふっ、それならいいね。絶対に義人君が喜ぶようなものを作ってあげるから期待していてね」
真美は優しい笑顔でそう答えた。
「バレンタインデーですか。それならお気持ちを伝えるには十分でしょうね。やって見せましょう」
千恵は凛とした表情で静かに告げる。
「よし、じゃあ頑張ってこい!」
義人は三人にそう言い渡した。こうして三人は意中の男を我がものにせんと奮闘することとなる。愛の告白ではなかったにせよ、自分の気持ちも改めて伝えることが出来たし、その気持ちを形にして彼にぶつければ彼にもそれが伝わる。そのことを彼女たちは期待していたのだった。バレンタインデーはどんなチョコを渡そうかな、三人はこの時点でそんなことを頭の中で巡らせていた。
一方の義人、彼女たちがどこまで本気になれるかが楽しみである。自分でなければ駄目だ、他の人じゃ代わりになるものはない、その一途な思いを証明するのならば自分もその全ての思いに答えてあげよう。そうして彼女たちの健闘ぶりを祈ったのである。
その後義人は真美との昼食を終え、いつもとは違う肩の荷が下りたような様子で午後の授業に臨んだ。その時の勉強はいつも以上に調子が良いように感じたのだった。




