序章:別世界
・・・・・この本を読んでいて、もうどれ位の時間が経ったのだろう。
その本の中には色々なことが書かれている。ネットワークの仕組み、履歴が残ったりそこから検索傾向を予測したりするためにどうなっているのか、そんなことが書かれているのそれは並大抵の人間が興味を示すこともなければ読んですぐ理解するものでもないだろう。それでも少女は読み続けているのだ。読むだけで頭が痛くなりそうなものを彼女は平然と読んでいるのである。その好奇心はいったいどこから来るのだろうか。知識を得て自慢したいからか、それともお金儲けをしたいのか。否、そんな自分本位なものではない。もっとしっかりした理由があるのだ。この知識さえあれば大切な人、困っている人を助けられる。あの日あの人がああなってしまい、もう二度とそんな人を出さないようにするためにも私がやるんだ。絶対これをものにしないといけない。そう自分を信じて勉強していたのである。
けれども現実は残酷なものである。
「おい、またあいつ独りであんな難しそうな本読んでるぞ」
「あんまりかかわらない方がいいよ、勉強の邪魔だし」
「そうだね、オタクとかキモいだけだし」
そんな陰口を叩いているのが聞こえた。目をやれば視線の先でもう既にスタスタと去っていく男女の姿が。あんな人たちの事なんか相手にする必要はない。自分は只、自分が信じたことを貫いていけばいいのだから。心の中でしょいう所はそう言い聞かせていたのである。
けれども何だろう。自分がこんなことしているのってそんなに異様なことなのだろうか。そもそも自分がこんなことをしていることに意味があるのだろうか。あんなことを言われて急に疑念が湧いてしまう。確かに得るものを得ようとする意欲を持つことは大切だ。だがそうしたものを得ようとするために、何かしらの犠牲をしなければいけないのも事実である。これもそういうことなのだろうか。誰もが身に着けるのが難しい知識を得るがために人との関りを失ってしまう。かの北欧の神オーディンとて魔術の知識を欲するがために己の眼球さえ差し出してしまった位だから、自分もまた大事な機会をドブに捨てていることになるだろうか。
いや、今はそんなこと考えている暇は無い。集中しないと。彼女はまたそう自分に言い聞かせて目の前の文字や数字の羅列に目を向ける。そうして彼女の静かな時間は過ぎていこうとしていた。
それは彼女にとってはこの上ない寂しさと苦痛だった。自分は他の誰とも違う。だからどんなに自分が周りにちやほやされても共感までしてくれる人はいない。心から信じられる人がいないのだ。すぐに自分を異世界の人間とみなして距離を置いてしまう。
それもそのはず。彼女は他の人と環境も育ちも違うのだ。豊かな教養、気品ある言動、何不自由ない暮らしぶり、そうした余裕のある生活が今の自分を作っているのだ。人はそんな自分のことをより高い場所にいる存在のように見ている。誰であろうと手を伸ばして、そこに咲いている花を取ろうなどと考えたりはしないのだ。だがそれは誰も手を出さないからこそその花には水も肥料もやることのできないという残酷なものなのである。
ふと彼女は辺りを見回してみる。そこには自分以外は誰もいない。時折自分の元を誰かが通りがかったものとしても、ただ遠くから眺めてこっちに近づいたり話しかけたりすることもない。そんなことをしてはいけないものだとでも思って謙遜しているのである。恵まれた環境の中で育った、だがそれと同時に違う環境で育った人間と馴れ合うことはできない。その辛さが締め付けるような痛みになって胸にじんわりと伝わり、彼女の目からは涙が零れそうになっていた。
「あなた、平等院さんだっけ」
突然聞こえてくるはずの無い、自分に話しかけるような声が聞こえてきた。
「な、何なんですの!?」
思いもしなかったことに戸惑いながらも聞こえた声に応じる。そうして目をやった先には三人の女子生徒の姿が。この学校の生徒であるのは確かだったが、身なりからしても自分とは明らかに違う、一般的な生徒の姿だった。
「こんなわたくしにいきなり話しかけるなんて・・・・・」
「こんなとか言わないでよ。あなただって学校では高嶺の花なんて言われているし、かなり育ちのいい人じゃん」
彼女たちは褒めちぎるように彼女に話しかける。
「いえそんな、大袈裟過ぎますわよ」
「何だけれども、随分寂しそうにしてるじゃん。やっぱり近寄りがたい存在だから?」
「だからアタシらから提案があるんだけど・・・・・あなたの友達になってあげる」
「え?」
その言葉は思いがけないものだった。
「本当ですの?」
「そう、その代わり条件があるんだけど・・・・・」
そう言い始めた提案を彼女はじっと聞いていた。その内容はとても信じられないものだったが、この機会を失えば次は無いとでも思ったのだろう。
「分かりましたわ。それでお友達ができるのであれば、わたくしも本望ですもの」
桃色の唇を噛みしめ、下げた両手を握りしめた後、そうゆっくりと返事をしたのである。




