第70話 ランキング戦⑤
チッチッチッチッ......
微かに、だが確かに響く規則的な音。
腕時計の秒針が刻む音が、この異様な空間の中で妙に大きく感じられた。
シロは視線を上げる。
現在進行形で“それ”は落下している。
だが、その落下は常識的な速度ではない。
極限まで分割された時間の中で、ほんの僅かずつ、確実に地面へと近づいている。
「......」
シロの内心は穏やかではなかった。
焦り。
それが確実にあった。
理解している。
『時間』だけでは、運命は変えられない。
どれだけ秒を刻もうと、どれだけ遅延させようと──
それは“先延ばし”でしかない。
状況を変えたいのならば、直接手を加えるしかない。
だが、それには
(『停止』が必要だ)
佐藤の能力。
あの完全停止の領域。
それを用いなければ、干渉は成立しない。
つまり──
〈調停者〉だけでは
この状況は打開できない。
無限に繰り返すだけだ。
同じ“結果”へと収束する、終わらない過程。
「......」
その事実が、重くのしかかる。
── ── ── ── ──
そして。
その“時”は、訪れる。
何千、何万と刻まれた秒。
その全てが収束し──解放される。
同時に訪れる、達成と終焉。
だがシロの胸中は、晴れなかった。
ただ未だにそれが正体不明であること。
それが最大の不安要素。
そしてもう一つ。
自身の立場においての慢心。
〈調停者〉という立場。
その名に胡座をかいていた。
どこかで、“どうにかなる”と思っていた。
そのツケが、今ここに来ている。
視線を下へ向ける。
フィールド上。
二人の男が対峙していた。
一人は守りの構え。
もう一人は、煌びやかな光剣のようなものを振り上げている。
その光は強く純粋で、鋭い。
(......あれなら)
思う。
(あの光剣なら、この異物すら──)
浄化できるのではないか。
だが、その考えは──
次の瞬間、否定されることになる。
── ── ── ── ──
......チッ......チッ......
......ドプン
「......?」
音がした。
それは、明らかに想定していたものとは違う。
本来ならば──
落下をしたあと大きな音が鳴る。
そうなるはずだった。
だが。
今、響いたのは──
「......液体?」
まるで水面に何かが落ちたかのような音。
フィールドに目を向ける。
そこにあったのは。
「......なんだ、あれは」
影。
いや、人影。
だが、それは人間の形をしているようで──どこか歪んでいる。
見ているだけで、不安を煽る存在。
そして。
それは確かに──“人間”だった。
「うわうわうわ......」
観客席の端。
水谷悠真は、その光景を見て思わず引いていた。
「なんだありゃ。気持ちわりぃ......」
ぞわりと背筋に寒気が走る。
だが同時に、別の感覚もあった。
あの落下。
あの時間の歪み。
その一部始終を、確かに“認識”できている。
それは──
彼が【空間の覇者】であるが故。
完全ではない。
だが、部分的な干渉と知覚。
それが、この異常を捉えていた。
「......俺、今ならいけるんじゃね?」
ふと思う。
「ここで『実は俺も調停者です!』って出てったら、救世主ポジじゃね?」
......いや。
「無理だな」
即座に却下。
持続的な干渉はできない。
今の自分では、どうにもならない。
「ま、落ちる直前で起きるか」
軽く目を閉じる。
そのはずだった。
「おいおいおいおい」
再び目を開けた時には──
「もう着いてんのかよ」
“それ”は、既に地面に存在していた。
「......人間、だよな」
魔力で探る。
反応はある。
だが──
「......おかしい」
性質が違う。
明らかに異質。
身体が魔力で出来てる?
そんな感覚。
そして。
「......って、めっちゃ見てくるんだけど」
視線が合う。
じっと、こちらを見ている。
「え?俺に惚れた?」
軽口を叩く。
「いや〜困るなぁ、俺の魅力がバレちまったか」
......そんな冗談を言っている場合じゃない。
「......とりあえず」
切り替える。
「戦闘になる可能性、あり」
脳内シミュレーション。
結果は──
「無理だな。今の俺じゃ勝てねぇ」
即結論。
「まぁ、様子見でいいか」
どうせ、自分は“モブ”。
そう思っていた。
「……は?」
その言葉を聞くまでは。
── ── ── ── ──
「《アヴァ──......え?」
付焼の動きが止まる。
視界に入ったのは、黒い影。
それが、真上から落ちてきていた。
「......っあぶねぇ!」
反射的に身を引く。
だがそれは──
「ドプン」
異様な音を立てて、“着地”した。
「......不審者かい?」
付焼が警戒する。
「悪いけどさっさと消えてくれ──」
言い終える前に。
視界が、反転した。
「......え?」
理解が追いつかない。
次の瞬間。
意識が、途切れた。
首が──落とされていた。
あまりにもあっさりと。
流れ作業のように。
黒い塊は、付焼を処理した。
次の標的。
視線が、ゆっくりと塙へ向く。
その瞬間。
ピタリと止まる。
「......?」
空気が変わる。
「おっと失礼」
低く、重い声。
「まずは名前を聞くのが礼儀、ですよね?」
塙に向けて、語りかける。
その姿は──
やはり、人間にしか見えない。
その場にいた全員が確かにそう思った。しかし、その考えを見透かしてかそれは話を続けた。
「私が人間とお思いで?」
「無論、勝手にそう思っていただいて結構です」
淡々と続ける。
「ただ、世の中には人語を話す生物は人間だけとは限らない」
一歩、踏み出す。
「少なくとも、私はそう見てきた」
「......君は誰だ」
塙が問う。
警戒を崩さずに。
「おっと」
わずかに首を傾げる。
「人に名前を聞く前に、まず自ら名乗ることが礼儀なのでは?」
「......まぁ、受け入れましょう」
静かに笑う。
「私には貴方の“底”が見えないので」
その瞬間。
世界が、変わった。
辺りは闇となる。
全てが黒に塗り潰され、光が消える。
音が消える。
ただ一つ。
一筋の光が、“彼”を照らす。
その中心で。
黒い存在が、語る。
「世界は闇に包まれる」
低く、響く声。
「光のある所に影が在る」
影が蠢く。
「しかし影が世界を包めば」
静かに、広がる。
「ここには私たちしか存在しない」
そして。
名を告げる。
「 ──私の名前は、黒煙」
空間が震える。
「影を統べ、その全てを喰らう」




