第62話 笑顔が報酬かも
怪しい。
まず、この状況になって最初に浮かんだ感情がそれだった。繁盛している店の裏側に案内されているというのに、人の気配は薄く、活気は表の喧騒に置き去りにされている。さっきまで聞こえていた焼ける音や客の笑い声は、まるで別世界の出来事のように遠のいていた。
対して、隣を歩く咲夜はというと──
「わぁ......なんか、探検みたい......」
目を輝かせていた。
......いや、何でだよ。普通逆だろ。
この状況、どう考えても不審者ルートだぞ?と心の中でツッコミを入れつつも、俺は辺りに意識を巡らせる。
違和感は3つ。
1つ、繁盛店にも関わらずピンポイントで俺たちに声をかけてきたこと。
2つ、この奥に進むにつれて“音”が消えていること。
3つ──魔力の流れ。
だが、これがまた妙だった。
(......自然、に近い?)
不自然なほど自然。作られた空間のはずなのに、森の奥に近い感覚が微かに混じっている。
──それが、余計に不気味だった。
やがて案内された先は、ほとんど人の気配が無い薄暗い部屋。咲夜の足取りが、さっきよりも僅かに鈍る。
「......っ」
肩が震えている。
ようやく、危機感を持ったらしい。
俺は軽く息を吐いた。
(まぁ、何が来ても......)
勝てる。
その確信だけは、揺らがない。
だからこそ──
「なぁ、咲......っ!」
声をかけようとした瞬間、視界の端が歪んだ。
違う、歪んだんじゃない。“来た”。
音もなく、気配も薄く、だが確実に殺意だけを乗せて──
背後から、影が咲夜へと迫っていた。
「っ!危ねぇ!!」
反射で身体が動く。誘導していたスタッフを突き飛ばし、咲夜の腕を掴んで引き寄せる。
──だが。
「っ......!?」
視界の奥から、もう一つの“影”が滑り込んできた。
完全な死角からの介入。
それによって、俺の動きは僅かに遅れる。
「ちょっと、お客さん。私たちの厨房で暴れないでくださいよ」
軽薄な声。
だが、その裏にある圧は明らかに“上”だ。
「誰だ」
「名乗るほどの者でもないですよ。ただ、この店の店長兼オーナーとでも言いましょうか」
男は穏やかに笑う。
だがその視線は、笑っていない。
「それより、よそ見していると危ないですよ?」
指差された先。
そこには──
「きゃっ......!」
咲夜と、突進してきた男の衝突。
鈍い音と共に、彼女の身体が床へと投げ出される。
......だが。
(違う)
ただの衝突じゃない。
床に広がる赤。
あれは、擦り傷の量じゃない。
“切られている”。
「お前......」
喉の奥が、熱くなる。
「ぶつかったにしては、随分派手じゃねぇか?」
怒りが、滲む。
だがその瞬間、俺はスキルの発動を──止めた。
理由は単純だ。
“強者”。
すぐ近くに、それがいる。
俺はゆっくりと視線を移した。
視線の先──咲夜。
「......痛い......痛いよぉ......」
涙が零れる。
その一滴ごとに、空気が軋む。
圧。濃度。そして、質量。
全てが、異常。
(......なんだ、これ)
魔力が、集まっている。
いや、違う。
圧縮されている。
自然に、強制的に、無自覚に。
彼女自身が“核”となって。
(......この感じ......)
覚えがある。
いや、正確には“似ている”。
禁域。
あの領域に足を踏み入れた時の、あの圧倒的な“自然の暴力”。
それに酷似している。
「......っ」
意識が、削られる。
立っているだけで、呼吸が重くなる。
(ヤバい......これは......)
俺でも、耐えきれない可能性がある。
咲夜は、ただ泣いているだけだ。
それだけで、これだ。
もしこれが完全に“解放”されたら──
(......来る)
何かが、来る。
形の無い何かが、外へ溢れ出そうとしている。
だが──
「おや?」
その兆しは、遮られた。
オーナーの男が、一歩踏み出す。
「すみません。私としたことが」
空気が、変わる。
あの濃密だった圧が、嘘のように緩む。
「怪我をさせるつもりは無かったのです」
男は穏やかに頭を下げる。
「そうですね......今後、あなた達から料金を頂くのはやめましょう。それで手を打っていただけると有難いのですが」
......は?
頭の中で、何かが切れる音がした。
(ふざけてんのか)
意訳すれば、“さっさと帰れ”だ。
ここまでやっておいて、それで終わり?
潰すか?
この店ごと。
そんな衝動が、確かに湧いた。
だが──
「......」
咲夜を見る。
彼女は、少しずつ泣き止んでいた。
あの圧も、収まっている。
(......今は、こっちが優先だ)
舌打ちを飲み込み、俺は頷いた。
「......分かった」
そのまま咲夜の手を引き、俺たちはその場を後にした。
外の空気が、やけに軽い。
さっきまでの圧が嘘のようだ。
「えっと......大丈夫か?」
俺は咲夜の様子を覗き込む。
「ん〜?怪我?」
彼女は首を傾げた。
「大丈夫だよ。料金タダになったし、お得!」
......お前、強いな。
メンタルが。
「そっか......なら、いいけど......」
いや、よくはない。
全然よくはないが。
......聞きたい。
めちゃくちゃ聞きたい。
俺は無言で視線を送る。
気付け。
気付いてくれ。
頼む。
「......もしかして」
咲夜がこちらを見た。
「私のスキル、知りたいの......?」
「んえ!?あ、あぁ!いや、無理にとは言わないけど!教えてくれるなら!その!助かるっていうか!」
自分でも分かるくらい早口になっていた。
咲夜はくすっと笑う。
「ふふっ。怖がらない?」
「あ、ああ。大丈夫だ」
むしろ、もう怖いのはさっきので慣れた。
「私ね──」
少し間を置いて。
「魔獣、呼べるの」
「......あ、鼻血でてるよ?」
「え?」
【天変地異】
── ── ── ── ──
──その夜。
「......少し、強引でしたね」
店の奥。
あのオーナーの男──ウトが静かに言った。
「ヒ、ヒヒ......だ、だって......」
アムが笑う。
「ウトが......あの女を捕まえろって......」
「それにしても、ですよ」
ウトはため息をつく。
「ですが......結果としては悪くない」
彼の手の中には、小さな“何か”。
それは、微かに脈動していた。
「欲しいものは、手に入りましたから」
「本当に、あの女で良かったのか?」
イフが問う。
「もっと上を狙えたのではないか?」
「問題ありませんよ」
ウトは微笑む。
「感じたでしょう?あの、濃密な魔力」
「私たちのモノになれば──」
その瞳が、歪む。
「きっと、より良くなる」
そして、天を仰ぐように呟いた。
「......そうですよね?」
その名を、呼ぶ。
「魔王様」




