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ある皇女と子爵の書簡  作者: もぃもぃ
第一章 微睡み
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一八〇六年  皇帝から子爵へ





 ガーネット子爵



 公使任命以来、三月とあけず顔を合わせたところだが、様子はどうだろうか。あなたには意気軒昂というのはいささか似合わないというのが私の所見だが。それでも、私よりかは生色(せいしょく)を失ってはいないだろう。

 堅苦しい挨拶は省かせてくれまいか。そのうえ、私を恨まないでいてくれてるのなら僥倖というもの。皇帝という仕事のなんと非合理で無駄の多いこと信教の千年とも二千年ともつづく歴史にも勝るとも劣らない。あまつさえ人倫の道に背くといって差し支えない。あなたには悪いが、私が神の栄光を疑ってかかるほどには、自分の系譜や半生の来歴といったものが恨めしい。

 我が帝国の前身(倒れた共和制のまえのテンニース帝政のことだね)に、我ら一族がその由緒を貴族名簿に連ねていたかね? たしかにあっただろうとも。どこから始まったかも定かでない祖先を末端貴族にもつくらいの不気味な幽玄さを認めるならば。



 信じられるか。二年前、私は皇帝の称号を戴くさい、自分に対して爵位をゆるす特許状を書いたのだ。神をもおそれぬ所業だとは思わないか。私の全名を述べるのに必要な時間は、茶を蒸すのにはいささか不足である。名前(ファーストネーム)、洗礼名、(まことに残念ながら、正統ならばこの順番に連なるはずの父方および母方あるいは先祖の姓は割愛もといはじめから存在しないともいう。そして正統に名を述べるならば、茶を蒸す時間にいい塩梅だろう)、所有する領地の名(戴冠から二年経ちようやく覚えた)、帝国名となることは、私などより革命を蜂起した近衛軍か大臣たちが詳しい。しかして、この全名が不行状といわずして、なんという。

 ―――テニッセン帝国。テンニースの後身であることを差し引いても、もう少し捻ってはどうか?



 さて、きみは私に失望したかね。きみが姪君の結婚式における滞在において丁寧さに欠けたとしても、我が命を受けたほどであったというのに。あの方は――皇女として帝国の領地をおもちだが――、それ以前にあなたの唯一の肉親であり、あなたがたの仲を引き裂くがごとく切り上げさせたこの私に、浅い疑念もいだかなかっただろうか、あなたは?

 二年前、長らく空位となっていた子爵位をあなたに継がせ、次いで先日、公使へ任命した私になにか深遠な意図を見出だしすことはしなかったのだろうか?



 グレイス・エル・ガーネットよ。そんなものがあるならばこの私こそが知りたいところだ。皇帝の職務が人倫の道に背くと書いたが。この内容を手紙にしたためたこともそのうちのひとつではあるし、西は海へつづく無辺の地、あるいは南は旧共和国が捨てた土地をふたたび拾うということを免罪符として領土拡大を(ほしいまま)にしていることが、またひとつ。

 いったいこの国には、公用語がいくつあるのか? 皇帝に話すことのできない言葉だけでも三つは数えられる。私は頭脳明晰という意識こそないが、暗愚ではないつもりだよ。しかし考えるだに気が滅入る。

 共和制が破られたのは、ある種当然のことだったかもしれないね。我々の言語、すなわちテール語圏だけで樹立しようとある程度土地を手放したのは評価していたのだ私は。しかし土地を線引くというのはそれこそ神の御業ではないか? 共和制を成立させるには、先の帝国時代からこの国は広すぎた。だが言葉がちがう土地を呑みこむことはやはり非合理だ。無駄の多い、というのはきみやきみの姪君のほうが実感があるだろう。一日に何回かの着替えに、朝食室、喫茶のための回廊(ギャラリー)、正餐室、それぞれのテーブルに敷いてあるテーブルクロスのレースや刺繍、銀器や陶磁器のひとつ一つが異なるなど、だれが心を砕くのだ。

 皇帝が手をつけない皿はどれほど豪勢であっても、だれもその料理を口にしてはならない。皇帝が食べ終わればそこで食事は終了となる……。このような挙措にまつわる決まりごとを数えあげればきりがない。私は規律厳しい隣国の王になった憶えはないのだが。


 

 こんなありさまの暮らしに二年も耐えた皇帝がかつて在ったものか。少なくとも貴族の無駄に起因する時間の存在しないであろう共和制のほうがよほど合理的というものではないか。しかし私は銀器を輸入し、陶磁器などの身の回りの品を産業として確立せねばなるまいよ。幸いにして港はあり、流れる川は美しい。空と森は麗しく、土地も豊かだ。先の帝政の名残の貴族どもの知恵を拝借することはやぶさかではない。なにせ私は奴らによって発掘されたようなものだ。

 きみが子爵になり、公使に任命されたのも、必然であり偶然だ。しかし私の頭のなかに、きみが公使の任を与うるにふさわしい貴族として登場したこともたしかだ。あなたと、あなたの姪君、かつて子爵令嬢だった皇女殿下とたびたび皇都の劇場へ遊びに訪れたことは、まだ遠くない記憶だよ。私がそこでなにをきみに見出だしたと思う。

 皇女の純真無垢以上に、きみには世間知らずなところがあるのではと思えてね。気に障ったのなら詫びよう。だが、きみが抱えているであろう政変での戦いの傷というのは、隠すことなく伝えるならば私には響かないのだよ。私は貴族というものに辟易としている。けれど可笑しいことに、きみに希望をみてもいるのだ。私のこの根拠のない気まぐれを恨むだろうか? 私へ懐疑の念を燻らせるだろうか。



 なぜ今さらこんなことを言い出したのかきみは不思議だろうね。高位貴族の暮らしに慣れるため根拠もなく二年も耐え、自分の心情を切々とあなたに吐露する自分が、私も不思議だよ。これは皇帝の一個人の心情の吐露であって、テニッセン皇帝の公的な発言ではないよ。ぜひにも留意してもらえるとありがたい。


 この手紙を、あなたには不安にも不穏にも感じていただきたくはないのだが。それは放埒(ほうらつ)がすぎるというものかな。総ては私の気まぐれと思い立ちに起因するものと考えてくれたら重畳(ちょうじょう)だ。

 とにかく、この手紙がきみのもとに着くころには、私はきみのいる領地と皇都の中間の土地にいることだろう。こちらの都合で出てきたのだから仰々しい出迎えはいらないよ。といっても、もっぱら私がきみを出迎えることになることはもう決まっている。手紙を読み終えしだい向かってほしい。私に対するきみの信頼回復――さしずめ、旧共和国(あちら)側がたびたび嘯くという失地回復といこうではないか。





 一八〇六年 八月四日

 ニクラウス・トラウゴット=ヘルゲ

 西の海へ流れる河畔にて







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