第9話 逆恨みの四重労働
探知と気配遮断の魔法を完璧に使いこなせるようになった私は大きな決断を下した。
それは、この世界の本当の情報を手に入れるため、一階奥にある伯爵の厳重な書斎へ潜入することだった。
深夜、屋敷全体が深い闇と静寂に包まれる時刻。
私はベッドを抜け出して、足音と気配を完全に殺し廊下へ出た。
脳内に張り巡らされた探知の網が、巡回する見張りや眠りについた使用人たちの息遣いを捉える。
誰一人として、私が暗闇をすり抜けていることに気づかない。
書斎の重厚な扉の前で止まり、鍵穴に細い魔力の糸を送り込む。
一瞬で解錠を終わらせ、滑り込むように中へ入ると、室内を気配遮断で覆う。
明かりが漏れないよう、小さな光の球をひとつだけ灯した。
机の引き出しや本棚の奥を探ると、革張りの古いファイルが目に留まる。
そこにあったのは、私の亡き母に関する記録だった。
お母様は、隣国の没落貴族の出身だったのだ。
セレスティア様が私を敵視し父様が無関心を決め込む理由が、母の血筋が対立していた旧派閥に繋がっていた。
私の存在自体が、セレスティア様にとって目障りな過去だったのだ。
さらに、この国では無詠唱で魔法を操る者が異端として迫害された歴史があることも判明した。
自分の立ち位置と危険性を再確認した私は、ファイルを元通りにして、屋根裏部屋へと戻った。
翌朝。
昨夜の真実を裏付けるような出来事が起きた。
応接室でアレクシスが私を陥れようと仕掛けた紐の罠。
魔法で紐の結び目を解いて受け流したことでアレクシスが派手に転倒し、後ろにあったセレスティア様の一番のお気に入りの高級花瓶を粉々に割ってしまったのだ。
「おかあさま」
大泣きするアレクシスと、激怒するセレスティア様。
これで終わるはずもなかった。
自分の躾の行き届かなさとアレクシスの醜態、大切にしていた花瓶を失った恥ずかしさと怒りは、そのまま私への理不尽な逆恨みとなって爆発した。
「あの生意気な子供のせいよ。リゼット、すぐ庭の落ち葉を全部集めなさい。それが終わったら屋敷中のシーツの洗濯。厨房の山のような皿洗い。最後に一階から三階までの廊下の床拭きよ。日が暮れるまでに終わらなかったら、一週間食事抜きにしますからね」
セレスティア様の怒声を受け、侍女たちが意地悪な笑みを浮かべながら私を取り囲む。
「自業自得よ」
「奥様の不興を買うからそうなるのよ」
逆恨みの四重労働。
私はおびえて静かに頭を下げた。
「はい、ただいま参ります」
うつむいた顔の裏で、冷静に探知の意識を張り巡らせた。
まずは冷たい風が吹き荒れる広い庭。
遠くで暖をとる庭師たちの冷たい視線を背に受け、周囲に誰もいない瞬間を見計らって旋風の魔法を放つ。
散らばっていた落ち葉が一瞬にして一箇所に集まった。
続いて裏庭の水場。
山積みにされた冷たいシーツの山に、洗濯の魔法の粒を落とす。
擦ることもなく油脂の汚れが一瞬で消え去り、温風の魔法で干す時間を大幅に短縮させた。
次は油と生ゴミの臭いが充満する厨房。
料理長から。
「さっさと洗え」
物陰で水と分解の魔法を放つ。
銀食器にこびりついたソースも油汚れも滑るように落ちて、水滴すらはじいて乾いていく。
最後は一階から三階へと続く広大な石畳の廊下。
足を張り出して邪魔をしてくる侍女たちの動きを探知で読み切り、気配遮断で気配を消す。
雑巾にまとわせた光の魔法でピカピカに滑らかに磨き上げた。
「もう全部終わったというの」
日没前、普通なら男手でも一日で終わらない連続労働を、涼しい顔で完璧に終わらせた私を見て、セレスティア様も侍女たちも言葉を失い、引きつった顔で立ち尽くしている。
夜、屋根裏部屋に戻り、あたたかな光の球を宙に浮かべた。
「逆恨みで押し付けられた労働だったけれど、魔法の精度を高める良い練習になったわね」
理不尽に虐げられようと、逆恨みで嫌がらせを受けようと関係ない。
手の中に小さく揺れるエメラルドグリーンの光を見つめながら、私は誰にも知られず、逃走と独立への力を静かに蓄えていく。




