第26話 皇太子の接近
王立アカデミーとの手打ちにより、エル工房は国家最高位特例研究所としての絶対的地位を確立した。
もはや、王宮もアカデミーも、他国の密偵すらも手を出せない。
エル工房は、聖域として王都の職人街に咲き誇っていた。
だが、王宮側も手をこまねいていたわけではない。
力での奪取や強硬な捜索が不可能だと悟ったのか、最も直接的で破格の懐柔の一手へと打ってでた。
ある日の夕刻、閉店間際のエル工房に、護衛を最低限に抑えた豪華な馬車が横付けされた。
弱冠18歳にして次期国王と目される第一王子であり皇太子セオドアが降り立った。
「久しいな、天才技師エル殿。いや神話の少女よ」
洗練された王族の立ち振る舞いと、甘い容貌を持つセオドア。
まだ誰とも婚約を結んでおらず、全貴族の令嬢たちが伴侶の座を狙っている金の卵だ。
彼は恭しく私の前へ歩み寄ると、賞賛の眼差しを向けて胸に手を当てた。
「我が王宮の愚行により、不快な思いをさせたことを謝罪したい。だが、君の持つ天賦の才はこの大陸全土を導くためにある。私は誰とも婚約を結んでいない。君さえ望むならすぐに皇太子妃として迎え入れよう」
王宮の権力、将来の王妃という極上の地位。
国一番の貴公子の求愛。
伯爵家で虐げられていた少女に対し、国で最も高貴な男が最大の跪きを見せた瞬間だった。
しかし、冷気すら孕んだ重厚な足音が響いた。
「皇太子殿下、お言葉ですが」
アーサーが非番の騎士服をまとい、私とセオドアの間に滑り込むように立ち塞がる。
氷藍色の瞳には、かつてないほどの冷徹な威圧感と、隠しきれない鋭い独占欲が宿っている。
「エル殿は我がベルシュタット公爵家が全霊をかけて庇護する存在。政治的都合で縛り付けるような申し出は、公爵家としても、私個人としても見過ごせません」
「アーサー。筆頭公爵家の嫡子とはいえ、皇太子の求婚を妨げるつもりか。 国家の未来に関わる話だ」
「国家の未来よりも、彼女自身の自由と意志が最優先です」
二人の視線が交差し、室内の空気が爆発しそうなほどの緊張感に包まれる。
私はアーサーの背中から前に踏み出すと、皇太子セオドアに向かって凛とした声で言い放った。
「皇太子殿下。お申し出は光栄ですがお断りいたします。私は権力や飾りに収まるつもりはありません」
私はそっとアーサーの腕に自分の手を添え、可憐に微笑んだ。
「私の隣に立つ騎士はもう決まっていますから」
私のその言葉と眼差しを受けた皇太子セオドアは、息を呑み深いため息をついた。
エルの心の中に、アーサーという絶対的な存在が深く刻まれていることを悟った。
「なるほど。最初から割り込む余地すら無かったというわけか」
皇太子セオドアは潔く身を引き気品ある礼を残して工房を去っていく。
二人きりになった室内で、アーサーは緊張の糸が切れたように私に向き直ると抱き寄せた。
「エル。君のその言葉が、どれほど私の胸を熱くしたか」
「私の騎士様。言わせたのは貴方でしょう 」
アーサーは髪に優しく唇を寄せ、生涯の愛を誓うように強く手を握り返した。
皇太子の破格のアプローチすらも一蹴し、二人の絆は誰にも引き裂けない絶対的なものとして、さらに深く、固く結ばれた。




