第14話「等価値の荷物と帰り道」
夕暮れが都市の屋根をオレンジ一色に染め上げる中、無事に必要な物資を荷台に載せた馬車が、商都の門を逆向きにくぐり抜けようとしていた。
門兵たちは先刻の大規模な結界異常と消失による報告整理で極度の混乱状態の渦中にあり、出域の手続きは書類の確認すら飛ばされてほとんど素通りだった。
彼らが何を持ち込み、何を持ち帰るのか。
世界に関わるような致命的な加圧力の影響源がこの一台の馬車の上から発生していることなど誰も知りえる余地がない。
馬車が街道に出て最初の微かな軋みを上げたとき、エルインは後方の席から身を乗り出すようにして遠くの空に残る茜色の雲を見送っていた。
手首や指の先にも特別な疲れの痕跡すらない。
彼にとって今日は少し道の悪い商業地で買い物を済ませただけという記憶の一葉として静かに整理され始めている。
対面に座るセリアは、新しく包まれた釘の束の重みを何度か自分の膝の上で確かめてから、それを出発前と同じように丁寧に自分の横へ置いた。
都市の混乱の中に沈んでいった過去の色と、目の前に広がる何も持たない青年の平穏な呼吸。
彼女の視線が、丸まって眠っているラピスの横で少し手持ち無沙汰に遊んだエルインの指先に向けられる。
つい先ほど広場で見せた、全ての理をただ歩くだけで否定した理不尽の化身が、今はただ風に揺れる小さな草の穂を目で追って静かなまばたきを繰り返している。
「あの」
セリアの口から出た声は、これまでの彼女のどの声とも違う、貴族的な装飾の一切を排した低く細い音だった。
エルインがそれに反応して少し首の角度だけをこちらの席へ下げる。
「どうした」
声は相変わらず平坦だ。
「帰ったら、その……夕食の支度を、宿の主と少し手伝わせてもらおうかと思いまして」
それはなんの戦略もない、ただ明日の生活のための等身大の提案だった。
これまでは自分が助けられた負債の意識や見知らぬ暴力からの防衛反応で接頭語を重ねていた彼女が、初めて、同じ地面の匂いをまとって彼の方へ手を下ろそうとした瞬間だった。
彼女の中にあった没落貴族としての見栄や彼に対する不条理への分析は解体され、いまはただの食事を作るという純粋な日常作業へと置き換わっている。
エルインは一拍だけ手持無沙汰に視線を外へと向け、そこからほんの数ミリだけ頬の筋肉を緩やかな形に動かした。
そこには規格外の無自覚な強兵などではなく、ただ日々のわずかな退屈をしのいでいるだけの青年がいた。
「肉がいいな。最近野菜の割合が多かったからな」
彼から返ってきたのは世界の崩壊や脅威の管理などの大仰な議題とは無縁の、どこにでもある不服の文句だった。
セリアはそれを聞き、ごく自然に、ほとんど自身でも驚くほど柔らかな角度で微かに目元を細めた。
馬車の車輪が小さな小石を跳ね上げる音が聞こえる。
もう彼が歩幅を変えたときに世界がどうなるかなど、今の彼女の足の裏からはすっかり抜け落ちている。
彼の中に底の知れない宇宙があるのなら、少しだけ自分たちの手でその深みの空洞を温かいもので埋めてやればいいという、不遜だが微小な覚悟のようなものが彼女の背筋に生まれた。
馬は急ぐことなく一定の歩みで帰郷の街道を引いていく。
何一つ世界の命運を自覚しない男の周りで、今日も彼を中心として不可視の純化と大いなる因果の外側の平穏だけが、ただ流れる雲と同じように自然と降り注ぎ続ける。




