第13話「終わりの大樹と日陰の温度」
大通りの雑踏を抜け、都市の東側に位置する中央広場へと足を踏み入れた。
円形に敷き詰められた白石の中心で、樹齢千年を超えると言われる巨大ながじゅまるの木が豊かな枝葉を広げている。
その根元付近には、城壁の堅牢さを以てしても防ぎ切れなかった不可解な腐食の痕が、木の表面を黒く変色させながら静かに進行を始めていた。
広場を取り巻く兵士たちの足取りは重く、大樹を遠巻きに囲むように銀身の槍が薄い防壁を形成している。
それは外敵という明確な形を持たない、次元そのものが擦り切れるような大規模な土地の疲弊による自壊現象だ。
先ほどの門外や路地の歪みとは規模が違う。
都市防衛の魔術師数人が額から大粒の汗を流しながら、詠唱による進行の遅延を試みていたが、呪力を構成する空気そのものが泥のように重く濁っているのがわかった。
「……こんな深部まで、根が腐り始めているなんて」
歩みを止めたセリアが、自分の襟元をかすかに握りしめた。
空気が急速に冷え込んでいるのも季節のせいではなく、世界が本来持つ地脈の活力が、その巨大な枯死の波に吸い上げられているせいだった。
彼女は、自分の足元にある微小な石の欠片が、音もなく細かい砂に変わっていくのを目にする。
現象による間接的な被害が、数メートル先の人間すらも蝕もうとしていた。
エルインはその後ろを、相変わらず何も持たない手でぶらぶらと歩いてきていた。
広場にあるベンチの一つが空いているのを見て、彼は大樹の周りの深刻な事態からただ少し人が集まっている場所という程度の目に見える情報の処理しか済ませていない。
『いい感じの日陰だな』
彼の思考に流れたのは、ただ少しばかり休憩に適した日差しと影のコントラストの塩梅だけであった。
エルインは横で足を止めているセリアの肩越しに、その広場のベンチへとまっすぐ向かうため数歩大股で進み出る。
ラピスもその後を追うようにトコトコと彼の足首にすり寄って歩を進める。
兵士が止める間もなかった。
彼の進行路の数メートル先では、重層に編まれた魔術の結界が最後の悲鳴のような火花を上げている。
そこにエルインが、何気なく手を差し伸べるでもなく、ただ自分の歩幅のまま右足を着地させた。
その瞬間。
大気を覆っていた重苦しい絶望も、土地が引き裂かれようとしていた莫大な引力も、彼自身の存在定数によって一方的に初期化された。
呪力の波動や魔力の激変といった分かりやすいエフェクトなど何一つ生じない。
スッ……という極めて静かな空気の入れ替わり。
足音がベンチの前の石畳を叩いたと同時に、百メートル規模で広場を浸食していた黒い腐玉のような淀みが、何事もなかったかのように、朝露のごとく陽光の中へ融け去ったのだ。
結界を維持していた魔術師たちが、突然抵抗を失って持て余した自分たちの魔力にひっくり返るようにして倒れ込む。
エルインはベンチに腰を下ろすと、少し足を伸ばしてから首の横をかいた。
「風が通って気持ちがいいな。休まないのか」
彼から真っ直ぐに向けられた声色は、あまりにも平和だった。兵士たちの阿鼻叫喚や、千年の樹が数秒で息吹を取り戻したという奇跡的な事実から完全に隔絶された、ただの日常の枠の中からその言葉は発せられていた。
セリアの中の硬直が、これまでにない奇妙な音を立てて解けていくのを感じた。
強大な力で押しつぶすでもなく空間をつまんで処理するわけでもない。
ただ木陰で休む青年の隣には災厄が存在できないからというだけの理由で、世界の理が彼に合わせて書き換えられたという究極の結論。
彼女はふわりと自身の頭蓋の裏側で、ひきつるような恐怖の枠組みの一片が滑り落ちるのも自覚していた。
ここまであまりにも隔絶した箱の大きさを横目で見せられ続けると、かえって自分が抱えていた不安の尺度すらどうでもよく思えてくるような乾いた悟りである。
少し遅れて、セリアは彼の座るベンチへ向けて一歩だけ、今までよりも軽い足取りで歩みを進めた。




