第十六話
第十六話
樹と話しが出来ないまま、夏休みが明けてしまった。
朝、いつもの教室に行っても樹は来なくて‥‥岳に聞いたら、授業には出ているらしいと言っていた。メールを送っても返事はない。部室にも来ない。そんな状態が一週間ほど続き―――廊下の遠くの方、ついに樹を見つけた。
「いつ――」
手を上げ、名前を呼びかけた瞬間、樹が俺に背を向けた。
その瞬間、頭の中でのど自慢の鐘の音が、カーンと鳴った。
考えるより先に頭が動く。気が付くと、全速力で走りだしていた。
チラッと後ろを振り返った樹が驚いた顔をして、逃げるように走りだす。
「ちょっと待てやぁぁぁ!」
「速っ!」
暫く校舎を追いかけ回し、体力が尽きたのはほぼ同時だった。
二人して階段の途中で力つき、座り込む。
「はぁっ‥‥はぁっ‥‥」
「な、おま‥‥なんで獣人の体力に着いて来れるんだよ‥‥」
「樹が‥‥ゲホッ、逃げるからだろ‥‥」
完全に上がり切った息を整える。視界の端に樹の尻尾が揺れているのが見え、思わず毛先を摘んだ。尻尾を一振りすれば、指先から抜けられる。だが、樹は観念したのか、動かなかった。
「‥‥悪かった」
「それは、逃げた事? それとも、一週間も俺を避けた事?」
「‥‥両方。でも、避けてない」
「じゃあ、何で部室にも来なかったんだよ」
階段に寝転がったまま見上げると、樹がバツの悪そうな顔でそっぽを向い指で頬を掻いた。
「な、なにそれ、ケガ⁉」
思わず飛び起き、樹の手を掴んだ。よく見ると、樹の指先全てに絆創膏が巻かれていた。
「え、何、拷問?」
「アホか」
頭を叩かれた。
「お前は‥‥俺の下手くそな演奏に合わせて手を抜いてるつもりじゃないんだろ?」
「当たり前じゃん!」
「だったら‥‥俺が練習して上手くなるしかないだろ」
「へ‥‥?」
「お前が‥‥もっと思いっきり歌えるようにしてやるから」
樹の顔が真剣で凛々しくて‥‥初めてベースに触ってから半年も経ってないじゃんとか、思わず出そうになった言葉を飲み込んだ。
「分かった‥‥楽しみにしてる」
「おう」
「でも、練習しすぎは良くないと思うよ?」
「‥‥これは、別にケガとかじゃない。練習しすぎて毛が‥‥かっこ悪いだろ」
まさかの指先ハゲ! 想像していまい、思わず腹を抱えて噴き出した。
「あはははは! 指先‥‥ぶふっ!」
「笑うなっ!」
樹に肩を蹴られたけど、痛くはなかった。
「ってか、兄ちゃん達にも言われた」
「そう言えば、お兄さんに教えてもらってるんだっけ」
「ああ‥‥」
樹の耳がしょんぼりと垂れた。
「しかも、文化祭の事バレて‥‥全員、有給取って見にくるらしい」
樹は相当嫌なのか、尻尾も力なく階段に落ちている。
「そう言えば、一般は入れないけど、家族は入れるんだっけ」
安全対策の為、文化祭は関係者以外立ち入り禁止になっている。事前に家族分のパスが渡される事になっている。
「こうなったら、クラスの出し物の売り上げに貢がせるしか‥‥」
「‥‥俺も、親に送ってみようかな」
親が来るような学校行事は、殆ど祖母ちゃんが来てくれていた。今年は、三人分お願いしてみようかな。来てくれないかもしれないけど‥‥。それでも、俺が初めて仲間と上がるステージだから。
予鈴が鳴り響き、樹と一緒に飛び起きた。
「うっわ、ヤバい! ここ、何処だ⁉」
「分からずに追いかけて来たのかよ!」
「樹が逃げたからじゃん!」
ギャアギャアと言い合いながら、階段を駆け下りる。
幸いと言うか、獣人棟と人間棟の間にいたらしく、樹と顔を合わせて笑った。
「じゃあ、また放課後」
「ああ」
俺が手を上げると、樹がキョトンと首を傾げた。
「あれ? ハイタッチ知らない?」
「ああ‥‥人間は尻尾がないから、手でやるのか」
「え、尻尾でやんの?」
「種族による‥‥でも、うちは兄ちゃんたちとは尻尾だな」
「いいなぁ。俺も尻尾欲しい」
「結はどっちかって言うと、猫だろ」
廊下に、「パン!」と手を叩く音が響く。
「また後で」
「おう」
そう言って、樹と別れた。
そして―――廊下と階段を全力疾走した話は榊先生にまで伝わり、部活始まる前にたっぷりとお説教をされたのだった。その後、樹は部活に来なかった事を皆に謝り、岳から蜂蜜の飴を貰っていた。
「そんじゃ、どんだけ上達したか見せてもらおうか」
蒼真がそう言うと、いつもの練習が始まった。でも、いつもと違う。
樹の音が、明らかに夏休前とは変わっていた。
皆の後を、恐る恐る追いかけて来ていた樹の音が、直ぐ側から聞こえて来る。
岳は少し目を細めて笑い、蒼真は感心したように目を見開いた。
『歌え』
樹の音が、そう言っているように聞こえた。
これは、背中を押すとかそんな優しいものじゃない。
もっと行けるだろって、信頼? 違う―――威嚇だ。
背中が泡立つ。一瞬目を閉じた後、自分の口角が上がったのを感じた。




