第十五話
第十五話
ある者は目を見開き、ある者は口を開けたまま固まる。
カウンターの中では、なつきがグラスを拭いていた手を止めたまま、ステージを見つめている。まるで、結たち以外の時が止まってしまったように。
三曲の演奏が終わると、店内はシンと静まり返る。
「あ、あれ?」
いつもと違う周りの反応に、結が不思議そうに首を傾げた。
すると、一人、また一人と拍手が広がっていく。
その姿を見て、結がホッと胸を撫でおろす。
「楽しかった~! なっちゃん、お水ちょうだい!」
「はいはい」
なつきが全員分の水を用意しているのを待っていると、突然榊に頭を叩かれた。
「いてっ」
「お前、小さい頃からここで歌ってんだろ? いつもこんな感じか?」
「う~ん‥‥いつもは一人で歌ってたからなぁ。今日は、もっと楽しかったよ!」
「‥‥そうか」
榊が常連たちを見渡す。結の演奏前とは、明らかに表情が違っていた。原石が磨かれ始め、初めて宝石部分を見つけた時のような、高揚感。榊はその顔を見た事があった。
自分がまだ、ステージの上に立つ側だった頃。友達に連れて来られた子が、自分達の演奏を聞いて目を輝かせた時だった。人が何かにハマる瞬間。ハートに矢が刺さる表現をよく見るが、比喩だと分かっていても、思わず自分の胸を押さえる。心を、鷲掴みされる。
ここにいる常連たちは、結の歌を何度も聞いているはずだ。それでもきっと、彼等に本当の意味で刺さったのは、「一人じゃない結」だったんだろう。
「まったく‥‥とんでもない時に顧問になっちまったな」
もう、笑うしかない。これが幸か不幸かは分からない。俺に出来るのは、見守る事だけだ。
そして、出来る限り、守ってやるしかない。
全員が落ち着いた後、遅い時間までいると店に迷惑がかかるからと、早々に撤収する事になった。
「いつでも、いらっしゃい」
そう言ったなつきに見送られ、店をあとにした。
*
「はぁ~‥‥まったく、とんでもない成長しおったな」
「結坊の歌があそこまで変わるとはなぁ」
結たちが帰った後、常連たちは和気あいあいと酒を楽しみ始めていた。
「バンドを組んだのが良かったんだろうな」
「まあ、他のメンバーは‥‥多少、粗削りだったがな」
「ドラムとギター、あれは人前に出た故の緊張だったな。演奏には慣れとる」
「結坊の凄さを知った上で、ついて行こうって努力は見えるな」
店の外には、「closed」の札が出ている。
「ふふ、結ちゃんの歌声、あんなに色気が出るとはねぇ」
「背中に電気が走ったのは、久しぶりだな」
「儂は‥‥あのベースが気になるな」
「気になるって?」
「ドラムとギターは客の方を向いとったが‥‥あのベースの音だけは、結坊を向いとった」
一人がそう言うと、全員が首を縦に頷く。
「結坊に追いつきたいって感じじゃな」
「技術的には、か~なり未熟だがな。獣人と人間のバンド、意外と面白いかもな」
「追いつきたい、支えたい‥‥いやぁ、青春だねぇ」
「はっはっはっ! いいね、いいね」
「あの子らがどこまで行けるか、儂らは高みの見物といこうかの」
「あ、録画したの見る?」
「お、いいね! さすが、なっちゃん!」
「いやぁ、引退して久しいが、ウズウズしてくらぁ」
その夜、何度も再生された結たちの演奏は、大人たちの良い酒の肴になったのだった。
「ふぇっくしょい!」
「ふぁっくしゅ!」
樹と俺が、同時にくしゃみをする。
皆で俺の家に帰って来た後、榊先生は自宅へ帰って行った。
残った俺達は晩御飯を食べ、今はそれぞれ過ごしている最中だ。
「あはは、樹ってくしゃみすると尻尾立つのな」
「そ、そうか? 自分じゃ気付かなかったな」
一瞬の沈黙の後、口を開いたのは樹だった。
「‥‥今日、楽しかったか?」
「どうしたの、急に。もちろん楽しかったよ!」
「‥‥でも、まだ本気じゃない」
樹の言葉に、思わず目を見開いた。
「そんな事ないよ? 俺、手抜いてるように見えた?」
「違う‥‥手を抜いてるとかじゃない。でも、全力じゃない」
「俺、そんなに器用じゃないよ?」
「俺達に、合わせようとしてるだろ」
「それは‥‥バンドなんだし」
一人で歌ってる時とは違う。皆で音を合わせるのが、バンドだ。
「そうじゃない。お前はもっと歌えるはずだ。俺達の‥‥いや、俺が足を引っ張ってる」
「樹? 俺、そんな事思ってないよ!」
「お前がそんなつもりじゃ無いって分かってる。でも、歩調を合わせてもらうのは嫌なんだよ!」
樹が強く拳を握り、尻尾が小さく震えていた。
「悪い‥‥大きな声出して。先に寝る」
そう言うと、樹は寝室へと入って行ってしまった。そして、次の日の朝起きると、既に樹の姿と荷物が無くなっていた。
『帰る』
そう一言だけ書かれたメモが、テーブルの上に残されていた。
夏休もあと数日で終わると言う事もあり、夏合宿は解散となってしまった。
「ニャ~」
「にゃあさん‥‥俺、どうしたら良いのかな」
にゃあさんの喉がゴロゴロと鳴る。その音が、妙に大きく響いた。




