表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いつも「大丈夫」と笑う同級生が限界だと、僕だけが気づいてしまった  作者: 玉響すばる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/13

第8話 いなくならないでほしいと願うほど、言葉はうまく出てこなかった

 翌朝、朝倉紬はまた欠席だった。


 担任はいつものように、必要以上の説明をしなかった。

 ただ「朝倉は欠席です」とだけ言って、連絡事項を続ける。


 教室は表向き、いつも通りだった。

 机が並び、教科書が開かれ、誰かが小さく笑う。

 けれど遼には、その一つ空いた席だけが妙に目についた。


 昨日、保健室のベッド越しに聞いた声。

 普通って何かわからない。

 あの言葉が、朝からずっと頭の中に残っている。


「今日もか」


 前の席の藤崎恒一が小さく言った。


「うん」


「先生、親族の家にいるって言ってたんだっけ」


「詳しくは聞いてない。でも、たぶんそう」


「そっか」


 藤崎はそこで、空席の方をちらりと見た。


「なあ、水城」


「何」


「お前、今たぶん、朝倉のこと考えすぎて自分の足元見えてないぞ」


 遼は少し眉を寄せた。


「急に何」


「昨日から顔がずっと同じ。考えても答え出ないことを延々回してる顔」


「……そう見える?」


「だいぶ」


 図星だった。


 考えている。

 朝倉が今どこで何をしているのか。

 ちゃんと眠れているのか。

 親族の家が安全な場所なのか。

 教室に戻ることを、もう怖いと思っていないか。


 でも、考えたところで確認はできない。

 連絡先も知らない。

 知っていても、何を送ればいいかわからない。


 無力さだけが増えていく。


「昼、付き合えよ」


 藤崎が言う。


「何に」


「考えすぎ防止」


「雑だな」


「雑なくらいがいいんだよ、今のお前には」


 昼休み、遼は藤崎と篠宮真帆の三人で、校舎裏のベンチにいた。

 篠宮がわざわざ来たのは、たぶん朝倉のことを一人で抱えたくなかったからだろう。


「先生から、少しだけ聞いた」


 篠宮が紙パックのお茶を持ったまま言う。


「今は親族の家で落ち着いてるみたい」


「よかった」


 遼が言うと、篠宮は頷いた。


「うん。でも、学校に戻るのは段階的に、って」


「段階的」


「最初は保健室登校に近い形になるかもって」


 それは現実的だと思った。

 いきなり朝から放課後まで教室に戻るのは負荷が大きすぎる。

 安全な場所を拠点に、少しずつ集団へ戻る。

 教育心理や臨床でもよくあるやり方だ。


「朝倉さんにとっては、その方がいいと思う」


 篠宮は続ける。


「無理に普通に戻そうとすると、たぶん余計つらい」


「うん」


「でもクラスの方は、たぶん少しずつざわつく」


 その言葉に、三人とも少し黙った。


 ざわつく。

 それは確実にそうだった。


 誰かが明確に悪意を向けるわけではない。

 でも、人は空白を放っておかない。

 説明のない不在。

 顔の痕。

 保健室。

 早退。

 そういう断片があると、勝手に物語を作りたくなる。


 認知は不完全な情報を嫌う。

 だから噂が生まれる。


「もう少ししたら、何か聞かれるかもね」


 篠宮が小さく言う。


「担任とかに?」


「ううん、クラスの子たちに」


 遼は視線を落とした。


 たしかに聞かれるだろう。

 朝倉と話していた。

 保健室へ付き添っていた。

 教室で一番近くにいたのは、たぶん自分だ。


「言わないけどな」


 遼が言うと、藤崎がすぐに頷いた。


「そこは当然」


「うん。ただ」


 篠宮は少しだけ言いにくそうに続ける。


「何も言わないと、勝手に変な想像する人もいる」


「それでも言わない方がいい」


 遼は即答した。


「朝倉さんのことだから」


「わかってる」


 篠宮もすぐ頷く。


「私も言うつもりない。ただ、空気だけは荒れるかもって話」


 その予感は、午後にすぐ現実になった。


 五時間目が終わった休み時間。

 後ろの方で、女子二人がひそひそ話しているのが耳に入った。


「やっぱ家庭のことかな」

「え、そうなの?」

「知らないけど、なんかそんな感じしない?」


 知らないけど。

 その前置きで、人は驚くほど無責任になれる。


 遼は思わず立ち上がりそうになった。

 だが、その前に篠宮が席を立った。


「ねえ」


 柔らかい声だった。

 責める調子ではない。

 でも、きちんと止める声だった。


「そういうの、本人いないところで決めつけるの、よくないと思う」


 女子たちは気まずそうに黙る。


「ごめん、別に悪く言うつもりじゃ」


「うん。でも、そういうのって本人に伝わるから」


 篠宮はそれだけ言って、自分の席に戻った。


 教室は少しだけ静かになる。

 派手な衝突ではない。

 けれど空気は変わった。


「強いな、篠宮」


 藤崎が小さく言う。


「助かった」


 遼も同じ声量で返した。


 だが、助かったと思う一方で、別の感情もあった。

 篠宮が止めなければ、自分がきっと止めていた。

 そしてたぶん、もっと角の立つ言い方になっていた。


 感情が先に立ち始めている。

 朝倉のことになると、自分は冷静さを失いかける。

 その自覚が、少し怖かった。


 放課後、担任に呼ばれて職員室へ行くと、養護教諭もいた。


「水城くん、少しだけ」


 相談室に通され、遼は椅子に座る。

 昨日まで朝倉がいた場所だと思うと、妙に落ち着かなかった。


「驚かないで聞いてね」


 養護教諭が穏やかに言う。


「朝倉さん、少しだけど、あなたに伝えてほしいって言ったことがあるの」


 遼は顔を上げた。


「……俺に?」


「うん。今日、学校と連絡を取ったときにね」


 胸が少しだけ速くなる。

 何だろうと思った。

 重い話かもしれない。

 責任のあることかもしれない。


 でも、次の言葉は予想と違った。


「『あの日、いてくれて助かったって伝えてください』だって」


 遼は数秒、言葉を失った。


 たったそれだけの文だった。

 でも、胸の奥の一番柔らかいところに、まっすぐ刺さった。


「あと」


 養護教諭は少しだけ口元を緩める。


「『飲むヨーグルトはしばらく見たくないです』とも」


 遼は思わず吹き出しそうになった。

 笑うのは違う気もしたが、笑わずにもいられなかった。


「それ、朝倉さんらしいですね」


「でしょ」


 養護教諭も少しだけ笑った。


「たぶん、あの子なりにだいぶ頑張って軽く言ってる」


「……はい」


「あなたがいてくれたこと、ちゃんと届いてるよ」


 その言葉に、遼は静かに息を吐いた。


 届いている。

 それだけで、昨日までの迷いの一部が少しだけ報われる気がした。


「ただ」


 養護教諭は表情を戻す。


「ここから先は、朝倉さん自身が自分のペースを取り戻す時間も必要。水城くんが全部を支える役になる必要はないし、なろうとしても無理だよ」


「……わかってます」


「本当に?」


 やわらかい問いだった。

 でも、簡単には頷けない問いでもあった。


 遼は少し考えてから答える。


「半分くらいは」


「正直でよろしい」


 先生はそう言ってから、机の上のファイルを閉じた。


「朝倉さん、来週から午前中だけ来る練習を始めるかもしれない。最初は保健室経由になると思う」


「そうですか」


「教室に戻るのが怖いって、やっぱり言ってた」


 遼は黙って聞いた。


「でも、戻りたいとも言ってる。全部嫌になったわけじゃないの」


 その言葉に、少しだけ救われた。

 教室そのものが完全に拒絶の場所になったわけではない。

 怖いけれど、切り捨てたいわけでもない。

 なら、まだ戻れる可能性はある。


「水城くん」


「はい」


「もし朝倉さんが戻ってきたとき、たぶん前みたいにはいかない。あなたも期待しすぎないでね」


「期待」


「笑ってくれるとか、ちゃんと話せるとか、すぐ元に戻るとか」


 それはまさに、自分がどこかで望んでいたことだった。


 あの小さな笑い方がまた見たい。

 飲みヨーグルトを半分飲んで安心したい。

 廊下で少しだけ本音を言ってくれる、あの距離に戻りたい。


 でも、その期待は相手への圧にもなる。


「……気をつけます」


 帰り道、遼は久しぶりに一人だった。

 藤崎は部活、篠宮は委員会。

 春の夕方の道を、自転車を押しながらゆっくり歩く。


 いてくれて助かった。

 その一言を何度も思い返してしまう。


 それだけで嬉しい自分がいる。

 同時に、その嬉しさが少し怖い自分もいる。


 誰かに必要とされることは、甘い。

 行動心理学で言えば、強い報酬だ。

 だから人は、役に立てる場所から離れにくくなる。

 支える側が支えることに依存することだってある。


 自分がそうならない保証はない。


「……面倒だな」


 小さく呟く。


 だが、その面倒さを自覚できているだけましだとも思う。

 少なくとも、善意だけで突っ走るよりは。


 家に帰ると、母が台所で煮物を作っていた。

 醤油と出汁の匂いがする。

 遼はその匂いに、どうしようもなく安心してしまう。


「おかえり」


「ただいま」


「今日、少し顔がまし」


 母が鍋を見たまま言う。


「昨日より、ってだけ」


「それでも十分」


 食卓についたとき、ふと遼は聞いた。


「母さん」


「なに」


「誰かが助けてくれて、嬉しいって思うのに、なくなるのが怖いから困るって、ある?」


 母は味噌汁を置く手を止めて、少しだけ遼を見た。

 それから、何となく察したように穏やかに答える。


「あるでしょ、普通に」


「普通なんだ」


「ずっと足りてないものだったら、なおさらね」


 遼は黙って聞く。


「でも、本当に必要なのは、なくならないって証明することじゃなくて、なくなるかもしれなくても受け取っていいって思えることかもしれない」


「難しいな」


「難しいよ。だからみんな苦労するの」


 母はそれ以上踏み込まなかった。

 それがありがたかった。


 夜、ベッドに入ってからも、遼はなかなか眠れなかった。

 朝倉が戻りたいと思っている。

 それを聞けたのはよかった。


 でも、戻りたいと戻れるは別だ。


 教室には視線がある。

 噂もある。

 本人の身体の反応もある。

 何より、心の中に染みついた「自分が悪いかもしれない」という感覚がある。


 簡単じゃない。

 たぶん、これからの方がずっと難しい。


 翌週の月曜日。

 一時間目が始まる前、担任が教室に入ってきたとき、遼はすぐに違和感に気づいた。


 後ろには誰もいない。

 でも担任の表情が、いつもと少し違う。


「連絡です」


 教室が静かになる。


「朝倉は今週、体調面も含めて、午前中を中心に登校を調整します。出たり出なかったりがあると思うけど、特別に騒がず、いつも通りに接してやってください」


 それだけだった。

 家庭のことは言わない。

 事情の説明もしない。

 でも、クラス全体に最低限の線引きを示した。


 騒ぐな。

 いつも通りにしろ。

 担任なりの防波堤なのだと思った。


 そして、その日の二時間目の終わり。

 保健室の前を通りかかった遼は、ベンチに座る朝倉紬を見つけた。


 制服姿。

 膝の上に鞄。

 顔色はまだ少し白い。

 けれど、そこにいる。


 朝倉も遼に気づいた。

 一瞬だけ、二人の目が合う。


 次の瞬間、彼女はほんの少しだけ、ぎこちなく笑った。


 その笑い方は前よりずっと弱くて、でも前よりずっと本物だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ