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9話「お願い優しい方、もう一度歌って」後編


「あっはっはっは! やった、ついに、ついに神器をこの手に!!」


 月明りが差し込む深い森の深奥部。

 大穴が空いた巨木の中、倒れる人狼を足蹴にして、一人の小人が勝鬨をあげていた。


「あの水銀の波を見た時から今に至るまで、この時を思い描いていた、こうなったらいいなを折られて折られて折られ続けてずっと! それでもアタシはたどり着いた!」


 神話の時代より秘匿されてきたティスベーの指輪。

 それを、小人プリュカが奪い取る光景が私達の前に広がっていたのだ。


「あぁ、でも足りねえなぁ」


 そして、そんな人知を超える力を手にした横暴なる彼女の目は。

 大木の中、数m高みから私達を見下ろす彼女の視線は、やがて一人の少年へと向けられた。


「ひひっ、ひひひっ、そうだお前、聞いたぞ、この犬モドキに惚れてんだってなぁ?」

「……ッ!」

「良かったな、コイツまだ生きてるぞ、助けてやったらどうだ?」


 そう言ってプリュカは折れたデミトリの洞の中から、エレナの体を蹴飛ばした。

 イリスと同じように魔弾で貫かれ、腹に穴の開いた被害者を。


「あっ、エレナさん!」

「お前っ、ダメだ! アレは罠だ!」

「いえ、まだ間に合います、僕ならまだ助けられる!」

「違う、そうじゃねえ!」


 蹴飛ばされ地面へ落下する思い人の姿を見たエルフの少年は、私の制止も聞かずに飛び出していく。

 かつてイリスを救った実績が、今度は少年の命を危機にさらしていた。

 あんなのどう考えても裏がある。


 どうする、どうするべきだ私は。


 とにかく走りながら考える。

 助けに入ってやりたいがそれには少し敵との距離が遠い、少年とエレナの両方を守るには、剣という武器は少々射程が短い、同じ神器を相手にするのならなおさら。

 でも、やらなければ、それも確実に、絶対に、今度こそ。

 どうにかして、どうにかして……


「そうだ、お前、指輪を投げろ!」


 そこで一つ、状況を打開する手段を思いついた。


 プリュカはエレナを犬モドキと呼び憎んでいた。

 なのに、そんな憎んだ相手を殺す千載一遇のチャンスにも拘らずプリュカは敢えて生かし、しかも少年の手が届く位置まで蹴飛ばしている。

 奴は何故そんな事を今、したのか。


「プリュカの目的はお前の持つ指輪だ! 今すぐ捨てるんだ!」

「ッ!」

 

 私の発言の意図を察したか、少年は持っていた指輪をプリュカに向かって投げつけた。


「はははっ、そうか、これもアタシにくれるってのか、ありがとよ、デミトリの抜け殻!」


 少年の放り投げた指輪が届く数秒、プリュカはそれを掴むために、その場に釘付けとなった。


「でもそういやぁ思い出したぜ、その犬モドキ、アタシの事、人モドキって呼んでたなぁ」


 そして予測通り、もう一つの指輪を手に入れた瞬間、プリュカから途方もない殺意がエレナへと注がれる。

 昨日今日で溜まった物じゃない、何年も何年も熟成させたような怒りが、プリュカから迸った。


「そうだ良い事思いついた、指輪貰ったお返しに、神の力を見せてやるよ」


 同時にティスベーの指輪を通じて、金色に輝く莫大な魔力の塊が魔弾となって放たれる。

 この世の物ならざる力が空気を揺らし少年とエレナへと迫っていく。


 流石にこれはエレナの自業自得だろう、この怒りを止める権利は私には無いだろう。

 だが。


「チッ、またお前か」

「ははっ、今度こそきっち守り切ってやったぜ、ざまーみろ」


 指輪の投げられた数秒は、助けに入るには十分な時間であった。

 プリュカから放たれた黄金の魔弾は、聖剣によって斬り払われ霧散する。


「何でそんな糞ども守ってんだお前ぇはよぉ! 関係ねえだろうが!」

「あるよ、関係」

「あぁ?」


 エレナとは仲が良かったわけじゃないが、この少年には借りがある。

 それに、何よりも。


「お前は私の相棒を殺しかけた、お前を殺す理由は十分以上にある」

「相棒……? あぁあの淫売女か! そうかアイツ死ななかったのか、残念だ!」


 怒るのは自由だ、殺すのも自由だ、やりたきゃ好きにやればいい。

 ただ、自由にしたからには代償を払うべきだ。


 奴には私の音を止める義務がある。


「だったらどうする? 戦うか? このアタシと? そんな棒っきれ一本で、神器二つ持ってるアタシに?」

「一つも二つも変わんねえだろ」

「あははは! そう見えるか? 残念、神器の質でも、数でもアタシが上だ! わざわざ慈悲をかけてやってたのによぉ! 何で気付かねえかなぁ!」


 そう言うとプリュカは神器二つ分の魔力を同時に発現させた。

 両手に備えたこの世ならざる力の奔流が、身長120㎝後半の小さな体を丸ごと包む。


「所詮ロバにはアザミで十分か、そんなに知りたきゃ啓いてやるよ、この神器の本当の力をよぉ!」


 やがてプリュカの姿形が大きく変わった。

 小人族としての姿は影も無く、全身を金属で覆った2m程の巨人の姿へと変化する。

 液体とも個体ともつかぬ不思議な質感の鎧を纏った、怪物がそこにいた。


「ニーナさん!」

「あぁお前、なんだ、まだ居たのか」


 そんなプリュカを前に、私の背後でエレナの治療を施していた少年が不安げな声をあげた。

 大丈夫かとでも問いたいのだろうか。

 それより先にすべきことがあるだろうに。


「ここはいいからとっとと逃げろ」

「で、でも」

「邪魔だからどっか行け、って言ってんだ」

「……」


 少年は私の顔を見て何か言いたげであったが、やがて口をつぐんで走り去った。

 ぐったりとするエレナを抱えて、戦場から離脱していく。


「そうだ、それでいい、それでいいんだ」

「お別れは済んだか? よかったなぁアタシが慈悲深くて! まぁどうせすぐあの世で再会するだろうけどよぉ!」

「そっちこそ、準備は済んだか? この世で最後の闘争だぞ? 最後までしっかり楽しめよ?」

「……あ? 闘争を楽しむだ?」


 そして私は、気付けば口の端が緩んでいた。


「何笑ってんだお前、見下してんのかアタシを!」


 違う、逆だ。

 今、目の前にある強敵を臨んで、私は今期待しているのだ。

 これほどの魔力を内に抱えて破裂しない強靭な魔術の使い手ならきっと、私の音を完全に消してくれるに違いない、と!


 もう私が気兼ねする必要は、この場のどこにも存在しない。

 純粋な闘争だけがここに有る!


「お前はどんな音を出してくれるのかなぁ」

「意味不明な事を言うな気狂いが!!」


 眼前で魔力を滾らせる強敵が苛立ちを露にした。


 と、同時に奴の足元が爆発した。

 正確には、爆発したと錯覚するほどの威力で、プリュカがデミトリの根を蹴ったのだ。

 跳躍だ、飛翔だ、敵がこちらへやってくる!


 弾かれた矢のように猛スピードで向かってくる2mの巨大な体は、全身が黄金色に輝く金属に覆われていた。

 全身に纏った金属が防御と攻撃の二つを兼ねて私に襲い掛かる。


「証明してやるよ、魔王を倒したお前を倒して! アタシが誰より上だってなぁ!」


 聖剣をその軌道に合わせて置いてみるが、この世のもの全てを斬れるはずの聖剣を、プリュカの表皮は弾いて拒絶した。

 呪術的な物か、それとも概念的な物か、詳しくは知らないが。


「あぁいいな、これはちゃんと点で捉えないとだめだ」

「まだ笑うか気狂い!!」


 聖剣と黄金の体がぶつかり強烈な衝撃を生んで拮抗した。

 互いの衝撃が相殺し合い、クロスレンジの間合いで共に態勢を立て直す。


「いい音聞かせてくれよプリュカ!」

「アクチンとミオシンで動くたんぱく質の塊が、ほざいてんじゃねえ!」


 再び剣と腕が交錯する。

 2mもの巨体から放たれる剛腕は私の細腕などとは及びもつかぬ剛力を備えていた。

 上手く渾身の一撃を合わせようとしても力尽くで打点をずらしてくる。


 打てども打てども必殺の一撃はいなされ躱され、距離を詰めればその剛力で、距離を放せば黄金の魔弾で、プリュカは引きだされた二つの神器の能力を遺憾なく発揮して私を仕留めようとする。

 そんな死の嵐を皮一枚で躱し続けながらその闘争を全身で味わう。


 いい、すごくいい、血が滾る。

 力と力の交錯が一小節では終わらない。

 でも足りない、もっと欲しい、もっと強烈な音が欲しい!


「もっとだ、もっと寄越せ!!」

「まだ私を見下すかぁ!!」


 いい、互角だ。

 私とプリュカは同じであった、戦場に放たれた一匹の獣であった。


「違う、違う、違う! まだだ、もっとだ、アタシはもっとやれる! お前なんかとは格が違うと証明してやる! 存在そのものの差をお前に教えてやるんだ!」

「……違う?」

「あぁそうだ! 私の世界は世界のすべての色彩がみずからの姿を顕わした、偉大と卑小の、卑小と偉大の、結合と一致を具現させたんだ! アタシは神にも等しい力を得た、お前なんかとは次元が違う!」

「違わないだろ? お前も私と同じだろ?」

「話を聞けぇ!」


 怒号と共に足元から蔦が生えて来た。

 急いで躱すも片足が掴まれ捕らえられる。


「違う、違う、違うんだよぉ!」

「お前も同じだろ、誰も愛せず誰からも愛されず、群れから離れたただの獣だ」

「お前なんかと一緒にするな!」

「きっとお前も私と同じ赤い血が流れてるはずだ、だからお前は私の音を消せるはずなんだ」

「うるせぇ、うるせぇ、狂人の戯言はもうたくさんだ! この一撃で証明してやる! アタシはお前達とは違うんだ!」


 小技では埒が明かないと踏んだか、プリュカは全身に滾る魔力を一気に放出し始めた。

 森中の影という影が集まってプリュカと私の周囲を黒く染め上げる。

 そして極まりに極まった闇の中心、ぼんやりと光る青い雫が一滴、高速で走る粒子を纏って光っていた。

 これまで数千数万の戦場を駆けた私でも見た事ない程の、山をも崩せそうな高濃度の魔力が小指程のサイズに凝縮されている。


 あぁいいな、最高だ、想像もつかない魔力の渦だ。

 あんなの発動させてしまったら一体私はどうなってしまうのだろう。

 口の端が思わず歪んだ、未知と邂逅に心が躍った。

 私は左足に絡まる蔦を外すのも忘れ、それをじっと、ただ見届けていた。


 そして同時に思いつく。

 これほどの魔力なら、私の音を消すだけでなく、私とイリスを結ぶ指輪の契約すらも引き千切ってくれるのではなかろうか!


 閃きと共に、プリュカの手から垂れた雫が大地に触れる。

 応えるように私は聖剣をかざし全力で振り抜いた。


 白く世界を断絶する剣閃と青く世界を変質させる魔力がぶつかり弾け合う。

 目に移するすべてが黄金色に輝き、そして……


「は、はははっ、やった! どうだ見たか、アタシの勝ちだ!」

「……」


 森全体が黄金色に包まれた程の神器と神器の力のぶつかり合い、その勝敗は僅かにプリュカの側に軍配が上がり。

 結果私の二の腕より先、聖剣を握る両腕は純然たる金へと変わっていた。

 そして周囲に生えた広葉樹達すらも有機物から無機物へと変質。

 元素番号79、記号Auで表された、光沢のあるオレンジがかった黄色の純金属に成り果ててしまっていた。

 

 こんな状態で剣は振れるだろうかと試しに無理やり動かしてみると、その黄金の腕は根元から折れてポトリと地面に落ちた。

 私の両腕が、聖剣を握っていた両腕が、そのまま地面に落ちて音を立てる。

 ……だが。


「あぁ、なんだ」


 だが、しかし、それでも指輪は外れなかった。

 私の魂とでも紐づいているのだろうか、なくなった左腕薬指があった場所に指輪はまだくっついていた。

 何とも不思議な事だが、無いはずの私の指に今でも指輪はしっかりくっついている、そんな感覚が肌で感じられた


 おそらくこれは私が死んでもまだ、契約が果たされない限り私にくっつき続けるのだろう。


「……残念だ」

「ひゃはははっ、どうだ、これがアタシの力だ、認めろ英雄! 泣いてひれ伏せ、豚の真似をして命乞いをしろ! そうしたら命だけは助けてや」

「お前でも駄目か」


 そして、さらに悲しい事に、これほどの衝撃を受けてもまだ、私の中のピアノは微かに鳴り続けていた。

 耳鳴りがひどく少々聞き取り辛いが、しかし確実に、ピアノの音は鳴っている。

 慢心し無防備にも近づいてくるプリュカの声の隙間から、カノンのコードが聞こえてくる。

 まだ、足りない。


「戦いを続けなきゃ……」

「ひひっ強がるなよ、腕が無いのにどうやっ、でっ!?」


 私は靴を脱ぎ捨て、足で聖剣を掴んでプリュカへと斬りかかった。

 不意を突いたその一撃は、下から上へ、顎の真芯に綺麗に入った。


「……ッ、ビビらせやがって」


 その剣はプリュカの体には傷一つつけられなかったが、僅かに体制を崩すに至った。


「で、それがどうし、あだっ!?」


 だからもう一度、プリュカが体勢を立て直す前に、同じ場所に同じ一撃をもう一度叩きこむ。


「無駄なこ、とっ」


 脚で振るう剣では点を捉えるどころか、わずかにひるませる程度の威力しか出せなかった。

 でも、それでも。


「いいか、げっ」


 何度も。


「にっ、あぎっ!?」


 何度も、何度も、それを繰り返す。

 もっとだ、もっと音が必要だ!


「ついに脳みそまで腐ったか、淫売女のお抱え道化が!」


 七度目の剣撃が顎を撃ち抜いた、その時。

 崩れた体勢をプリュカは無理矢理魔力で支えて立て直した。


 物理法則に反した動きで体を動かしたプリュカは、その勢いのまま振り抜かれた聖剣を叩き落とそうと腕を振るう。


「……ここだッ!」


 その無理な動きに合わせ、私は足を捻らせ剣の軌道を変えた。

 八度目の剣閃を、打ち下ろすようにプリュカの顎へと叩きこむ。


「無駄だって言ってんだろうがよぉ!」


 七度の無意味を喰らったプリュカが今度もそれを防ぎもせずに受け止める。


「ッ!」


 しかし今回ばかりは勝手が違った、その顎にかかった衝撃には、プリュカの体勢を立て直そうとする力も加わっていた。

 二人の力と力がぶつかる点が、その一か所に集中し……


「ッ!?」

「いい音だ」


 これまでびくともしなかったその表皮に、一筋の切り傷が生まれ鮮血が飛び散った。

 足で振るった剣ではこれが精一杯だったが、聖剣さえ弾くその固い硬い表皮にようやく、顎から首元にかけて数㎝、浅く小さな傷が一つ生まれた。


「……で?」


 しかしその代償に、プリュカの振るう剛腕を受け聖剣を遠くへと弾き飛ばされてしまった。

 加えて、大きな衝撃を受けた私の左足はあらぬ方向へと曲がってしまう。

 

「だからなんだってんだよ、傷一つ付けてそれで、だからなんだってんだよ!!」

「あぁ、やっと、やっとだ……」

  

 だが、おかげで、少しだけピアノの音が弱まった。

 そして何より、交錯した私とプリュカの交戦距離は今や互いの吐息すら感じられる超至近距離。

 高鳴る期待に胸躍らせながら、私は懐から、お気に入りのダガーを咥えて取り出し振るう。


 私の目の前に立ちはだかるは、怒り狂いこちらの首を圧し折ろうと両腕を振るう神器の怪物。

 タイニーフットとしての姿は見る影もない、2mを越える巨人がそこに居る。


 視線が交錯した。

 神器によって作られた、金属の膜に覆われた先、プリュカの目から放たれる光は獣のそれと同じであった。

 目の前の獲物を殺し喰らおうとよだれを垂らす獣の目、自分の事しか考えていない悪逆の目。

 その目に映る私の目もまた、煮えたぎるように爛々と輝く獣の目であった。


 いつか、龍に「共に来ないか」と誘われた事を思い出した。

 あの時は意味が分からなかったが、今ならわかる。


「ははっ、同じじゃないか」


 目の前に映る怪物へ向けて、私はさらに一歩踏み込んだ。

 プリュカもまたそれに応じるように踏み込んだが、そちらは少し遅かった。


 体を大型化させた事がそのまま奴の敗因となった。

 長く伸びた腕は僅かに遅れ、懐に飛び込んだ私をすんでの所で取り逃がす。

 矢のように放たれた私の体は一直線にプリュカの喉元へと飛んでいき……


「あっ、がっ……」

「血の色だけは同じ赤色だ」


 肉を裂く音が聞こえた。

 骨を貫く音が響いた。


「い、嫌だ、まだっ……なにも証明できっ」


 僅かに生まれた傷跡に、この世ならざる鎧の隙間に、ダガーのねじ込まれる音がした。

 

 もっと音が聞きたくてさらに力を籠めると、今度はどこからか空気の漏れる音がした。

 命の終わり際の音。

 その音がダガー越しに骨に響いてようやくピアノの音が弱まってきた。

 でも。


「足りない」


 もっと音が聞きたくて、首に差し込んだダガーを引き抜いた。

 するとひゅうひゅうと呼気を漏らしながら、それでもなおこちらを殺そうとプリュカは腕をばたつかせ、その度にとれかかった首がプラプラと揺れる。

 その首を蹴り飛ばすと、大きな切れ目の入った首は鈍い音が響いてついに捥がれて地に落ちる。


 また音が弱まった。


「あと少し、あと少しだ……!」


 ピアノの音は次第に消えつつあった。

 でも、あと一押し、あと一押し足りない。


 プリュカはもう動きそうにない。

 どこかに敵は、私の音を消してくれる敵はいないのか!


 全神経をとがらせて森の中を見回して。

 そして、見つけた。


「いた」


 森の奥、身長2m弱で、ねじれた巻き角を持つ雄山羊の頭、人の上半身、下半身は馬の脚を持つ二足歩行の魔族がいた。

 こちらを伺い覗き込むサテュロスの一匹と目が合った。


 いや訂正、二匹か。

 大きいサテュロスに隠れるようにもう一匹、小さい奴が背にしがみ付いていた。


「ははっ、敵だ、敵がいるぞ、あははははっ!!!」


 子供かな、親子連れかな、子を守る親なのかな、ならばちょうどいい、きっと激しく抵抗してくれるだろう。

 今の私は腕が無い、左足も動かない、実に丁度いい!

 この状態ならきっとあのサテュロスが私の音を消してくれるだろう!


 私は落ちたダガーを咥えなおしそのサテュロスへと向けて足を進める。

 そんな私を見たサテュロスは、怯えたのかこちらから距離を取り始めた。


 嫌だ、行かないでくれ。

 やっと、やっと音が止まりそうなんだ、だから……


「逃げるな! 止まれ、止まれよ!」

「止まるのは貴女です!」


 そして、そんなサテュロスを追おうとする私の体を、誰かが掴んだ。


「誰だよ、邪魔すんなよ!」

「もういいんです、もう終わりです!」


 首を回してその邪魔者の顔を伺うと、それは名前の無いエルフの少年であった。

 恩人だ、殺してはならない。

 膨れに膨れ上がった殺意が少しだけしぼむ。

 

 傍には寝息を立ているエレナの姿もあった。

 呼吸はやや粗いが傷は塞がっており、治療はもう済んでいるみたいだ。


 いつの間にこんなに近づかれていたのだろう。

 全く気が付かなかった。


「もう十分です、だから、帰りましょう!」

「……帰る?」


 あぁ、そして、嫌だ。

 また、ピアノの音が聞こえて来た。


「帰るって、どこに?」

「そんなのきま」

「ラナトゥスはもう無いのに、どこに帰れって言うんだよ!!」

「……」


 でも、そこで。

 少年の言葉が私の頭の何かに触れた。


 自分でもこんな声が出せるのかと驚くほどに、とても大きな声が私の中から飛び出て、ピアノの音をかき消した。

 前後の文脈も無視して、ただただ私の中に溜まった不満が決壊したダムのように漏れだした。


 故郷はもう無い、イリスとの関係もいつか無くなる。

 私には何も無い。


「私にはもう帰る場所なんてねえよ!!」


 戦場は居心地がいい。

 傷つけ傷つけられ殺し殺され、白黒はっきりした楽しい場所だ。


 でも、「ただいま」と言っても「おかえり」と返してくれる人はいない。

 私は今の今になってようやく気が付いた。

 戦場は帰る場所じゃない。


 私が居たい場所はここじゃない。

 私が居たかった場所は、もう、この世のどこにも存在しない。


「私の居ていい場所はもうここしかねえんだよ、だから殺すんだよ! 邪魔をするな!」

「僕にだってありませんよ、帰る場所なんてどこにも」

「嘘をつくな!」

「デミトリ様は死にました、他の端末たちも後を追って、僕以外はみんな全部! 死にました……」

「……みんな、死んだ」


 また、少年の言葉が頭の何かに触れた。

 今度は怒りとは別の感情が生まれた。


 そうか、同じか。

 私と同じか。


 同じなのに違うのかお前は。


「僕にも帰る場所なんて有りません、でも、帰りましょう!」

「……」

「もう誰かが死ぬのは沢山なんです、だから、ここでもうやめましょう、この森から去りましょう」

「あのサテュロスでもか……私達を殺しに来たアイツらでもか……?」

「はい」

「帰る場所も無いのに、帰るのか?」

「帰る場所なら、いつか自分で作ります、その時、彼らと敵対していると、お互いに不幸な事が起こりますから、だからもうここで止まって欲しいんです」


 それは私とは違って、未来を良くできる者の考え方だった。

 ゼロからまた立ち上がれる奴の言葉だった。

 羨ましい、妬ましい、私には無い物だ。


「帰る場所を自分で作る、か」

「はい、エレナさんと同じ屋根の下でいつか暮らす、それが僕の目標です!」

「同じ屋根の下……で、って、え……あ、それってそういう……えー!?」

「なんですか、他にどういう意味があると?」

「あー、いや、そうだよな、そういう意味だよな……」


 私は少年の思わぬ言葉に赤面しながら、少しづつ思考が落ち着いていくのを感じた。

 イリスと同じ、誰かの未来を良くできる奴がここにいる。

 そんな奴の邪魔をしたくない。


「それなら、仕方ねえな」


 大きくため息を一つ付いて、私はついに膝をついた。

 少年の願った結婚を邪魔するわけにはいかない。


「家庭を作るのが、結婚、だもんな」


 少年の言葉に従い私は、そこで森を去る事を承諾した。

 私はその日、生まれて初めて戦場に背を向けた。





 私が「結婚」という言葉を覚えたのは、ちょうど2歳の時だ。


 父の剣によって何度も何度も斬られる巻藁を見て「あんな風になりたい」と。

 「あの巻藁みたいになりたい」と幼い私が口走った事に起因する。


 なぜそんな言葉を口走ったのか、今の今まで忘れていたが、エルフの少年の姿を見てようやく思い出した。


 強い強いお父様の剣で斬られたのに、何度でも何度でもまたお父様の前に現れる。

 「あんな風に成りたい」と、無知な私は思っていたのだった。

 父の前に現れる巻藁がみな同一の個体であると、あの頃の私は思っていたのだ。


 何度でも何度でも、斬られてもまた立ち上がる。

 「そうありたい」とかつての私は思っていた。

  

 ……今の私はどうなのだろうか。


 何も無いと嘆いた私は、すべて失ったことをようやく自覚した私は。

 あんな風に立ち上がる未来を、自由に描いてもいいのだろうか。

 

 その自由の代償に支払うものを、私は持ち合わせているのだろうか。



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