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8話「お願い優しい方、もう一度歌って」中編


 目を瞑るといつも、ピアノの音が聞こえて来る。

 幼い頃、眠れぬ夜に母が弾いてくれたピアノの音。

 同じ曲を弾くと「それ前に聞いた!」と駄々をこねるからか、母は弾くたびに毎回違う曲を弾いてくれた。

 夜が来るたびに未知の曲を知れるようになった私は、暗く怖いはずの夜を逆に待ちわびるようになった程、その母のピアノが好きだった。


 とても優しい母だった。

 ラナトゥスが滅んだあの日、父や戦友と共に多くの敵を屠り、そして命を落とした私の母。

 母の死を知って以降、頭の中からピアノの音が離れない。

 あれから日が経てば経つほどその音は大きくなっていく。


 それは、挫けそうな私の心を鼓舞する事もあったが、一方で私の心を苛む枷ともなった。

 頭の中に流れるピアノの曲に、聞いた事のない曲はもう二度と流れないから。



 

「獣だ、獣がいるぞ」


 それは私の口から出た言葉だろうか、それとも私の目の前を塞ぐ敵の発した言葉だろうか。


 森の深部へと足を踏み入れデミトリの住処へと向かう私達を待ち受けていたのは、そこに住むサテュロスという名の魔物達の熱烈な歓迎であった。


 身長2m弱で、ねじれた巻き角を持つ雄山羊の頭、人の上半身、下半身は馬の脚を持つ二足歩行の魔族。

 身体能力が高く体内で練られる魔力の質も上等、おまけに繁殖力まで高いという兵隊としては最上級の者達だ。


 そんな彼らは森の奥へと足を踏み入れた私達を問答無用で殺しに来た。

 私達が森の奥へ奥へと進もうとするほど襲い来る彼らの数は増し、そして彼らを斬れば斬る程怒号と悲鳴が私を満たし、ピアノの音をかき消してくれる。

 彼らの爪も魔術も私には届きそうも無いが、それでも彼らの奏でる音はとても心地よい。

 子供の頃より慣れ親しんだ、戦場の音だったから。


「はははっ! そうだ、もっと大声をあげろ! もっと怨め! 私はここに居るぞ! 私を殺しに来い!」

「に、ニーナさん! 彼らは神器とは関係ないただの住人なので、あまり挑発するようなことは……」

「あぁ? 声が小さぇ、聞こえねえぞ!」


 だが。


「……あ、なんだ?」

「よかった、彼ら、引いてくれましたね」


 屍山血河を積み上げながら進み続けていると、5分と経たず彼らの侵攻はすぐに止んでしまった。

 諦めたのか、それとも私達の進む方向が彼らの守ろうとする場所とは別と判断したのか、或いは何か引くべき別の理由が新たに発生したのかは知らないが。

 いずれにせよ、彼らの音は止んでしまった。


 ピアノの音が頭に蘇る、目を瞑ってもいないのに。

 エレナからの問いかけ以降、それが一層ひどくなっている。


「糞ッ……足りない……」

「え?」

「敵が足りない」

「ッ!? ニーナさん、まさか貴女は、まだ殺し足りないって言うんですか……!?」

「違う、足りないのは音だ、音が足りないんだ」

「……だ、大丈夫ですか? どこか悪くしてしまったんですか? 頭とか」

「まあいい、とにかく先へ進もう、そうすりゃプリュカにも会えるはずだ」

「……」


 隣から感じる怪訝な視線を無視しながら、私は再び森の最深部へと向けて歩き出した。

 ピアノの音は未だ止まない、優しい音色が私を寝かしつけるようにアンダンテで流れ続ける。


 これまでイリスと一緒に旅をしていた時はこんなに酷くはなかった。

 精々寝る時に目を瞑るとこの音を思い出すくらいで、起きている時にまで私を邪魔する事は無かったのに。


「なぁ、私達が森の奥に入る事、お前のデミトリ様とやらは何か言ってるか?」

「え、え? あ、いえ、エレナさんが森に入って以降、デミトリ様からの言葉は途絶えてしまって」

「そうか」

「何なんですか急に……」

「なんでもない」


 軽く実験として隣を歩く少年に話しかけてみるが特に状況は改善しない。

 これまでも定期的にイリスとは行動を共にしない事はあったはずだが、何故今回は……

 

 悩みながらも歩き続ける事数分、背の高い広葉樹が生い茂る森の奥、純度の高い魔力が満たす人の手の及ばぬ深奥を探っていると。

 ついに、その時は来た。


 歩き歩いたその先、鬱蒼と茂り頭上を覆う広葉樹の枝葉が消え、月明かりの差し込む広い場所が現れた。

 そこには天を突くほどの巨大な老木、点在する(うろ)がまるで目鼻のように表情を作る、意志と魔力を持つ樹木、エルダーの名を関するトレントの姿がそこにあった。

 そして、私達より先行していた人狼エレナもまたそこに居て……


「プリュカは、いないのか」


 そしてそして、私の求めている敵だけはそこにはいなかった。

 私達より先に森の深奥へ入っていったはずの小人族プリュカの姿はそこに無かった。


 何故、どうして。

 いるはずの敵がいない。

 また、白黒はっきりしない、調子の狂う世界がそこにある。


 そんなはずはない、探さないと、敵を、音をかき消す騒音を利かないと私は……


「ワタシは、貴方に救われた」


 落胆に重くなった脳をどうにか稼働させ、この状況の生まれて原因を私が探りはじめた矢先。

 エレナの声が私の思考と行動を遮った。


「これまで人狼はただの獣だった、身の程を知らぬ獣だった、知識ある者にいずれ狩られる滅びの定めの中にあった」

「……」


 彼女の邪魔をしてはいけないような気がして、私は何も行動できなくなった。


「でも、融和の道を説いてくれた貴方のおかげで救われた、ワタシ達には守るべき場所があるのだと、帰るべき場所を己自身で作れるのだと、貴方のおかげで()る事が出来た」


 それは私の知らない世界の話であった。

 私の理解の及ばない世界の話であった。


「ワタシはそんな素晴らしい貴方と、同じ時間を過ごしたいと思ったんだよ、貴方の隣に立ちたいと、心の底から思っているんだよデミトリ」


 それは家族友人以外の誰かを愛する過程の独白であった。


 途中からの立ち聞きだったから仔細はあまり把握できていない。

 ただ、仮に最初から最後まで聞いていたとしても私には理解できなかっただろう。

 合理性のない愛は戦士にも統治者にも不要な機能だから、私は誰からもそれを教わってはいない。


「答えてくれデミトリ、ワタシの愛は貴方にとって邪魔なものだったか? ワタシからの愛は貴方から見れば、小娘の粗相にしか見えないのか? どうして何も答えてくれないんだ!」

「……」


 エレナからの問いかけに、巨木は何も答えなかった。

 本当にこれはデミトリなのか、実はただの変哲のない木なんじゃないのか?

 そう思う程に巨木は身動ぎ一つなく……


「「僕には、操を立てた相手がいる」」

「しゃ、喋った!?」


 だが、その時突然、声が響いた。

 しかしそれは巨木からではなく、巨木の脇に生えていた一本の薔薇の苗木から。

 そして、私の隣に控えたエルフの少年から。


「「誰にも話したことはなかったけど、それは」」

「知っている、知っているとも、その相手は天に消えた女神だろう」

「「なんだ、知っているのなら……」」

「知っていたからなんだというんだ! 諦めろとでも言うつもりか!」


 いや、そこは諦めてもいいんじゃないだろうか……


 狂い始めた私の脳でも、そこだけははっきり分かった。


「ワタシの愛した相手はこの世で一人だけだ、そしてその人の思い人がもう、この世にいないのなら! なおさら諦められるはずがない!」


 エレナの言葉は、そのままエレナ自身に返っている。

 同じだ。

 デミトリの愛した者だってこの世で一人だけだろう。

 諦められるはずがないだろう、それが叶わぬ恋だったのだとしても、なおさら。


 不合理に疎い私でもそれくらい分かる、デミトリの言葉を聞いただけですぐに理解できた。

 でも、理解できたからこそなおさら、その不合理に身を焼くエレナの事を咎める気にはならなかった。


 身に余る夢を抱いてそれを実行しようとする意志は、私にはない物だから。

 それを叶えようと藻掻く者達を止める事などできない。


「「なら、一つ言わせてもらおう、仮に君の愛を受けいれたとして、その愛に応える時間など私には無いよ」」


 そんなエレナの熱に応えるように、デミトリはまた口を開いた。


「「僕が神代からもう何万年の時を過ごしたと思っているんだい、トレントとしても僕は生き過ぎた、残された時間はそれほど長くはない、だから……」」

「だったら!! その程度の時間くらい、あのアバズレの一厘にも満たない時間くらい! ワタシだけに愛を向けてくれたっていいじゃないか!!」


 デミトリの言葉を遮って、エレナの怒号が森に響き渡った。


 それは、プリュカと話す時ともデミトリと話す時とも違う、心の底からの感情の爆発であった。

 嫉妬と表するそれだろうか、でも少し違う気もする。


「だったら、だったら、だったらさぁ!」

「「……」」

「それは、それだけでいいから、私に頂戴よ……」


 同じ意味の言葉を繰り返しながら、エレナは懐に手を入れた。

 ま、まさか、服を脱ぐのか!?

 キスからさらにその先をこの場でしようというのか?!


 思わず手で顔を覆い、指先から恐る恐る様子を伺う私の目の前で。

 エレナはしかし、私の予想とは異なる行動を次にとった。


「貴方を殺してワタシも死ぬ、これだって愛の畢竟(ひっきょう)だ! あの女神にもできない、ワタシだけのものだ!」

「え?」


 エレナが懐から取り出したのは、柔肌ではなく魔力を帯びた短剣であった。

 懐より現れた獅子の紋章を持つ短剣は強い魔力をその刀身に宿している。

 エレナはデミトリを殺す気だ!


「「……そうか」」

「え!?」

「「まぁそれくらいならいいか、僕の愛は君にあげられないけど、それ以外の全てならいいよ、持っていきたまえ」」

「えぇ!?」


 予想外のエレナの行動に、さらなる予想外のデミトリの言葉が覆いかぶさった。

 身勝手な心中予告と、しかもそれを受け入れる!?

 当人同士は納得しているようだが、果たしてそれは本当にいいのか!?


「お、おい、二人とも待っ」


 すれ違うこの恋の結末を死で迎えるのは流石に違うんじゃないのか。

 そんな思考が頭によぎり、思わず私は二人へ手を伸ばした。

 ……が。


「「邪魔をするな」」

「!?」


 私の隣でデミトリの代弁をしていた少年が、私を拘束しそれを阻害した。

 地面から生えた蔦が私の体を縛り止めていた。

 力尽くで引きはがそうとするけれどまったく千切れる気配がしない。


 この世のものとは思えない強度の蔦であった。

 まさか、これはデミトリの持つ神器ティスベーの指輪で生み出されたものなのか。

 

「「僕はあの人の元へと向かう手段をずっと探していた、でももう、いいんだ」」

「お前……」

「だから僕はこのまま「違う……!」」

「え?」

「死んでいいん「これは僕の言葉じゃない……!」」

「お、お前!?」


 しかしそこで、さらなる予想外が私を襲った。

 今までデミトリの言葉をただ従っていたはずの少年が、デミトリの言葉に反発していたのだ。 


「……「僕は二人には死んでほしくない!」」

「二人って、エレナにもか」


 少年の独白と同時に、エレナが短剣をデミトリに向かって振り下ろした。

 強い魔力を帯びた短剣は大木に強烈な斬撃を食らわすが、流石に数万年の時を生きた大木は一刀の元には斬り伏せられず、その被害は全体の二割ほどにとどまっていた。

 今ならまだ、間に合うか。


「はい、エレナさんにも、です、僕はあの人にも生きていて欲しい」

「なんでだよ、お前のデミトリ様、アイツに斬られてるぞ」

「だって、だって」

「?」

「あんな風に愛を告げられて、好きにならないわけないじゃないか!」

「わ……わぁ……」


 少年の独白に、私はつい赤面してしまった。

 そうか、エレナはずっとこの少年越しにデミトリへ愛の告白をしていた。

 この子はエレナの愛を真っ正面から受け続けていたのだ。

 

 変わったっておかしくない、歪んだっておかしくない。

 私と同じだったはずの少年は、もう私には届かない場所まで成長していたのだ。 


「お願いします、あの人を止めてください」


 デミトリ本体が弱っているのか、それともこの少年が抗った効果か、私を縛るこの世ならざる蔦は少しずつゆるみ始めた。

 白黒はっきりしないマーブルな世界に、ようやく真っ白な色が現れた。

 私はこいつには恩がある。

 だから。


「わかっ」


 た、まかせろ。

 そう言葉にしようとして、しかしその言葉は口から発せられることはなかった。


 頭の中から、ピアノの音が消えたから。

 敵の匂いが、私の鼻についたから。


「糞ッ! なんで今、なんで今なんだよ!!」

「ニーナさん? どうしたんですか」


 緩み始めた蔦を必死に振りほどいて脱出し、可能な限り最速で背中の鞘から聖剣を抜くが、間に合わなかった。


 白黒はっきりしない世界に、今度は真っ暗な黒が現れた。

 あれほど望んだ私の敵が、こんなにも望んでない時に現れた。


「お膳立てご苦労、犬モドキ」


 青く光る魔弾がエレナとデミトリを貫いた。


「よぉ師匠、恩返しに来てやったぜ、弟子に殺される気分はどうだ?」


 切れ目の入った大木から、さらに魔弾によって大穴が空けられ。

 その穴に飛び込んだソイツが金に輝く指輪をデミトリより奪い取る。


 身長120㎝後半、半袖長ズボンを纏う、ともすれば幼女と見紛う姿、頭部に生えた二本の巻き角と細長い尾を持つ、半人半魔のタイニーフット。


「プリュカ……!!」


 私の敵が、そこにいた。


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