箱の中身
翌朝。
トルスミルの突端と呼ばれる切り立った崖の先端に立ったアレマンは、はるか眼下に広がる荒れ地を眺めていた。その目は何かを探すようにせわしなく動く。
「よう。早いなアレマン」
アレマンの背後から、のそりとドライオが姿を現す。律儀に、黒い箱を抱えていた。
「昨日も教えてくれなかったけどよ。こんな崖まで来て、どうする気だ?」
「この下まで降りる」
「本気か?」
ドライオは目を見張った。
「まさか、さすがにそんなことは言わねえだろうと思っていたが。読みが外れたぜ」
ドライオは崖下の荒れ地を顎でしゃくる。
「わざわざ来るくらいだ。あそこがどんな場所か知らねえわけじゃねえだろ」
「鉄巨人の庭園」
アレマンは言った。
「無論知っているとも。今までお前に目的地を言わなかったのも、それを知れば怖気づいて荷物を放り出して逃げ出すかもしれんと思ったからだ」
「なめられたもんだな」
ドライオは頭を掻く。
鉄巨人の庭園。
トルスミルの突端の下に広がる荒地は、そう呼びならわされていた。
遥か古代に極めて優れた呪術師が作った金属製の巨人が一体、その呪術師の骨すら残っていないであろうこの時代になってもまだこの荒れ地を動き回っているからだ。
生命を持たない巨人は、どうやらここを自らの縄張りと認識しているらしく、侵入者を見つけると直ちに襲い掛かってくる。
巨人は恐ろしく強かった。
これまでに幾人もの戦士が、鉄巨人の動力の核となっているのであろう高密度の魔晶体を目当てに戦いを挑んだが、いずれも「庭園」を彩る無残な骸と成り果てた。
そうした戦士以外に、こんなところに来る者は皆無と言ってよかった。
「ここで何をする気だ」
ドライオは言った。
「まさか鉄巨人を相手にするつもりじゃねえだろうな」
「そのまさかだ」
アレマンはあっさりと言った。
「ルシアとスティルが鉄巨人を倒す」
「無理だな」
ドライオは首を振る。
「あの二人は確かに強い。それは俺も認める。だが鉄巨人は無理だ。俺の知ってる腕利きの戦士が何人もあいつに挑んだが、誰一人帰っては来なかった」
「時代遅れの戦士どもと一緒にするな」
そう言ったのは、アレマンではなかった。
ドライオが振り返ると、冷たい目をしたスティルが立っていた。
「お前らが何人死んでいようが、知ったことか」
「なに?」
「その箱を下ろせ」
アレマンが言った。
「お前の仕事はここまでだ」
ドライオが担いできた箱の中身は、黒い金属製の装具だった。
肩当て、胸甲、籠手、膝当て、脛当て。それが二組ずつ入っていた。
スティルがそれを身に着け始めると、ルシアも駆けつけてきた。
「あー、何で先に着けてるのよぉ!」
「ルシアも着けろ。始めるぞ」
アレマンが言う。
「はーい」
「二人の鎧ってことか?」
ドライオの問いに、アレマンは顎だけで頷く。
「そうだ」
「これを着けて、それで鉄巨人を狩るってのか?」
ドライオは装具を着け終えたスティルを見た。細い身体を締め付ける防具が多少増えたところで、だからどうだというのか。
「悪いことは言わねえからやめておけ。死ぬぞ」
しかしスティルは鼻で笑い、アレマンを見た。
「こいつ、ここから投げ落としていいか」
「構わん」
アレマンは言った。
「どうせ帰りには鉄巨人の魔晶体が手に入っている。無限の魔力だ。それを着けたままで街まで戻れる」
「だ、そうだ」
スティルがドライオに近づく。目に冷たい殺気が宿っていた。
「おい、本気か」
ドライオが身構えようとしたとき。
「えー、かわいそうだよ」
ルシアが言った。彼女も装具をすでに着け終えていた。
「せっかくだから、このおじさんに私たちの戦いを見届けさせればいいよ。まあショックで戦士辞めちゃうかもしれないけど」
「ふん」
スティルは身を翻した。
代わりにルシアが、きゃはは、と笑いながらドライオの前に立つ。ドライオを見上げると、腰に手を当てて胸を張った。
「おじさん。私の身体を押してみて」
「あ?」
「私を思いっきり押してみてって言ってるの。ほら、早く」
「……いや」
肩当てと籠手の間から覗くルシアの白い腕の太さは、ドライオの半分どころか三分の一もない。いくら強いとはいえ、こんな華奢な少女を本気で押せば、怪我をさせるどころか命を奪ってしまいかねない。
「もう」
焦れたようにルシアがドライオの分厚い胸に手を当てた。そして、ぐっと足を踏ん張る。
「うおっ!?」
ドライオのブーツが地面を滑った。
ルシアは大した力を入れているようには見えなかった。だが彼女に押され、数倍もの体重を持つドライオの身体はずるずると後退した。
「この力は」
「ほら。どんどん押すよ」
ルシアがぐいぐいと前に出る。
「待て」
ドライオは押し返す。だが、ルシアの前進は止まらない。
ドライオの背後に、切り立った崖が迫っていた。
「落ちちゃうよ、おじさん頑張れ」
ルシアが笑う。
「ぬぐ」
さすがのドライオも本気の顔になった。全力を込めてルシアを押し返す。
「あ、すごい」
一瞬押し戻されたルシアが、目を丸くしてさらに力を込めた。
ずずず、と地面をこするブーツの音。押し負けたのはドライオの方だった。
「くそっ」
「ふふふ」
真っ赤な顔で唸るドライオと対照的に、ルシアは平然としていた。
「儂が開発したその装具はな」
アレマンが言った。
「呪術の素養のないお前ら戦士が着けたところで、ただの薄い鎧に過ぎん。だが選ばれた呪術師が身に着ければ、その魔力と反応して己の力を何倍にも強化することができるのだ。そしてこの二人こそ、装具の力を完璧に発揮できる選ばれた適合者。だからお前の力など子ども扱いできる」
アレマンがそう言ったときには、押し負けたドライオの身体はもう崖のきわにあった。どれだけ力を込めようが、ルシアの身体はびくともしない。左足の踵はすでに崖からはみ出していた。
「ほら。もう死んじゃうよ」
ルシアが言う。
「頑張らないと」
「があっ!」
ドライオの腕がぼこりと膨らむ。額に青筋を立てて華奢な少女を押し返そうとしたとき。
「おい、ルシア。かわいそうとか言ったのはお前だろうが」
スティルが吐き捨てた。
「結局お前が殺すのか」
「あ、そうだった」
ルシアは思い出したように力を抜くと、さっと脇に避けた。
「あぁ!?」
全力で押し返そうとしていたドライオの身体は目標を失って前につんのめり、そのままごろごろと地面を転がった。
「あはははは」
ルシアは手を叩いて笑う。
「バイバイ、おじさん」
「ふむ。調整は上々だな」
アレマンは満足そうに言った。
「ドライオ。我々は鉄巨人の庭園に下りる。これがここまでの報酬だ。もう帰ってもよいし、我らの戦いをそこから見届けてもよい。好きにしろ」
アレマンは金貨の入った袋を地面に放り投げた。
ドライオが土まみれになった身体をようやく起こしたときには、三人はもう崖下へと続く小道に姿を消していた。




