二人の実力
草原を歩き、森を抜け、旅は続いた。
ルシアとスティルの二人は、ドライオが驚くほどものを食べなかった。ごく少量の野菜の酢漬けを食べたあとは、アレマンの渡す小瓶の青い液体を飲むだけだった。
「それで足りるのか」
ドライオが尋ねてもスティルは返事一つしなかったが、ルシアは「おじさんこそ、よくそんなに食べるね」と笑った。
順調な旅路は、そう長くは続かなかった。魔物が姿を現したのは五日目のことだ。
丈の低い草を踏みしめて一行の前に立ちはだかったのは、針のような剛毛に覆われた三匹の豚鬼。ドライオには及ばないものの、いずれもがっしりとした体格で、錆びた鉈や斧で武装していた。
威嚇するように武器を振り回しながら近づいてくる豚鬼どもを見て、ドライオは足を止めた。
「出たぜ。どうするんだ、アレマン」
「言ったはずだ。お前はそこで見ていろ」
アレマンは落ち着き払っていた。
「ルシア。スティル。出番だ」
「はいはい」
緊張感のない返事をしたルシアが、丸腰のままで、すたすたと豚鬼の一体に歩み寄っていく。
「おい」
ドライオは思わず声を上げた。それはあまりに無防備な接近だった。
だが、豚鬼がよだれを撒き散らしながら鉈を振り上げたときには、その眼前からルシアの姿は消えていた。
「お……」
ドライオは目を見開く。ルシアは目にもとまらぬ速さで豚鬼の背後に回り込んでいた。離れて見ていたから分かったが、豚鬼からすれば魔法のように消え失せたとしか思えなかったことだろう。
ルシアが細い腕を伸ばして豚鬼の首根っこを掴んだ。そのまま、果物でももぎ取るように手を捻る。首を折られた豚鬼はその場に崩れ落ちた。
残った二匹の豚鬼が異変を感じて身構えたときには、スティルが彼らの前に立っていた。相変わらずの無表情のまま。こちらもルシア同様の丸腰だった。
魔物たちが奇声とともに振り下ろした斧や鉈が空を切り、地面を抉る。スティルはつまらなそうに身体をゆらゆらと揺らしただけで、その場からはほとんど動いていない。にもかかわらず、豚鬼たちの攻撃はかすりもしなかった。
スティルは不意に腕を上げて拳を握った。空を裂く一撃。殴られた豚鬼の鼻から赤い血が飛び散ると、スティルの顔に初めて表情のようなものが生まれた。薄い笑みを浮かべたスティルは凄まじい速度で拳を繰り出し、二匹の豚鬼を殴り続けた。豚鬼の反撃は一切当たらなかった。やがて、スティルがようやく拳を下ろしたときには、豚鬼は二体とも血の海の中に沈んでいた。
「スティル、時間かけすぎ」
残忍な嬲り殺しショーを退屈そうに眺めていたルシアがからかうように言う。
「もっと早く殺せるでしょ」
スティルは肩をすくめる。返り血の飛んだ顔からはもう表情が消えていた。
「俺のやり方に口出しするな」
「はいはい」
ルシアはため息交じりにアレマンに向き直った。
「終わったよー」
そう言ってアレマンに手を振る。
「……強えな」
ドライオが率直な感想を漏らすと、アレマンは彼をちらりと横眼で見た。
「言っただろう。お前が戦う必要などないと」
「いったい何者なんだ、あんたらは」
「それも言ったはずだ。知る必要はないと」
「ね、おじさん。分かったでしょ」
ルシアが笑顔で歩み寄ってくる。
「おじさんが戦う必要なんかないって」
「まあな」
ドライオは認めた。
「若いのに、ずいぶん強いんだな。それも素手で。珍しい戦い方をする戦士だ」
「戦士?」
ルシアは一瞬大きく目を見開いて、それから弾けるように笑った。
「あははははっ。スティル、聞いた? 私たち、戦士だって。あはははは」
ルシアは心からおかしそうに笑う。だがスティルはドライオを一瞥もせず、手についた血を布で拭き取っている。
「何だ。違うのか?」
「あのね、おじさん。私たちを戦士なんかと一緒にしないで」
ルシアが笑顔のままで言った。
「私たちは、呪術師」
「呪術師?」
ドライオはぽかんとする。
「何を言ってるんだ? 呪術師ってのはもっとこう……そこのアレマンみたいにローブを着てて痩せっぽちで、それで魔物と戦うときも難しい顔をしながらよく分からねえ術を使う人間なんだ。あんたらみたいに真正面から近付いて力任せに首を折ったり殴り潰したりはしない」
「古いなぁ」
ルシアは笑う。
「古いよ、おじさんの呪術師のイメージ」
「だが、俺が一緒に戦ったことのある呪術師は」
「呪術師がこういう風に戦っちゃ悪い?」
ルシアの笑顔に、徐々に苛立ちのような感情が混ざり始める。
「そんなの私たちの勝手でしょ?」
「悪いとは言わねえが、それは戦士の仕事なんじゃねえのかと思ってな」
「戦士の仕事? そんなこと誰が決めたの? 古ーい価値観のおじさんが?」
「戦士と呼ばれるのは嫌なのか」
「当たり前でしょ。野蛮なバカって言われてるのと一緒じゃない」
「そんなことは――」
「おい、でかぶつ」
スティルが不意に割り込んできた。
「あんたが戦士だって言うなら、俺たちに勝てるのか」
無表情のまま。だがその目の奥に冷たい敵意があった。
「……さて。どうだろうな」
ドライオの答えは、スティルを満足させなかった。
「俺たちに勝てると思ってるんだな」
「そうは言ってねえ」
「つまんないプライド」
ルシアがくすくすと笑う。
「さてどうだろうな、だって。勝てませんって認めればいいのに。でも無理かぁ。若者に勝てないなんて、おじさんは悔しくて認められないかぁ」
挑発するルシアの隣で、スティルはわずかに腰を落とした。
「試してみるか、でかぶつ」
その動きにはっきりとした殺意を感じ取ったドライオが、担いだ箱を下ろそうとしたとき。
「やめろやめろ、こんなところで下らんことを」
アレマンが喚いた。
「スティル。その男を殺してどうする。ここからはお前が箱を担ぐか?」
その言葉に、潮が引くようにスティルの殺気が消えた。ふい、と顔を背けてドライオから離れていく。
「よかったね、おじさん。命拾いしたよ」
ルシアが笑顔で豚鬼の死骸を指さす。
「アレマンが入ってくるのがあと少し遅かったら、おじさんもあんな風になってたのに」
「そうかい」
「そしたらさ、あとで誰かがここを通りかかったときに」
ルシアはこらえきれずに噴き出した。
「豚鬼が四匹死んでるって思っただろうね。一匹はやけに肉付きがいいなって。あはははは!」
「もういい。ルシアもよせ」
アレマンは苛立ったように言うと、ドライオを睨んだ。
「お前も余計なことは言わんことだ。命が惜しければな」
「疑問に思ったことを聞いただけだが」
ドライオは肩をすくめる。
「だがそれが気に障ったのなら謝ろう」
ドライオの謝罪に対する反応は、誰からも返ってこなかった。ルシアがおかしなタイミングで、あはっ、と軽い笑い声を上げた。
「さあ行くぞ」
アレマンは言った。
「今日中にトルスミルの突端まで行っておきたい」
「トルスミルの突端だと? そんなところまで行くのか。あの先には」
ドライオはそう言いかけたが、さっさと歩き始めた三人の背中を見てすぐに諦めた。
「分かったよ。余計なことは言わねえ」




